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マップルラボ「MAPPLE法務局地図ビューア」の公開を受けて

2月14日に、マップルから「MAPPLE法務局地図ビューア」(以下「地図ビューア」)を公開した旨のプレスリリースが出されました。


この地図ビューアに最初にアクセスした時に表示されるダイアログでは次の様に説明されています。

「MAPPLE法務局地図ビューア」はG空間情報センターで公開されている登記所備付地図データを「MAPPLEのベクトルタイル」に重ねた地図です。MAPPLEの地図と重ねることにより、不動産鑑定や土地家屋調査などの不動産関連業務、公共サービス、農業、林業、災害対応など街づくりに関する業務のDXや効率化につながります。詳しくはプレスリリースをご覧ください。


現状では地籍調査は全国的に見てもあまり進んではおらず、地図データ化出来ている地域は更に少ないのが実情の様で、神奈川県下では地籍調査の進捗率が10%に満たない市町村も数多く存在しています。このため、残念ながら神奈川県下ではこの地図ビューアでも「ベクトルタイル」が全く表示されない地域の方がかなり多くなってしまっています。とりわけ、新旧の東海道筋で地籍調査が進んでいない地域が多く、こうした地域ではこのビューアで得られる新たな情報は期待できません。

但し、比較的早い時期に地籍調査を完了して地図データが存在する地域では、その後の開発前の状況を現在の地図と重ねて見ることが出来ます。それによって、古い時代の街道や河道の位置関係をより高い精度で把握することが可能な箇所が存在しているのも事実です。

今回はそうした地域の中から、中原街道の地図データを見てみたいと思います。横浜市緑区の鶴見川に架かる落合橋から瀬谷区の新道大橋手前までの区間では地図データが揃っており、現在の様に片側2車線の道路へ拡幅される前の街道の位置関係がかなり見て取れます。

「MAPPLE法務局地図ビューア」中「道-33」
八王子バイパス下川井インター付近の地図データ
マーカーの指し示す先が旧中原街道の区画「道-33」(「MAPPLE法務局地図ビューア」をスクリーンキャプチャ)

八王子バイパス下川井インター付近の1960年代の空中写真と地形図との合成(「地理院地図」より)

とりわけ興味深いのが、現在は八王子バイパスの下川井インターの建設に際して大きく台地を削ったために消滅してしまった区間が、地図データ上に残っていることです。「道-33」という名称になっている区画がかつての中原街道で、現在の下川井インター交差点のやや南側を登る坂道であったことがわかります。

「地理院地図」の1960年代の写真でも、かつての中原街道の道筋を現在の地形図と重ねて見ることが可能ですが、写真では周辺の建物や生垣の樹木の影になって判別が難しかったり、現在の地形図との測地のズレもあって精度という点では課題が残ります。今回の地図ビューアの持つ精度については更に検証は必要ですが、基本的には公図としての精度は保っていると考えられますので、空中写真と比較すると現在の道路等との位置関係が明確になりやすい特徴はあると思います。

「MAPPLE法務局地図ビューア」中「道-537」
「梛の木石碑前」バス停付近の地図データ
マーカーの指し示す先が旧中原街道の区画「道-537」(「MAPPLE法務局地図ビューア」をスクリーンキャプチャ)


上記箇所付近の1960年代の空中写真と地形図との合成(「地理院地図」)

下川井インターから中原街道をもう少し西へ進んだ辺りでは、現在の県道の脇の細い路地と、「道-537」と名付けられた区画が重なっていることがわかります。この路地が旧中原街道の名残です。1960年代の空中写真では、南側の林の陰が街道に被ってしまっているため、道筋を判読するのが困難になってしまっています。

中原街道は江戸へほぼ直線的に向かう道であると、江戸時代の文書などに記されていることが多いのですが、実際の街道は僅かながらS字状のうねりがあったことが、地図データに残る街道の区画から読み取れます。その大半は道路の拡幅によって消滅しているのですが、ごく一部にこの様な旧道の「名残」が残った箇所があります。この地点については、街道の北側が崖になっていたことによって道路拡幅後に旧道を残して崖の上からの道筋との接続を確保する必要があったのでしょう。結果的に旧道と拡幅後の県道との間にごく細長い敷地が残りました。

また、地籍調査時点での中原街道の道幅が、後の拡幅工事によって獲得した道幅と比較して、数分の1程度の幅しかなかったことも見て取れます。但し残念ながら、この記事執筆時点では地図ビューアに縮尺が表示されていないため、「道-33」で示される「道幅」がどの程度のものであったかを地図上で計測することが困難です。現在の地形図で計測できる道幅との比較で類推するしかありません。

更に、地籍調査もそこまで時代を遡るものではありませんので、これを元に該当する公図を取り寄せて計測を行ったとしても、その道幅が何処まで時代を遡って適用可能なものと言えるか、特に江戸時代当時の記録との比較に耐え得るものであるかは、他の史料などと照らして考える必要があります。

「MAPPLE法務局地図ビューア」中「道-12」
「動物園入口」交差点付近の地図データ
マーカーの指し示す先が旧中原街道の区画「道-12」

「MAPPLE法務局地図ビューア」中「1449-110」
同じ位置の地図データに旧中原街道の区画と考えられる「1449-110」も見える
(どちらも「MAPPLE法務局地図ビューア」をスクリーンキャプチャ)


同じ位置の「今昔マップ on the web

実際、下川井インターの北東側の「動物園入口」交差点付近には、「道-12」という区画が見えています。この区画がかつての中原街道の位置にあることは確かですが、道としての幅はかなり拡がっていることがわかります。1960年代の空中写真と比較すると、必ずしもこの区画全体が道として使われていた様には見えていませんが、地籍調査の時点で既に拡幅のための用地が取得されていたのかも知れません。実際、この交差点の南西側でかつての中原街道は小高い丘を迂回する道筋が付けられていましたが、その道筋は「1449-110」と名付けられた区画として存在するものの、現在の県道に位置する区画も既に複数に分かれて存在しており、拡幅に向けての動きが地籍調査の結果に反映していることが窺えます。

上で記した通り、神奈川県下では地籍調査の実施率が低いことから、今回の様な検討を行い得る地域は限られています。しかし、古い時代に調査が実施された地域では、この様な区画の変遷を辿れる可能性が秘められており、その点では今回の地図ビューアはこうした変遷を捉えやすく表示してくれるツールとなり得る存在であると言えます。まだ実験的な公開という段階ですが、今後の展開を見守りたいと思います。
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