江戸時代後期編纂の『新編武蔵風土記稿』『新編相模国風土記稿』に記載された村の位置を示し、国立国会図書館デジタルコレク ションにおける該当ページへのリンクを提供 合同会社 緑IT事務所「江戸後期 武蔵・相模国 村名マップ」 https://t.co/20OM9X6MLj
— 谷謙二/TANI Kenji (@ktgis) December 18, 2019
リンク先の「江戸後期 武蔵・相模国 村名マップ」にアクセスすると、こんな地図が表示されました。

右下の「i」アイコンに、この地図についての説明が仕込んであります。
当サイトは、江戸時代後期に編纂された『新編武蔵風土記稿』『新編相模国風土記稿』に記載された村(または宿、町、新田等)の大まかな位置を示し、国立国会図書館デジタルコレクションにおける該当ページへのリンクを提供するものです。
各村の位置情報は以下の方法で作成しました。
- 風土記稿本文と迅速測図を参考にして現代の地名を比定
- CSVアドレスマッチングサービスを用いて地名から緯度経度を取得
現在地の比定および位置情報の信頼性について一切の保証を致しません。
データはLinkData.orgで新編武蔵・相模国風土記稿 村データとしてCC-BY-SAライセンスで公開しています。
この地図を製作した緑IT事務所のニュースによれば、この地図が最初に公開されたのは2016年1月のことであり、また当初は「新編武蔵風土記稿」のみに対応していた様です。最初の公開から3年以上経過していますが、上記のツイートが流れて来るまで、私はこの地図の存在には気付いていませんでした。「新編相模国風土記稿」に対応したのが何時頃のことかは確認出来ませんでしたが、現在は両方の風土記稿を網羅した状態になっている様です。
私のブログでは、江戸時代の相模国内の村の位置を示す際には、現在の住所として残っている地名であれば「Googleマップ」上でエリアを示す地図を埋め込むなどの手法で紹介してきました。ただ、これは飽くまでも現在の住所であり、江戸時代の村の範囲を厳密に示すものとは必ずしも言えません。明治時代以降に様々な要因によって範囲が変わってしまっている例は数多あり、飽くまでも目安として示しているつもりです。この地図で示されている位置もその点では同じと言って良く、その点で上記説明にある断り書きは理解出来るものです。
初期状態の小縮尺では、地図上で相互に重なってしまう村の数が丸数字で表示されていますが、左上の「+」をクリックしてズームインしていくと、次第に表示される村の名前が増えてきます。それらの村名をクリックすると、バルーンの中にリンクが表示され、

このリンクをクリックすると、「国立国会図書館デジタルコレクション」に収められている風土記稿の該当ページが表示されます。

「新編武蔵風土記稿」では内務省地理局のものを、「新編相模国風土記稿」では鳥跡蟹行社の方を参照している様です。「国立国会図書館デジタルコレクション」には、他に雄山閣版初版の風土記稿が収められていますが、そちらを参照する場合でも、ひとまず該当する村がどの巻に収められているかを確認することで、検索の一助になります。
「地理院地図」の様に、地図をブログなどの記事中に埋め込んで表示させる様なインターフェースは準備されていない様なので、今のところこのブログから直接該当箇所を表示させる様な使い方は出来ませんが、江戸時代の村々のおよその位置関係を知る上では非常にわかりやすいと思います。私のブログでは特に「新編相模国風土記稿」の参照回数が特に多いことから、右の「リンクツリー」の「参考資料」に、「江戸後期 武蔵・相模国 村名マップ」へのリンクを追加しました。
12月16日にYahoo!ブログのサービスが終了し、同サービス中の全てのブログが閲覧出来なくなりました。私のブログの記事中からは、5つほどYahoo!ブログへのリンクがありましたが、このうち期限までに移行を済ませたのは1件のみでした。この1件については既に移行先へのリンクの付け替えを済ませましたが、残りの4件については移行されなかった場合に備え、該当記事のウェブ魚拓を取得させていただいておりました。近日、これらのリンク先の変更を行います。