- 柏尾川流域は、周囲に対して相対的に沈降する地域があるために、周辺からの支流がごく限られたエリアに集中して流入しており、その影響で水害が発生しやすい。
- 鎌倉時代の主要道であった鎌倉街道は、このエリアを極力避けて通っていたため、戸塚を経由するルートが生まれなかった。
- 鎌倉が衰退するまでは鎌倉を近傍でバイパスするルートが発展することはなく、後北条氏の統治下に入った後でも、リスクの高い柏尾川流域を突っ切ってまで鎌倉を素通りするルートを通すことはなかった(可能性が高い)。
- 後北条氏滅亡後に徳川家康が派遣してきた岡津陣屋が、それまでの道取りの考え方とは異なる、治水を一体化した街道の普請を実施して、初めてこの流域内を長々と通過する江戸時代の東海道のルートが誕生した。
…ということになります。
- 【武相国境】境木→阿久和
- 【旧東海道】その6 戸塚宿周辺の道と柏尾川水系【武相国境】(その1)
- 【旧東海道】その6 戸塚宿周辺の道と柏尾川水系【武相国境】(その2)
- 【旧東海道】その6 戸塚宿周辺の道と柏尾川水系【武相国境】(その3)