「七湯の枝折」に掲載された産物の一覧から、前回は「米つつじ」を取り上げましたが、今回は「一輪草(うめばちそう)」を取り上げます。

右側に「一輪草(うめばちさう)」
(沢田秀三郎釈註書より・再掲)
一輪草(うめばちさう)」が挿画とともに紹介されています。その挿画の大きさも「山椒魚」や「箱根草」と同等のものとなっており、以降の産物についてはもっと小振りな挿画になっていることから、それだけ当時の箱根では注目されるべき草花と考えられていたことが窺い知れます。但し、この花が見られるのは「
芦の湯に限り生す」と、箱根七湯の中で最も標高の高い(標高850m前後)場所に位置する芦之湯のみであることが記されています。
もっとも、「
近世是を押花にして或ハ扇にすき入れ又ハ婦女の衣のもよう等に染るに甚タしほらしくやさしきもの也」と記していることからは、この花が箱根だけではなく、他の地域でも賞翫されていたことが窺えます。以下で引用する「大和本草」の記述も、そのことを裏付けています。
(By Qwert1234 - Qwert1234's file,
CC 表示-継承 3.0, via Wikimedia Commons)
(GFDL, via Wikipedia)
ただ、気になるのはその表題に「一輪草」という表記と「
又梅草梅花草ともいふ」あるいは「うめばちそう」という表記が共に記されていることです。確かに「イチリンソウ」と「ウメバチソウ」の花は御覧の通り大変良く似ていますが、現在ではこれらは別の種の植物であり、更には植物分類上も別の科に属していることが知られています。従って、「七湯の枝折」のこの表記を、現在「イチリンソウ」あるいは「ウメバチソウ」として知られている植物と、どの様に関連付けて解すべきかが課題と言えます。
そこでまず、「神奈川県植物誌2001」(神奈川県植物誌調査会編 2001年 神奈川県立生命の星・地球博物館刊)から「ウメバチソウ」と「イチリンソウ」の記述を抜き書きしてみます。
- ウメバチソウ Parnassia palustris L. var. mulutiseta Ledeb.(上記書798ページより)
花茎は高さ10〜15cm、葉は円い心形で円頭、花は9〜11月、白色、仮雄しべは15〜22裂する。北海道、本州、四国、九州、東北アジアに分布、県内では丹沢、箱根の草原や湿地に生える。かつては丘陵地にも生えていたようで、古い標本では、川崎市多摩区登戸(1951.8.26 大場達之 KPM-NA0020550)、青葉区鉄町(1953.9.27 出口長男 KPM-NA0081124)、横須賀市須軽谷(1966.10.7 小板橋八千代 YCM10406)がある。また1984年に横浜市港南区舞岡町の谷戸(標高70m)で生育地が確認された(田中徳久 1911 FK(30): 301)。中山周平(1998 柿生 里山今昔 朝日新聞社)は1946年10月に川崎市の柿生(片平の中提谷戸)で写真撮影やスケッチをしたが、そこは1996年に学校建設により消滅したと記している。「神植目33、神植誌58、宮代目録」では低地の生育地に横浜や大船をあげている。県内の低地に分布していたものは絶滅したものが多く、「神奈川RDB」では減少種とされた。
- イチリンソウ Anemone nikoensis Maxim.(上記書698ページより)
根茎は横にはい、所々少し肥厚する。根生葉は長柄があり、1〜2回3出複葉、小葉は長さ2〜5cm、根生葉を出さない根茎の先に花茎を立てる。総苞葉は有柄で1回3出する。花茎は20〜30cm、花は1個、萼片は5個、早春に現われ、初夏には枯れる早春季植物。本州、四国、九州に分布、林縁や林床に生える。県内では丹沢、箱根、三浦半島を除く地域では広く分布するが少ない。
ウメバチソウ、イチリンソウの分布図はそれぞれの記述の次のページに掲載されています。これらを見ると、ウメバチソウの場合は箱根・丹沢・三浦半島に分布を示す記号が付けられているのに対して、イチリンソウの場合は丹沢・箱根には分布を示す記号が付けられていません。こうした現在の分布からは、箱根で見られるのは「ウメバチソウ」の方であって「イチリンソウ」ではない可能性が高くなります。
箱根町のサイトでも「ウメバチソウ」は紹介されていても「イチリンソウ」は紹介されていません。その他、箱根の植物をまとめた幾つかの書物でも、「ウメバチソウ」は掲載されていても「イチリンソウ」が掲載されているものは探した範囲では見当たりませんでした。江戸時代まで遡った時には「イチリンソウ」が生息していた可能性を完全には排除できませんが、これらの地域に過去にイチリンソウが生息していたことを裏付ける史料は今のところ見当たらないので、「七湯の枝折」の「一輪草(うめばちそう)」は「ウメバチソウ」の方を指している可能性の方が高いと考えておくのが妥当でしょう。
そうなると、江戸時代には「ウメバチソウ」や「イチリンソウ」はどの様に認識されていたのか、「七湯の枝折」上でだけ混用されていて、当時の人たちにもこれらが別の植物であったことが良く知られていたのか、それとも当時の人々には両者の違いがあまり理解されていなかったのかが疑問点として浮かんできます。この点を考えるのは容易ではありませんが、差し当たって幾つかの本草学の文献に当たってみることにしました。
まず、「大和本草」にはこの2つの植物についてそれぞれ次の様に記されています。磯野直秀氏によれば(リンク先PDF)、この「大和本草」が「うめばちそう」について記された初出ということになる様です。
- 梅バチ(卷七)
小草にて花白し好花なり盆にうへて雅玩とすへし花のかたち衣服の紋につくるむめばちのことし叡山如意カ嶽にあり攝州有馬湯ノ山に多し俗あやまりてこれを落花生と云落花生は別物なり
- 一花草(卷七)
葉はツタに似て莖の長二寸はかり冬小寒に始て葉を生じ立春の朝花忽ひらく一莖に一花ひらく花形白梅に似たり夏は枯る他地に植ふれは花の時ちがふ
(何れも「国立国会図書館デジタルコレクション」より、種名・地名を除いてカタカナをひらがなに置き換え)
ここでは「一花草(いちげそう)」という名称になっていますが、その解説の内容から見て現在のイチリンソウを指すと見て良さそうです。どちらも梅に似た白い花をつけるものの、花期が異なることを記しています。「梅バチ」は比叡山や有馬温泉に多いとしていますが、関東の分布について触れられていないのは著者の貝原益軒が基本的には西で活躍した本草学者だったからかも知れません。
注目されるのは、どちらもその欄外に「和品」と記されていることです。実際はウメバチソウは日本以外でも北半球に広く分布していますから、必ずしも日本の固有種ではない筈なのですが、益軒としては漢籍にこの植物に該当する記述を見つけられなかったということになるでしょうか。他方のイチリンソウの方は本州・四国・九州に分布しており、こちらは日本の固有種です。
一方、「和漢三才図会」には「梅鉢草」の項があり、そこには次の様に記されています。
梅鉢草
俗稱本稱未詳
今以テ二梅花ヲ一爲二衣服之文ト一呼ンテ曰二梅鉢ト一故名
△按梅鉢草ハ高サ四五寸葉略團ク厚少シテ而靑色帶フレ赤ミヲ三月開二白花ヲ一單葉ニシテ似タリ二梅花ニ一蓋シ風樓草夏雪草梅鉢草一輪草ノ之花皆似タリレ梅一輪草葉似二風樓草葉一三月開二單白花一似レ梅
(「国立国会図書館デジタルコレクション」より)
ここでは「一輪草」と花が良く似ていることが記されています。言い換えれば、著者の寺島良安も「梅鉢草」と「一輪草」が別の植物であることを認識していたことになります。しかし「和漢三才図会」にはこの「一輪草」に該当する項目がありません。「一輪草」については「梅鉢草」の項目の末尾に簡略に示されているのみということになります。そして、「本称未詳」と記されているということは、「和漢三才図会」が手本とした「三才図会」は勿論、それ以外の漢籍、つまり中国の文献に該当するものを見出せずにいたことを示しています。
これら2つの書物の記述からは、江戸時代初期には既に「うめばちそう」と「いちりんそう」が、それぞれ秋と春に花をつける別の植物であることを識別していたことが窺えます。但し、「うめばちそう」が漢籍に該当するものがない、あるいは該当するものが見つからないでいるという見解をもっていたことになります。「七湯の枝折」でも「
但し秋草にて仲秋の比をさかりとす」と記しており、その特徴からはやはり「うめばちそう」と呼ぶべき植物であったことになります。
これらに対し、「大和本草」や「和漢三才図会」よりは時代が下る「本草綱目啓蒙」では、ウメバチソウに該当しそうな項目を見出すことが出来ません。イチリンソウに該当しそうな項目としては、訓に「大和本草」でも取り上げられた「いちげそう」を含んでいる次の項目を挙げることになります。実際、イチリンソウが「本草綱目啓蒙」に掲載されているとしている植物図鑑のサイトも存在しています。
佛甲草
總名マン子ングサ ツルレンゲ イツマデグサ ステグサ丹波 イハマキ同上 ノビキヤシ雄泉州/雌大和本草 子ナシグサ雄大和本草/雌勢州 ハマヽツ雄紀州播州/雌豫州 イミリグサ雄豊後/雌豊前
雄名イチゲサウ大和本草 テンジンノステグサ藝州 ステグサ紀州 シテグサ豫州 ツミキリグサ筑前 チリチリ南部 タカノツメ勢州龜山 ホットケグサ同上山田 ホトケグサ同上内宮 子ナシカズラ和州 江戸コンゴウ防州 ミヅクサ阿州 セン子ンサウ讚州 ヒガンサウ泉州 マムシグサ伯州 イハノボリ同上 ナゲグサ越後 マツガ子江州彦根 カラクサ同上守山
雌名イチクサ三才圖會 マンネンサウ同上 コマノツメ勢州 イチリクサ津輕 フヱクサ秋田 コヾメグサ防州
路旁陰處林下水側に多く生す雄なる者は苗高さ六七寸叢生す葉細くして厚く末尖り長さ八九分黃緑色三葉ごとに相對す莖を切り捨て枯れす自ら根を生す四五月梢に花を開く五瓣黄色大さ三分許多く枝に盈て美はし苗は冬を經て枯れず
(後略)
(「国立国会図書館デジタルコレクション」より、種命以外のカタカナをひらがなに置き換え、書き込みは原則省略、強調はブログ主)
もっとも、この「仏甲草」については中国語では「マンネングサ」を指すことになる様なので、小野蘭山がこの項に日本国内で見られる、そして「大和本草」が指摘する「いちげさう」を宛てた点については少なからず疑問の余地があります。その様なこともあってか、イチリンソウを「仏甲草」と表記した例は今のところ他に見出すことが出来ません。実際、黄色の花が咲くとしている点もイチリンソウの特徴とは合っていません。また、雄花と雌花がある様にまとめているなど、この項目での「いちげさう」以外の日本国内各地の和名のまとめ方についても、果たしてこの通りに解して良いかは検証が必要と思います。

次のページに解説があり
「梅花草」と似ていることが記されている
但し「梅花草」は「畫本野山草」には採録されず
(「国立国会図書館デジタルコレクション」より)
と記されており、「大和本草」の記述ともども江戸時代初期にはその存在が知られていたことがわかります。一りん草中 花しろし小草なり一本ニ一りんつゝ花咲
(「国立国会図書館デジタルコレクション」より、合略仮名は仮名に展開)
こうして見て行くと、江戸時代には「うめばちそう」と「いちりんそう」を、花期の違いで識別するだけの知見が存在していた可能性の方が高そうです。とすると、「七湯の枝折」の「一輪草(うめばちさう)」という表記の混乱は、箱根山中での呼称一般に生じていたものが反映し、それを後で訂正したものか、あるいは「七湯の枝折」上でのみ表記を取り違えたことになりそうです。ただ、実際はそのどちらであったのかは、まだ明らかではありません。箱根について、特に芦之湯について書き記された他の史料に、この植物が登場する例があるかどうかを探す必要があり、今後の課題ということになります。

(「国立国会図書館デジタルコレクション」より
コントラスト強調)
と記した上でうめばちそうの線画を載せています。しかし、この線画は「七湯の枝折」の挿画と良く似ており、恐らく「七湯の枝折」を参照して筆写したものと考えられます。線画周囲の空白の大きさからは、永好自身がウメバチソウを見ていれば何らかの追記が試みられたのではないかとも思われるものの、彼自身がこの花を見ることは叶わなかったのかも知れません。梅草一名は一輪草ともいへり莖一つに花一つなり形花梅花のごとし
(「国立国会図書館デジタルコレクション」より、カタカナをひらがなに置き換え)
「ウメバチソウ」については現在は神奈川県の2006年版レッドデータブック上で絶滅危惧ⅠB類に指定されています。県内で見掛けるのはますます難しい花になりつつあるのは確かな様です。
ウメバチソウ Parnassia palustris L. var. mulutiseta Ledeb. (ユキノシタ科)
県カテゴリー:絶滅危惧ⅠB類(旧判定:減少種 V-H)
判定理由:神植誌88および2001の調査では14地域メッシュで採集された。このうち11地域メッシュからは1995年以後の確認がない。地域メッシュ単位で79%の減少と考えられる。定量的要件Aより絶滅危惧ⅠB類と判定される。
生育環境と生育型:湿地や湿った草地に生える多年草
生育地の現状:不明
存続を脅かす要因:自然遷移、草地開発
保護の現状:県西のものは国立公園、国定公園、県立自然公園内
県内分布:(横浜市青葉区、相模原市緑区、箱根町、秦野市、南足柄市、川崎市多摩区、山北町、横須賀市、湯河原町)
国内分布:北海道、本州、四国、九州
(上記書103ページより、県内分布については地域を示す記号を市町名に置き換え)