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「書籍・資料紹介」カテゴリー記事一覧

【図録紹介】「絵図でめぐる川崎—失われた景観をさぐる」(川崎市市民ミュージアム)

前回平塚市博物館で2017年に催された特別展「ひらつかの村絵図を読む」(以下「ひらつか」)の図録を紹介しました。その中で、神奈川県内の村絵図類をまとめた出版物の一例として、川崎市の「絵図でめぐる川崎-失われた景観をさぐる-」(2010年、以下「川崎」)を挙げました。

このブログでは主に江戸時代の相模国域のことを取り上げて来ているため、武蔵国(主に橘樹郡)に属していた川崎市域を取り上げる機会は多くありませんでした。東海道の六郷の渡し川崎宿を取り上げたのが主なものになりますが、近代まで時代が下ったり、現在明らかになっている地形・地質に関する知見を中心に記事を組み立てたこともあり、近世の村絵図を検討する展開にはなりませんでした。このため、手元の「川崎」の図録を活用する機会に恵まれませんでしたが、前回の記事で僅かながら触れたこともあり、この機会に簡単に目次をまとめておくことにしました。

この図録は104ページと、郷土史の特別展の図録としてはページ数が多く、更に別冊でトレース図集(29ページ)が付随しています。絵図の方は全てフルカラー刷りになっているのに対し、トレース図はモノクロの線描図になっていますので、カラー印刷のコストを多少なりとも抑える目的でこの様な構成になったものと推察されます。因みに「ひらつか」のトレース図は元図と同じカラーを引き継いだものになっていますが、これは元図をカラースキャンしたものを画像処理して作成したものと見受けられ、2つの特別展の間の年月に画像処理作業環境が著しく進化したことを感じさせます。

「絵図でめぐる川崎」市内村々概念図
川崎市内の江戸時代の村々の概念図と
絵図掲載ページ
(「川崎」10ページより)
「川崎」の目次は次の通りです。

  • ごあいさつ
  • ⒈ プロローグ 江戸時代の川崎市
  • ⒉ 村絵図の世界
  • ⒊ さまざまな絵図
  • [ノート]近世村絵図は誰によって描かれたか
  • 出品目録
  • 参考文献
  • 所蔵者・協力者一覧

「⒈プロローグ」では、「武蔵国絵図」など、より広域の絵図を掲載して、当時の川崎市域や周辺地域を概観する位置付けになっています。

「⒉ 村絵図の世界」では、以下の各村の絵図が掲載されています。複数の絵図が掲載された村が多くなっていますが、ここでは絵図の名称と年代を書き出し、別冊にトレース図が掲げられたものは前回の記事同様に「◎」を付しました。なお、各絵図には出品番号が付されているのですが、図録には必ずしも全ての絵図が採録されておらず、番号が飛んでいる所が何箇所かあります。出品番号は134まで振られており、1回の特別展としてはかなり多数の絵図が展示されたと言えます。

  • 稲荷新田・大師河原村
    • ◎稲荷新田絵図(天保9年・1838年)
    •  玉川河口川欠絵図(江戸時代後期)
    • ◎玉川河口域海岸町人普請絵図(寛文11年・1671年)
    •  新田開発成就絵図(宝暦12年・1762年頃)
    •  大師河原村塩浜耕地絵図(江戸時代)
    •  大師河原村潮除堤破損箇所絵図(宝暦10年)
    •  大師河原村塩浜新田御見分絵図(宝暦12年・1762年)
  • 池上新田・大嶋村
    •  池上新田絵図(文政4年・1821年)
    •  池上新田開発前後の大嶋村高入地絵図(宝暦12年・1762年)
    •  大嶋村・池上新田村境立会絵図(安永5年・1776年)
    •  大嶋村新組新高入場絵図(江戸時代)
    •  五ヶ村悪水落堀周辺新田絵図(江戸時代)
    •  大師河原村塩垂場付近御定杭絵図(江戸時代)
  • 川崎宿
    •  川崎宿絵図(享和2年・1802年)
    •  川崎宿の内久根崎町田畑絵図(文久元年・1861年)
    • ◎川崎宿の内新宿町田畑絵図(文久元年・1861年)
  • 下平間村
    • ◎下平間村絵図(江戸時代)
  • 沼部(ぬまべ)
    •  下沼部村絵図(江戸時代)
    •  下沼部村絵図(文政4年・1821年)
  • 上丸子村
    • ◎上丸子村小杉村上沼部村境絵図(文政7年・1824年)
  • 小杉村
    • ◎小杉村絵図(宝暦12年・1762年)
    •  小杉村絵図(寛政元年・1789年)
    •  小杉御殿図(江戸時代)
  • 宮内村
    • ◎宮内村絵図(江戸時代)
  • 下野毛(しものげ)村・瀬田村
    • ◎下野毛村絵図(天明8年・1788年)
    •  下野毛村麁絵図(天保7年・1836年)
    •  五ヶ村組合絵図(文化2年・1805年)
  • 久本(ひさもと)
    • ◎久本村絵図(江戸時代)
  • 作延(さくのべ)
    • ◎上作延村絵図(江戸時代)
  • 坂戸村
    • ◎坂戸村用水絵図(江戸時代)
  • 末長村
    • ◎末長村絵図(嘉永元年・1848年)
    •  末長村絵図(江戸時代)
  • 子母口(しぼくち)
    •  子母口村御林絵図(宝暦14年・1764年)
    •  子母口村御林梶ヶ谷村上地御林絵図(宝暦14年・1764年)
  • 梶ヶ谷(かじがや)
    • ◎梶ヶ谷村絵図(江戸時代)
    •  梶ヶ谷村小字地名図(江戸時代)
  • 馬絹(まぎぬ)
    • ◎馬絹村絵図(江戸時代)
    •  馬絹村絵図(江戸時代)
  • 土橋(つちはし)
    • ◎土橋村絵図(明和6年・1769年)
  • 菅生(すがお)
    • ◎下菅生村絵図(天保14年・1843年)
  • 天真寺新田
    •  天真寺新田絵図(享保16年・1731年)
  • (たいら)
    •  田畑山林惣絵図面(万延元年・1860年)
    •  再改 田畑山林絵図面覚帳(文久2年・1862年)
  • 長尾村
    • ◎長尾村絵図(江戸時代)
    •  長尾村絵図(江戸時代)
  • 登戸村
    • ◎登戸村絵図(天保14年・1843年)
    •  登戸村絵図(江戸時代)
  • (すげ)
    • ◎菅村絵図(寛保元年・1741年)
  • 金程(かなほど)
    • ◎金程村絵図(宝暦14年・1764年)
    •  金程村新開場見立絵図(宝暦14年・1764年)
  • 高石村
    • ◎高石村絵図(宝暦14年・1764年)
  • 王禅寺村
    • ◎王禅寺村絵図(宝暦12年・1762年)
    •  王禅寺村五人組絵図(享保3年・1718年)
    •  王禅寺村絵図(天保7年・1836年)
  • 片平村・五力田(ごりきだ)
    • ◎片平村絵図(天保7年・1836年)
    •  五力田村絵図(天保7年・1836年)

「⒊ さまざまな絵図」に掲げられた絵図は以下の通りです。

  • 海岸を描く
    •  稲荷新田下より潮田村下迄海辺新開場見立絵図(宝暦14年・1764年)
    •  川崎領海辺村々汐除堤并新開場見立絵図(明和2年・1765年)
    •  玉川より鶴見川迄海辺村絵図(江戸時代)
  • 道を描く
    •  東海道分間延絵図(部分:文化3年・1806年)
    •  東海道往還絵図(部分:江戸時代後期)
    •  東海道道中絵巻(部分:江戸時代後期)
    •  中原往還図(文久3年・1863年)
    •  溝口寄場組合村々図(江戸時代後期)
  • 多摩川を描く
    •  調布玉川絵図(部分:江戸時代後期)
    •  武蔵国玉川絵図(部分:明和2年・1765年)
    •  下沼部川欠絵図(文政5年・1822年)
    •  六郷川渡船場水制絵図(江戸時代)
    •  玉川通堤川除御普請箇所付絵図(嘉永2年・1849年)
  • 境界を描く
    • 麻生(あさお)村王禅寺村秣場出入裁許絵図(寛永10年・1633年)
    •  王禅寺村山論裁許下絵図(正徳元年・1711年)
    • ◎王禅寺村山論裁許絵図(正徳2年・1712年)
    • ◎片平村古沢村平尾村野論裁許絵図(貞享3年・1686年)
    • ◎小杉村等々力(とどろき)村境論裁許絵図(享保2年・1717年)
    • ◎下石原宿菅村郡境論裁許絵図(享保8年・1723年)

「ひらつか」では、複数の村にまたがる絵図については後続の主題毎の絵図をまとめた章に収めていました。それに対し、「川崎」では絵図の大半が「村絵図の世界」に収められ、各種の主題に従って描かれた絵図も、数村程度の地域を描いたものはほぼこちらにまとめられています。例えば、海岸線に関する絵図は稲荷新田・大師河原村や池上新田・大嶋村にも沿岸の塩田や潮除堤を描いたものとして登場します。

川崎市の方が市域が広く細長いため、個々の地域毎の特徴を際立たせることに主眼を置いた配列になったと言えるでしょうか。もっとも、個々の絵図から読み取れるものは一様ではありませんので、その時々によって分類が変わっていくのも自然なことではあります。例えば、「六郷川渡船場水制絵図」はここでは「多摩川を描く」の項に収められましたが、半面で六郷の渡しやその周辺を描いた絵図という側面もあります。また、中原街道(相州道)が小杉御殿跡の前で枡形を成していることが読み取れる小杉村の各絵図なども、中原街道の研究では見るべき絵図と言えるでしょう。

前回の繰り返しになりますが、こうした過去の村絵図をまとめた資料集が更に世に出ることを期待したいものです。
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【図録紹介】「ひらつかの村絵図を読む」(平塚市博物館)

今年も相変わらず思う様に活動出来ない中、最寄りの図書館で入手出来る資料の範囲で記事を書いてきました。県内各地の博物館などで興味深い催し物が色々と行われていることは折に触れて情報を得ていましたが、何れも出掛けることは叶わずにいます。

そうした中で、昨年秋に平塚市博物館 で興味深い特別展が催されていたことを、つい最近になって知りました。

2017年度秋期特別展 ひらつかの村絵図を読む(2017年10月21日〜12月17日、リンク先は当時の機関報のPDF)


このブログでは「新編相模国風土記稿」中の街道に関する記述を拾い上げる作業を行っていますが、生憎と大住郡の分が未完成になっています。それはひとえに、「風土記稿」中の大住郡の街道に関する記述を拾い集めて同じ道について書かれていると考えられるものを照合していっても、なかなか思う様に繋がらない箇所が散見されるからで、何か他の史料を照合しながら記述を検証しないと整理が付かない状態になっています。特に、大住郡内各村の道の位置関係が具体的にわかる地図が必要ですが、地形図と言えるものは明治初期の「迅速測図」が最古で江戸時代まで遡ることは出来ません。無論、道の位置はそれほど容易には変え難いものですから、「迅速測図」もある程度の参考にはなるものの、人力車等の出現に合わせて道を付け替えたりしたケースもあるため、これだけを典拠にするのは問題があります。

市町村史などの江戸時代の史料集には絵図が付属しないことが多く、付属しても精々数枚程度で、多数の絵図をまとめたものを見ることがなかなかありません。ある程度高精細で大判のカラー印刷が必要になることから、コスト面の制約をクリア出来ないのが要因としてはあるのでしょう。神奈川県立図書館で検索した限りでは、相模国域では
  • 相模原市(旧市域:かつての津久井郡域含まず):

    「相模原市史 第5巻付図」(1965年、村絵図10点)

  • 足柄上郡山北町:

    「江戸時代がみえる やまきたの絵図:山北町史 別冊1」(1999年)

  • 旧津久井郡津久井町(現:相模原市緑区内):

    「ふるさと津久井 第3号:特別号『津久井の古地図』」2002年

が見つけられた程度でした。神奈川県域に拡げても、他に
  • 川崎市:

    「絵図でめぐる川崎-失われた景観をさぐる-」(2010年)

を挙げることが出来るのみです。

その点で、平塚市のこの特別展の様に村絵図をまとめて参照出来る機会は、何処の市町村のものであってもなかなか貴重です。幸い、この特別展では図録も製作されており、大住郡の街道についても何かヒントが得られるかも知れないと期待を持って取り寄せてみたところ、かなり充実した内容で有益な資料として活用出来るものとなっていたので、ここで紹介することにしました。因みに、図録の巻末の主要参考文献の一覧には上記の川崎市の図録の名前も挙げられており、今回の特別展開催に当たって何かしらの示唆を得ているものと思われます。

この図録の目次は次の通りです。

  • 第1章 描かれたひらつかの村々
  • 第2章 川へのまなざし
  • 第3章 裁許絵図
  • 平塚市域の近世略年表
  • 平塚市域迅速測図
  • 平塚市域の近世村
  • 平塚市域54か宿村の合併

まず、第1章に収録された絵図の村名又は領域名を一覧にしてみます。複数の村絵図が採録された村もありますので、ある程度の区別のために年代を添えることにしました。表題の脇に「江戸時代」「明治時代」とのみ記されているものは、本文中から凡その年代が推定されている箇所を採用しています。絵図の中には、相給で複数の領主がいる村のうち1人の領主の分のみを描いたものも含まれています。配列は図録の掲載順です。

  • ◎平塚宿・平塚新宿(文化8年・1811年)
  • ◎南原村(文化文政期以降)
  • ◎南原村(文化8年以降)
  •  新土村(江戸時代年代不詳)
  •  入野村(明治時代年代不詳)
  •  飯島村(明治時代年代不詳)
  •  寺田縄村(寛文5年以降・近代後筆あり)
  • ◎松延村(明治時代年代不詳)
  • ◎大神村(文政13年・1830年)
  • ◎大神村(文化文政期)
  • ◎岡崎郷八ヶ村(江戸時代年度不詳)
  • ◎丸島村(明治4年・1871年)
  • ◎真田村(元禄元〜5年)
  •  真田村(明治8年・1875年)
  •  南金目村(明治8年・1875年)
  • ◎北金目村(江戸時代年代不詳)
  •  北金目村(江戸時代年代不詳)
  •  北金目村(江戸時代年代不詳)
  •  北金目村(明治時代年代不詳)
  • ◎北金目村(江戸時代年代不詳)
  • ◎広川村(江戸時代年代不詳)
  •  片岡村(明治時代年代不詳)
  •  土屋村(明治時代年代不詳)
  • ◎土屋村(天保7年・1836年)
  • ◎中原御林(文化文政期以降)


「ひらつかの村絵図を読む」第1章に採録された村絵図の対象地域
第1章に採録された村絵図の対象地域
「中原御林」は除いているが、平塚宿・須賀村以北
中原村・四之宮村以南の比較的広い地域が
描かれている
(図録80ページ「平塚市域の近世村」に着色して作成)
図録の凡例には、展示資料の中に図録に採録されなかったものもある旨の記載があり、また今回の展示に供されなかった絵図もあると思われますので、これが平塚市域で見つかっている江戸時代の村絵図の全てであるとは言えないでしょう。とは言え、平塚市域の江戸時代の村絵図をこれだけまとめて見られる資料が出来たこと自体、喜ばしいことです。

また、上の一覧で村名の前に付した◎は、一緒にトレース図が添えられているものです(以下の一覧も同様)。原図だけでは判読が難しい所が多いですから、全部ではないにしてもかなりの枚数の絵図にトレース図が添付されているのは大いに役に立ちます。

第1章の中では北金目村の5枚が最多ですが、こうした絵図は村の状況を領主などに説明する必要がある度に描かれていたことがわかります。明治時代に入ってから描かれたものも混ざっていますが、その描き方は基本的に変わっておらず、明治に入ってもしばらくは旧来の方法で絵図を作成することによって村内の事情を把握していたことが窺えます。寺田縄村の江戸時代の絵図に明治時代の後筆があることも、江戸時代の絵図が明治時代に入っても利用し続けられていたことを意味しています。

因みに、「風土記稿」の編纂に当たり、昌平坂学問所は文政7年(1824年)頃から各村に村明細帳を提出する様に求めており、その際に村絵図を添える様に指示しているのですが、今回の特別展に展示された絵図にはこの時に描かれたと考えられるもの(正本の方を提出するので、残っているとすれば控ということになりますが)は含まれていませんでした。これが残っていれば、「風土記稿」と照合させるには最良の史料ということになるのですが、実際にはなかなかその様な絵図を見掛けることがありません。

第2章は治水や利水に関係する絵図がまとめられており、その性質上から複数の村に跨がる絵図が多くなっています。以下の一覧では、掲載されている絵図を拾い上げましたが、関連する文書が他に数点掲載されています。絵図の名称だけでは描かれている地域がわかりにくいものは、適宜解説を加えました。絵図の名称は図録によるもので、必ずしも絵図そのものにこの名称が記載されているとは限りません。

  • ◎金目川通り堰位置図(享保6年以降、最上流の北金目村より最下流の平塚宿間の金目川流域)
  • ◎南原村巡見絵図(天明8年・1788年)
  •  掛渡井図(江戸時代年代不詳、南原村)
  •  上平塚境悪水吐圦樋図(江戸時代年代不詳)
  •  拾弐ヶ村麁絵図面(明治時代年代不詳、広川村・公所村・根坂間村・河内村・入野村・入部・久松村・長持村・友手村・徳延村・松延村・山下村)
  •  片岡村・飯島村堤絵図(江戸時代年代不詳)
  •  大堤決壊図(江戸時代年代不詳、南金目村他)
  •  土屋村堤防決壊図(明治3年・1870年)
  • ◎相州大住郡土屋村之内字庶子分寺分金目川通堤切所之絵図面(明治元年・1868年)
  • ◎岡崎郷田地用水絵図(江戸時代年代不詳)
  • ◎岡崎郷田地用水絵図(江戸時代年代不詳)
  • ◎相模川絵図(江戸時代年代不詳、大神村及び高座郡倉見村・宮山村)
  •  須賀・柳島本浜入会浜略絵図(明治8年・1875年)
  •  相模川河口絵図(享保13年以降、須賀・柳島村)

第1章の北金目村の5枚の絵図でも、隣の南金目村に築かれた金目川の大堤が描かれるなど、治水が主関心事になっている村が少なくなかったことが窺えます。現在の平塚市域には、東の境を相模川が流れ、西側の広範囲を金目川水系の流域が占めていますが、この第2章に集められた資料は大半が金目川水系に関するもので、相模川に関するものは最後の3枚だけでした。これが果たして今回の特別展の対象になった絵図がたまたまそういう傾向を持っただけなのか、それとも平塚市域に残っている治水・利水関係の絵図の分布がその様な傾向を持っているのかは、これだけでは判断出来ません。江戸時代に相模川よりも規模の小さな金目川水系に関する絵図や文書が多くなる傾向があったとすれば、その理由が何処にあるのか、興味を惹かれます。

第3章では複数の村の間で争われた裁許の判決として作成された絵図がまとめられており、必然的にこちらも複数の村を含む絵図が並んでいます。以下の一覧でも文書類は対象外としました。

  • ◎金目川通堤川除普請裁許絵図(貞享元年・1684年、金目川以北、玉川以西の全28村の位置が描かれる)
  •  金目川通組合縮図(明治14年・1881年、前図の対象域に南金目村が加わる)
  • ◎五ケ村用水裁許絵図(宝永7年・1710年、入山瀬村・西海地村・矢崎村・大句村・城所村)
  • ◎平塚村・大磯村浦境争論裁許絵図(元禄5年・1692年)
  • ◎川幅改定絵図(貞享3年・1686年、南金目村他)

2番目の絵図は最初の絵図に示された広域の治水組合が明治時代まで存続していたことを示すためのものですから、最初の絵図と一組のものと言えます。つまり、ここには全部で4つの裁許絵図が示されているのですが、その年代は何れも江戸時代初期と言って良く、第1章の絵図のうち年代がはっきりしているものが何れも江戸時代後期から明治時代にかけてのものである点とは好対照になっています。無論、この場合も展示された絵図にたまたま共通していた特徴かも知れませんが、村同士の諍いを治めてもらうために起こした裁判の記録という性質から、後年まで末長く保管されやすかったことが、絵図の古さとなって現れているのかも知れません。

また、裁許の性質上、絵図の作成された年月がはっきりしている上、絵図に表現された事項の信頼度も高いと期待されることから、史料としては特に有効なものと言えます。そのためか、ここでは4枚の絵図全てにトレース図が添えられ、関連する文書が併せて展示されるなど、前2章に比べて幾らか手厚い解説が施されています。

因みに、この4枚の裁許絵図の中でも3枚は治水や利水に纏わるものであり、特にこれらの問題に取り組む上では絵図の製作は必要不可欠であったことが窺えます。

これらの絵図はそれぞれに目的に合う様に描かれていることから、雑多な情報を1枚の絵図に集約する様な描き方はされていません。ですので、私の様に村内の街道の位置関係を探しているなど、絵図本来の目的とは合致しない情報は必ずしも記されるとは限りません。主要な道であっても太い線で描くだけで道の名前などは含まれていない可能性も高く、私の目的がこの図録によって十分満たされるかどうかはまだ未知数です。とは言え、こうした絵図をまとめて参照する機会が少ない中では、この図録は貴重な存在であることには変わりありません。私のブログで未完のまま措かれている箇所が完成するのが何時になるのかは定かではありませんが…。

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【リンク集】「古典料理の研究」(松下 幸子他)

今回は私自身の作業用メモを兼ねています。

相変わらず外出が思うに任せない中で、多少なりとも参考になりそうな資料をネット上で探しています。「新編相模国風土記稿」の産物について調べる上では、農林産物・水産物に食材となるものが多く含まれていることから、当時それらがどの様に食されていたのかを確認し、現在のそれとの隔たりが無いか、特に、現在では感じられることが少なくなってしまった食材の「旬」などを調査するために、当時の料理書などに当たっています。

これまでは、江戸時代初期に成立し、その後も繰り返し出版されて以後の料理書に多大な影響を与えたとされる「料理物語」を主に参照してきました。他にどの様な料理書があるか、あわよくばそれらの翻刻がないか探してみたところ、「千葉大学教育学部研究紀要」上で昭和50年から平成3年(1975〜1991年)に連載された「古典料理の研究」と題された一連の報告書上で、かなりまとまった数の翻刻が読めるのを見つけました。そこで、後々の利用を考えて、各報告書へのリンクを一覧化しておくことにしました。

この報告書で取り上げられている料理書は、江戸時代の代表的なものが集められているというよりも、現在に伝えられている稿本相互の異動を確認するなどの研究テーマに則った選択がなされていたと思われます。このため、もちろんここで取り上げられている料理書だけでは、当時の料理書を俯瞰出来ると言うことは出来ないとは思います。とは言うものの、最初の報告でまとめられている年表は、図書館などで料理書を探索する際の手引きとして十分役立ちますし、ネット上でこれだけの翻刻をまとめて読めるものは、まだそれほど数多くある訳ではないと思います。

なお、ここでは CiNii(NII学術情報ナビゲータ)と千葉大学の「学術成果リポジトリ」に掲出されているものを2種類リンクとしてまとめました。2つのサイトのPDFには、報告書の影印の部分では差異は見られませんが、CiNiiのPDFにはスキャナソフトのものと思われるOCRによるテキストが含まれており、PDFリーダーアプリによってはこのテキストを抽出してコピー&ペーストの用途に使うことが出来ます。但し、OCRの精度が低いため、抽出したテキストの内容を影印と突合する必要がある点や、全文検索で過不足なく検索結果を得られない点は注意が必要です。また、CiNiiは4月にJ-STAGEへ移行されることになっていたものの、移行作業が追い付いていないことから、現時点では引き続きCiNii上での公開が続けられています。J-STAGEへの移行作業後にこれらのCiNii向けのリンクが切れる可能性がある点は御了承下さい。

報数CiNii千葉大著者主な内容
(一)松下 幸子・吉川 誠次序説/江戸時代の料理書年表/「料理献立早仕組」(天保四年・1833年、風羅山人 編)翻刻
(二)松下 幸子・吉川 誠次「料理塩梅集」(寛文八年・1668年、塩見坂梅庵 著)翻刻と校異
(三)松下 幸子・吉川 誠次「和漢精進新料理抄」「鮓飯秘伝抄」「名飯部類」「大根料理秘伝抄」考察/「虚南留別志(うそなるべし)」(天保五年・1834年、覚蓮房(かくれんぼう)=江戸木屑庵 著)翻刻
(四)松下 幸子・吉川 誠次・川上 行蔵「傳演味玄集」(延享二年・1745年、諸星吮潮斉 著)翻刻と校異
(五)松下 幸子・吉川 誠次・川上 行蔵「傳演味玄集」の類本について/類本の項目の対照と翻刻
(六)松下 幸子・吉川 誠次・川上 行蔵「料理集」(寛政九年・1797年、白蘆華 著)翻刻と校異
(七)松下 幸子・吉川 誠次・川上 行蔵「料理集」(享保十八年・1733年、橘川 房常 著)翻刻と校異
(八)松下 幸子・山下 光雄・冨成 邦彦・吉川 誠次「料理物語」(寛永十三年・1636年、著者不明)翻刻と校異
(九)松下 幸子・吉川 誠次・川上 行蔵・山下 光雄「小倉山飲食集」(元禄十四年・1701年、乾 只勝 著)翻刻
(十)松下 幸子・吉川 誠次・川上 行蔵・山下 光雄「小倉山百種献立」(成立年、著者不明)翻刻
(十一)松下 幸子・吉川 誠次・山下 光雄「料理の次第」一〜三巻(室町時代、伊勢 貞順 著)翻刻
(十二)松下 幸子・吉川 誠次・大泉 ふさ・逸見 英夫「伊達家年中行事記録」(安政年間、大童 信太夫 著)翻刻
(十三)松下 幸子・吉川 誠次・山下 光雄「黒白精味集」(延享三年・1746年、孤松庵養五郎 編)上巻 翻刻
(十四)松下 幸子・吉川 誠次・山下 光雄「黒白精味集」中・下巻 翻刻
(十五)松下 幸子・吉川 誠次・山下 光雄「料理一色集」(成立年不明、岩佐 仁辰 著)翻刻
(十六)松下 幸子「料理伝」(天明五〜七年頃、著者不明)翻刻


因みに、「料理物語」は国立国会図書館の「デジタルコレクション」上で「雑芸叢書」(1915年 国書刊行会)第一巻に収められている翻刻を読むことができます。その解説では、項目数の最も多い寛文四年(1664年)版を採ったとしています。「古典料理の研究(八)」では、寛永十三年版を寛永二十年版との校異を示しながら翻刻していますので、それらとの対照を行って変異を見出すことも出来ます。

今後も他に参考になりそうな論文がネットにあげられているものがないか、捜してみたいと考えています。目ぼしいものは今回の様な形でまとめる予定です。
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【書籍紹介】「江戸の動植物図譜」(狩野 博幸 監修)

「新編相模国風土記稿」に掲載された産物について記事を書く際に、江戸時代当時の人がどの様にそれらの作物を見ていたのかを知るために当時の絵図を見たいと考えて、「国立国会図書館デジタルコレクション」(以下「デジタルコレクション」)で公開されているものを幾度となく調べて回りました。基本的には「本草図譜」や「梅園草木花譜(リンク先は春之部一〜四)」の様な比較的まとまった図譜が公開されていたので、こちらを参照することが多かったのですが、出来れば他の図譜も見たいと考えてもどの様な図譜が存在するのか、目星を付けたキーワードで検索して見付けるだけでは限界がありました。

以前紹介した国立国会図書館の「描かれた動物・植物 江戸時代の博物誌」も、「デジタルコレクション」で公開されている図譜を見付けるのに役に立ちますが、もう少し他に手掛かりとなるものがないかと思っていたところ、こうした図譜をまとめた書物が昨年出版されていたことに気付きました。

江戸の動植物図譜」 狩野 博幸 監修 2015年 河出書房新社


この本には、

  • 植物図譜:「草木写生春秋之巻」狩野重賢 他 計15点
  • 鳥類図譜:「百鳥図」増山雪斎 他 計12点
  • 獣類図譜:「外国珍禽異鳥図」編者未詳 他 計2点
  • 蟲類図譜:「蟲譜圖説」飯室昌栩 他 計3点
  • 魚介類図譜:「日東魚譜」神田玄泉 他 計10点

以上の計42点の江戸時代の図譜(一部明治期)が紹介されています。これらは全て国立国会図書館所蔵の図譜であることが特徴で、その多くが既に「デジタルコレクション」に納められていることが確認出来ます。一部に「デジタルコレクション」上で見つからないものもありますが、同図書館のデジタル化事業もまだ途上にありますし、現役の出版物として頒布されているものへの配慮もある様ですので、将来的には何れも公開されることが期待される、ということになるでしょうか。因みに、この42点の他に巻頭の解説「動植物の写生と狩野派」には「画図百花鳥」(狩野探幽画)が掲載されており、これも「デジタルコレクション」に収録されています。「デジタルコレクション」上を探索する際に有力な手掛かりとなることは確かです。

「百合譜」京ユリ
坂本浩雪「百合譜」より「京ユリ」
私のパソコンの画面で比較する限り
この本に掲載されているもの(43ページ)は
これより赤味が強く、また色が濃く見えている
(「国立国会図書館デジタルコレクション」より)
この本ではそれらの図譜から一部の絵図が載せられています。先ほどの「画図百花鳥」は元が墨色単色ですが、それ以外は全てカラーで掲載されています。どの絵も発色が鮮やかで、基本的にはこうした絵柄を見て楽しんでもらうことを主眼に置いて編集されている様に見受けられます。

ただ、「デジタルコレクション」上で参照出来るものと比較すると、概ねこの本に印刷されているものの方が「鮮やか」に見えています。「デジタルコレクション」に比較的最近収録されたカラーの文献の場合は、脇に「カラーセパレーションガイド」(右の例では上部の白黒のグラデーションと5色の色見本)と共に撮影されており、本来はこれを目安にしてパソコンなどの画面上の発色を調整して比較すべきなのですが、厳密な調整をするにはキャリブレーターなどの専用の機器類が必要で、一般にはそこまで対応出来る人は少ないと思います。また、どの図譜も製作後数百年程度の年月を経ており、地色の黄ばみや顔料の褪色の影響もあると思われますので、どちらが実際の絵図の「正しい」発色を再現していると言えるかは、なかなか判断が難しいところです。気楽に当時の絵を楽しむと上では、そこまで気にしなくても良いでしょうが、パソコン上で手軽に絵図を閲覧出来る環境が整ったが故に、以前であれば不可能だったこうした比較も比較的手軽に出来る様になったということは言えると思います。

これらの蔵書には写しによって伝わっているものが多く、その絵の巧拙が見られる点は「描かれた動物・植物」でも指摘されていましたが、その点については「江戸の動植物図譜」でも指摘されています。確かに、写しによる図譜の中には鳥類がどれもほぼ同じ形で描かれるといった、画力のなさというより「手抜き」とも言えそうなものも含まれているのも事実で、特に絵師の評価をする際には写しを見て巧拙を判断しない様に注意が必要です。

何れも図譜から掲載された絵図は一部に限られていますから、どの様な動植物が描かれているのかなど、より詳しく知るにはやはり「デジタルコレクション」を見ることになるでしょう。残念ながらこの本では掲載されている絵図の図譜中の位置(巻号など)が記されておらず、「本草図譜」の様に巨大な冊数になっている図譜では、この中から該当する絵図を探すのはなかなか大変です。今回「デジタルコレクション」との対照表を作ろうかとも思いましたが、手間が掛かり過ぎるので断念しました。まぁ、気になった絵図を「デジタルコレクション」上でじっくり探してみるのも一興かも知れません。


巻末の参考文献には類書が何点か挙げられています(その中に「描かれた動物・植物 江戸時代の博物誌」も入っています)。当時描かれた図譜にどの様なものがあるのか、これらの類書をもう少し紐解いてみる必要があると感じた次第です。
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【書籍紹介】「蚕:絹糸を吐く虫と日本人」(畑中 章宏著)

このブログで取り上げて来ている「新編相模国風土記稿」の産物も大分残りが少なくなってきていますが、その中の養蚕や絹織物に関する項目は、一番最後に取り上げようかなと考えています。近世に限っても、日本の養蚕や絹に関する歴史は調べるべきことが多く、なかなか一筋縄に行かない面があるからです。

相模国内での近世の養蚕や絹織物にまつわる史料を集めることは勿論ですが、時代背景や相模国以外の地域の動向を調べるには、関連する書物に当たってみる必要があります。その様な手掛かりになる書物を探している中で最近表題の本が出版されたことを知り、参考になりそうな記述があるか探す目的で紐解くことにしました。

蚕:絹糸を吐く虫と日本人」 畑中 章宏著 2015年 晶文社(以下「蚕」)


この本は大きく次の4つの章で構成されています。

  • 一 蚕と日本社会
  • 二 豊繭への願い
  • 三 猫にもすがる
  • 四 東京の絹の道

中心となっているのは中間の2つの章で、「二 豊繭への願い」では筑波の「蚕影山」、曲亭陳人(馬琴)の描いた「衣襲明神(きぬがさみょうじん)」、「白滝姫」、「小手姫(おてひめ)」、「馬鳴菩薩」、「宇賀弁財天」、そして「オシラサマ」等といった養蚕にまつわる神々を紹介しています。特に最後の「オシラサマ」については「遠野物語」からはじめ、歴々の民俗学者の多大な関心を集めてきたことを、やや紙面を多く割いて解説しています。

「三 猫にもすがる」はそれに対して、「養蚕の舞」、「瞽女唄」、「風の盆」、「だるま」、「繭玉」といった風習に着目してまとめられた一章ということになります。この章の表題となった「猫」は、養蚕家を悩ます鼠の害に対する(まじな)いとして祭り上げられた猫や蛇、あるいはムカデが描かれた護符や絵馬が紹介されています。

この2章に対して「一 蚕と日本社会」は、古代から現代にかけての日本の養蚕の歴史がかいつまんで紹介されています。ただ、紙数の制約がある中で後続の章への導入となる様に題材が取捨選択されており、例えば「3 女性の生業」では網野義彦の指摘も引用して古くから女性の仕事として確立されてきたことを確認し、第二章や第三章での指摘に繋がる様に工夫されています。その他、現在まで営業を続けている企業の創立にまつわる話や、皇室の関わり、更にはあの「モスラ」までが養蚕のイメージの中にあることを指摘しています。

「四 東京の絹の道」は八王子から横浜へ向かう「絹の道」であった「神奈川往還」を鑓水(やりみず)を中心に紹介し、更に「桑都(そうと)」八王子や恩方(おんがた)といった地域を自由に訪れ、かつての養蚕の盛んだった時代の痕跡を辿る一章になっています。この地域が選ばれたのは、東京都内にもこうした養蚕にまつわる史跡が多数残る地域があるという点に着目してのことでしょうか。

絹の歴史をもっと包括的に紹介するという観点では、巻末の参考文献にも挙げられている「ものと人間の文化史 絹」(伊藤 智夫 1992年 法政大学出版局、2分冊)の様な書物もあります。こちらの本がより生産や流通に重きを置いた構成になっているのに比べると、「蚕」はその生産に関わった人たちの信仰や風習を、今では養蚕に殆ど縁がなくなった人たちにもわかりやすく紹介することを狙いとして書かれている様です。間口を拡げる観点から今の人たちにも取っ付きやすい題材を選んでおり、最後まで興味を維持しやすい様に工夫が施されていると思います。文中での引用も豊富ですが、新書や文庫などで入手しやすい書物も織り交ぜられています。但し網野義彦、宮本常一、柳田国男などの主軸になる民俗学者については主軸になる著書を用い、巻末の参考文献リストも硬軟取り混ぜたものになっています。

より深く掘り下げるには更に他の書物に当たる必要があるでしょうが、最近の富岡製糸場の世界遺産登録で養蚕・紡績の歴史や文化に興味を持たれた方が最初に手に取る書物の1つとしては、手頃で適切なものになっていると感じました。特に養蚕や紡織と地域に伝わる風習の接点の手掛かりを掴む入り口としては、良いヒントを与えてくれそうな気がします。養蚕に関係のある相模国内の寺社等の名前も幾つか見られ、こうしたものを手掛かりに更に調査を深める切っ掛けに出来そうです。
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