三浦半島の付け根にある鎌倉は、流域的には滑川をはじめとする小河川の扇状地が重なりあった場所に当たりますが、その北側は「鎌倉アルプス」の尾根を隔てて柏尾川水系に属する㹨川の源流地と隣接しています。その西側からは更に柏尾川に合流する砂押川、小袋谷川、大塚川などの細かい河川が何本も流出していますが、柏尾川はそれらを一纏めにしながら西へと蛇行し、藤沢駅の東で境川と合流して南下、江の島の対岸で相模川へと出ます。従って、鎌倉から北ないし西へと向かうには、最低1回は何処かで柏尾川を渡河しなければならないことになります。
鎌倉街道の上道・中道・下道の主要な道筋3本の中で、最も柏尾川の流域を長く抜けていくのは中道です。現在の柏尾川は流路も直流化されていますし、一帯も区画が変わってしまっているために従来の位置を正確には特定できませんが、概ね現在の名瀬道路の辺りを目安に考えれば良さそうです。
【ストリートビューで該当箇所を見る】
この付近のルートを、現在の道路を基本にして概略として
「ルートラボ」上で表現してみました。平戸永谷川に尾根筋から直交する方向に降りて川を渡り、そのまま対岸へと抜けて川からなるべく離れる筋を進んでいることが窺えます。
この埋め込み地図では標高グラフの縦軸が大き過ぎて起伏を読み取れませんが(これはルートラボに改善して欲しいところですが)、表題をクリックすると別画面で地図が表示され、そちらの標高グラフでは柏尾川付近の起伏が良くわかります。
※2019/07/13追記:「ルートラボ」の終了に備え、この記事中の「ルートラボ」の地図を「地理院地図」上で作図したものと差し替えました。その際、標高グラフについては「地理院地図」では現状実現出来ないため、「ルートラボ」上で表示されているものをスクリーンキャプチャし、主だった地点が相互参照出来る様に5箇所のポイントを双方に示しました。

鎌倉古道中道:柏尾川渡河地点付近(概略)
(「地理院地図」上で作図したものをスクリーンキャプチャ:「明治期の低湿地」等を合成)
(別ページで表示)
鎌倉古道中道:柏尾川渡河地点付近標高グラフ
(「ルートラボ」上からスクリーンキャプチャしたものに追記)上道の場合はどうしても柏尾川の下流寄りで渡河せざるを得ない位置に当たりますが、現在の東光寺の前の道で低地へと下り、町屋橋の下流付近で柏尾川を渡って村岡城址のある丘へと登っていた模様です。勿論、こちらも現在は工場の敷地などによって区画も変わり、柏尾川も直流化されているために当時との照合は困難です。
【ストリートビューで該当箇所を見る】
こちらも「ルートラボ」で渡河地点付近のルートを表現してみました。中道が柏尾川を渡る辺りに比べて、柏尾川の作った谷底平野が大分広がっているのがわかりますが、それでも泉光院が平野の中の微高地にあたることから、出来るだけ足元のしっかりした土地を選んで道を通したことが窺えます。

鎌倉街道上道:柏尾川渡河地点付近
(「地理院地図」上で作図したものをスクリーンキャプチャ:「明治期の低湿地」等を合成)
(別ページで表示)
鎌倉古道上道:柏尾川渡河地点付近標高グラフ
(「ルートラボ」上からスクリーンキャプチャしたものに追記)下道は基本的に朝夷奈切通から六浦へ抜けてしまうため、柏尾川の流域を抜けることはありません。なお、
以前武相国境の検討をした際に登場した鎌倉古道は北条政子が弘明寺への参拝に使ったと言われているもので、これは中道から下道への抜け道と目されています。こちらは馬洗川沿いを進んでいますが、街道と流路との比高差は取れているので、渡河地点以外は足元の不安の少ない道であったでしょう。この辺りも改変が激しいため、当時の面影を偲ぶのは難しくなってしまっていますが、このストリートビューの捉えた周囲の様子でも、周囲の家屋が高い擁壁の上に建っていることから、ここが細い谷筋であったことは窺えます。
【ストリートビューで該当箇所を見る】 参考:鎌倉古道
余談になりますが、鎌倉から西へと向かう際には腰越から片瀬山の麓を進み、砥上の渡しで境川を渡河していました。柏尾川が境川と落ち合うのはこの渡し場よりももう少し上流です。ここも御多分に漏れず河川改修によって現在地は異なるが、上山本橋が当時の渡し場近くに位置します。この西側はかつては広く湿地や砂丘が連なる地帯で、なるべく上流側へ足場のしっかりした山裾を経てから、砂丘の上へと出られる場所を選んだ様です。
【ストリートビューで該当箇所を見る】
こうして見ていくと、鎌倉古道は何れも柏尾川をなるべく最短距離で渡河して丘の上など水はけを期待できる場へと上り、特に中道は阿久和川と平戸永谷川の合流する地点を避けてその上流を迂回していることがわかります。因みに、江戸時代の東海道は鎌倉古道中道とは直交する位置関係にあることがわかりますが(現在の山崎製パンの工場付近)、何とも象徴的なことだと思います。
次回、この道筋の変遷について追ってみる予定です。
追記:
- (2013/11/27):レイアウトを見直しました。
- (2016/01/27):ストリートビューへのリンクを貼り直しました。なお、Googleマップの仕様変更により、マイマップからストリートビューを表示させることが出来なくなったため、鎌倉古道のマイマップへのリンクを独立させました。
- (2019/07/13):本文中に記した通り、「ルートラボ」の終了に備え、「地理院地図」上で作図したものと差し替えました。その際、標高グラフを加えました。