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藤沢飛行場の空中写真:「地理院地図」から

以前Googleマップ上に誤って表示された「藤沢飛行場」について記事を書きましたが、その後折りに触れて「藤沢飛行場」を検索してこの記事を見に来られる方が月に数名ほどいらっしゃる様です。その「藤沢飛行場」に関連してごく簡単な追記を1件。

「地理院地図」では過去の空中写真を地形図に重ねて見る機能がありますが、当初は1970年代程度までに限定されていました。その後それ以前の空中写真の掲載を進めており、最近になって関東南部の1961〜64年の空中写真も地形図上で参照出来る様になりました。これを使って現在の荏原製作所藤沢藤沢事業所付近のその頃の空中写真を見ると、まだ廃止される前だったと思われる藤沢飛行場の滑走路や格納庫と思われる建物が写っているのが確認できます。また、滑走路の中ほどを横切る街道の存在もはっきりと写っています。右側の「機能」メニューには「計測」というツールがあり、これを使って地形図上の実距離を計測することが出来るのですが、これを利用して滑走路の凡その長さを測ると900m強あることが確認出来ます。

藤沢飛行場は1964年には廃止されますので、次の1974~78年の空中写真では荏原製作所の敷地となって滑走路は消滅しています(滑走路の敷地の一部は陸上競技用のトラックに転用されています)が、この2つの空中写真を比較すると、敷地内の南北の道路は飛行場であった時代の平行誘導路がそのまま利用されていることがわかります。

なお、以前の記事で掲載した「今昔マップ on the web」上でも、右側のプルダウンメニューから「写真1961-64」を選択し、左側の「不透明度」のプルダウンメニューから「0%」を選択することで、この空中写真を表示させることが出来ますので、昭和29年の地形図と切り替えながら参照することも可能です。


1961〜64年の藤沢飛行場の空中写真(「地理院地図」より)

地理院地図の空中写真の撮影年月を確認する方法
地理院地図の空中写真の撮影年月を確認する方法
もう少し具体的にこの空中写真の撮影年月を絞り込みたいところですが、それには右の様に「単写真」の撮影地点を表示させ、該当地点のマーカーをクリックすることで確認出来ます。初期状態では膨大な数のマーカーが表示されますが、「選択中の情報/単写真」右側のⓘボタンをクリックすると、「絞込み」というプルダウンメニューが現れますので、これを使って表示されるマーカーを年代によって絞り込むことが出来ます。マーカーをクリックした時に表示されるバルーン中のリンクから該当する写真を表示させることも出来ますので、地形図に重ねて表示されている写真が確かにその年月のものであるかを確かめることも可能です。この例ではすぐ南側の国道1号線藤沢バイパスがまだ工事中である様子が写っており、その特徴が一致すること(写真のコントラストは若干調整されている様です)から、確かにこの写真が地形図上で表示されていることがわかります。

余談ですが、地点によっては撮影時期の異なる写真が隣接して表示されている箇所もあります。以下の例は小田急線高座渋谷駅東側の境川付近の1961〜64年の空中写真ですが、東側では東海道新幹線の建設中の様子が写っているのに対し、写真の切れ目から西側ではまだ工事が始まる前の様子が写っています。東側では1963年、西側では1961年の写真が用いられている様です。


建設中の東海道新幹線の軌道が東側だけ写っている(「地理院地図」より)

何だか「地理院地図」の使用法についての記事みたいになってしまいました。「地理院地図」の空中写真は更に1945〜50年のものを地形図に重ねて閲覧出来る地域を拡げていっている様ですし、また最近になって左側のメニューが刷新されるなど、かなりこまめにアップデートが図られ続けています。また何か興味深い更新が見つかったら取り上げたいと思います。

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「歴史的農業環境閲覧システム」→「今昔マップ on the web」への切り替えについて

前回までの記事にお見舞いのコメントを多数戴きまして誠にありがとうございます。昨日辺りからリハビリがてらに過去の記事のメンテナンス作業を行っていますが、その点に関連してメモを残します。

このブログを書き始めた頃には「歴史的農業環境閲覧システム」による「迅速測図」の公開は始まっていました。このシステムは「迅速測図」上の該当箇所の直リンクを取得することは可能です(画面右下の「Permalink」をクリックするとブラウザのURLに直リンクが反映する)が、Webサイトに埋め込む形で表示することは出来ないので、私のブログでも当初の記事は直リンクを置いておくに留めていました。

その後「今昔マップ on the web」(以下「今昔マップ」)が登場し、やがて地図をWebに埋め込むことが出来る様になりましたが、その時点ではまだ「迅速測図」は表示できる地図の中に入っていませんでした。このため、私のブログでは明治期の中頃から後期にかけての地形図で間に合うものは「今昔マップ」を使い、「迅速測図」が必要な物は「歴史的農業環境閲覧システム」を利用するという使い分けを行う様になりました。

「今昔マップ on the web」地図選択プルダウンメニュー
最近になって「今昔マップ」が「迅速測図」も表示させる様になりました。但し、他の地形図とは扱いが異なり、右の様にGoogleマップなど他のサービスから提供される地図を選択するプルダウンメニューの中に収められていています。これは恐らく、「今昔マップ」が「歴史的農業環境閲覧システム」のAPIを利用していることと、「迅速測図」自体がその後の一連の地形図に比べて簡素な測量に基づいて作図されているために、誤差が比較的大きく、正確に地形図と重ねあわせるのが難しいことによると思います。ただ何れにせよ、これによって「今昔マップ」を使って「迅速測図」をWebサイトに埋め込んで表示させることが出来る様になったので、最近の記事で何度かこの方法で「迅速測図」を記事中に埋め込む、ということを行いました。

今回のメンテナンスでは、過去の記事中で「歴史的農業環境閲覧システム」へのリンクを置いてあった箇所を、「今昔マップ」を埋め込む地図で置き換える、という作業を行っています。それには「歴史的農業環境閲覧システム」のリンク先に該当する箇所を「今昔マップ」上で探し出さなければなりません。「検索」キーに住所を指定すれば比較的早く該当箇所を見つけられるので、それほど煩雑な作業が必要になる訳ではありませんが、折角「歴史的農業環境閲覧システム」のリンクが既にあるのであれば、多少なりともこれを活用したいところです。あまり需要のある手順だとは思いませんが、こういうやり方もある、というところを書いておきます。労力的には…住所がある程度わかっているのであれば、さほど変わらないと思います(笑)。

  1. 「歴史的農業環境閲覧システム」のリンクを開く
  2. 「今昔マップ」を開き、適切な「データセット」を選択する
  3. 「歴史的農業環境閲覧システム」のURL
    「歴史的農業環境閲覧システム」のURL中から「lat=」パラメータを探し、その数値をコピーする。ここには緯度が入っている
  4. 「今昔マップ-on-the-web」のURL
    「今昔マップ」のURL中の「lat=」パラメータを探し、その数値に3.でコピーした数値をペーストして置き換える
  5. 再び「歴史的農業環境閲覧システム」のURL中から「lon=」パラメータを探し、その数値をコピーする。ここには経度が入っている
  6. 「今昔マップ」のURL中の「lng=」パラメータを探し、その数値に5.でコピーした数値をペーストして置き換え、Enterを押下してアクセスさせる

要するに、「歴史的農業環境閲覧システム」のURL中に含まれている経緯度のパラメータをコピーして「今昔マップ」のURLに反映させれば、同じ場所を表示させることが出来るという訳です。

あとは、上記の地図選択プルダウンメニューから「明治期迅速測図」を選択し、地図の「不透明度」を「0%」に設定すれば、該当箇所の「迅速測図」が表示されます。地図の中心に表示させたい場所が来る様に調整した上で、「共有」ボタンをクリックすると、別画面で「リンクURL」と「埋め込みコード」が表示されます。「標高」(地形のエンボス図がオーバーレイ表示される)の「不透明度」も、「迅速測図」をメインに表示させるのであれば「0%」に設定した方が良いでしょう。

なお、「埋め込みコード」中の「width=」パラメータと「height=」パラメータの数値を変更すれば、埋め込む地図のサイズを変更することが可能ですが、ある程度サイズを絞る場合は表示させたい領域が収まるかどうかを念頭に置いて、ズームや表示位置を決める必要があります。特にブログの場合は記事領域の横幅があまり広くないことが多い(私のブログの場合700ピクセル)ので、どうしても埋め込む地図のサイズは小さくなりがちです。単体で地図を見ている時には画面を目一杯使って見ているため、そこで十分ディテールが見えるズームのまま「埋め込みコード」を取得してしまうと、埋め込む地図ではフレームアウトしてしまうことになります。

埋め込み地図では大きさが充分ではないケースが多いので、私のブログで「今昔マップ」を埋め込む際には、別途同じ地図へのリンクも置いておき、より大きな画面で見たい場合に使える様にしています。上記の地図はこの記事のもので、作業中にスクリーンキャプチャを取得したものです。因みに、今回の修正前の箇所はHTML上でコメント化して除外してありますので、興味のある方はソースを覗いてみて下さい。あまり綺麗なソースではありませんが…。

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余談:アーネスト・サトウ「明治日本旅行案内」の「ローマ字」

今回は前回の記事の余談を手短に取り上げます。この中で、こんな一節を書き入れました。

サトウは英勝寺や寿福寺のある亀ヶ谷から長谷までの距離については「22町」と書いています(180ページ)。原文でも「22 chō」とそのままローマ字で記されています。



上記の該当箇所(Googleブックスより)
ここでサトウは日本語の長音を表記するのに「マクロン」という符号を使っています。日本語のローマ字表記のうち、いわゆる「ヘボン式」でこの表記が採用されています。因みに、昭和29年(1954年)内閣告示第一号で定められたローマ字表記では「4 長音は母音字の上に^をつけて表わす。なお、大文字の場合は母音字を並べてもよい。」と、「サーカムフレックス」を使うことになっていますが、実際は鉄道の駅名標などで「マクロン」を使うケースも多い様です。

以前はこれらの符号をネットを通して送信するのは「文字化け」のおそれがあるために難しかったのですが、今はUnicodeがパソコンやスマートフォンに普及した関係で大幅に軽減されました。もっとも以前旧字体や難読漢字の入力の煩雑さについて書いたのと同様、こうした符号類付きのアルファベットについても入力の煩雑さはついて回ります。普段使いする言語のものでなければ、Wikipediaの「ラテン文字一覧」などを見て該当する文字をコピー・ペーストする方法でも良いでしょう。多用するのであればキーボードから直接入力できないと手間が掛かり過ぎることになりますが、MacOSXであれば各国語のキーボード・セットがOSに標準で付属していますので、この切り替えだけで入力が可能になります。「マクロン」の場合は例えば
US-Extended
「US Extended」への切り替え

  1. キーボードを「US Extended」に切り替える。表示されない場合は「システム環境設定」の「入力ソース」で「US Extended」にチェックを入れる
  2. 「option+a」を打つ。カーソルの左にマクロンが強調表示される
  3. マクロンを付ける文字、上記の例なら「o」を打つ
という手順で入力できますし、「サーカムフレックス」なら
  1. キーボードを「US」に切り替える
  2. 「option+i」を打つ。カーソルの左にサーカムフレックスが強調表示される
  3. サーカムフレックスを付ける文字を打つ
という手順で入力が可能です。Windowsでもキーボードを切り替えて入力が可能と思いますが、私の手元にWindows環境がないのでここでは省略します。

ところで、いわゆる「ヘボン式ローマ字」はジェームス・カーティス・ヘボンが著した「和英語林集成」という英和・和英辞典の第3版で採用された表記が元になっています。この第3版が出版されたのは明治19年(1886年)のことですから、サトウの「明治日本旅行案内」はその数年前ということになります。つまり、この「明治日本旅行案内」は後に標準的なローマ字表記の1つとなるヘボン式が世に出る前の、言わばサトウ独自の表記に依っていることになります。

そのため、原書の「明治日本旅行案内」を見て行くと、ローマ字がヘボン式とも幾らか異なっていることがわかります。一番目立つのは「Dai-butsu(大仏)」の様に逐一ハイフンで分かち書きにされている単語が多いことで、「A-Butsu(阿仏)」「Hō-jō(北条)」の表な事例などから漢字単位で分節を表記しようとする傾向が強いことが見て取れます。ただ、その割には「Yokohama」や「Kamakura」の様な地名ではハイフンを用いていなかったり、「稲村ヶ崎」では「Inamura ga saki」とスペースで分かち書きになっているなど、サトウ独自の表記ルールを決めていた様に見えます。また、「Ku-giō(公卿)」「Ō-shiū(奥州)」の様な拗音の表記にも現行のヘボン式等とは異なる表記が見られます。

そうした中で、長音を表記するのにヘボン式同様に「マクロン」を用いていることからは、こうした表記がヘボン式が確立する以前に普及していたことを窺わせます。ヘボン式ローマ字の変遷についてはこちらの明治学院大学のサイトでまとめられていますが、長音については長音符号を付けることが記されているのみで、その変遷については特に記されていません。「和英語林集成」の初版から長音符号が使用されていたとすると幕末の慶応3年(1867年)から既にその利用が始まっていたことになりますが、それ以前から既に長音符号が利用されていたのか、それともこの辞書が切っ掛けになって利用が広まったのかはわかりません。


「明治日本旅行案内」中の「生麦事件」の記述
サトウは当時通訳見習いとして着任早々だった
他方米国領事が駐留していた神奈川・本覚寺に
逃げ込んだイギリス人一行を診察したのがヘボン
(Googleブックスより)
ただ、ヘボンもサトウも生麦事件の時には共に神奈川に滞在中で事件の対応に当たっていたりしますので、恐らくかなり早い時期に知己になったのではないかと思われます。そうした彼らにとって日本語の表記をどの様にするかは共通の課題であったと思われ、あるいは何らかの意見交換を交わしていたのではないか、という気もしてきます。この辺りも後日サトウの日記を紐解く際に気を付けて確認してみたい点の1つです。

現在はこのマクロンを使う長音の表記法はあまり一般化されているとは言えず、と言うよりも日本語の長音の表記法になかなか決定的なものが定着していないのが実情と言うべきでしょう。サトウやヘボンの「マクロン」の利用は、日本語の音節が欧米の言語の表記になかなか馴染みにくいという課題を、どうにかして克服しようという工夫の一端であったと言えるのかも知れません。
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「七湯の枝折」と「新編相模国風土記稿」

以前「ハコネサンショウウオ」についてまとめた際に、「七湯(ななゆ)枝折(しおり)」という文献から一部引用しました。今回箱根の他の産物について改めて調べるに際して再びこの資料を手に取りました。

Sokokura by Hiroshige1.jpg
歌川広重「箱根七湯図絵」より「底倉
Museum of Fine Arts Boston.
Licensed under Public domain
via ウィキメディア・コモンズ.
「七湯の枝折」は文化8年(1811年)に江戸の「文窓」および「弄花」なる人物が著したもので、彩色を施された多数の図(恐らくは弄花の画)を含んだ全10巻から成る、箱根七湯を紹介する案内書です。現在までに約30の写本が伝えられていますが、底倉の温泉宿「つたや」に家宝として伝えられてきたものが、著者自ら同地で浄書したものと考えられている様です。ただ、この2人の著者の経歴や「七湯の枝折」が編まれた経緯などは伝えられていないとのことです。

基本的には絵巻物風の体裁を取っていますが、文章量も多く、のちの写本には折本などの体裁に改められているものも含まれています。なお、今回はこの「つたや」本を翻刻した沢田秀三郎釈註「七湯の枝折」(1975年 箱根町教育委員会)を参照していますが、以前引用した「『七湯の枝折』企画展図録」(2004年 箱根町郷土資料館)では別の底本を翻刻しており、文言に多少の違いが見られます。この沢田秀三郎氏はこの底倉「つたや」の大正期の主人で植物学者でもあった沢田武太郎氏の弟に当たる人です。


全10巻中第2巻から第8巻までの7巻が、それぞれ「湯本」「塔ノ沢」「堂ヶ島」「宮下」「底倉」「木賀」「葦の湯」に充てられており、それぞれの冒頭で各温泉の宿と効能の一覧が掲げられ、特記すべき由緒や景観を歌った詩歌などが続きます。残りの巻で周辺の名勝や名産品を紹介する攻勢になっていますが、基本的には温泉の紹介が主であるため、特に寺社などの紹介はごく簡潔なものに留められています。

この一連の記述を読み進めていて、ふとその内容に「新編相模国風土記稿」で見られるものと共通するものがちらほらとあるのが気に掛かりました。「風土記稿」の足柄下郡の項は天保7年(1836年、首巻凡例による)と「七湯の枝折」より25年ほど後に書かれていますから、参照関係があるとすれば「風土記稿」の方が「七湯の枝折」を引いていることになります。そこで、どの程度影響が見られるかを軽く調べてみることにしました。

最初に気に掛かったのは双方の絵の構図が良く似ていることです。例を挙げれば以下の通りです(「風土記稿」の引用は例によって何れも雄山閣版からです。また、沢田秀三郎釈註「七湯の枝折」はモノクロ印刷のため、彩色が抜けている点は御了承下さい)。


「新編相模国風土記稿」より三枚橋図
「新編相模国風土記稿」より三枚橋図
「七湯の枝折」三枚橋図(部分)
「七湯の枝折」より三枚橋図(部分)

「新編相模国風土記稿」より北條氏墳
「新編相模国風土記稿」より北條氏墳
「七湯の枝折」北条五代の墳の図
「七湯の枝折」より北条五代の墳の図

「新編相模国風土記稿」定右衛門古瓶図
「新編相模国風土記稿」より
定右衛門古瓶図
「七湯の枝折」伊豆屋古器の図
「七湯の枝折」より
伊豆屋古器の図

双方に共通しているのは構図の取り方です。三枚橋はどちらも早川下流左岸側からの俯瞰的視点で描かれており、北条氏の墓はどちらも向かって右斜めからの視点になっています。そして古瓶の図の口の欠けた位置の描き方も共通しています。「七湯の枝折」も「風土記稿」も写本の形で後世に伝わっており、それぞれ複数の絵師が手で絵図を描き写している訳ですから、その過程で画風などが変化している可能性を考える必要はあります。しかし、筆写する過程で構図を大きく変化させることはまず考えられないので、その特徴は双方の原本にあったと考えて良いでしょう。その構図が共通しているということは、あるいは「風土記稿」の絵師が「七湯の枝折」の絵図を参照し、参考にしている可能性も考えられます。

もっとも、墓に刻まれた碑銘や古瓶の寸法など、細部の記述は異なっており、少なくとも「風土記稿」の絵師が「七湯の枝折」の記述に無批判に従っている訳でもないこともわかります。勿論、「風土記稿」の絵師が「七湯の枝折」を参照せずにこれらの絵図を描いた可能性もあり、その場合は構図の類似は偶然の一致ということになります。

他方、記述の方はどうでしょうか。例えば「風土記稿」の元箱根の項(卷之二十九 足柄下郡卷之八)には

◯土產 △明礬明礬山に生ず、山下に製店あり、 △硫黄本宮山温泉の邊多く生ず、

と産物の生産される場所が記されています。ところが、元箱根の山々として記されているのは

  • 駒ヶ嶽
  • 死出山
  • 挑灯山
  • 本宮山
  • 小地獄山
  • 大地獄山
  • 冠ヶ嶽
  • 神宮山
  • 諸佛山
  • 神山
  • 山伏峠
  • 三國山
  • 駿河津峠
  • 飯塚

と、「明礬山」が含まれていません。つまり、「風土記稿」の記述中でこの部分は整合性が確保出来ていないことになります。なお、硫黄の「本宮山温泉」の方は上記の「本宮山」の項に

此山上に溫泉あり、本宮の湯と唱ふ、其効驗姥子の溫湯に異ならず、近き頃出湯の乏きをもて、姑く廢せり、

と、その所在が記されているので、こちらは整合性が取れていることになります。

この明礬山については、「七湯の枝折」には「明礬山ヨリ相模灘眺望ノ図」と共に記述があり、

○右に図する所ハ芦の湯より東北に当りて明はん山と云山より望み見し図なり明凡山ハ東光庵の下をめくり孫兵へ沢といふ所を過て次第に登る事凡十丁ばかり樹木なく兀山にて所々に雑草茨の類蔓延す山の八分目ほとに大石いくつともなく競ひそりて其下より明はん流れ出る此湯味ふるに酸くしぶく明凡の気至てつよし傍らの白石に花のことく明はん凝り付て一めんに自く黄なり又峯ひとつ隔たてゝ向ひに明はん小屋あり此所ハ筥根権現領にて彼の方より掛し小屋也とも其販やうハ湯の流るゝ下へ竹賓をかき上へ筵やうのものを敷て明凡をこしてとる事也…

(「七湯の枝折」59ページより)

と、具体的な明礬の採集方法が記されています。このことから、「風土記稿」はこの記述を参照して転記している可能性が高いのではないかと思われます。勿論、「七湯の枝折」を編纂するに当って参照された別の書物があった可能性も考えられ、「風土記稿」もそちらを見ているのかも知れないのですが、現状ではその様な書物の所在は知られていないので、現状では「風土記稿」編纂時に「七湯の枝折」も参考にされている可能性が強い、ということになりそうです。


そうであれば、先ほどの絵図に関しても、「七湯の枝折」を直接引き写したのではないにしても、その描写に当たっては「七湯の枝折」の構図が参考にされている可能性はやはりあるのではないか、と言えそうです。

「新編相模国風土記稿」の編纂に当たっては、村々から明細書上を提出させた上で、昌平坂学問所から直接現地に訪れて測量を行ったりしています。箱根の各温泉村がこうした明細を作成するに当って「七湯の枝折」を参照していた可能性も勿論ありますし、昌平坂学問所の役人が現地に訪れた際にこうした巻物が存在していることを見せられている可能性も大いにあるでしょう。残念ながら「風土記稿」では「吾妻鑑」の様な古文書については出典を明記していたものの、「七湯の枝折」の様な文献については必ずしも参照したことを明示していないので、その影響の度合いについては推定するしかないのが実情ではあります。しかし、相模国内の全ての村に取材して地誌をまとめ上げる多大な労力を考えた時、こうした既存の地誌的な資料にも寧ろ積極的にあたっていたと考える方が自然ではあります。その上で、その記述に依存し過ぎることなく自前の調査も踏まえてまとめ上げられていた側面が、こうした比較から見えてくる気もするのです。

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「藤沢飛行場」を貫通する道

一昨日見かけたちょっとしたハプニングから派生して小ネタを。

調べ物の過程で地図を見る必要が出て、取り敢えずと開いたGoogleマップに、何やら妙なものが表示されているのに気付いたのが切っ掛けでした。ある筈のない場所に飛行場のマークが出ているのです。マークの上には「藤沢飛行場」。

すぐに連絡フォームからGoogle宛に誤った表示が出ている旨通知しました。幸い迅速に対応されて翌日には表示は消えました。

この「藤沢飛行場」、昔は確かにありました。第二次大戦中にこの付近が接収されて海軍の飛行場となり、敗戦後に民間に払い下げられてしばらく利用され続けていたものの、昭和39年(1964年)に廃止されて翌年には今の荏原製作所の工場が建てられています。現在は荏原製作所の隣に航空機用のフライトデータレコーダーなどを製作している企業が存続しているのがその名残と言えます。


昭和29年二修「1/25000藤沢」地形図(「今昔マップ on the web」より)

あまり長命ではなかった飛行場ということもあって、地形図でその全容が確認できるものは上掲の昭和29年に修正されたものだけの様です。次の昭和42年の地図では既に一部が荏原製作所に転用されていますが、滑走路の南側はまだその存在が確認出来ています。

もっとも、昭和29年の飛行場もその中程を1本の道筋が南東から北西に向けて貫いています。1946年の空中写真では滑走路が畑の只中に整備され、元々ここを通っていた道は寸断されたままになっていますが、1949年2月の空中写真ではこの滑走路を突っ切る様にして道が付けられ直されているのが確認出来ます。


江戸時代の厚木道が権現庭を降りてきた辺り
この先に下河内橋がある(ストリートビュー
この道筋はより古い地形図や迅速測図でも確認できる古いものです。道の行く末を南東へ辿ると、藤沢宿の白旗神社前に繋がっています。他方、北東側へ向かうと丘を降りて下河内橋で引地川を渡って佐波神社の前へ向かい、菖蒲沢の字六地蔵で西へ向きを変え、用田付近で大山道と合流します。迅速測図ではこの道沿いに「厚木街道」の文字が見えています。その名が示す通り、この道は藤沢宿と厚木の間を結ぶ街道でした。

「新編相模国風土記稿」では、この藤沢飛行場の辺りにあった大庭村の項では「東海道厚木道大山道の三路係れり」(卷之六十 高座郡卷之二)と記すのみで詳細に触れておらず、沿道の他の村々での記述も厚木道が通っていたことを示すのみですが、藤沢宿と用田村の項では厚木道の継立について2里27町の道程を継いでいたことを記しており、この辺りの主要道の1つでした。

比較的重要度の高い道筋であったにも拘らず、戦時中に同地を接収した際に、この道筋の迂回路を十分に開発していなかったために、軍用機の降り立つ可能性がなくなった所で改めて道を復活させたというところでしょうか。もっとも今は荏原製作所の敷地を回りこむ形で市道が整備され、当時の厚木道は敷地の東側と北側に少しずつ残っているのが確認できるばかりになっています。

因みにGoogleマップの上に間違って表示されていた「藤沢飛行場」の位置も荏原製作所の敷地内で、その点では場所は合っていたと言えるのですが、半世紀も前に廃止された飛行場の情報が何で紛れ込むことになったのかはわかりません。その際のスクリーンショットも一応撮ってあるのですが、そういうミスをこういう所にくどくどと晒すのも、まぁあまり趣味の良いことではありませんから止めておきます。

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