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「木賀の山踏」(竹節庵千尋)往路の「四ッ谷の数珠」

以前、「七湯の枝折」の「禽獣類」を取り上げている際に、「木賀の山踏(やまふみ)」(竹節庵千尋 天保6年・1836年、以下「山踏」)中の「雲雀」の記述について急遽検討する回を設けました。今回はその「山踏」から、往路の記述に登場する疑問点を分析してみたいと思います。「山踏」についての紹介は上記記事を参照下さい。

3月7日(グレゴリオ暦4月17日)早朝に江戸を発った千尋は、途中から駕籠を使ったこともあって一気に藤沢まで進んで一泊、翌朝も早く出発します。宿場を外れて松並木に差し掛かる辺りで日の出となり、その様子を歌に詠んだ続きの箇所の記述に、幾つかの問題があります。

平塚の手前少しの家居あり四谷木幡なんとの名ありこの所数珠玉又菅のたすき商へるなれは

堀の内道の四ツ谷にあらねとも

ひさくは数珠の玉たすきかも

(「相模国紀行文集:神奈川県郷土資料集成 第6集神奈川県図書館協会編 1969年 402ページより、以下も含め強調はブログ主、以下「山踏」の引用は全て同書より)


「木賀の山踏」四ツ谷・小和田の位置関係
四ツ谷・小和田の位置関係
(「地理院地図」上で作図したものを
スクリーンキャプチャ
また「今昔マップ on the web」も参照のこと)
東海道五十三次之内藤沢四ツ谷立場
歌川広重「東海道 五十三次之内」(蔦屋版東海道)中
「藤沢 四ツ谷の立場」(再掲)
Library of Congress Prints and Photographs Division Washington, D.C. Public domain.)

まず、「四谷木幡」の位置が問題です。馬入の渡しを渡るのはこの次の記述に登場しますので、藤沢宿と馬入の渡しの間に位置することにはなります。その間の「四谷」と言えば、やはり田村通り大山道の分岐点に当たる「四ツ谷」ということになるでしょう。しかし、上の地図に見える通り四ツ谷は藤沢宿を出てまだそれほど進んでいない場所にあり、「平塚の手前」と言うにはちょっと距離があり過ぎる様に思えます。

「木幡」は更に難問で、少なくとも東海道沿いには「木幡」という地名は存在しません。何らかの誤記である可能性を織り込んで付近の地名を検討すると、「木幡」を「こはた」または「こばた」と読んだ場合に「小和田(こわだ)」が比較的近いことに気付きます。ここであれば四ツ谷からも比較的近く、両者を併せて呼んだことも理解できます。しかし何れにしても、まだ平塚まではかなり距離があることには変わりありません。

初日は品川宿の辺りから駕籠に乗ったことを記しており、2日目も大磯から駕籠を利用したことが記されていますので、藤沢から大磯までは歩いていたと考えられます。従ってこの地名は駕籠かきからの伝聞ではないことになります。もっとも、駕籠かきであれば地元の地理にはそれなりに明るいと考えられ、この様な曖昧な回答を返してくる可能性はあまりなさそうです。

この道行きは千尋独りだった訳ではなく、

亦連なる人は小山安宣ぬし、同じき内方、横井何某の息命常、予が妻をも具しつ。

(401ページより)

と同行者がいたことを最初の方に記しています。「四谷木幡なんとの名あり」の地名の精度が低いのは、「なん(なむ)」という推量が入っていることから考えると、同行者からの伝聞を記しているからなのかも知れません。



次に、この土地で「数珠玉」や「(すげ)のたすき」を売っていたという記述が気になります。該当地が田村通り大山道の分岐点であったとすれば、大山詣での参拝客を当て込んでその様な商いをしていたとしても不思議ではありません。ただ、この追分に茶屋があったことを記す紀行文はしばしば見られるものの、こうした土産物を販売する商いの存在を記しているものは珍しいと思います。少なくとも、私がこれまで読んだ紀行文・道中記はあまり本数は多くありませんが、その中ではこれが唯一の例です。

「人倫訓蒙図彙 6巻」数珠師図
「人倫訓蒙図彙 6巻」数珠師図
(「国立国会図書館デジタルコレクション」より該当箇所抜き出し)
この数珠玉やたすきは何処でどの様に作られていたものなのでしょうか。数珠については江戸時代には「数珠師」と呼ばれる専業の職人がいたことが、「人倫訓蒙図彙(じんりんきんもうずい)」(元禄3年・1690年刊)などに記述が見られます。しかし、江戸市中や京都上方、あるいは大きな寺社の門前町ならばさておき、大山までまだ道のりを残す地点で専業者が拵えるほどの品質の数珠が売られていたとは考えにくいものがあります。四ツ谷は大山詣での帰路に江の島や鎌倉へ向かう参拝客も多く通過する地であり、藤沢宿の遊行寺などへ向かう客の方をターゲットとして考えていた可能性もあるものの、藤沢の宿内まではまだ少し距離があり、やはり高級な品質の数珠を扱っていたとは考えにくいところです。


まして、「菅」で作る「たすき」とはどの様なものなのか、皆目見当がつきません。よもや和服の袖や袂をたくし上げるためのものをこんな所で売っているとは思えませんし、数珠とともに売っているものなのですから、この「たすき」も仏具のうちなのでしょうが、江戸時代のもので該当するものが思い当たりません。現在では髭題目を記した短冊を「おたすき」と呼んで販売している例はある様ですが、「山踏」のこれも該当すると考えるには、それが「菅」で作られている理由が不明です。

「菅」とは一般には「菅笠」や蓑、縄などを作る際に用いられる「カサスゲ」などのスゲ科の植物ですが、スゲ科には日本には269種、神奈川県内でも86種が自生していることを県立生命の星・地球博物館のページで紹介しています。池や川岸などの湿地に生えることから、付近の引地川沿いなどの秣場で容易に得られると考えられるものの、如何せん「たすき」がどの様なものかが不明なので、それをどの様に加工したのかも全く見当がつきません。

一方の数珠玉の方はどうでしょうか。「和漢三才図会」の「数珠」の項(巻第19「神祭附佛供器」)では

數珠功德經佛告曼珠(モンシュ)室利(シリ)法王子數珠之體種種不カラ文繁故畧テハルコト無量也菩提子水晶蓮子木槵眞珠珊瑚等皆各其次也

△按數珠修業ムルサラ懈怠之具釋氏必用之物如縉紳之(シャク)武士之刀今以水晶琥珀硝子(ヒイトロ)水晶菩提子、桑槐、黑柹、紫檀(シタン)、梅木等皆性不

「国立国会図書館デジタルコレクション」の中近堂版より、但し不明瞭な箇所は「デジタルコレクション」上の秋田屋太右衛門版や東洋文庫版の「和漢三才図会」(4、1986年 275〜276 ページ)を併せて参照、返り点なども同書に従う、「…」は中略、強調はブログ主)

と、菩提樹の実を最良とし、他に水晶、蓮の実、ムクロジ、眞珠、珊瑚、あるいは槐、黒柿、紫檀、梅の実など硬いものを上物としています。

「成形図説」巻之二十「薏苡」(ジュズダマ)
匿名 - ライデン大学図書館,
CC 表示 4.0,
Wikimedia Commons
一方、東洋文庫版の「人倫訓蒙図彙」(朝倉治彦校注 1990年 平凡社)の補注には

数珠師 『雍州府志』巻七、念珠の条に「京極道ニアリ、雑品木ヲ以テ之ヲ造ル。或ハ菩提樹ノ実、或ハ水精、琥珀之類、又婦人之用ル所ノ念珠百八箇、半ハ黒檀顆ヲ用イ、半ハ水精顆ヲ用ユ。是ヲ半装束数珠ト謂フ。又山伏之用ル所ノ其顆小匾ニシテ圭角有リ。是ヲ最多角数珠ト謂フ。各好ム所ニ随ツテ之ヲ有ス。之ヲ珠数屋ト謂フ」。一般にはズズダマの実、ムクロジュの実を使用した。『国花万葉記』に「寺町通南北所々に多し」とある。

(上記書302~303ページより、強調はブログ主)

とあり、「雍州府志」という天和2年〜貞享3年(1682〜1686年)に書かれた山城国(京都一帯)の地誌を引用して「和漢三才図会」に近い素材を各種挙げています。そして、一般論として水田の畦に自然に生えてくる「ズズダマ(薏苡(よくい)、ジュズダマ)(リンク先は「跡見群芳譜」)」の名が挙げられています。

付近の迅速測図(リンク先は「今昔マップ on the web」)などに見られる当時の土地利用を見ると、砂丘地帯に当たるこの付近では田畑が多く、林は何れも松林になっていました。特に小和田村の林は

一御林七ケ所    小和田村地内

但/字西出口山  壱ケ所/字浪山    同/字稲荷山   同/字伊勢山   同/字西蔵山   同/字東蔵山   同/字浜須賀山  同  木立松

反別四十壱町五反三畝十三歩半

木数三万五千弐百壱本

(「藤沢宿分間書上諸向手控」から、「藤沢市文化財調査報告書 第56集」2021年 藤沢市教育委員会 所収 (26)ページ、一部改行を「/」で置き換え、語順を意味に沿う様に入れ替え、以下「手控」)

と、村民が自由に利用できない松の「御林」が7箇所もあり、林の木を勝手に伐って利用するのは難しい環境にあったことがわかります。四ッ谷のあった羽鳥・大庭・折戸・辻堂の4ヶ村では、「手控」に記された「御林」は大庭村の「大庭山」(恐らくは大庭城址の「城山」を指すと思われる)の杉林のみで、その点では小和田村よりは自由度があったものの、松林では林床に生えてくるものも乏しく、ましてや水晶の様な鉱物資源を得られる土地ではありませんから、数珠に加工するための素材を得るには厳しい環境であったと考えられます。その点で、このジュズダマであれば四ッ谷や小和田周辺でも容易に入手できそうです。


しかし、本草学の書物では

●和漢三才図会(卷第百三「薏苡仁」の項):

本綱薏苡仁所在有之二三月宿(フル)(セ(ママ:ネか))二三尺葉粘黍(モチキヒ)五六月抽紅白花靑白色形如ニシテ珠子(スヽノタマ)而稍長小兒多以(イト)穿ニシテ貫珠(タハムレ)

一種 シテ而殻厚堅硬(カタキ)菩提子也米少粳𥽇也但可穿(ウカチ)念經數珠故人亦念珠

△按…其實靑白色滑カニ形團(チト)白絲三條略乾クトキハ則絲(ヌケ)上下通小兒貫以爲念珠

二種而一種売薄米多一種壳厚米少タリルニ念珠故曰菩提子菩提樹之()同名ニシテ而別也

「国立国会図書館デジタルコレクション」の中近堂版より、但し不明瞭な箇所は「デジタルコレクション」上の秋田屋太右衛門版や東洋文庫版の「和漢三才図会」(18、1991年 148〜150 ページ)を併せて参照、返り点なども同書に従う、「…」は中略、強調はブログ主)

●大和本草(卷四「薏苡仁」の項):

…又菩提子ト云藥ニ不俗用テ數珠トス實少ク味薄シ

(「国立国会図書館デジタルコレクション」より、強調はブログ主)

●本草綱目啓蒙(卷之十九穀之二 「薏苡仁」の項):

…一種ジュズダマ一名ヅシダマ和名鈔スヽダマ豫州ズヾゴ東國ハチコク上總スダメ三州スヾダマ阿州ズヾダマ新挍正野邉荒廢ノ地ニ多シ春宿根ヨリ多ク叢生ス莖葉ハ薏苡ニ異ナラズ子大ニシテ白色光リアリ或ハ黑色或ハ黑白斑駁皆皮甚厚硬擊トイヘトモ破レズ實中ニ自ラ穴アリ穿テ貫珠(ジュズ)トナスベシ小兒採テ玩トス野人用テ馬飾トス是救荒本草ニ載スル所ノ川穀ナリ…

国立国会図書館デジタルコレクションより、強調はブログ主)

とされ、特に「和漢三才図会」の方は「菩提子」と呼ばれる種類の「薏苡」については念珠にすることもあるものの基本的には子供の遊び道具という認識を示しており、「本草綱目啓蒙」も数珠としての用途を書いた直後に子供の遊びに使われていることを挙げています。対して「大和本草」は数珠に俗用されることがあったことのみを指摘しています。こうした違いを踏まえ、江戸時代にジュズダマで作った数珠がどの様な位置付けであったか、更に当時の実情を書いたものを参照していく必要があります。

「和漢三才図会」や「雍州府志」が挙げる数珠の材料が何れも四ッ谷・小和田周辺では手に入りにくいと考えられる中、また大山詣でなどの道中の茶屋で販売して引き合いがあるのであればそれほど高価なものであったとは考えにくい中で、「山踏」の頃に四ッ谷で売られていた数珠が何を使って作られていたのかは、更に可能性を探してみるしかなさそうです。



そして、千尋がこの様子を見て詠んだ和歌にも問題があります。「堀の内道の四ツ谷」ではないけれど数珠玉やたすきを売っているのか、という意味になりますが、この「堀の内道の四ツ谷」とは何処のことでしょうか。

「江戸名所図会 7巻」堀の内妙法寺
「江戸名所図会 7巻」堀の内妙法寺
(「国立国会図書館デジタルコレクション」から)
「東都名所之内 堀之内千部詣」(歌川広重)
歌川広重「東都名所之内 堀之内千部詣」
(「ボストン美術館デジタルコレクション」から)

差し当たって「堀の内道」の候補となるのは、「妙法寺参詣道」かも知れません。多摩郡堀之内村(現:東京都杉並区堀ノ内)に位置していた日円山妙法寺は、江戸時代の後期に厄除けの御利益で知られる様になり、江戸から参拝に訪れる際に青梅街道から多摩郡本郷村(現:東京都中野区本町)の鍋屋横丁で分岐して堀之内村へ向かうこの道が使われる様になりました。

「山踏」の天保6年には、小田原藩士の千尋が江戸詰めになってから既に18年は経過していましたから、江戸 市中での諸事情にそれなりに明るくなっていてもおかしくはないと考えられます。妙法寺についてもその評判を伝え聞いていた千尋が、東海道筋の四ッ谷を詠む際にこの寺のことを思い出したのかも知れません。

ただ、妙法寺へ向かう途上で数珠などを売る店があったとしてもおかしくはありませんが、「四ツ谷」との兼ね合いが良くわかりません。千尋がこの様な歌を詠むからには、「堀の内道」や「四ツ谷」、更には沿道の数珠の店が当時それなりに世に知られていないと、読み手にその意を汲んでもらえなくなってしまいます。しかし、甲州街道の大木戸門があった四ツ谷(現:東京都新宿区四谷)からでは鍋屋横丁はかなり隔たっていますし、他に該当しそうな「四ツ谷」地名の場所は「堀之内道」の沿道には確認できませんでした。何れにしても、この歌に詠まれた場所や店については更に探してみなければなりません。

田村通り大山道の追分に当たる四ッ谷の様子を書いたものは必ずしも多いとは言えない中、「山踏」のこの箇所の記述は貴重な存在と言えるかも知れないものの、この様に疑問点が多く、当時の様子を窺い知る史料として使えるかどうかについては更に他の史料を探してみるしかありません。数珠などの販売がごく一時的なものであった可能性も考えられますが、ひとまずのメモとして書き留めておく次第です。

「山踏」については後日改めて別の場所について取り上げたいと思います。
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