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【脇往還】浦賀道:鎌倉から浦賀まで(その18:写真集…浦賀おまけ)

その17」で浦賀・燈明崎まで到達して、ひとまず「浦賀道見取絵図」に描かれた区間を一通り辿り切った訳ですが、今回は浦賀で撮った写真をもう少し紹介します。

↓今回も分量が多くページが重いので、一覧から見ている方はなるべく「別タブで記事を開く」をクリックして下さい。


◯旧造船所のクレーン
浦賀:アームを降ろされたクレーン
アームを降ろされたクレーン
浦賀の地で永年創業してきた浦賀船渠(住友重機械工業浦賀造船所)は、2003年に最後の船を送り出してその100年以上の歴史に終止符を打ちました。建物などはまだ残っていますが、大型の自走式クレーンはアームを取り外され、操縦席から下だけの姿になっています。取り外されたアームも傍らに寝かせてあるのがフェンス越しに見えました。

因みに、この記事アップ時点では、Yahoo!地図の空中写真ではまだドックが稼働中で船がドックインしている様子が見え、このクレーンもアームを降ろされる前の姿が写っています。


現時点では、跡地の利用については横須賀市が検討したりしている様ですが、まだ具体的なことが確定するのは先の話の様です。ここのドック自体も歴史的価値を持つものですので、多かれ少なかれこれを保存した上で周辺をどうするか、ということになるのでしょうが…。

浦賀道見取絵図:叶神社〜船番所付近
浦賀道見取絵図:叶神社〜船番所付近(再掲)


◯西叶神社
浦賀:西叶神社前の土蔵
西叶神社前の土蔵
浦賀:西叶神社前の傍示杭
西叶神社前の傍示杭

西叶神社の位置
西叶神社の向かいには、トタン板で壁面を補強されているものの江戸時代の土蔵がまだ残っており、その傍らには「従是河岸五間/明神濱境内」と刻まれた石碑が残っています。「明神」は叶神社のことを指しますから、海まで叶神社の境内であるという傍示杭ですね。

浦賀:西叶神社拝殿
西叶神社拝殿
浦賀:西叶神社・玉垣の陰の狛犬
西叶神社・玉垣の陰の狛犬
叶神社の社殿は天保13年(1837年)に再建されたもので、その際に後藤利兵衛義光の彫刻がふんだんに施されています。廻船問屋の街の鎮守だけに、それだけ財力のバックアップがあったということなのでしょう。
個人的には、玉垣の陰から参拝者を覗いている様な素振りの狛犬がツボでした。

浦賀:西叶神社のツグミ
西叶神社のツグミ
拝殿前でツグミの鳴き声が聞こえたと思ったら、パッと出て来て目の前の電線に止まってくれた所で慌てて撮ったのですが、「もう1枚」と思った時には既に飛び去ってしまっていました。向こうも目の前に人間がいるのに気付かずに出て来てしまったのかも知れません。

浦賀:西叶神社前の大井戸
西叶神社前の大井戸
神社前の巨大な井戸。海辺で主要な河川の流入がない地域に人口が集中していた訳ですから、当時はこうした共用の井戸が必要だったのでしょう。こうした井戸は東浦賀でも見ることが出来ましたが、この西叶神社前の井戸はそれよりも一際大きく、それだけ人口が集中していたことが窺えます。

◯延命山東福寺
浦賀:東福寺本堂
東福寺本堂
浦賀:東福寺本堂前から山門を見下ろす
東福寺本堂前から山門を見下ろす
東福寺の位置
東福寺は西叶神社の背後に崖上に位置するのですが、山門は西叶神社前から路地を曲がった先に位置しています。本堂前から山門を見下ろすと、谷戸の方向に焼却炉の煙がたなびいていくところでした。

浦賀:東福寺本堂の鏝絵-2
東福寺本堂の鏝絵(左側)
浦賀:東福寺本堂の鏝絵-1
東福寺本堂の鏝絵(右側)
ここの本堂の扁額の上には、全部で8点の鏝絵が組み込まれています。何れも昭和7年の作。鏝絵は江戸時代の中頃から制作される様になったものですが、浦賀に現存するものは大半が関東大震災後のもの。基本的には建物に埋め込まれるものであるだけに、そこまで時代を遡れないのは止むを得ないところです。

漆喰をつかった技術ですから、やはり下田の「海鼠壁」に見られる技術の伝来を考えたくなりますが、直接の関連はないとのこと。しかし、経済的に興隆した地域同士でこの様な技術が盛んになったということであれば、やはり何か通底するものがあったのではないかと考えたくなります。

◯為朝神社の彫刻と狛犬
浦賀:為朝神社の彫刻
為朝神社の彫刻
浦賀:為朝神社の狛犬
為朝神社の狛犬
前回為朝神社については拝殿の写真を載せただけで先に進んでしまいましたが、やはり勿体無いので拝殿の彫刻と狛犬の写真だけ改めて載せておきます。

浦賀道見取絵図:東浦賀付近
浦賀道見取絵図:東浦賀付近


◯浦賀の渡舟
浦賀:渡船より東浦賀方面を望む
渡船より東浦賀方面を望む
浦賀:東浦賀の渡船場
東浦賀の渡船場
東浦賀の渡船場の位置
奉行所が下田から浦賀へと移ることになった当初、移転先として考えられていたのは東浦賀の方だったと言います。崖地が幾らか南に向いている東浦賀の方が日当たりが良好なので、その点が好感されたのではないかと思います。

しかし、地元に既に定着していた干鰯問屋衆の反対に遭い、已む無く西浦賀に奉行所を設けたとのこと。浦賀は江戸初期に干鰯問屋が幕府の公認を受けており、関東の干鰯流通の中心を成していました。

もっとも、西浦賀には奥地へ向かう谷戸が複数あり、その分東よりは平地が確保できたと思いますので、その後の街の発展を考えると結果的には良かったのかも知れません。浦賀の干鰯問屋の方はその後江戸や房総半島との競争に巻き込まれることになり、一時期よりは衰退へと向かうのですが、東浦賀にも廻船問屋が一定数根付いたところを見ると、西浦賀の繁栄ぶりを見て転業した問屋もあったのかも知れません。

浦賀の渡船場の存在は「見取絵図」では東浦賀の岸辺に示されています(今回特に画像が上手く取り込めず、文字が書いてあるのさえはっきりしませんが、その点は御了承下さい)。何故か西浦賀には記述がないのですが、何れにしても当時から東西を結ぶ渡船が存在していたことがわかります。この細長い入江を陸路で移動したのでは遠回りに過ぎるので、それも当然のことでしょう。

浦賀:暗渠出口のアオサギ
暗渠出口のアオサギ
船が西浦賀を離れて間もなく、暗渠の出口にアオサギが止まっているのに気付きました。このアオサギは船が東浦賀に着く頃に追いかけてきて、上空を鳴きながら旋回していきました。

◯東叶神社
浦賀:東叶神社
東叶神社
浦賀:東叶神社の狛犬越しに海を見下ろす
東叶神社の狛犬越しに海を見下ろす
浦賀:東叶神社前の海辺
東叶神社前の海辺

東叶神社の位置
東叶神社は浦賀が東西に分かれた後、西浦賀の叶神社から東浦賀に分祀されたものです。西叶神社同様、神社境内から直接海辺に降りられる場所が選ばれているのは、海に暮らす人々にとっての守り神として信仰されているからなのでしょう。

訪れた時には強い逆光が海面に反射する時間帯で、それを活かした写真を何枚か撮ってみました。

浦賀:浦賀城址から燈明崎を望む
浦賀城址から燈明崎を望む
浦賀:浦賀城址より海上を望む
浦賀城址より海上を望む
東叶神社の裏手は明神山と呼ばれています。ここは戦国時代には小田原北条氏が安房里見氏への守りのために浦賀城を築いた場所とされています。ここからの眺望は抜群で、確かに海への備えにこの場を選んだのも納得できます。今は燈明崎の方向以外は林に囲まれていますが、城を構えた時にはもう少し周囲の木々を切り払って他の方位も視界が利く様にしたのではないかと思います。今は周辺は自然保護林として指定されていますので、妄りに木々を伐採する訳に行かないでしょうが。

因みに「見取絵図」では「伊勢山」の表記は見えますが「明神山」の表記はありません。伊勢山は西浦賀の第六天榊神社の元宮のあった場所として知られており、絵図が描かれた頃には東西に分かれていたとは言え、元は1つの村だった浦賀に2つも同じ名の山があったということになるのか、それとも「明神山」を「伊勢山」と記してしまったのか、この辺は疑問点ですね。

◯おまけ:馬堀の庚申
浦賀道:大津・馬堀の庚申群
大津・馬堀の庚申群
(左から2番めは文字が削り取られている)

大津・馬堀の庚申群の位置
浦賀道:大津・馬堀の庚申-1
享保の庚申
浦賀道:大津・馬堀の庚申-2
彫琢の細かい庚申
浦賀の地域内ではないのですが、「その16」の「馬堀3丁目公園の庚申」を探しに行った際に、別の場所にも浦賀道と関連がありそうな庚申があるとの情報を得たので、そちらへも廻ってみました。矢ノ津坂の迂回路であったということらしいのですが、その点に関しては裏付けは得られませんでした。

ただ、ここに安置されている庚申塔の中には特に状態の良いものが含まれており、享保の年号が刻まれていながら細部の彫琢まで綺麗に残っているのに驚きました。舟形の頭が欠けている程度の瑕疵で済んでいるのは、この時期の石碑にしては珍しく、恐らく素材の石に風化に強いものを選別した結果なのでしょう。もう1体はそれよりも小振りで細部が摩滅していますが、それでも当初はかなり細かい彫刻が施されたことが窺えます。当初はかなり手塩にかけて庚申塔を作っていたことがわかります。

他方、「青面金剛」と刻まれている文字が削り取られてしまっている庚申が1体写っていますが、同様の状態のものは馬堀3丁目公園でも見ることが出来ました。石像の顔面を削ってあるなど、意図的にその様な箇所を狙って破壊しているのは、悪戯に依るものではなく、明治時代の廃仏毀釈の流れの中でこうした信仰もダメージを受けたことの名残である様です。

浦賀道:大津・馬堀の庚申前から海上を望む
大津・馬堀の庚申前から海上を望む
浦賀道:大津・馬堀の庚申前から猿島を望む
大津・馬堀の庚申前から猿島を望む
また、この庚申が置かれている辺りからはなかなか眺望が良く、海上に浮かぶ猿島の姿が見えています。但し、この坂の上は行き止まりで民家の門扉が近い場所ですので、その点は配慮が必要です。

さて、浦賀道の写真の紹介を長々と続けてきましたが、次回からはまとめに移ります。



追記(2013/11/20):レイアウトを見直しました。


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この記事へのコメント

- たっつん - 2012年12月24日 21:41:59

こんばんは。
叶神社の玉垣の狛犬はかわいいですね。
為朝神社の狛犬も時代がありそうです。

- kanageohis1964 - 2012年12月24日 22:13:11

こんばんは。コメントありがとうございます。

西叶神社の狛犬、親は両側とも台座の上にいて、子が両方とも下に降りて玉垣の後ろにいる、という構図ですね。こういう遊び心のある狛犬も良いですよね。

為朝神社のは時代を確認し漏らしました(汗)。創建が幕末なのでその当初のものが残っている可能性はありますね。

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