【脇往還】浦賀道:鎌倉から浦賀まで(その13:補足…3箇所の「飛石渡リ」と訂正1件)

前回の続きを行く前に(問題箇所のために追加取材が必要かも知れないため)、先に補足の方を済ませて間を繋ぎます(汗)。

その10」で、「浦賀道見取絵図」では「飛石渡リ」が全部で7箇所描かれていることを指摘しました。そのうち、2箇所については未紹介であることを記しましたが、その2箇所の絵図をここで掲げておきます。

①堀内村:字小森川 飛石渡リ

浦賀道見取絵図:字小森川 飛石渡リ
浦賀道見取絵図:字小森川 飛石渡リ

浦賀道(戸塚):「左 やま屋 右 うら賀」道標
「左 やま屋 右 うら賀」道標の地蔵(再掲)
その8」で取り上げた区間のうち、葉山小学校付近に安置されている地蔵の辺りにこの「小森川」があった筈です。「見取絵図」の「地蔵」が恐らく安置されているものと同一だと思われますが、この地蔵の位置が動いてしまっているだけに照合が難しくなっています。「その8」で掲げた地図上では葉山小学校前の交差点の南側で暗渠から流出すると思われる流れが見えているので、あるいはこれが該当するのかも知れませんが、何とも言い難いところです。


②一色村:字小関川 飛石渡リ

浦賀道見取絵図:字小関川 飛石渡リ
浦賀道見取絵図:字小関川 飛石渡リ

こちらは訂正1件。「その9」の葉山郵便局交差点のところで

「見取絵図」ではこの下流から描かれている様ですが、上流側がありません。

などと書いてしまったのですが、どうやら同定箇所を間違えていた様で、この「小関川 飛石渡リ」がこの交差点の下を流れる沢ということになる様です。失礼致しました。良く見れば上流側の左岸が一段高い崖の表現が施されていて、これは今も現地ではこの川の左岸の住宅が一段高い場所に建っているのと合致します。

そして、同じく「その9」で上山口の「猪俣川」の飛石渡リを紹介した際に、見取絵図の該当箇所を掲げていませんでしたので、改めてここで掲げておきます。その傍らに「庚申」がある点は現在と一致しますね。
浦賀道見取絵図:猪俣川 飛石渡リ
浦賀道見取絵図:猪股川 飛石渡リ

浦賀道(戸塚):寺前の庚申塔
猪股川脇の寺前の庚申塔(再掲)




今回何故飛石渡りに拘っているのか、それは江戸時代の街道の整備状況を考えた時に、あまり長距離とは言えない区間にこれだけ橋が架けられていないというのは、あまり例を見ないのではないかという点が引っ掛かったからです。

江戸時代には大きな川には橋が架けられずに渡し場となっている箇所が多かったのは、皆さんが御承知の通りです。しかし、これらは架橋の難しい大きな川の場合の話です。それに対して、浦賀道のこれらの「飛石渡り」は何れも小規模な流れの箇所です。この程度の幅であれば当時の各村々でも十分に架橋のための技術は持っていた筈です。

比較のために、差し当たり神奈川県内を通過する区間について、「飛石渡り」と記された箇所があるか探してみました。他に橋の架けられていない「洗い越し」になっている箇所があるかどうかも併せて数えた結果を表にまとめてみました。

「五海道其外分間見取延絵図」中で「飛石渡り」「洗い越し」が表現されている箇所の数
絵図区間飛石渡り洗い越し
「東海道分間延絵図」日本橋〜三島15
「甲州道中分間延絵図」駒木野〜栗原02
「矢倉沢通見取絵図」小田原〜関本〜三島[全区間]
(所謂「矢倉沢往還とは道筋が異なる)
00
「根府川通見取絵図」小田原〜熱海〜三島[全区間]02
「江島道見取絵図」藤沢〜鎌倉[全区間]03
「浦賀道見取絵図」戸塚〜浦賀[全区間]71

他の分間延絵図や見取絵図を探すともっと出てくるのかも知れませんが、少なくとも探した範囲では「飛石渡リ」が見つかったのは、浦賀道以外では東海道の大磯〜小田原間で1箇所(前川村[現・小田原市前川]の「関下川」を渡る箇所)だけでした。短区間に多数の「飛石渡り」が存在する区間は他にありません。

「洗い越し」とされている沢は、陸中であればごく小さなものか、海岸沿いで元々波が足を洗うような区間に限られている様です。要するに人馬がひと跨ぎに出来る様な沢であれば、わざわざ橋を渡すまでもないと判断されて目溢しされていたのでしょう。中には「平日水無シ」と雨天後のみ沢と化すものも含まれていました。また、中には明らかに街道が沢の上を通過している筈にも拘わらず、橋も水抜も描かれていない箇所も数カ所ありました。これが実際は洗い越しであるのか、それとも調査不足で橋の有無を記せないための措置であるのかは判断が出来ないため、ここではカウントしていません。更には沢そのものが描かれていない箇所もあり、この辺りは実体を何処まで絵図上に表現するか、担当者によって多少ばらつきがあったのかも知れません。何れにしても、人馬の往来が前提であれば架橋しなくても影響の少ない沢がこの様な扱いをされていたことには変わりはなさそうです。

それに対して「飛石渡り」になっている箇所は洗い越しにする沢よりはもう一段規模が大きく、人馬がひと跨ぎにするには大きいものが主である様です。山間部など技術的な面で架橋が難しい箇所が飛石渡りになる傾向があるか否かを確認する意味もあってこの計数を試みたのですが、箱根や丹沢、更に山梨東部の山々を通過する東海道・甲州道中・根府川道・矢倉沢通の何れでも飛石渡りの区間が無いということは、険しい山中であることが架橋の制約になる訳ではなかったことを意味しています。浦賀道はこれらの山々に比べれば遥かに平坦地であることは云うまでもありません。

では何故、この様な状況が生まれてきたのか。今回延々と浦賀道の紹介を続けていますが、浦賀に着いたところで改めてそこを考えてみる予定です。



追記(2013/11/18):レイアウトを見直しました。


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でも参照されている方が多い様ですので設置を継続します。

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