【脇往還】浦賀道:鎌倉から浦賀まで(その12:写真集…阿部倉の坂下→金谷)

その11」で浦賀道は下山川の流域から平作川の流域へと移り、阿部倉の尾根筋から降りてきました。今回は引き続き、平作川の流域の中を降りていきます。

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浦賀道(戸塚):阿部倉→伝馬場坂間の広くなった市道
阿部倉→伝馬場坂間の広くなった市道
浦賀道(戸塚):池上小学校付近の坂
池上小学校付近の坂
左の写真の撮影位置
前回の終着点になった「阿部倉トンネル」は比較的最近出来たもので、国土地理院の地形図閲覧システムにはまだ反映されていません。このトンネルの開通で出来た街路が横切る平作川の支流が暗渠になったことが、現在の地図との比較でわかりますが、そこから暫くの間、この支流が開渠になって流れているのが見えます。

浦賀道は、この支流の北側の斜面の下に沿って高度を下げていきます。周囲は既に宅地化が進み、地形も削平された尾根が目立つなど改変が進んでいますが、時折右手の住宅の間から平作川の支流が見通せるのが、かつての景観の名残と言えるかも知れません。迅速測図上では、この支流沿いは水田、斜面は一部が畑に利用されている外は雑木林や椚林であったことが窺えます。

途中からは両側に歩道を従えたセンターライン付きの幅広の市道へと拡がりますが、池上小学校の前の下り坂は江戸時代の道幅からあまり変化していない様です。

なお、「見取絵図」上ではこの区間で2本ほど沢を渡っている筈ですが、恐らく暗渠化されて所在を確認できなくなっていると思われます。

浦賀道見取絵図:伝馬場坂付近
浦賀道見取絵図:下平作の伝馬場付近

浦賀道(戸塚):見取絵図で「伝馬場坂」とされる坂
見取絵図で「伝馬場坂」とされる坂
浦賀道(戸塚):伝馬場坂上から降りてきた方角を見る
伝馬場坂上から元来た方角を見る

伝馬場坂の上り口の位置
「見取絵図」上で「伝馬場坂」と記された坂に来ました。その手前に「字鳥井戸板橋」と記された橋が描かれていますが、ここには現在も開渠が見えますので、恐らくはこの水路をかつては橋で渡ったのでしょう。恐らく先ほどのものとは別の平作川の支流に相当する筈だと思われますが、この辺りは川が暗渠化された箇所が多く、平作川の支流がどこでどの様に繋がっているのかを地図上から確認することは困難です。

この上り坂はあまり長くありません。かつては坂の上からこれまで通ってきた道を見通せたのでしょうが、今は家やマンションが立て込んでしまって見通しは利き難くなっています。

浦賀道(戸塚):伝馬場坂上の庚申群
伝馬場坂上の庚申群

庚申塔群の位置
住宅街化した丘陵の中を進むと、不意に庚申塔が3体祀られている一角に行き当たります。具体的な由緒書きが添えられていないのですが、「見取絵図」には「庚申」と記されている下に石碑が2体描かれており、この3体のうち2体がそれらに該当するのかも知れません。勿論、場所は周辺の住宅街化に伴って相応に移設されていると思われます。

浦賀道(戸塚):平作公園へ降りる坂
平作公園へ降りる坂

この坂の上り口の位置
浦賀道(戸塚):平作公園上から-1
平作公園から金谷方面を見る
浦賀道(戸塚):平作公園上から-2
平作公園から阿部倉方面に出る道
道が再び下り始め、その麓近くに平作公園の入口があります。直線的な坂を上がると現在はプールや戦没者墓地に変わった平場があり、その脇からほぼ水平に浦賀道へと戻る小道が付けられています。

この公園がかつての継立場であったとする説をWEB上で見掛けました。迅速測図でこの付近を見ても、不鮮明ではありますがこの区画が存在するのが確認出来ますので、確かにその可能性は高そうではあります。但し、「見取絵図」の位置とは多少異なる様にも見えますので、その点は要検証だろうと思います。

ルートラボ上で逗子新宿から3里の位置を探る
ルートラボ上で逗子新宿から3里の位置を探る
今回の問題は、この「伝馬場坂」の上にあった筈の下平作村の継立場の所在です。「新編相模国風土記稿」では

村内に浦賀より鎌倉への往來を通ず、當所其繼建のことを司れり 東方浦賀へ二里、西方小坪村へ三里、助役は木古庭・上平作・池上・金谷・不入斗・佐野・小矢部・森嶋の八村にて預れり、
(卷之百十四 村里部 三浦郡卷之八 雄山閣版より)

としています。

「ルートラボ」では、標高グラフ上をマウスでドラッグすることで、2点間の距離を求めることが出来ます。この機能を使って小坪村の継立場があった新宿から「3里」、つまり12km弱(正確には約11.7km)の地点を探すと、ほぼこの丘陵の上に来ます。ルートラボ上に私が引いたルート自体がかつての道筋の推定を含んでいますので若干の誤差を含んでいるとは言え、「伝馬場坂」の名から見ても浦賀道の下平作村の継立場はこの坂の上にあったという推定で基本的に問題はないと私は考えています。

しかし、絵図上ではこの坂の上には家が1軒、他に浦賀側の麓付近に1軒(と納屋状の家屋が1軒)しか描かれていません。坂の脇の崖下には家が何軒か描かれて集落があったことを窺わせているものの、勿論こんな位置では継立業務を行うことなど出来る訳がありません。

これについては、以前小坪村の継立場について分析した状況(「その5」・「その6」)とほぼ同様のことが言えるだろうと私は考えています。小坪村の様に中心となる集落が険阻な坂に囲まれてしまっている様な状況こそないものの、上平作・下平作・池上の村々の境に近い場所を進む浦賀道の周辺には元々集落が少なく、享保5年(1720年)に移転してきた浦賀奉行所のために継立を編成した際には、小坪村同様に「出張所」を設けざるを得なくなったのでしょう。そして、その後も「見取絵図」作成の頃まで継立業務の負荷が高まることがなかったため、継立場の周囲に集落が形成されることがなかったのではないでしょうか。

浦賀道見取絵図:金谷付近
浦賀道見取絵図:金谷付近

浦賀道(戸塚):金谷交差点付近
金谷交差点付近
浦賀道(戸塚):平作大橋から平作川上流を望む
平作大橋から平作川上流を望む


平作大橋の位置
坂を降り切って、広い市道とぶつかる辺りから先は、JR横須賀線や県道の建設によって区画が変わってかつての浦賀道の筋が消えてしまいました。現在は「平作大橋」で平作川を渡りますが、「見取絵図」でも「字大橋板橋」と記されており、場所はやや異なるもののこの橋が江戸時代から受け継がれてきた存在であることを窺わせます。

なお、現在の「平作川」について、地図上では金谷の中心街方面から衣笠駅前に向かう筋を本流とするものもあるものの、大楠山を水源として衣笠中学校付近を流れ下り、衣笠公園付近で合流する流れの方を本流とするものもあり、名称の取り扱いがはっきりしません。ここでは差し当たり、橋の銘板に「平作川」と表記されている点を尊重して「平作川を渡る」と記しておきます。

この橋を渡ると、浦賀道は金谷(かねや)村の領域に入ってきます。

浦賀道(戸塚):金谷山大明寺
金谷山大明寺

大明寺の位置
県道27号線をしばらく進みますが、浦賀道は恐らく県道よりも南寄りを進んでいたものと思われます。「見取絵図」では金谷山大明寺の前に高札が描かれていますが、これも現在の参道の端ではなく、もう少し県道に出た辺りということになるでしょう。

なお、絵図上ではこの付近の現在の平作川に当たる川筋には「五反田川」の名前が書かれています。

浦賀道(戸塚):金谷・県道27号から逸れる地点
金谷・県道27号から逸れる地点
浦賀道(戸塚):金谷・県道から分岐した浦賀道
金谷・県道から分岐した浦賀道
浦賀道(戸塚):金谷・浦賀道から下平川を見下ろす
金谷・浦賀道から下平川を見下ろす

浦賀道と県道の分岐点
程なく浦賀道が県道と分かれ、再び山裾の道となって川筋よりも標高を上げていきます。「見取絵図」でも山の端に沿っている様子が表現されていますが、写真でもわかる様に高い所では川べりよりも6~7mほど高い場所を進んでいます。なお、この途中で土橋を1つ渡っていますが、これも暗渠化されている様で現位置を確認することは出来ませんでした。

浦賀道(戸塚):金谷・ゴミ集積場と化したガイド
金谷・ゴミ集積場と化したガイド
横須賀市が道端に立てた散策者向けのガイドが、地図が摩滅して役に立っていないことは前回も触れましたが、これは流石にちょっと…と思ったので再び。まぁ、既に実用に耐えなくなった以上、他の用途に「転用」されてしまうのは仕方がないかも知れませんが、こうして街道歩きをしている側から見るとあまり気分の良いものではありません。

浦賀道(戸塚):衣笠駅付近で下平川下流を望む
衣笠駅付近で下平川下流を望む

この橋の位置
このガイドがあった位置が丁度JR衣笠駅前に近い場所だったので、この日はここで旅程を打ち切って浦賀道を離れました。この付近には「見取絵図」上では「子安」の字が記されていますが、現在はその名を伝えるものは残っていない様です。

写真は橋の上から平作川の下流を眺めていますが、この付近の川沿いの標高は既に10mを切っています。久里浜の河口まではまだ大分距離がありますが、中世の頃には公郷(くごう)付近まで入江であったとも言われており、平作川沿いの奥地まで標高があまり変わらないのはその名残りと考えて良いだろうと思います。

因みに、先程は「五反田川」と記されていた平作川は、その下流では「舞台川」と記されています。付近に「舞台山」があったことに因むのかと思われますが、下平川でも見られた様に、同じ川が村々によって異なる名前で呼ばれるのは江戸時代には珍しいことではありませんでした。

浦賀に着くのは…まだ数回必要になりそうです(汗)。



追記(2013/11/12):「歴史的農業環境閲覧システム」のリンク形式が変更されていたため、張り直しました。

(2013/11/18):レイアウトを見直しました。


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でも参照されている方が多い様ですので設置を継続します。

この記事へのコメント

こんばんわ〜! - たびぱぱ - 2012年12月17日 19:57:38

まさに実家のそばです〜!(笑)
実家というか、元々は父方の祖父母がいたので、子供の頃遊びに行く時はタクシーに“平作小学校まで〜!”って言ってました。

散策ガイドがかなり活用されてますね(笑)
こういうのもっとちゃんと整備して、少しは観光化出来るぐらいいい所なのになぁ〜、って思います。

- kanageohis1964 - 2012年12月17日 20:32:46

こんばんは。コメントありがとうございました。本当にしょうぶ園の近くですね。

予めルートラボ上に自分なりに作ったルートをiPadで見ながら歩いているんですが、こういうガイドがあるとかなり目安にはなりますので、「お、こっちで良かったんだ」という安心感を与えてはくれるんですけれどね。殆ど読めないガイドの方が多かったからなぁ。

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