【脇往還】浦賀道:鎌倉から浦賀まで(その11:写真集…阿部倉の分水界)

その10」の続きです。阿部倉地区に入ると、浦賀道はそれまで寄り添ってきた下山川の流域を抜けるのですが…。今回は浦賀道沿いだけでは分かり難いので、多少離れた位置からの写真なども取り混ぜます。

↓今回も分量が多くページが重いので、一覧から見ている方はなるべく「別タブで記事を開く」をクリックして下さい。



浦賀道見取絵図:木古庭〜阿部倉
浦賀道見取絵図より:木古庭〜阿部倉

浦賀道(戸塚):高祖坂の道祖神への道
高祖坂の道祖神への道

この坂の上り口の位置
浦賀道は、押しボタン式信号の横断歩道で県道27号線を越え、向かいの坂道を登り始めます。ここまで一貫して下山川の北側の斜面の麓を進んできた浦賀道が、ここで初めて南側の斜面に移ってきたことになります。県道27号線とは、この先金谷(かねや)まで暫し離れて進みます。

なお、前回この付近の「土橋」の所在がわからないと書きましたが、あるいはこの県道27号線の傍らに残る太めの暗渠がそれかも知れません。

浦賀道(戸塚):高祖坂の道祖神-1
高祖坂の道祖神と水田
浦賀道(戸塚):高祖坂の道祖神-2
高祖坂の道祖神
浦賀道(戸塚):高祖坂の道祖神前の井戸
高祖坂の道祖神前の井戸

高祖坂の道祖神の位置
坂を登り始めて間もなく、道が右手に折れた辺りに「高祖坂の庚申」が祀られています。この存在は「浦賀道見取絵図」上でも確認できますが、「高祖坂」の名はありません。「高祖坂」の名の由来は県道27号線北側の大明山本圓寺に登る坂の途中の「高祖井戸(日蓮が掘ったと伝わることからこの名がある)」に由来しますので、「高祖坂」の名前は近隣一帯の字として使われているのかも知れません。元禄7年(1694年)の日付があることから、これも浦賀道の継立成立前からこの地にあることになります。

そのすぐ近くには道にはみ出る様にして井戸が掘られています。と言うよりは、かつてはこの道が井戸の脇までの幅しかなかったことを示す証拠と考えた方が良いでしょう。その後道が拡幅された際も、井戸は移動出来ないために道中に残ってしまったのでしょう。

浦賀道(戸塚):木古庭の町民農園を県道から見る
木古庭の町民農園を県道から見る
「見取絵図」でも見られる様に、浦賀道はここから北側の耕地を迂回する様に斜面の中腹に沿って進みます。この写真は県道27号線から見たもので、今はここは町民農園として使われている様ですが、上の庚申の写真の背後に見える農園の畦を良く見ると、ここもかつての棚田の頃の特徴が残っていることがわかります。先ほどの横断歩道の所で触れた暗渠はこれらの農園の脇から流れて来ており、この辺はまだ下山川の流域内であることがわかります。

浦賀道(戸塚):阿部倉の土橋付近の水路
阿部倉の土橋付近の水路
浦賀道(戸塚):阿部倉の土橋付近の休耕地
阿部倉の土橋付近の休耕地

土橋があったと思われる場所
浦賀道は尾根筋を廻り込んだ先で一旦坂を下ります。その坂の麓にあるのがこの水路で、「見取絵図」では「土橋」と記されている箇所に該当します。水路は途中から暗渠になっていますが、地形を見るとこの水路も先ほどの県道27号線沿いの暗渠に繋がっており、まだ下山川の流域を抜けていないことになります。現在は休耕地となっているこの平地も、かつてはこの上まで棚田になっていた様です。

浦賀道(戸塚):宗源寺坂
宗源寺坂
この水路に沿った道の傍らには、「大楠山山荘」と掘られた銘板が埋め込まれており、大楠山への登山道が付近にあることがわかりますが、浦賀道は左側の緩やかな坂道を上がっていきます。この坂には「見取絵図」上では「字宗源寺坂」と記されているのですが、付近にこの名前のお寺はありません。「宗源寺」に相当する寺院は衣笠駅付近に「曹源寺」があります(実際、過去には「宗源寺」と書いていたそうです)が、何故こんなに離れた場所の坂にその名前が付けられているのかは不明です。

地図上でもわかる通り、この坂が現在の葉山町と横須賀市の市境になっており、かつての木古庭村との境に当たります。「見取絵図」では「上平作・下平作・池上村入会」と記されていますが、この一帯が入会地であったと解釈するよりは、「これら3村の境を絵図上で都度判じて記すのが煩雑なので略す」という意図と解釈する方が実情に合う様です。あるいは、この3村は元は平作村の1村だったものが次第に分村して成立したもので、その後も「新編相模国風土記稿」で3つの村の住民数がまとめて載せられるなど関係が深かったので、敢えて分けずに表記したということとも考えられます。阿部倉の領域は「風土記稿」の記述などから判断すると、概ね上平作村に所属していたと考えて良さそうです。

浦賀道(戸塚):やぶ地蔵
やぶ地蔵

やぶ地蔵の位置
坂は長くなく、登り切って他の道と交わる角に地蔵が祀られています。この地蔵の存在も「見取絵図」上で確認出来ますが、地元では「やぶ地蔵」と呼ばれているとのこと。確かに現在の地形図上にも「藪」の字が確認出来るものの、先ほどの「高祖坂」よりも木古庭集落に近い場所に書かれていて、どの様な位置関係になっているのかは良くわかりません。享保20年(1735年)は継立成立から間もない頃で、道標ではありませんが街道を行く人への安全祈願を兼ねたのかも知れません。

浦賀道はそのまま市町境の道を進みます。この辺りは殆どアップダウンはありません。

浦賀道見取絵図:椚林付近
浦賀道見取絵図より:椚林付近

浦賀道(戸塚):阿部倉温泉入口のガイド
阿部倉温泉入口のガイド

阿部倉温泉への分岐路の位置
横須賀市内に入った所から、道端にこの様なガイドが立てられていて、取り敢えず辿っている道が浦賀道であることの証左としては役に立つのですが、貼ってあった地図はまともに読めるものが少なく、ガイドを携帯して歩いているのでない限りは殆ど意味を成さない存在になってしまっています。道路の専有許可の期限が来たら見直して作り直すのでしょうが…。

「阿部倉温泉」への道筋が示されていますが、浦賀道は反対側へと向かいます。この温泉については「新編相模国風土記稿」等にも記されていて古くから知られているものです。絵図でも「野道」が描かれているので、あるいは当時もここで温泉への道を分けたのかも知れません。

引き続き道は市町境を辿っています。「見取絵図」上では「字椚林」と記されている辺りで、現在は藪に阻まれてなかなか見通せませんが、下の方を沢が流れているのが音で確認出来ます。

かつてこの付近にも立場があったとする説もあるそうですが、下平作の継立場付近からの距離としてはやや近いこともあり、未確認です。確かにこの付近は絵図上でも集落があったことが確認出来ますし、温泉への道があったということであれば、この地で立場を営んでいたとしても不思議ではなさそうですが。

浦賀道(戸塚):椚林の尾根筋からの眺め-1
椚林の尾根筋から西側の眺め
浦賀道(戸塚):椚林の尾根筋からの眺め-2
椚林の尾根筋から東側の眺め

椚林の尾根筋の位置
スペースシャトルや帆船などのかなり賑やかな遊具に飾られた幼稚園の前に来ると、道がいつの間にか尾根筋を通っていることに気付きます。写真では1枚目が浦賀方面に向かって左手、2枚目が右手方向を見ています。

「見取絵図」でもこの辺りが尾根筋であったことが巧みに表現されていますが、それまでの緩やかな起伏からは意外な程に下方に見える住宅地の姿に、ふと「あれ、分水界は結局どこだった?」と疑問が湧いてきます。

因みに、この幼稚園の所で複雑に交わる道のうち、右手へと降りていく坂が浦賀道です。「見取絵図」ではこの地に庚申があったことがわかりますが、現在は該当する石碑は見当たりません。住宅街化する過程で移設されたものと思われるものの、移設先は不明です。

浦賀道(戸塚):大楠山登山口交差点-1
大楠山登山口交差点より西方を見る
浦賀道(戸塚):大楠山登山口交差点-2
大楠山登山口交差点より東方を見る

大楠山登山口交差点の位置
ともあれ、下山川と平作川の分水界が歩いていてわからなくなってしまった理由を地形図上で探りながら、ふと県道沿いからの方が地形の特徴がわかりやすいかも知れないと気付いて再び訪れることにしたのでした。県道上では、「大楠山登山口」の交差点の東側に緩やかながら分水界があるのが見て取れます。そして、木古庭方面には殆ど道が降っていないのに対し、池上方面に向けてはここから長い坂を降りていくことになります。この写真を撮っている位置では歩道が車道よりも高い場所を通っており、かつての地形の名残を示していると思われるものの、その差は大きくなく、迅速測図で見てもここには等高線が殆ど見られません。余談ですが、この交差点の北側にある溜池は現在も残っており、当時の地形との比較の良い目安になります。


木古庭〜阿部倉の浦賀道付近の分水嶺
地形図などを見ながら、分水界のある辺りに線を引いてみました。県道のすぐ北側にある尾根は標高135mほどあり、この分水嶺を市町境が通っているのですが、その市町境が分水嶺を離れて県道に降りた辺りから分水界が地形図上で読み取り難くなります。すぐ南には標高241mの大楠山があって分水界もそこを通っており、やはり相模湾と東京湾の分水嶺に当たるだけのことはあるのですが、どういう訳か浦賀道の通っている辺りだけ地溝帯の様に尾根筋が曖昧になっていて、お陰で足への負担の少ない道筋になっているという訳です。

この様な地形が出来た理由についてははっきりしません。しかし、律令時代にこの地を東海道が通っていたとする説があるのも、相模湾から東京湾への抜け道としては最適なこの道筋ならば納得できる気がするのです。

浦賀道(戸塚):阿部倉トンネル付近の坂
阿部倉トンネル付近の坂

この坂の上り口の位置
但し、椚林の尾根筋から浦賀方面に向けての下り坂は、上山口〜木古庭の緩やかな上りに比べるとなかなかの急勾配です。写真は阿部倉トンネル付近まで降りてきたところで振り返ったところですが、これでも恐らく昔よりは勾配を緩やかにしている筈だと思われます。絵図ではこの坂の途中に高札があったことが示されていますが、勿論現在はその様なものは残っていません。

田園風景が残っているのはこの辺までで、この先は住宅街化が進んでいます。

次回は衣笠駅付近まで進める…と思います(汗)。



追記(2013/11/12):「歴史的農業環境閲覧システム」のリンク形式が変更されていたため、張り直しました。

(2013/11/18):レイアウトを見直しました。


スポンサーサイト
  • にほんブログ村 歴史ブログ 地方・郷土史へ
  • にほんブログ村 地域生活(街) 関東ブログ 神奈川県情報へ
  • にほんブログ村 アウトドアブログ 自然観察へ

↑「にほんブログ村」ランキングに参加中です。
ご関心のあるジャンルのリンクをどれか1つクリックしていただければ幸いです(1日1クリック分が反映します)。

blogramのブログランキング

↑ブログの内容を分析してカテゴライズするとの触れ込みでしたが…そちらはあまり期待通りになっていないですねぇ。
でも参照されている方が多い様ですので設置を継続します。

この記事へのコメント

トラックバック

URL :