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【脇往還】浦賀道:鎌倉から浦賀まで(その8:写真集…葉山元町付近→一色前田)

その7」が思ったほど先に行けず、今回から多少は先に進まないと…と思うのですが、今回分にも色々課題が多いのです…。

↓分量が多くページが重いので、一覧から見ている方はなるべく「別タブで記事を開く」をクリックして下さい。


浦賀道見取絵図:森戸明神への道
「浦賀道見取絵図」より:堀内村中心部

浦賀道(戸塚):脇町の庚申
脇町の庚申

脇町の庚申の位置
清浄寺から少し南に下った辺りに、庚申塔が8体ほどまとめて安置されていました。傍示杭に「脇町の庚申」とあります。この内の一体が三崎道と浦賀道の分岐を示す道標になっています。道標に刻まれている日付は明和9年(1772年)、「浦賀道見取絵図」が描かれた頃には既にあったことになりますが、絵図には該当する道標の存在は示されていません。

「新編相模国風土記稿」の堀内村の項には

◯往還一 鎌倉より浦賀三崎に達す 濶一間餘、此道元は村内にて兩路に分れ、海浜を過て一色村に出るを三崎道とせしが、文化十三年海岸闕崩れ、往還不便なりしより今の如く一路となれり、
(卷之百八 村里部 三浦郡卷之二 雄山閣版より)

とあり、三崎道との分岐点が移動したことがわかります。この記述は「浦賀道見取絵図」をはじめとする「五海道其外分間見取延絵図」の完成よりも10年ほど後のことになりますから、見取絵図に描かれているのはそれ以前の分岐点ということになります。

なお、風土記稿では続けて

當村立場あり、里俗是を葉山茶屋と云、

と記しています。小坪村〜下平作村間が遠路であるため、やはり中間でバテてしまった馬を替えられる様にはしていたのでしょう。

浦賀道(戸塚):葉山元町交差点
葉山元町交差点

葉山元町交差点の位置
葉山元町交差点までやって来ました。この交差点の部分だけ急に道幅が広くなり、ここで三崎方面(右手)と浦賀方面(左手)の道が別れるため、一見するとここが昔からの分岐である様に見えてしまいますが、迅速測図上ではこの手前で葉山日動美術館へと分岐する道が見えており、これが明治時代初期の三崎道の分岐だったことになります。

但し、「見取絵図」の描き方では「守殿明神(森戸明神)」へ向かう道は、森戸川の近くで分岐し、浜辺に進んでから海沿いを進んでいる様にも見え、「迅速測図」上でも現在の葉山元町交差点の付近から海岸に向かって細い道がジグザグに進んでいるので、或いは当初はこちらが三崎道への分岐路だったのかも知れません。森戸川も浦賀道に沿って流れている様に描かれている箇所があり、河道の方が変化した可能性もありますが…。
また、これらの分岐点は引き続き堀内村の域内に当たるため、上で引用した「新編相模国風土記稿」の堀内村の項の記述や、一色村(現在の葉山町一色)の項に

鎌倉より浦賀三崎に達する往還あり、村内にて兩路に岐す

と記されているのとは一致しません。一色村内での分岐は恐らく現在の国道134号線のルートに近く、大峰山(写真奥の山)を大きく迂回するルートになるため、流石に遠回りに過ぎるので改めて海沿いの道筋を復興し、その際に現在の葉山日動美術館方面の道が新たに出来たのかも知れません。少なくとも、迅速測図上では問題なく森戸明神から先、海沿いに三崎方面へ道を辿ることが出来ています。

何れにせよ、この辺りの経路は短い期間に様々に付け変わった可能性が高そうです。

浦賀道(戸塚):亀井戸橋より森戸川上流を望む
亀井戸橋より森戸川上流を望む
葉山元町交差点を過ぎると、道は東南東方面を目指す方向に変わり、相模湾を離れて三浦半島を横断し、東京湾へと向かう道筋になります。

森戸川の渡河地点に来ました。「見取絵図」では「字森戸川板橋」ですが、現在は「亀井戸橋」。名前に何か由緒があるのかと思って探してみましたが見当たりませんでした。森戸川の名前は以前武相国境を辿った際にも出てきましたが、この川筋を遡上すると田浦付近の比較的高度の高い地点へと登って行くことになります。

浦賀道(戸塚):木の下交差点
木の下交差点

木の下交差点の位置
この辺りは平野が狭く、直に山間の風景に変わっていきます。長徳寺を過ぎ、木の下交差点で前面に現れた仙元山の裾を右へと迂回します。その尾根の麓に沿って進むと、南側に森戸川の細い支流が現れます。浦賀道はこの細い支流につかず離れずの位置を、葉山町消防署付近まで緩やかに登っていきます。

浦賀道(戸塚):「左 やま屋 右 うら賀」道標
「左 やま屋 右 うら賀」道標

「左 やま屋 右 うら賀」道標の位置
図書館入口交差点からは現在は国道134号線になっていますが、山裾を伝う旧道は所々で国道から逸れて進んでいます。葉山小学校の手前には、この付近に設置されていたと言われる「左 やま屋 右 うら賀」の道標を兼ねた地蔵菩薩塔が保存されており、この道が浦賀道であったことの証左となっています。「やま屋」については委細がわかりませんでした。葉山元町方面を指していることから考えると、あるいは当地の茶店の1つの名前だったのかも知れませんが、裏付けはありません。

浦賀道(戸塚):葉山町役場入口交差点
葉山町役場入口交差点

葉山町役場入口交差点の位置
葉山町役場入口交差点の辺りが、森戸川水系と南隣の下山川水系の分水界に当たります。しかし、標高は30m程度とそれほど高度はありません。森戸川の支流はここまで開渠ですが、この交差点の付近で暗渠化してしまいます。なお、この交差点を過ぎるとかつての一色村に入ります。


一色村付近の迅速測図。この付近は現在の地形図との経度方向のズレが特に大きい
(「今昔マップ on the web」より)
この先、国道は右にカーブしながら坂を下りますが、その左隣に住宅街の中へ進む道があり、Web上の浦賀道巡りのレポートの中にはこの住宅街の中の道を進んでいるものも見掛けます。しかし、
  • 迅速測図上の表記と照合すると、この住宅街を進む道に相当すると思われるものが見当たらない。
  • 国道沿いの地形を良く観察すると、両側の土地との高低差は殆どなく、勾配の均等化や拡幅のために掘削や盛土を施した痕跡が少ない。
といった理由から、私としては現国道を文教堂書店まで下るのが当時の浦賀道の道筋であろうと考えています。

浦賀道(戸塚):夜泣き石脇の庚申塔群-1
夜泣き石脇の庚申塔群(左側)
浦賀道(戸塚):夜泣き石脇の庚申塔群-2
夜泣き石脇の庚申塔群(右側)
庚申塔群の位置
文教堂書店を曲がった先で、浦賀道は一度浅い谷を越えて(迅速測図ではこの谷を東から西へ流れる沢が描かれており、「見取絵図」でも該当する沢に板橋が掛かっているのがわかります)再び上り坂を上がりますが、再度下る途中に「夜泣き石脇の庚申塔群」と銘打たれた石碑群があります。もっとも、この日は草が深く生い茂っているために、夜泣き石が何処に安置されているのか見落としてしまったのですが。かなりの数の石碑が置かれていますが、庚申塔の他に六地蔵等が含まれています。

街道にまつわる夜泣き石伝説といえば東海道・掛川の「小夜の中山」を連想します。他にも夜泣き石が伝わる地は幾つか存在し、亡者の泣き声が聞こえるという伝説と赤ん坊の夜泣きが収まるという伝説の2種類に分けられる様です。ここの場合は後者で「寝子石」とも呼ばれ、夜泣きする子供を幾度かお参りに連れて来れば夜泣きが止む、と言い伝えられています。

浦賀道(戸塚):一色前田の庚申塔
一色前田の庚申塔

一色前田の庚申塔の位置
夜泣き石から一度県道27号線に合流した後、すぐに旧道に逸れると「一色前田の庚申塔」があります。道標があるかを確認する意味もあってこうした石碑は逐一チェックする様にしているのですが、この2箇所ではそれらに類するものは見当たりませんでした。但し、こうした石碑が多数集められていること自体、この道が古くからの道である証左であるとも言えます。

…次回は滝の坂を越えて上山口へと入ります。



追記(2013/11/12):「歴史的農業環境閲覧システム」のリンク形式が変更されていたため、張り直しました。
(2013/11/17):レイアウトを見直しました。
(2015/11/28):「歴史的農業環境閲覧システム」へのリンクのうち、一色村付近の道筋の検討に際して提示した箇所について、「今昔マップ on the web」の埋め込み地図で置き換えました。


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でも参照されている方が多い様ですので設置を継続します。

この記事へのコメント

- YUMI - 2012年12月03日 17:15:52

こんにちは。
コメントありがとうございます。
社会科の教師をしておりましたが、郷土史はそんなにくわしくありません。
神奈川はいろいろな歴史があるのですけどね。
いろいろと勉強させていただきます。

- kanageohis1964 - 2012年12月03日 17:52:56

こちらこそ、ご訪問ありがとうございます。

まぁ、郷土史と言っても地理的な面に結び付きの強いもの、特に交通史が中心になっていたりするので、その点ではかなり偏っているとも言えるのですが、私なりに整理していければいいなと考えています。

足跡から参りました - 花笠小僧 - 2012年12月03日 21:14:00

非常にわかりやすく、しかも関連している地域の重要な部分だけをピックアップして写真を用意する手法が、まるで歴史の本を読んでいるようでスルスルと頭の中に入っていきます。

郷土史のことはほんの少ししか足を踏み入れておらず、伝え方も未熟な自分なゆえ、今後とも歴史の調べ方やまとめ方のお勉強させていただきます。

- kanageohis1964 - 2012年12月03日 22:00:40

ありがとうございます。実のところ、かなりの枚数の写真をボツにしてます(汗)。気がつくと無駄に写真の点数が増えてしまうので、地図などを活用した方が良いものはそちらに置き換える様にしています。もっとも、あまり削り過ぎてもその土地に不案内な方には伝わり難いので、そこは都度試行錯誤していますね。

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