【脇往還】浦賀道:鎌倉から浦賀まで(その2:写真集…名越切通)

前回に引き続き、浦賀道の鎌倉以遠の写真を。今回は名越切通の写真をまとめて上げます。名越切通はいわゆる「鎌倉七口」の1つとして数え上げられる、鎌倉へ東から入る峠道ですが、「浦賀道見取絵図」ではここを通過する様に描かれています。今回スタートする場所はこの辺りに該当します。

浦賀道(鎌倉):名越切通への登り-1
名越切通への登り
浦賀道(鎌倉):名越切通途上の岩
名越切通途上の岩
前回の名越坂上の庚申塔や地蔵のあった辺りから、もう少し先に行くとこの様な風景に変わります。足元の階段は幅90cmほどでしょうか。両側に排水用の溝が掘ってあったり、途中岩が幾つか散乱しているのも含め、これらが江戸時代のこの道の整備状況を反映しているのかどうかは不明です。

浦賀道(鎌倉):名越切通への登り-2
名越切通へ更に登る
浦賀道(鎌倉):地下水の滲出
地下水の滲出
林冠は意外に開いていて、程々に陽が射すものの、鎌倉側の入口付近では僅かながら地下水が染み出しているのが見え、この辺では足元のぬかるむ場所がありました。周囲の植生もそれを反映して林床にシダ類が目立ちます。もっとも、大刀洗川の源流地となっている朝夷奈切通と比較すると、あちらよりも小規模な尾根であるためか、沢を形成するほどのまとまった湧出は道沿いでは見られませんでした。

浦賀道(鎌倉):名越切通途上のケヤキ
名越切通途上のケヤキ
迅速測図では切通周辺の土地利用には「松」の字が目立ち、その伝で考えると今の林は当時の景観とは異なる様です。ただ、このケヤキは幹周りや樹高等から見て、ひょっとしたら江戸時代から生えていたかも知れません。道中の目印に使えたかどうかは微妙なところですが…。

浦賀道(鎌倉):名越切通の道中の岩
名越切通の道中の岩
浦賀道(鎌倉):名越切通の壁面の岩
名越切通の壁面の岩
「名越切通」国指定史跡標の立っている辺りに来ました。一般的にはこの辺が「峠」ということになるだろうと思います。防衛の目的で交通の妨げになる様に意図的に置かれているとされている岩ですが…。他にも壁面に露出したかなり大きな岩が残っているのを見つけました。

浦賀道(鎌倉):名越切通・足元の岩肌
名越切通・足元の岩肌
浦賀道(鎌倉):名越第一切通途上の道
名越第一切通途上の道
ここから先では足元の様子がそれまでとは若干変わり、岩肌が露出した路盤が増えてきます。地質的な差の問題なのかどうかは判断できませんが、尾根筋に近いだけに崩落した土砂が溜まり難いのかも知れません。

浦賀道(鎌倉):名越第一切通
名越第一切通
「名越切通」の風景として一番知られているのが、この「第一切通」の狭くなった箇所かも知れません。ここだけ見ると、確かに要害目的で狭く造ったと見立てたくなるのは理解できます。

浦賀道(鎌倉):名越切通・第一切通の案内掲示
名越切通・第一切通の案内掲示
しかし、近年立てられた逗子市の案内によると、最近の発掘調査で江戸時代にはもっと道幅を広げていた痕跡が見つかったとのこと。詳しくは逗子市のWebにも記載されていますのでそちらを併せて見て戴くのが良いと思いますが、それによると

平成16年度、同じく第1切通部分の崩落防止工事に伴う通行路付替えに先立って、部分的な発掘調査を実施したところ、切通路のもっとも狭まった部分の幅は現在約90㎝ですが、かつては約270㎝以上あったことがわかりました。それ以外の部分についても、現在の道幅の倍以上広かったと推定されます。

以上のことから、名越切通の第一切通部分は、江戸時代の後半には現在よりも幅の広い道路でしたが、それ以降、数度の大地震等で崖が崩落して埋まり、その都度かさ上げしながら道幅を狭めつつ復旧し使われてきたものと考えられます。

確かに、この道を江戸時代後期には継立の人馬が往来し、浦賀奉行が江戸と浦賀の参勤に使ったという事実と照らして考えると、あまりにも手狭過ぎる道を江戸時代にもそのままにしていたとは考え難い面があります。無論、それだけを以って鎌倉時代はもう少し狭隘だったとする説を否定するものではありませんが、現在残っている景観をそのまま過去に当て嵌めてしまうと、思わぬ見落としがあり得ることを暗示しているのかも知れません。

再検討が必要という点では、先程の道の中央の岩についても、壁面に埋まっている岩の現状を見るにつけ、同様の調査が必要である様にも思います。

浦賀道(鎌倉):名越切通・第一切通にて-1
浦賀道(鎌倉):名越切通・第一切通にて-2
浦賀道(鎌倉):名越切通・第一切通にて-3
浦賀道(鎌倉):名越切通・第一切通にて-4
この第一切通の辺りは地層が良く観察でき、地学的な興味という点でも面白い場所だと思います。現在は枯死している切り株が岩を割って根を張っていたのが見えているのも、この地の変遷が窺える様です。

浦賀道(鎌倉):名越切通の出口
名越切通の出口
この第一切通から先は、意外なくらいに住宅街が近く、急に周囲が開けます。もっとも、下り坂の本番はまだこの先です。

今回はごく短い区間の紹介で終わってしまいました。次回は切通から降りて、田越川を渡るところまで行けると思います。



P.S. 今回の写真も数枚HDRのものが混ざっています(High Dynamic Range imaging、大きなコントラストを持つ被写体をダイナミックレンジを圧縮して撮影する手法。私の手持ちのカメラでは1回のシャッターで露出の異なる複数枚の画像を撮影して合成しています)。若干不自然さを感じさせる絵になる場合があるので、これまではその旨明記していましたが、煩わしくなってきたので今後は表記を省略します。

追記(2013/11/15):レイアウトを見直しました。


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でも参照されている方が多い様ですので設置を継続します。

この記事へのコメント

切通し - 犬山にゃん太郎 - 2012年11月18日 21:03:57

鎌倉の切通は名は聞いていても行ったことがありません、
鎌倉の観光客の人出を思うとちょっとここが鎌倉?っていう景色ですが、
ここの本来の鎌倉風景になるのでしょうか?

名越の切通しが江戸時代の方が広かったのはφ(..)メモメモ ありました^^

- kanageohis1964 - 2012年11月18日 21:21:32

コメントありがとうございます。

そうですねぇ、そういう意味で言うと「鎌倉の辺境の風景」の片鱗を窺いに行く、と考えるとしっくり来るんじゃないでしょうか。中央の都市部は数々の寺社と共に幕府の施設や商業地がひしめき合っていた訳ですが、そのすぐ外側は最高で標高150mに達する山が連なっているので、どちらに向かっても山越えのルートが必要になります。極楽寺切通の様に比較的標高の低い場所もありますが。

こういう場所は通常の観光ルートではなく、鎌倉周辺のハイキングコースに組み込まれていますので、歩きやすい靴と服装で訪れることになります。切通を通過するだけならまだ距離的には大したことはありませんが、鎌倉周辺の尾根を併せて巡る様なコースだと、標高150m近い山の中を延々と歩くことになります。まぁ、天沼への登り口が建長寺の境内にあったりしますので、その意味では両者は不可分だとも言えるのですが。

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