【脇往還】浦賀道:鎌倉から浦賀まで(その1:写真集…鎌倉→名越坂上)

さて、前回までで鎌倉・下馬に辿り着きましたので、今回からその先に向かおうと思うのですが、実のところ、ここから先が色々と疑問点の多い区間ではあるのです。

まず、鎌倉・下馬からの道筋をルートラボ上に描いたものを掲げます。迅速測図上で確認できる道筋を「浦賀道見取絵図」と照合しながら線を引いています。ある程度場所が特定できる区間は道のない場所を敢えて直線で突っ切っていますが、そこまで裏付けが取れない区間は現道を進んでいます。この辺はもう少し調査が進んだら手を入れたいと考えています。


浦賀道:鎌倉・下馬から浦賀までのルート


この区間は鎌倉時代には鎌倉から浦賀方面へ向かう道であったと同時に、更に遡って律令時代には走水から上総へと渡る古代東海道の道筋でもありました。但し、今回引いた道は飽くまでも江戸時代、特に「見取絵図」が作成された天保寛政〜文化年間の頃に使われていたと考えられる道です。特に古代東海道の道筋については木古庭などで別の道がそれと認定されていたりしますので、ここでは敢えてその時代の道筋は追っていないことに御注意下さい。更に、江戸時代の中でも道筋の付け替えがあった可能性が複数箇所で浮かんできていますが、その辺は追々取り上げていきたいと思います。

差し当たり、今回からしばらくは戸塚〜鎌倉間と同様にこの区間を歩いた際の写真を展示していきたいと思います。

浦賀道(鎌倉):延命寺橋より滑川上流を望む
延命寺橋より滑川上流を望む
下馬の辻で東へと折れると、街道はすぐに延命寺橋で滑川を渡ります。この辺りは別名「炭売川」とも呼ばれており、その名はかつて川辺に炭売の店があったことから来ています。この名に窺える通り、かつてはこの一帯が鎌倉の商業の中心地でした。すぐ上流を渡る横須賀線とは、延命寺橋の先の大町踏切で交差しています。

浦賀道(鎌倉):上行寺山門
上行寺山門
浦賀道(鎌倉):安養院
安養院
滑川を渡ると、道は緩やかに上り坂になります。道が登り切った辺りに、上行寺や安養院などの寺院が並んでいますが、左手には山裾が迫ってきています。このすぐ上が祇園山です。

浦賀道(鎌倉):県道より逆川上流を望む
県道より逆川上流を望む
県道が右へと曲がる辺りで逆川を渡ります。川が海から逸れる方角へ流れている区間があることから付いた名前ですが、この辺では北東から南西に流れており、海から遠ざかる方角ではありません。この時は県道をそのまま進んでしまいましたが、迅速測図上では県道の道筋がありませんので、恐らく安国論寺前を通る道筋が当時の道筋だろうと思います。(HDR使用)

浦賀道(鎌倉):名越踏切に差し掛かる横須賀線列車
名越踏切に差し掛かる横須賀線列車
道は一旦横須賀線の踏切を渡ります…と言うよりは、江戸時代の道が山裾沿いに南へと廻っていく所を、横須賀線が直線で突っ切ったために、踏切が2箇所出来たのですね。1つ目の踏切は「名越踏切」。既に名越切通が近付いてきていることを意識させられます。

浦賀道(鎌倉):名越坂踏切前の道
名越坂踏切前の道
浦賀道(鎌倉):日蓮乞水
日蓮乞水
名越踏切を渡って左に折れた道はしばらく逆川支流の細い流れに沿って進みますが、次の踏切に近付いた辺りで道が細くなっている箇所があります。道に突き出る様にして残っているのは鎌倉五名水の1つとされる日蓮乞水の井戸です。ということは、かつての道幅は概ねこの井戸の前の幅ほどだったということになるのでしょうか。

浦賀道(鎌倉):名越坂踏切
名越坂踏切
浦賀道(鎌倉):JR横須賀線名越トンネル
JR横須賀線名越トンネル
道は再び名越坂踏切を渡り、横須賀線の北側へと戻ります。横須賀線はこのすぐ西側で名越トンネルに差し掛かりますが、2本の単線トンネルの間が空いているため、踏切も上下線の間に空間が出来ています。こうしてトンネルの向こうが見えてしまうと、実際はそれほど長い距離を越えて行く訳ではない気がしてしまいますが、それはやはり現代の感覚なのでしょう。

浦賀道(鎌倉):名越坂踏切脇の道標
名越坂踏切脇の道標
この踏切の傍らには道標が立っています。風化が進んで判読が難しくなっていますが、江の島への道が示唆されています。何時頃立てられたものか、背面に刻まれているのかも知れませんが見つけることが出来ませんでした。

浦賀道(鎌倉):名越坂登り口
名越坂登り口
踏切から程なくして、目の前に急な坂が姿を現します。迅速測図と比較してもここは当時から直登する道筋であった様です。傍らのガイドが示す通り、ここが名越切通への入口です。

浦賀道(鎌倉):名越坂上の回廊
名越坂上の回廊
登り切った先では、現在はコンクリート板の回廊を渡って切通へ向かいます。回廊の下はコンクリートで固められているので、横須賀線のトンネルへの崩落防止工事を行った際にこの区間の道筋が失われたものと思いますが、迅速測図と比較しても基本的には斜面に取り付いて進む道に変わりはなかった様です。

浦賀道(鎌倉):名越坂上の石碑群
名越坂上の石碑群
回廊を渡り切った辺りに安置されている地蔵と庚申塔。

浦賀道(鎌倉):名越坂上から西方を望む
名越坂上から西方を望む
浦賀道(鎌倉):名越坂上より富士山を望む
名越坂上より富士山を望む
この地蔵前からの眺めはなかなか良く、鎌倉の山が重なる向こうに富士山が聳えているのが見通せます。(HDR使用)

切通周辺は写真の点数が多くなったので、明日に廻します。



追記:「浦賀道見取絵図」を見返して、日蓮乞水の井戸と、その手前で逆川が街道の南側に沿って流れる様子、更に名越坂上の庚申塔が、何れも現位置に反映されていることを確認しました。

修正:「浦賀道見取絵図」は寛政12年(1800)道中奉行に制作の命が下り、完成は文化3年(1806)でした。 記憶が混乱してうっかり「天保年間」などと書いてしまいましたが、とんでもないミスで失礼しました。

追記(2013/11/15):レイアウトを見直しました。


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この記事へのコメント

- kame-naoki - 2012年11月18日 09:25:13

こんにちわ。

道標や石造物は当時の道を復元してくれる貴重な資料だと思いました。
例えば、移築保存という古墳を現地から移動して保存する方法もありますが、景観をも含めて元の場所にあってこそ意味があるものだと改めて思いました。

- kanageohis1964 - 2012年11月18日 09:51:40

コメントありがとうございます。

そうですよね、せめて元あった場所が何らかの方法で具体的に記録されて伝えられているならまだしも、それすら十分ではなく元あった状態がわからなくなってしまっている石碑などはたくさんあると思います。今の街中に据えておくのが難しい現状があるのはわかりますが…。この先でもそういう石碑がちらほら出て来ます。

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