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でも参照されている方が多い様ですので設置を継続します。

藤沢・四ツ谷の「海鳴り」:「中空日記」より

以前、「中空日記」(文政元年、香川 景樹著)で取り上げられた生麦のツキノワグマについて記事にしました。今回は、その「中空日記」のもう少し先に進んだ辺りの記述を見てみたいと思います。

Totsuka (5765899000).jpg
歌川広重「狂歌入東海道」より「戸塚」
広重は戸塚の絵図として
大坂上の松並木の風景を繰り返し描いている
(By 歌川広重 - Flickr
The Sandiego Museum of Art collection,
パブリック・ドメイン, Link
生麦で熊を見た一行はその晩は神奈川宿で一泊し、翌日は戸塚宿を越えて藤沢宿まで進んでいます。神奈川を遅くに発ったこともあって、戸塚宿を過ぎた辺りの松並木の中で日が暮れてしまい、弟子が「あはれにもけふの命をまつかねに鳴のこりたるきりきりすかな」とキリギリスの鳴く様を詠んでいます。文政元年10月25日はグレゴリオ暦で1818年11月23日、念のため同日の月齢を計算すると24.4ですから、太陽太陰暦の日付が示す通り下弦の月も過ぎており、この日の晩はあまり明るくはなかったであろうと考えられます。藤沢宿に到着後に歌を書きつけたのかも知れませんが、道中で歌を詠んで書き留めたのだとすれば、暗い松並木の中で敢えて歩を止めて、提灯の明かりを頼りに筆を走らせたのでしょうか。

神奈川〜保土ヶ谷宿は1里9町、保土ヶ谷〜戸塚宿は2里9町、そして戸塚〜藤沢宿が2里、合計すると5里半(約22km)で、1日に10里(約40km)は進んだとされる当時の平均的な道中から考えると、この日は相当にゆっくりした道行きであったことが窺えます。歌を詠む都度歩みを止めながらの道中では、1日の行程が短くなるのも道理ではあったでしょう。

藤沢宿に到着した頃の様子は書かれていません。この紀行文では基本的に旅の途上で歌に詠んだ風景などを書いているので、宿に着いた後は体を休める方に専念していたのでしょう。翌26日の記述は次の様になっています。

廿六日、藤沢をたつ、空くもれり、しはらくきてよつやの里にやすむ

朝たちてとへはよつやとこたへけりみしかき冬の日影なるかな

海のいたくなりひゝくは、雨になるにやといへは、よねひる女ともいふ、かみ

の方にてなる時は日よりに侍り、下の方にてなるときは雨ふり侍

り、さらは今 なる声は、たゝ向ひの沖中にきこゆめり、いかゝはと皆いふ

てりくもりしくるゝ頃の海なりは中空にして定めなきかな

ひきち村をすく

かへりこん春やひきちの小松原今ひとしほの色そへてまて

(「奈良女子大学学術情報センター 江戸時代紀行文集」より)


東海道五十三次之内藤沢四ツ谷立場
歌川広重「東海道 五十三次之内」(蔦屋版東海道)中
「藤沢 四ツ谷の立場」
左端に現在も残る道標が描かれており
藤沢方面を見た構図であることがわかる
Library of Congress Prints and Photographs Division Washington, D.C. Public domain.)
四ツ谷(現:藤沢市城南、羽鳥)は東海道から柏尾通り大山道が分かれる追分で、立場や茶店で賑わう地ではありました。とは言え、藤沢宿の江戸方の見附からでも四ツ谷までは1里(約4km)もありませんので、宿を出てからそれ程の距離を歩かないうちに、早速最初の休憩をとったことになります。幕末に描かれた歌川広重の「東海道五十三次之内」(蔦屋版東海道)の「藤沢 四ツ谷の立場には、この追分に建ち並ぶ茶屋の風景が示されていますが、一行は大山道が分かれるこの追分の風景に何か感じるところがあって足を止めたのでしょうか。ここでは大山に纏わる歌は掲げられていませんが、もう少し先の「浜の郷」(現:茅ヶ崎市浜之郷)では遠方に見える大山を題に2首詠まれています。四ツ谷で詠まれた歌が「朝たちて」と始められていることと考え合わせると、四ツ谷に到着した時点ではまだ日があまり高くない時間帯であったと考えられます。

四ツ谷・引地の位置関係
四ツ谷・引地の位置関係
(「地理院地図」上で作図したものを
スクリーンキャプチャ)
もっとも、四ツ谷の立場の話に続いて「引地(ひきじ)村」(現:藤沢市鵠沼神明4丁目付近)で詠んだ歌が掲げられていますが、藤沢から京に向かう際には四ツ谷より先に引地を通過する筈ですので、ここは実際の順序とは異なってしまっていることになります。単に記憶違いによるものか、あるいは藤沢を発って四ツ谷に着いたと詠む歌の印象を強めるために意図的に順序を入れ替えたのか、その辺りの事情については「中空日記」の記述だけでは察するのは困難です。ただ、四ツ谷に着くまでにも引地で景色を愛でる歌を詠んでいる辺りからも、この区間でも相変わらず歩を速めることなく進んで来たのだろうという印象を抱かせます。事実、この日の宿泊地はわずか3里あまり先の平塚、翌日も5里に満たない距離を進んで小田原と、歩みは実にゆっくりです。


この四ツ谷の立場で、景樹は「よねひる女」、つまり「(よね)()る」、米糠を篩い分けていた茶屋の女性に、海鳴りの聞こえ方から雨が降るだろうか、と問いかけています。それに対して茶屋の女性たちが口々に説明したのは、「海鳴りが上の方から聞こえてくる時は日和が良く、低く鳴っている時は雨になるが、今日は中ぐらいの高さなので果たしてどうなるか」ということでした。


四ツ谷から海岸にかけての迅速測図(「今昔マップ on the web」より)

東海道分間延絵図:四ツ谷大山道辻付近
東海道分間延絵図:四ツ谷大山道辻付近(再掲)
街道の南側には水田が拡がっている
東海道分間延絵図:引地川右岸
東海道分間延絵図:引地川右岸(再掲)
こちらも水田の南に沼地の水田が見える

四ツ谷の立場は海岸線からは3kmほど隔たった場所にあります。今は国道1号線より南側は海岸線まで住宅などで埋め尽くされており、未利用地を見出すのは困難です。東海道筋にもマンションなどが建ち並び、街道筋から海を見通すのはまず無理です。明治初期の迅速測図によれば、四ツ谷の立場から海岸線の間には辻堂村の集落はあるものの、大半が松林と畑で占められていたことが確認できます。立場の標高はおよそ15m、緩やかな砂丘の上を進む東海道は周囲よりはやや高い位置を進み、水田が街道の南に拡がっていたとは言え、果たして当時も海を遠くに見ることはできたでしょうか。

ともあれ、四ツ谷の茶屋の女性たちの間では、その3kmほど離れた海から聞こえてくる海鳴りの「高さ」が当日の天気予報に使えると考えられていたことが窺えます。また、「中空日記」の記述の順序では先に問い掛けたのは景樹の方ですから、海鳴りの聞こえ方で天気を予測できるという考え方を、景樹も共有していたことになります。

「民家日用広益秘事大全」巻3「天気の善悪を見様」より
「民家日用廣益秘事大全」(嘉永四年 三松館主人著)
頭書の部分に「天気の善悪見様」が列記されている
全45項目中に音で天気を見たてるものは皆無
(「国立国会図書館デジタルコレクション」より)
この様な、音の他に雲や風などの自然現象、あるいはツバメや昆虫などの生物の行動を頼りに経験則に基づいた天気予報を行うことを、「観天望気」と言います。今でも「月に傘がかぶると翌日は雨」「山に笠雲がかかると雨」といった観天望気がよく使われていると思います。

こうした観天望気で多く用いられているのは、やはり雲や風、夕焼けといった上空の現象になるでしょう。それに対し、四ツ谷の茶屋の様に「音」によって天気を見たてるタイプのものは、それほど多いものではない様です。「天気予知ことわざ辞典」(大後(だいご) 美保(よしやす)著 1984年 東京堂出版)には数千件に及ぶと見られる観天望気の例が掲載されていますが、音によって気象を見たてるものは、
  • 227〜229ページ「音から雨を予知」:71件
  • 264〜265ページ「音による雨晴の予知」:7件
  • 333ページ「音による風の予知」:13件
など、全体でも100件を超えません。相模湾の観天望気をまとめた海上保安庁海の安全情報のページには、全部で118件の観天望気が集められていますが、この中に音によって気象を見たてるものは含まれていません。音を使う場合、音源からの距離や地形なども大きく影響することから、ローカルな言い伝えになる傾向が強く、その分伝わっている例が少なくなっているのでしょうか。なお、神奈川県下の観天望気についてまとめられた出版物は、図書館のリファレンス・サービスを活用して探した限りでは、該当するものが見当たらないとの回答を戴きました。

四ツ谷の茶屋の女性たちに問い掛けた景樹も、一般的に天気の見立てを聞こえて来る音によって行えることは知っていたものの、地域によって見立て方が違うことを念頭に置いて、この様な質問を投げ掛けたのかも知れません。

四ツ谷の茶屋で言い伝えられていたこの観天望気を、現代の科学で裏付けるとしたら、どういう説明になるのでしょうか。音の伝わり方と気温の関係については、次の様な解説が良くなされます。

風も雲も無い冬の夜に、遠くの電車などの音が良く聞こえることがあります。夜は静かなので当たり前といえば当たり前なのですが、もう一つの原因として音の屈折があります。

昼間は太陽光によって地表が温められ、上空にいくほど温度が低くなります。夜になったときに風も雲も無い場合は放射冷却が起こり、地表が冷やされ、上空の空気の方が暖かくなります。暖かい空気層と寒い空気層が逆転します。(このような層を接地逆転層というらしいです)。

このため、暖かい空気中の音速の方が速いので、夜はうまい具合に屈折して遠くまで音が届きます。

(「わかりやすい高校物理の部屋」より)


瀬戸内の観天望気をまとめた第六管区海上保安本部海洋情報部のページでも、次の様に解説がなされています。

○川音が高く人声が近いと雨。<音の速さは暖かい空気の方が冷たい空気より速い。晴れた日の空気の温度は地上に近いほど暖かく、上に昇るほど冷たくなっており、音を出すと音はまっすぐ飛ばないで冷たい温度の方へ曲がって逃げる。曇りの日のように地上付近と上空の温度差が少ないときは上空に逃げず遠くまで届きやすい。)

(「観天望気(天気のことわざ)」より)


また、音の速度は湿度が上がった場合も若干ですが速くなります(参考:リンク先PDFの17ページ)。従って、湿度の異なる空気が隣接している場合にも、同様に屈折を起こす可能性があり、これも遠方での音の聞こえ方に若干ながら影響を及ぼすことになるでしょう。

ただ、音が聞こえるか否かではなく、聞こえて来る「高さ」を問題とする四ツ谷の観天望気の場合、この現象を「音の屈折」の様な現象によって科学的に説明し切るのは、かなり難しそうです。特に晴天時には高高度からの音が底高度からの音より大きくなる現象をどう説明すれば辻褄が合いそうか、調べた範囲では適切な解説を思い付きませんでした。「天気予知ことわざ辞典」に掲載されている音による観天望気でも、音の聞こえて来る高さが問題とされているものはなく、音の聞こえて来る方角が変わるものが比較的近いと言えますが、そのメカニズムについて解説されているものはありませんでした。


現在の四ツ谷の大山道標(ストリートビュー・再掲)
この観天望気が有効なのか、現地で確認してみたいところですが、今となっては、引っ切りなしに往来する自動車をはじめ、各種の騒音にマスクされて、3km先の海岸の海鳴りを四ツ谷交差点付近で聞き取るのは、殆ど不可能になっています。付近にお住まいの方であれば、深夜に車の流れが途切れ、周囲が静寂になる時間帯に遠方の海鳴りを聞くことが出来るのかも知れません。そうでなければ、四ツ谷の追分に残る大山道道標を兼ねた不知火像の前で、かつてこの付近の茶屋で遠方の海鳴りに耳を傾けながら当日の天気を相談しあったことに、思いを馳せるのが精々というところでしょう。

ところで、景樹はここで「中空にして定めなきかな」と詠んでいますが、奈良女子大の解題(レポート)では、「中空日記」という題との関係について、次の様に解説しています。

 ところで、この『中空日記』という作品を何度か繰り返して読んでいるうちに、ある一つの疑問がふくらんできた。――「中空」という語に景樹が込めた心情は何だったのか。

このタイトルが示すところのものは、何なのか、ということである。この日記のなかには「中空にして定めなきかな」と歌に詠んでいる箇所と、「夢路は中空にそたとるへき」と綴られた箇所の二回きりしか「中空」という語は出てこない。

 景樹よりも前の時代の先人たちは、和歌の中でどのように「中空」という語を使っているのか、『新編 国歌大観』を開いてみた。すると、「中空」には大きく分けて二種類の使われ方があるようで、“情景をありのままに詠んでいる”場合と、“心情を歌に詠み込んでいる”場合の二つに分けられる。前者の方は、「中空」という語が単に「空」としての意味を果たし、季節(特に秋)の情景や、月について等を和歌に詠んでいる。それに対し、後者は単にそれだけではない、含みのある使われ方がなされており、「雲」や「煙」などが詠まれ、「心の日かげ」・「ものおもひ」・「むなしき夢」・「かたぶきてゆく」・「ただよひて」、そして「身は浮雲」の如く、たよりなく、はかなげ、といった具合に、辛い心情や物憂げな気持ちを「中空」という語に託している。

香川景樹の『中空日記』本文を締めくくっている、「なほ夢路は中空にそたとるへき」という一つの文句が非常に印象深いのは、酷なまでの反対勢力の景樹批判に遇い、江戸歌壇制覇の望みも叶うことなく、失意のうちに江戸を発つこととなった景樹の心情が、この文句に凝縮されているからではないだろうか。

上記サイトより)


四ツ谷で詠んだ歌の「中空」は、解題で紹介されている2通りの使われ方のうち、「情景をありのままに詠んでいる」方に近いと言えるでしょう。もっとも、この歌を「定めなき」という言葉で結んでいる辺りに、何かしら移ろいやすい心情的なものを暗に含めたいと思ったのかも知れないとも感じさせます。この日は結局天気は下り坂で、日が暮れる頃には雨が降り始めるのですが、あるいはこうした下り坂の空模様に、末尾で再び「中空」が登場する際の雰囲気を、先取りして重ね合わせて見せたのかも知れません。
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