「七湯の枝折」の一輪草(うめばちそう)

なかなか復帰に向けて状況が改善しませんが、差し当たり書き上げたものをアップします。

「七湯の枝折」に掲載された産物の一覧から、前回は「米つつじ」を取り上げましたが、今回は「一輪草(うめばちそう)」を取り上げます。


「七湯の枝折」産物の図2
「七湯の枝折」産物の図より:原図は彩色
右側に「一輪草(うめばちさう)」
(沢田秀三郎釈註書より・再掲)
「七湯の枝折」の産物の図では、山椒魚箱根草に続いて「一輪草(うめばちさう)」が挿画とともに紹介されています。その挿画の大きさも「山椒魚」や「箱根草」と同等のものとなっており、以降の産物についてはもっと小振りな挿画になっていることから、それだけ当時の箱根では注目されるべき草花と考えられていたことが窺い知れます。但し、この花が見られるのは「芦の湯に限り生す」と、箱根七湯の中で最も標高の高い(標高850m前後)場所に位置する芦之湯のみであることが記されています。

もっとも、「近世是を押花にして或ハ扇にすき入れ又ハ婦女の衣のもよう等に染るに甚タしほらしくやさしきもの也」と記していることからは、この花が箱根だけではなく、他の地域でも賞翫されていたことが窺えます。以下で引用する「大和本草」の記述も、そのことを裏付けています。

Anemone nikoensis 5.JPG
イチリンソウの花
(By Qwert1234 - Qwert1234's file,
CC 表示-継承 3.0, via Wikimedia Commons
Umebachisou.JPG
ウメバチソウの花
GFDL, via Wikipedia

ただ、気になるのはその表題に「一輪草」という表記と「又梅草梅花草ともいふ」あるいは「うめばちそう」という表記が共に記されていることです。確かに「イチリンソウ」と「ウメバチソウ」の花は御覧の通り大変良く似ていますが、現在ではこれらは別の種の植物であり、更には植物分類上も別の科に属していることが知られています。従って、「七湯の枝折」のこの表記を、現在「イチリンソウ」あるいは「ウメバチソウ」として知られている植物と、どの様に関連付けて解すべきかが課題と言えます。


そこでまず、「神奈川県植物誌2001」(神奈川県植物誌調査会編 2001年 神奈川県立生命の星・地球博物館刊)から「ウメバチソウ」と「イチリンソウ」の記述を抜き書きしてみます。

  • ウメバチソウ Parnassia palustris L. var. mulutiseta Ledeb.(上記書798ページより)

    花茎は高さ10〜15cm、葉は円い心形で円頭、花は9〜11月、白色、仮雄しべは15〜22裂する。北海道、本州、四国、九州、東北アジアに分布、県内では丹沢、箱根の草原や湿地に生える。かつては丘陵地にも生えていたようで、古い標本では、川崎市多摩区登戸(1951.8.26 大場達之 KPM-NA0020550)、青葉区鉄町(1953.9.27 出口長男 KPM-NA0081124)、横須賀市須軽谷(1966.10.7 小板橋八千代 YCM10406)がある。また1984年に横浜市港南区舞岡町の谷戸(標高70m)で生育地が確認された(田中徳久 1911 FK(30): 301)。中山周平(1998 柿生 里山今昔 朝日新聞社)は1946年10月に川崎市の柿生(片平の中提谷戸)で写真撮影やスケッチをしたが、そこは1996年に学校建設により消滅したと記している。「神植目33、神植誌58、宮代目録」では低地の生育地に横浜や大船をあげている。県内の低地に分布していたものは絶滅したものが多く、「神奈川RDB」では減少種とされた。

  • イチリンソウ Anemone nikoensis Maxim.(上記書698ページより)

    根茎は横にはい、所々少し肥厚する。根生葉は長柄があり、1〜2回3出複葉、小葉は長さ2〜5cm、根生葉を出さない根茎の先に花茎を立てる。総苞葉は有柄で1回3出する。花茎は20〜30cm、花は1個、萼片は5個、早春に現われ、初夏には枯れる早春季植物。本州、四国、九州に分布、林縁や林床に生える。県内では丹沢、箱根、三浦半島を除く地域では広く分布するが少ない。


ウメバチソウ、イチリンソウの分布図はそれぞれの記述の次のページに掲載されています。これらを見ると、ウメバチソウの場合は箱根・丹沢・三浦半島に分布を示す記号が付けられているのに対して、イチリンソウの場合は丹沢・箱根には分布を示す記号が付けられていません。こうした現在の分布からは、箱根で見られるのは「ウメバチソウ」の方であって「イチリンソウ」ではない可能性が高くなります。

箱根町のサイトでも「ウメバチソウ」は紹介されていても「イチリンソウ」は紹介されていません。その他、箱根の植物をまとめた幾つかの書物でも、「ウメバチソウ」は掲載されていても「イチリンソウ」が掲載されているものは探した範囲では見当たりませんでした。江戸時代まで遡った時には「イチリンソウ」が生息していた可能性を完全には排除できませんが、これらの地域に過去にイチリンソウが生息していたことを裏付ける史料は今のところ見当たらないので、「七湯の枝折」の「一輪草(うめばちそう)」は「ウメバチソウ」の方を指している可能性の方が高いと考えておくのが妥当でしょう。

そうなると、江戸時代には「ウメバチソウ」や「イチリンソウ」はどの様に認識されていたのか、「七湯の枝折」上でだけ混用されていて、当時の人たちにもこれらが別の植物であったことが良く知られていたのか、それとも当時の人々には両者の違いがあまり理解されていなかったのかが疑問点として浮かんできます。この点を考えるのは容易ではありませんが、差し当たって幾つかの本草学の文献に当たってみることにしました。

まず、「大和本草」にはこの2つの植物についてそれぞれ次の様に記されています。磯野直秀氏によれば(リンク先PDF)、この「大和本草」が「うめばちそう」について記された初出ということになる様です。
  • 梅バチ(卷七)

    小草にて花白し好花なり盆にうへて雅玩とすへし花のかたち衣服の紋につくるむめばちのことし叡山如意カ嶽にあり攝州有馬湯山に多し俗あやまりてこれを落花生と云落花生は別物なり

  • ()(卷七)

    葉はツタに似て莖の長二寸はかり冬小寒に始て葉を生じ立春の朝花忽ひらく一莖に一花ひらく花形白梅に似たり夏は枯る他地に植ふれは花の時ちがふ

(何れも「国立国会図書館デジタルコレクション」より、種名・地名を除いてカタカナをひらがなに置き換え)


ここでは「一花草(いちげそう)」という名称になっていますが、その解説の内容から見て現在のイチリンソウを指すと見て良さそうです。どちらも梅に似た白い花をつけるものの、花期が異なることを記しています。「梅バチ」は比叡山や有馬温泉に多いとしていますが、関東の分布について触れられていないのは著者の貝原益軒が基本的には西で活躍した本草学者だったからかも知れません。

注目されるのは、どちらもその欄外に「和品」と記されていることです。実際はウメバチソウは日本以外でも北半球に広く分布していますから、必ずしも日本の固有種ではない筈なのですが、益軒としては漢籍にこの植物に該当する記述を見つけられなかったということになるでしょうか。他方のイチリンソウの方は本州・四国・九州に分布しており、こちらは日本の固有種です。

一方、「和漢三才図会」には「梅鉢草」の項があり、そこには次の様に記されています。

梅鉢草(むめばちさう)

俗稱(  )本稱未詳

今以梅花衣服之文ンテ梅鉢故名

△按梅鉢草四五寸葉略團厚少シテ而靑色帶ミヲ三月開白花單葉ニシテタリ梅花風樓草夏雪草梅鉢草一輪草之花皆似タリ一輪草葉似風樓草葉三月開單白花

(「国立国会図書館デジタルコレクション」より)


ここでは「一輪草」と花が良く似ていることが記されています。言い換えれば、著者の寺島良安も「梅鉢草」と「一輪草」が別の植物であることを認識していたことになります。しかし「和漢三才図会」にはこの「一輪草」に該当する項目がありません。「一輪草」については「梅鉢草」の項目の末尾に簡略に示されているのみということになります。そして、「本称未詳」と記されているということは、「和漢三才図会」が手本とした「三才図会」は勿論、それ以外の漢籍、つまり中国の文献に該当するものを見出せずにいたことを示しています。

これら2つの書物の記述からは、江戸時代初期には既に「うめばちそう」と「いちりんそう」が、それぞれ秋と春に花をつける別の植物であることを識別していたことが窺えます。但し、「うめばちそう」が漢籍に該当するものがない、あるいは該当するものが見つからないでいるという見解をもっていたことになります。「七湯の枝折」でも「但し秋草にて仲秋の比をさかりとす」と記しており、その特徴からはやはり「うめばちそう」と呼ぶべき植物であったことになります。

これらに対し、「大和本草」や「和漢三才図会」よりは時代が下る「本草綱目啓蒙」では、ウメバチソウに該当しそうな項目を見出すことが出来ません。イチリンソウに該当しそうな項目としては、訓に「大和本草」でも取り上げられた「いちげそう」を含んでいる次の項目を挙げることになります。実際、イチリンソウが「本草綱目啓蒙」に掲載されているとしている植物図鑑のサイトも存在しています。

佛甲草

總名マン子ングサ ツルレンゲ イツマデグサ ステグサ丹波 イハマキ同上 ノビキヤシ雄泉州/雌大和本草 子ナシグサ雄大和本草/雌勢州 ハマヽツ雄紀州播州/雌豫州 イミリグサ雄豊後/雌豊前

雄名イチゲサウ大和本草 テンジンノステグサ藝州 ステグサ紀州 シテグサ豫州 ツミキリグサ筑前 チリチリ南部 タカノツメ勢州龜山 ホットケグサ同上山田 ホトケグサ同上内宮 子ナシカズラ和州 江戸コンゴウ防州 ミヅクサ阿州 セン子ンサウ讚州 ヒガンサウ泉州 マムシグサ伯州 イハノボリ同上 ナゲグサ越後 マツガ子江州彦根 カラクサ同上守山

雌名イチクサ三才圖會 マンネンサウ同上 コマノツメ勢州 イチリクサ津輕 フヱクサ秋田 コヾメグサ防州

路旁陰處林下水側に多く生す雄なる者は苗高さ六七寸叢生す葉細くして厚く末尖り長さ八九分黃緑色三葉ごとに相對す莖を切り捨て枯れす自ら根を生す四五月梢に花を開く五瓣黄色大さ三分許多く枝に盈て美し苗は冬を經て枯れず

(後略)

(「国立国会図書館デジタルコレクション」より、種命以外のカタカナをひらがなに置き換え、書き込みは原則省略、強調はブログ主)


もっとも、この「仏甲草」については中国語では「マンネングサ」を指すことになる様なので、小野蘭山がこの項に日本国内で見られる、そして「大和本草」が指摘する「いちげさう」を宛てた点については少なからず疑問の余地があります。その様なこともあってか、イチリンソウを「仏甲草」と表記した例は今のところ他に見出すことが出来ません。実際、黄色の花が咲くとしている点もイチリンソウの特徴とは合っていません。また、雄花と雌花がある様にまとめているなど、この項目での「いちげさう」以外の日本国内各地の和名のまとめ方についても、果たしてこの通りに解して良いかは検証が必要と思います。

「畫本野山草」より「一里ん草」
橘保國「畫本野山草」より「一里ん草」(右)
次のページに解説があり
「梅花草」と似ていることが記されている
但し「梅花草」は「畫本野山草」には採録されず
(「国立国会図書館デジタルコレクション」より)
因みに、江戸時代初期の花譜である「花壇地錦抄」(伊藤伊兵衛(三之丞) 元禄8年・1695年)には、「うめばちそう」と思われる項目は掲載されていないものの「いちりんそう」については

一りん草 花しろし小草なり一本ニ一りんつゝ花咲

(「国立国会図書館デジタルコレクション」より、合略仮名は仮名に展開)

と記されており、「大和本草」の記述ともども江戸時代初期にはその存在が知られていたことがわかります。

こうして見て行くと、江戸時代には「うめばちそう」と「いちりんそう」を、花期の違いで識別するだけの知見が存在していた可能性の方が高そうです。とすると、「七湯の枝折」の「一輪草(うめばちさう)」という表記の混乱は、箱根山中での呼称一般に生じていたものが反映し、それを後で訂正したものか、あるいは「七湯の枝折」上でのみ表記を取り違えたことになりそうです。ただ、実際はそのどちらであったのかは、まだ明らかではありません。箱根について、特に芦之湯について書き記された他の史料に、この植物が登場する例があるかどうかを探す必要があり、今後の課題ということになります。

箱根七湯志より梅草
「箱根七湯志」より「梅草一名一輪草」の図
(「国立国会図書館デジタルコレクション」より
コントラスト強調)
なお、幕末の「箱根七湯志」(間宮永好著)には「うめばちそう」について

梅草一名は一輪草ともいへり莖一つに花一つなり形花梅花のごとし

(「国立国会図書館デジタルコレクション」より、カタカナをひらがなに置き換え)

と記した上でうめばちそうの線画を載せています。しかし、この線画は「七湯の枝折」の挿画と良く似ており、恐らく「七湯の枝折」を参照して筆写したものと考えられます。線画周囲の空白の大きさからは、永好自身がウメバチソウを見ていれば何らかの追記が試みられたのではないかとも思われるものの、彼自身がこの花を見ることは叶わなかったのかも知れません。

「ウメバチソウ」については現在は神奈川県の2006年版レッドデータブック上で絶滅危惧ⅠB類に指定されています。県内で見掛けるのはますます難しい花になりつつあるのは確かな様です。

ウメバチソウ Parnassia palustris L. var. mulutiseta Ledeb. (ユキノシタ科)

県カテゴリー:絶滅危惧ⅠB類(旧判定:減少種 V-H)

判定理由:神植誌88および2001の調査では14地域メッシュで採集された。このうち11地域メッシュからは1995年以後の確認がない。地域メッシュ単位で79%の減少と考えられる。定量的要件Aより絶滅危惧ⅠB類と判定される。

生育環境と生育型:湿地や湿った草地に生える多年草

生育地の現状:不明

存続を脅かす要因:自然遷移、草地開発

保護の現状:県西のものは国立公園、国定公園、県立自然公園内

県内分布:(横浜市青葉区、相模原市緑区、箱根町、秦野市、南足柄市、川崎市多摩区、山北町、横須賀市、湯河原町)

国内分布:北海道、本州、四国、九州

(上記書103ページより、県内分布については地域を示す記号を市町名に置き換え)

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でも参照されている方が多い様ですので設置を継続します。

この記事へのコメント

- かんみ - 2016年08月09日 09:01:11

こちらの記事から初めてブログを訪れ、興味深く拝見致しました。
長文で失礼しますが、気になった点を調べましたので少しでも何かの参考になればと思い、書き込みます。
まずは御身の体調第一で、のんびり読んで頂ければと思います。


梅鉢草と一輪草とでは葉の形状が全く異なりますので、「七湯の枝折」に描かれているのは、ハートの葉の形状からいっても梅鉢草だろうと考えます。
『和漢三才図会』「梅鉢草」の項の絵は葉が梅鉢草とは明らかに異なり、「三月開白花」というのも梅鉢草の花期と一致していません。
梅鉢草とよく似た花として一輪草という異なる草花があることは認識していても、両者の明確な違いを把握していたかは疑問が残る記載内容です。梅鉢草の記述としては正確性に欠けるとも言えるでしょう。


一輪草を一花草(イチゲソウ)とも言ったことは、『本草図譜』(1828年~)の巻14「いちりんさう」の項、『草木図説前編』(1856年)の巻10 にも「一リンサウ 一花サウ 雙瓶梅」と確認できます。
『物品識名』(1809年跋)「イチゲサウ」に漢名雙瓶梅とも。
また同書に「ムメバチサウ アキムメハチ ノムメ飛州」とあるのは梅鉢草と推測されます。

国立国会デジタルコレクション資料URLです。
本草図譜. 14 (濕草類5 55種)
ttp://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/926379/23

草木図説前編 20巻. [10]
ttp://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2558244/36

物品識名 イチゲサウ
ttp://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2557535/8

物品識名 ムメバチサウ
ttp://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2557535/90

『本草図譜』には一輪草の隣に節分草の項があり、よく見られる場所として相州筥根を挙げていますが、もちろん節分草は梅鉢草とは異なる植物です。


「一輪草図(うめばちそう)」と、全く異なる植物名も並べて表記している件ですが、沢田秀三郎氏の「七湯の枝折」釈註に従って「(うめばちそう)」を「後人の補筆」とするならば、元は何故一輪草とだけ表記されていたのかというアプローチも有効かと思います。

「七湯の枝折」諸本の本文異同を見てゆけば、沢田氏が「後人の補筆」と注された根拠が見えてくるのではないでしょうか。
沢田氏が釈註を付したのはつたや(蔦屋)本「七湯の枝折」で、つたや本の底本は無窮会神習本とされているようですから、この書写段階で補筆されたものか、あるいはつたや本に明らかな書き込みがされていたということかと推測しますけれども。

長々と失礼致しました。
身を焼くばかりの酷暑が続いております。どうかご自愛下さいませ。

Re: かんみ さま - kanageohis1964 - 2016年08月11日 10:09:35

私の記事を仔細に読み込んでいただき、また長文のコメントを頂戴して誠にありがとうございます。

「和漢三才図会」の記述に精度を欠く部分があるという点については確かにその通りと思います。当時の代表的な事典ではありますが、江戸時代当時の「ウメバチソウ」や「イチリンソウ」についての一般的な理解の度合いのサンプルとして、これが相応しいかどうかは更に他の史料を探す必要がありますね。

「国立国会図書館デジタルコレクション」のリンクを提示いただいたうち、「本草図譜」は基本的には「本草綱目啓蒙」の植物についての記述に沿って絵図を描いているのですが、これらが「菟葵 ふくべら」の一種とされている点は「本草綱目啓蒙」にはない部分ですし、「本草綱目啓蒙」で挙げられた和名の中に「せつぶんさう」もありませんので、この辺りは著者の岩崎常正も小野蘭山のこの箇所の指摘には疑問を感じていたということになるのかも知れません。

他方、「七湯の枝折」についてはかなりの筆写本が現存しています。それらについては箱根町郷土資料館が「七湯の枝折」の企画展を実施した際の図録(2004年)にてその系統を整理した論文が載っています。それらの中で見られる後代の補筆についても、出来ればそれらの各筆写本で筆跡も含めて異同を確認すべきなのでしょう。ただ、沢田秀三郎釈註の「後記」は「又梅草梅花草ともいふ」の記述を指している様ではありませんし、掲載された画像を見る限りではこの部分は「一輪草」と記した際に同時に書き込まれている様に見えます。その点では「七湯の枝折」の成立時か(この場合は著者自ら)、その後の比較的早い段階で(こちらならば筆写本の製作者が)、「一輪草」が実際は「梅草梅花草」と呼ばれるべき草であることに気付いていたのではないかと思います。

- かんみ - 2016年08月13日 00:21:46

丁寧なご返信を頂き、誠にありがとうございます。
「七湯の枝折」は成立当初、もしくはかなり早い段階から一輪草と梅花草を併記していた可能性が高いということですね。

『本草図譜』が「菟葵」の一種としてふくべらや節分草、一輪草を挙げている件は不思議に思い、実はこれについても調べていたのですが更に長くなる上、本筋とは別の問題も関わってくる為あえて省いていました。
ですがご返信を見て、多少はお役に立つかなと思いましたのでその件について書き込み致します。度重なる長文で失礼致しますが、のんびりゆっくりご覧頂ければ幸いです。

詳しくは後述しますが結論から申し上げると、『本草綱目啓蒙』は「菟葵」とされる植物の一つに「和名セツブンサウ」を挙げ、筑前ではその一名を一花草と言うことも記載しており、『本草図譜』「菟葵」の項も全てではないものの、少なからず『本草綱目啓蒙』を踏まえた内容になっています。

まず『本草図譜』の表記、ないしは分類の仕方には漢名「菟葵」が日本で言う何の植物に当たるのか、という問題が関わってきます。「菟葵」について古くは『本草和名』草に「菟葵 一名※草冠に希(中略) 和名 以倍仁禮」、『倭名類聚抄』野菜「兎葵 本草云兎葵 和名 以倍仁禮 味甘寒無毒者也」と和名イエニレとあるものの、それが一体何の植物かは長らく明らかではなく、本草学の盛んになった江戸時代に入って様々な見解が出されています。

『和漢三才図会』はフタバアオイ、『物品識名』、『草木図説前編』は『本草綱目』の草五、隰草類下「菟葵」で挙げられている蘇恭説から節分草とし、『本草綱目啓蒙』は『本草綱目』の「莵葵」で述べられているのは一種ではなく三種に別れていると、それぞれの説を紹介します。
『本草綱目啓蒙』は蘇恭説が説くものは節分草としつつも、「莵葵」がどれとも断定せず、あくまでそれぞれの説に当たるだろう植物を挙げるに留める立場です。※『大和本草』に「莵葵」記載なし。

本草綱目 莵葵
ttp://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1287094/22

和漢三才図会 莵葵
ttp://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/898162/669

物品識名 セツブンサウ
ttp://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2557536/99

草木図説前編 莵葵
ttp://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2558244/39

本草綱目啓蒙 莵葵
ttp://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2555452/19

そして『本草図譜』では「以上三種 蘇恭説くところのもの是なり」と、『本草綱目』「莵葵」に挙げられている蘇恭説が指すものとして、ふくべら(二輪草)、八重咲きのふくべら、節分草を挙げ、更に「莵葵」の他の説に当たるものとして一輪草(一花草)、ギンセンカ(※しかし描かれているのはキクザキイチゲ(菊咲き一花)と思われます。)などを挙げています。

つまり『本草図譜』は『本草綱目啓蒙』のように、『本草綱目』「莵葵」のそれぞれの説に当たる植物を挙げる立場を取り、蘇恭説=節分草、宗奭説=ギンセンカといった『本草綱目啓蒙』の見解も踏まえつつも、異なる新たな見解も加えているといったところかと。

本草図譜 莵葵
ttp://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/926379/22


そこで問題なのが、『本草綱目啓蒙』が「菟葵」の蘇恭説が説くものに「和名セツブンサウ」を挙げ、筑前ではその一名を一花草と言うと記載したことです。これは記事にも挙がっている『大和本草』巻七、「一花草 葉はツタに似て莖の長二寸はかり冬小寒に始て葉を生じ立春の朝花忽ひらく一莖に一花ひらく花形白梅に似たり夏は枯る他地に植ふれは花の時ちがふ」を、「筑前」とあることから『本草綱目啓蒙』が節分草の事を指すと【誤解】したことに因ると考えられます。『大和本草』では「葉はツタに似て」とあり、やはりこれは一輪草を指すと考えられますが、それ以外の特徴は節分草と非常によく似通います。

後代の『梅園草木花譜』は「菟葵」に「一リンサウ」の訓を付し、一輪草(一花草)の別称は節分草であるといった混同が見られ、どうもその原因は『本草綱目啓蒙』の記述ではないかと私は見ています。『梅園草木花譜』では「菟葵」の表記で以下の三種を載せます。

梅園草木花譜春之部.3
ttp://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1287282/48

梅園草木花譜夏之部. 5
ttp://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1287287/13
→描かれているのはニ輪草(ふくべら)。『本草図譜』にも記載有。

梅園草木花譜春之部. 4
ttp://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1287283/5
→『本草綱目』の「菟葵」、和名イエニレを『梅園草木花譜』では節分草のこととし、また『異名抄』の「一リンサウ 節分草 一花草」を引いています。(※『異名抄』というのはおそらく『異名分類抄』の事を指すかと推測しますが、本文未確認。)しかしイエニレとして描かれているのは、葉の付き方からして節分草ではなく、キクザキイチゲの方が近いと推察されます。


飯室庄左衛門(1789-1858か)の手になる『草花説』は記文が欠けているため該当箇所の詳しい解釈が分かりませんが、解題によると『本草綱目』が参考にされているようです。「莵葵」の表記で八重咲き一輪草、節分草(※描かれているのは葉の付き方、地下茎からキクザキイチゲ)、一輪草が描かれています。

草花説. 第2冊 巻8湿草類 菟葵
ttp://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1286784/3


『本草綱目啓蒙』以前の資料としては、『畫本野山草』は一輪草を指して「菟葵」としていますね。さらに異称に「夏雪草」を挙げ、その大ぶりなものを「一花草」としているのが注目されます。『隨観写真』にも一輪草に一名夏雪草、漢名莵葵とも書かれているのですが(※東京国立博物館 博物図譜データベース参照)、夏雪草は『物品識名』、『本草図説』などによるとキョウガノコを指します。

夏雪草が一輪草の異称というのは今の所他に記載が見当たらず、『隨観写真』の一輪草図は『畫本野山草』の絵をそっくりそのまま写しているので、名前の記載もこれに拠っていると考えられます。『畫本野山草』が異称として「夏雪草」を挙げているのは典拠不明。ひょっとしたら『和漢三才図会』にある「夏雪草」を一輪草とみなしたのかもしれません。

畫本野山草
ttp://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2557217/12


一輪草(一花草)の名称については、『本草綱目』で「莵葵」の説が別れている為に一輪草が「莵葵」に挙げられる場合があること、『本草綱目啓蒙』以降節分草との混同が見られる場合があることは、注意した方が良いように思います。

最後に、「莵葵」和名イエニレは少なくとも節分草ではないと断言できます。(※『新牧野日本植物図鑑』も「莵葵」を節分草とするのは誤用とする。)
節分草は元は日本原産で中国には存在しない植物ですから、蘇恭が知るはずはありません。また『倭名類聚抄』に「味甘寒無毒者也」とあり、食用としていたことは明らかですが、節分草には毒があり食用に向きません。

ここまで長々とお付き合い頂き、ありがとうございます。ブログの丁寧に調査されるご姿勢に、私も良い刺激を受けています。返信はどうか気にせず、何卒体調を第一になさって下さいませ。

Re: かんみ さま - kanageohis1964 - 2016年08月20日 09:14:09

お返事遅くなりましたが、再び仔細な情報をありがとうございました。

やはりこの辺りの文献相互の「摺り合わせ」は一筋縄ではないものが多いですね。こうした背景を踏まえながら、出来れば箱根の「一輪草(ウメバチソウ)」が登場する紀行文などの記録が見出せれば、当時の箱根の湯治場で湯治客がどの様な時間を過ごしたかを明らかにする上で、更に厚みを持たせられるのではないかと考えてはいるのですが…。

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