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【史料集】「新編相模国風土記稿」高座郡各村の街道の記述(その1)

「新編相模国風土記稿」の各村の街道の記述をまとめる作業は大住郡の途上で頓挫してしまっています。あまりにも錯綜していて記述相互が上手く繋がらず、整理し切れずにいるからですが、もう少し他の資料を参照したりして検討しないと手が付けられないと判断しました。そこで、大住郡については後回しにして他の郡から先に手掛けることにして、今回は高座郡の分を作成することにしました。

基本的な編集方針はこれまで作成してきた分と共通です。但し、今回は「小名」をなるべく省略しない方向にしました。藤澤宿などに宿の横町に関する小名があるなど、何処までを「街道筋」を限定するか曖昧な部分があると感じたため、多少なりとも街道に面している地域の小名が含まれていると判断した場合は、小名全体の記述を書き添えておく方針としたことによるものです。

今回は東海道と田村通り大山道を取り上げます。藤沢宿は高座郡の大久保町・坂戸町と鎌倉郡の大鋸町と、2つの郡に跨る変則的な構成になっていましたが、宿場に関する記述は基本的に高座郡側で記述されていることが鎌倉郡大鋸町の項に記されています。なお、今回も宿場の継立に関する記述は以前まとめた記事に譲り、ここではそれ以外の記述のみを拾っています。「御殿蹟」については「風土記稿」をまとめた当時には役目を終えていましたが、将軍の宿泊施設として使用されていた経緯を考えて由緒に関する引用を省いた上で収録しました。「陣屋蹟」もその関連施設という位置付けで採録しています。

基本的には高座郡図説の記述に従い、東から西へ進んだ際に沿道に現れる順に並べています。但し、この区間は街道を挟んで南北に対峙している村が多く、また村域が入り組んでいる箇所もあることから、以下の図ではその点が十分に表現し切れていない嫌いがあります。飽くまでも目安としてお考え下さい。


東海道:高座郡中の各村の位置
東海道:高座郡中の各村の位置
(「地理院地図」上で作図したものをスクリーンキャプチャ、「明治期の低湿地」を合成)


高座郡図説では大山道は2種類記述されており、その1つ目が「田村通り大山道」に該当します。辻堂村の字四谷で東海道から分かれ、一之宮に入る手前の中瀬村で中原道と合流して田村の渡しを渡ります。こちらは特に記述が簡略な村が大半を占め、一部の村については記述が全く見られませんが、その点については適宜注を補いました。


田村通り大山道:高座郡中の各村の位置
田村通り大山道:高座郡中の各村の位置
(「地理院地図」上で作図したものをスクリーンキャプチャ、「明治期の低湿地」を合成)



街道「風土記稿」の説明
東海道藤澤宿六十(二)郡の艮方にて鎌倉郡に跨れり、當郡大久保町坂戸町及鎌倉郡大鋸町を合て一宿とし、藤澤宿と唱ふ、故に今此條に載る所は一宿に係る事のみにて一町に限れる事は各町の條下に出す大鋸町は鎌倉郡部に載す、此宿東海道五十三驛の内、江戸より第五の驛郵にて行程十二里を隔つ、…民戸八百七十八數内本陣坂戸町に一戸脇本陣同所に一戸、大久保町に一戸、旅舍大十三中二十三小十五戸あり、東海道往還宿内に係る事屈曲して三十餘町に及べり往還中民戸連住する所十二町十七間、道幅三間或は五間に至る
○大久保町於保玖保萬知 宿内三箇町の一なり、…每年十二月廿六日市あり、
○小名 御藏前此所に鄕藏二箇所あり △陣屋小路 △木部屋 △中久保 △下久保 △堂坂 △庚申堂 △茅場入 △内出
○境川 鎌倉郡と當所の界を流る幅十二間橋あり大鋸橋と呼長十二間此より鎌倉郡宿内大鋸町へ達す、
○御殿蹟 往還より一町許北にあり五段九畝歩、大猷院殿御上洛の時、御旅舘を建られし所と云ふ按ずるに、【駿府記】に……正保改定の國圖にも此御旅舘を載たり、其後廢せられし年代詳ならず、天和二年陸田を開き、國領半兵衛重治檢地して高入とす、今も堀蹟及松榎などの並木四方に繞れり、大手は南に向、裏御門は東にありしと云ふ、西方に御座所蹟あり、○陣屋蹟 御殿蹟の南にあり、縣令小長谷勘左衛門が陣屋なり、貞享年中廢す
○坂戸町佐加度萬知 宿内三箇町の一なり、大久保町の西に續く、…當所にも每年十二月廿一日市あり、
○小名 △西坂戸 △東坂戸 △中ノ町 △白旗横町 △臺町 △風早 △領家町 △車田
大庭村六十(二)東海道厚木道大山道の三路係れり
○小名 △折戸東海道の立場なり △稻荷 △臺 △谷 △入 △小糸以上の六區各聚落をなせり、旣に稻荷の地は元祿圖に稻荷村と別載せり、
○引地川 艮方を流る橋三を架す、…引地橋等の名あり、
鵠沼村六十(二)東海道村の北境を通ず幅四間
○引地川 西界を流れて海に沃ぐ、東海道の係れる處に土橋を架す、引地橋と呼ぶ公より修理あり、進退は當村・羽鳥・大庭の三村なり、
羽鳥村六十(二)村の西北の界に東海道係る、
○引地川 東北隅を流る、土橋を架す、
辻堂村六十(二)西北に東海道係る當村に一里塚あり
○小名 △四谷 △二谷共に海道にあり、
小和田村六十(二)地形菱沼村と犬牙して分ち難し、故に此に合載す、…東海道幅六間村内を貫く、中間に小流あり、橋を泪橋と唱ふ鎌倉時代茅崎村に刑罪場ありしよりの遺名なりと云ふ、
○小名 △牡丹餅海道立場を云ふ、 △濱竹
菱沼村六十(二)此地小和田村と地形錯雜す、故に四隣廣袤等は彼村に括載す、…東海道村の中程を貫く、
茅ヶ崎村六十(二)東海道村内を貫く中程に一里塚あり
○小名 △南湖其地頗廣し、土俗南湖村と呼て別村の如し、 △六本松此地は鎌倉時世の刑罪場と云傳れど、地理如何あらん、 △石神朝鮮人來聘の時は此地に茶店を置を例とす、 △十間坂 △本村田 △高砂 △鳥井戸
○千ノ川 村の西北を流る是を用水とす、柳島村界より海に入る、土橋を架す
濱之鄕村六十一(三)東海道村内を貫けり、往還四望打開け、北の方富士山突兀として雲際に秀で、雨降・箱根の二山其左右に聳ゆ、遠くは伊豆の山々、箱根に連り、近くは高麗山寺山宛然として眺望尤佳なり、
○千ノ川 東南界を流る、土橋を架す、
下町屋村六十(二)東海道係れり、
○赤(ママ)川 西方を流る板橋を架す長十一間横二間半町屋橋と呼ぶ

※「赤池川」の誤記と考えられる

今宿村六十一(三)東海道係れり、
○古相模川 一名筏川と云ふ、此川村内にて長五十間許の處は幅三十間あり、さながら池の如し故に古池とも稱す、東海道の係る所板橋を架す長六間半今宿橋と呼ぶ、
中島村六十一(三)東海道村内を貫り海道の傍に、狀部屋と號する所を置、官邊及尾紀二侯を初め書狀往來の時、相模川水溢に逢ば此處に止置て村民等是を守る、是當村馬入渡りの東岸にあるを以てなり、
○古相模川 東界にあり、則今宿村に云る筏川是なり、○相模川 村の西にあり、

※馬入の渡しに関する直接的な記述はない

大山道㈠ ※田村通り辻堂村六十(二)又大山道あり東海道小名四谷より分れて右折す、
大庭村六十(二)東海道厚木道大山道の三路係れり
小和田村六十(二)又大山道幅一間半係れり、
(菱沼村)六十(二)

※位置関係からは菱沼村や室田村の北辺を通過していたと考えられるが、「風土記稿」ではその点に触れられていない。

(室田村)六十(二)
赤羽根村六十(二)村南大山道幅二間餘あり、
高田村六十一(三)大山道村の北境にあり、
香川村六十一(三)大山道南境にあり、
○小出川 西界を流る、小橋二を架す大曲橋間門橋の名あり、
西久保村六十一(三)○塚二 大山路の傍にあり、

※村の北辺を通過していた筈の大山道についての記述はない。

大曲村六十二(四)大山道村の中程を貫く、
○小出川 東方を流る橋二を架す大曲橋間門橋と唱
中瀨村六十二(四)村の中程に大山道あり、
一之宮村六十二(四)大山道中原道の二條あり、村西にて合して一路となれり、共に田村に達す、當村繼場あり其道程藤澤宿へ三里、大山道なり、用田村へ一里、中原道なり、西方は共に田村へ一里を繼送れり、
○相模川 西の方郡界を流る、渡船場あり、田村の渡と云ふ大住郡田村及當村田端村三村の持なり、

※この他「○不動堂」「○梶原景時城跡」が大山道の傍にあると記されているが省略

注:

※何れも雄山閣版より

※巻数中、括弧内は高座郡中の巻数。

※街道名のリンクは地図へ。なお、別の記事に地図が掲載されている場合は別窓で開くが、この記事中に掲載されている場合は基本的に同一ウィンドウ内での移動となる。

※本文中、…は中略。殆ど同一の文章になっている場合も、それぞれの街道毎に同一文章を掲げた。

※村の配列は、「高座郡図説」で掲載された各街道の記述の順に合わせた。なお、一部順序については要検証。特に疑問点の大きいものは注を付した。

※街道中の坂、橋、一里塚等の施設は、文中にその名が現れる場合は含めた。明記がないものについても街道に関連すると思われるものは含めたが、遺漏の可能性はなしとはしない。






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この記事へのコメント

- Minnie - 2016年02月03日 00:29:59

こんばんは:-))
kanageohis1964さま♪

神奈川の歴史難しい事を記録され凄いですね、大山道は良く
わかっていませんが、いつも大山道だったという切通を車で通過します。
朽ち果てた道祖神や石の積んだ??道標があります。
海老名にはそれらしき道祖神や道標がたくさん有ります。
大山阿夫利神社は信仰のお山だったのですね。:-))

Re: Minnie さま - kanageohis1964 - 2016年02月03日 07:10:16

こんにちは。コメントありがとうございます。

江戸時代の大山道については、当時の道筋について研究されている方が比較的多くいらっしゃいますね。それらの道を歩いて大山まで詣でるという人も最近増えてきていると感じています。最後は登山になるのでタフですが、伊勢原まではそれなりに交通網が整備されていることもあって初心者でも挑戦しやすい道筋が多いと思います。

残された道標も様々ですが、不知火像を載せている様なものは明らかに大山信仰を意識していますね。

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