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「毛吹草」の相模国の産物にまつわる補足

前回の記事の中で、「毛吹草」の第4巻に記された相模国の「名物」を引用しました。そのうち、「鼠大根」について「鼠の手に似ているという」と書いている点を事実誤認と言わざるを得ないと評価しましたが、ここにはこれまでこのブログで取り上げた他の産物についても挙げられていますので、今回はそれらの産物について照合した上で補足を加えたいと思います。

「毛吹草」の該当箇所を再掲します。

相模

  • 鎌倉 柴胡(カマクラ サイコ)
  • 紅花(カウクハ)
  • (ネズミ)大根鼠ノ手ニ似リト云
  • 海老(エビ)伊勢海老ノゴトシ
  • 江島 江豚(エノシマノイルカ)
  • 小田原 海雀(ヲダハラノウミスヾメ)魚也
  • 透頂香(トウチンカウ)
  • 甲鉢(カブトバチ)
  • 十間坂(ジツケンザカ) 星下梅(ホシクダリノムメ) 日蓮宗數珠ニ用之玉ニ星一ツヽ有ト云
  • 大礒 盆山 敷石(オオイソニボンサンノシキイシ)五色ノ石有之
  • 禰布川 飛石(ネブカハノトビイシ)
  • 秦野野大根(ハダノノノダイコン)

(岩波文庫 新村出校閲・竹内若校訂版 169ページより)


著者である松江重頼は江戸時代初期の京の俳人ですが、家業は撰糸商人で、その傍ら宿も営んでいた様です。他の国の「名物」の一覧に絹織物や綿織物の名前が多いのは、あるいはそうした家業故に触れることが出来た知識だったのかも知れず、そうだとすると「三浦木綿」が取り上げられていないのもそうした商人としての目での評価であった可能性もありそうです。

正保2年(1645年)に刊行された「毛吹草」は江戸時代を通じて何度も版を重ねていたことが、「早稲田大学古典籍データベース」に収められた「毛吹草」の写本や刊本の多さ(この記事を書いている時点では「毛吹草」で検索して11件ヒットします)で見て取れます。上記の岩波文庫の翻刻は、現在まで多数伝えられるこれらの写本の中から最も古いと思われるものを底本として、極力原本に近いものを再現しようとしたことが「解説」に記されていますので、上記の引用に後代の追記や改変はないものと考えています。また、「毛吹草」よりも時代が下った磯貝舟也の「日本鹿子(にほんがのこ)」(元禄4年・1691年)に掲載された相模国の「名物」を見ると

同國◯相模名物出所之部

  • 大根秦野と云野原にあり、たねをまかずして、おのれといでくる也、
  • 鼠大根かまくら邊より出る、鼠の手ににたり、よつてかく云ふ、
  • 柴胡同所よりいづる
  • 紅花同所よりいづる
  • 海老( )世にかまくらゑびと云
  • 江島江豚(イカル)
  • 小田原海雀( )
  • 同鰹の(タタキ)
  • 同粕漬梅( )
  • 同足駄( )
  • 同外郞透頂香
  • 同夢想枕
  • 盆山敷石大いそより出る、五色の石也、
  • 川村材木
  • 十間坂星下梅日蓮宗數珠に用、玉に星一ツ宛有、
  • 飛石禰布川と云所より出る、小田原近所なり、

(「古事類苑データベース」より、体裁は適宜調整)

と、選定されている品目や表記、更に「鼠大根」の「鼠の手ににたり」という表現から、明らかに「毛吹草」を参照していることが窺え、その影響の大きさを見ることが出来ます。

鼠大根」は上記の様に認識に妙な部分があるとは言え、三浦の高円坊大根について江戸時代初期に京でその名を知る人がいたことを示しています。「三崎誌」がこの大根を「鎌倉の産にもあり」と書いたのは、著者の木村伝右衛門もまた俳人であったことから、やはり「毛吹草」の記述を意識していたのかも知れません。また、「毛吹草」では「波多野大根」についてもその名を記していますが、自生していることを意識して「野大根」という名前になっており、「日本鹿子」の方はその点について解説が付されています。こうした遠方の大根がわざわざ京まで運び込まれることが当時あったとは考え難いところですが、特に大根の場合は品種が多彩であることが意識されていたために各地の品種が遠隔地でも知れ渡っていたのかも知れません。

「毛吹草」ではこの一覧の筆頭に「柴胡」が挙げられています。「鎌倉柴胡」という表記になっていることから、「日本鹿子」では鎌倉産であることを強調していますが、「毛吹草」はその点については追記はありません。江戸時代前期に遡った時に、「新編相模国風土記稿」に記されている柴胡の産地とどの程度隔たりがあったかは定かではありませんが、「風土記稿」の三浦郡図説に「北条五代記」の引用として城ケ島で鎌倉柴胡を採っていたことが記されており、産地に多少変動があることは意識されていたと思われます。また、「新編武蔵風土記稿」の根岸村の表記に「これ當國の内に生するものながら鎌倉柴胡とて世に用る所なり」とあるところを見ると、時に「鎌倉」を「相模」に近い広い地域を指すものとして意識していた面もありそうです。ただ、「毛吹草」や特に「日本鹿子」では、実際の産地の広がりについてはあまり知識がなかった可能性は高そうです。

他方、大磯の「敷石」については、延宝4年(1676年)と比較的早い時期に同地の小島本陣家が御用を承って独占的に砂利を出荷していることが史料によって確認出来、更に後年の記録に京・知恩院へ献上した実績も残されている点が気になります。「毛吹草」が大磯の砂利について名を知っていたのも、あるいは史料で確認出来るよりももっと早い時期に、大磯から京や近辺の庭園に砂利が運び込まれたことあった、という可能性について考えてみたくなるところです。根府川の「飛石」についても、その用途が「飛石」に限定されて記されているところからは、やはり同様の可能性を考えてみたくなります。無論、どちらも更に史料の裏付けが必要ですし、逆に「毛吹草」が引き金になって京の寺社が庭園用の砂利を所望する様になったという可能性も考えてみる必要がありますが、松江重頼が相模国(や他の各国)の名産についてどの様に知識を得たのか、という課題は、この一覧を考える上では検討してみるべきと思います。

「毛吹草」に記された名産のうち、残りの品目についてはまだ他の史料との照合をしていないので、後日機会が出来たら触れたいと思います。このうち、小田原の透頂香(外郎)については「風土記稿」の足柄下郡図説や山川編の産物一覧にありますので、その際に改めて取り上げます。
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