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「新編相模国風土記稿」植物・農産物・林産物のまとめ

「新編相模国風土記稿」の山川編や各郡図説に記された産物の一覧に沿って、ここまで農産物や林産物について個別に検討を進めてきました。まだ炭や木綿、絹といった産物が残っているのですが、これらは加工品としての側面も併せ持っていますので、実質的に一巡したところで鉱物類と同様に当座のまとめをします。

鉱物類のまとめでは該当する記事を一覧にしましたが、農林産物では対象となる記事の点数があまりにも多いので、「各郡の産物」と「山川編の産物」の一覧で「植物」「農産物」「林産物」の各項目を参照いただくことで代えたいと思います。

「新編相模国風土記稿」の農産物・林産物の分布
「新編相模国風土記稿」の農産物・林産物の分布
(「地理院地図」上で作図したものをスクリーンキャプチャ)

また、鉱物類では該当した村の位置をプロットした地図を作成しましたが、これも農林産物では対象となる村が多過ぎるため、代わりに各郡の図説や山川編で登場した産物を地図上に並べました。鉱物類でも西に偏る傾向がありましたが、農林産物でも同様の傾向が見られます。ただ、この傾向については大住郡の穀類・野菜を取り上げた際に、産物の取捨選択の基準が郡によってまちまちになっている傾向を指摘しました。足柄上郡と足柄下郡という、小田原藩領が大勢を占める郡が最も取り上げられた産物の点数が多くなっており、ある程度編集時の傾向が反映した結果と考えたくなる面はあります。

しかし他方で、高座郡、鎌倉郡、そして三浦郡については必ずしも良好な土地に恵まれてはいないという認識を昌平坂学問所は持っていた様です。特に高座郡については北部の相模野を中心に未開の地が多いことを図説中で強調しています。
  • 高座郡図説(卷之五十九 高座郡卷之一):

    本郡古は原野のみ多く、僅に瀕海及河傍の地開けて廣野の四邊に村落をなせり、夫より往々原野を開き今に至りて猶開墾を企る所あり…

    地の高低、郡の南海岸より東海道の左右は凡て低く平夷なり、夫より東北の方へ漸々に高く村落及び相模野の邊武藏の國境に至迄高燥にして土地平なり、又東方境川の邊は郡の中程より南方は低し、西方相模川に傍たる地は殊に低く所々水除の堤を設けたれど、水溢の患を免がれず、土症高燥の地は黑野土或は砂交れり、其餘は總て眞土にして是も砂交れる所あり、郡内陸田多く水田は三分の一なり、

  • 鎌倉郡図説(卷之六十九 鎌倉郡卷之一):

    陸田多く水田少し、用水には專、戸部川の水を引沃ぎ、鼬川・砂押川・境川等の諸流をも灌漑す、されど三分の二は山間の涌泉を引き、溜井を構へ、天水を仰て耕植せり故に旱損の患多し、土性は砂礫錯れる地多く、眞土是に次ぐ、野土糯米土は少し、農間の餘資、海邊の村々は專漁釣をなして江戸に運送し、鶴岡江島等の道側に、連居せる家は參詣の遊客に酒食及び諸物を鬻ぎ、東海道係る處は往來の遊客を休泊し、其他は採薪等を業とす、富饒の戸口は稀なり、

  • 三浦郡図説(卷之百七 三浦郡卷之一):

    陸田は水田より少しく多し、士地都て天水を仰て耕植すれば旱損を免れず、土性は眞土野土の兩種にして何れも砂交り、沃膄の土にあらざれども農業の他蠶桑及漁獵を專として生產の資とするにより民戸頗る豊饒なり、

(何れも雄山閣版より、但し一部判読の困難な文字について別途鳥跡蟹行社版を参照して補充、…は中略)


その点では、相模国の東側の農林産物が乏しくなる傾向が実際に多少なりともあったとも言え、その観点では「風土記稿」の産物一覧はある程度実態に沿っていたと見ることも出来なくはありません。とは言うものの、「風土記稿」の編集の傾向の影響と混ざってしまっているだけに、本当にこれ程までに産物の一覧に掲載される品目の点数に差が出る程のものであったかは、識別し難いところです。

「新横須賀市史 通史編 近世」第8章図8-2「産物の分布」
「新横須賀市史 通史編 近世」
図8-2「産物の分布」(p.340)
「新編三浦往來」に記された産物を
地図上にプロットしたもの
実際問題として、天保15年(1844年)に「三浦古尋録」を増補した竜崎戒珠によって書き記された「新編三浦往来」では、半紙判10丁の短い漢文体の文中に三浦郡中の産物が「風土記稿」の三浦郡の産物の点数の数倍も記されており、農産物も薩摩芋・自然薯・渋柿・梨・蜜柑・蕨・葱など、「風土記稿」の他の郡で取り上げられたものがかなりの点数含まれています。「新編三浦往来」は元来が寺子屋の教科書となることを目的に著された簡潔なものであるため、その生産量や質について具体的なことをこの文章から読み取ることは出来ませんが、少なくとも生産実績が少しでもあったものがかなりの程度網羅されていると見ることが出来ます。こうした産物のうち、「風土記稿」の三浦郡図説に採録されたものが一部に留まったのはどういう判断があったものかが課題と言える訳です。

こうして考えていくと、その根底にはそもそも「風土記稿」にあって「土地の産物」とはどの様なものを指すのか、あるいは「風土記稿」の執筆された江戸時代後期にあって「名産」とは何なのか、という課題があると思います。その判断基準として考えられるものとしては、
  • その土地での生産量が他の地域に比べても多いこと
  • その土地で生産はされるものが、他の地域で産出されるものに比べて品質が良いこと
  • 何らかの由緒書によって生産が裏付けられていること
などを挙げることが出来、実際「風土記稿」でも基本的にはこうした判断基準の一部ないし複数が考慮されていることはこれまで見て来た通りです。ただ、「風土記稿」ではこれらの基準をどの様に適用するかがあまり明確に意識されないまま、やや感覚的に産物の取捨選択が行われていたのではないか、という印象があります。

この点は、後に明治時代に入って「皇国地誌」を編纂する段階に至って、より明確な基準として新たに農産物等の各種の統計に依存する傾向を持った点と大きな違いがあると言えます。「皇国地誌」の残稿の多くでは、産物の欄は明治9年の産物調査の統計を充てる意図で空欄となっているものが多いのですが、「香蕈」で紹介した愛甲郡田代村の残稿では、凡そ明治9年1年に多少なりとも生産のあった農林産物や道具類が全て書き記されており、近代に入って編集を企図された地誌では「風土記稿」に見られた様な取捨選択が排除されていることがわかります。こうした傾向が他の近世と近代の地誌類についても言えるか、あるいは「風土記稿」や「皇国地誌」といった「官撰」の地誌と、より私的な地誌で違いが出るかどうかはわかりませんが、少なくとも「風土記稿」に関してはその点で近代以前に編纂された地誌の特徴が反映していると言えるのかも知れません。



鉱物類の個々の産物について取り上げた際には、その産出の裏付けをする上で各種の地質図を活用しました。江戸時代から現代までの時間であれば、少なくとも地中の地質分布が大きく変わる様な地殻変動はありません。大きな天変地異としては富士山の宝永噴火があったものの、火山灰が地表に厚く降り積もったことを除けば地下の地質分布を変えてしまう様なものではありませんでした。ですから、該当する鉱物の存在については現在の地質図で十分に検証が可能です。

これに対して、植物や農林産物の場合は同様の手法が使えるとは必ずしも限りません。中には高座郡の初茸や松露の様に、特定の地質に強く依存する植生(この場合は菌類であることから「植生」という言葉が妥当と言えるかは微妙ですが)を示すものもありました。しかし、必ずしも地質などに強く影響される植物ばかりではありませんし、特に近年は都市化によって植生が失われた地域も多いので、「風土記稿」に記録される産物の裏付けを何によって行うかは都度悩まされました。まして、農産物の場合は元より人為的に外部から植物が持ち込まれるケースが多く、更に時代の変遷によって栽培されなくなったものも多いので、当時の農事の裏付けとなる史料が必要でした。

自生する植物の場合は「神奈川県植物誌2001」や県のレッドデータブックを使って現行植生を追うケースも多くなりました。神奈川県はこうした植生調査の蓄積が大変に厚い地域であることが、今回の検討を行うに当たって少なからず役に立ちました。

他方で、農産物の場合は「農業全書」をはじめとする農書を参照するケースが増えました。江戸時代初期にまとめられた「農業全書」は、当時の人が適作地をどの様に選んでいたかを考えるヒントとしてはなかなか有益な手掛かりを与えてくれたと思います。出来ればもっと他の農書類、特に相模国や近隣で著された農書を閲覧した上で検討を加えるべきかとも思いましたが、これは将来機会があれば追補したいと思います。



鉱物類の場合同様、農林産物についても、産出したものが何処で消費されたかを可能な限りで見てみました。その傾向は幾つかのケースに分類出来ると思います。

1つは江戸へ搬出されて消費されるケースです。やはり当時の一大消費地と言うべき性質を持っていた江戸を意識して生産されていたものとしては、を筆頭に、紫根香蕈(椎茸)など、江戸での販路に向けて生産されていたことを示す史料が見つかる産物が幾つかありました。特に椎茸の場合はその生産のための出資を江戸の商人が支出したことが記されており、江戸から比較的近い相模国が産地として有望視されていたことが窺えます。漆や樒の様に、産出する村々の収入源となることから、領主である小田原藩が貢税の対象としたり、その流通に関して様々に裁きを行ったりする局面も見られました。

これらに対して、生産地の近傍で消費される、あるいはそう考えられる品目も少なからずありました。例えば大住郡の穀類・野菜の多くは江戸時代に遠く江戸まで運ばれたことを示すものがなく、コストの面からも精々厚木などの近隣の町へと輸送されるのが精々であった様です(「大野誌」による)。流通先について明確な記録が見られないものの中には、流通先があまり拡がりを見せなかったものが少なくなかったのではないかと考えられます。

そして、その中間的な存在として東海道や鎌倉の沿道で道行く人たちに向けて商いする目的で栽培されていたと考えられるものも少なくなかったと思います。特に西瓜については道中記・紀行文中にその名が見られました。

こうした物の流れに、領主が関与した例としては、稲葉氏の時代の小田原藩が大和柿蜜柑を取り立てたり、柿渋の様に貢税として取り立てていたものを挙げることが出来るでしょう。稲葉氏の例では正月に向けて蕨や薯蕷(ヤマノイモ)、独活等を納めさせていた例もありましたし、蜜柑や青芋(里芋)の様に小田原藩や荻野山中藩から幕府への献上品となっていた例もありました。これらの中では足柄下郡塚原村が蕨を納める際に継立を使っていたことが記録に残っていますが、他の産物についても貢上に際して多かれ少なかれ当時の輸送体制が活用されていたと考えて良いでしょう。

変わったところでは大山信仰と強く結び付いていた山椒や、漁網の染料として用いるために房総半島などに送られた柏皮の様な例もありますが、こうした例を見て行くと、江戸時代にあっても生産物の輸送先は意外に多彩であったことが窺えます。勿論、こうした産物の移動に当たっては当時の街道が相模川や海上の水運とともに活用されていた訳ですから、江戸時代の街道の実態を考える際には、これらの産物の輸送経路としての側面を見てみることも必要なことではないかと思います。

農林産物については一旦の締めくくりとしますが、まだまだ史料を見足りていないことによる見込み不足や思い違いなども残っていると思います。引き続き関連資料を探して必要に応じて追記していきたいと考えています。
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この記事へのコメント

- mizu mon - 2016年01月12日 19:29:55

kanageohis1964さま
こんばんは。
「漁網の染料として用いるために房総半島などに送られた柏皮」という記述が目に止まり、昨年の柏皮の項を、大変興味深く読ませていただきました。
薪炭林として、コナラやクヌギ、ソロなどが植えられることは知っていましたが、染料としてカシワの価値が高かった時代には、美しいカシワ林も広がっていたことでしょう。
今では、そんな林はほとんど消え去ってしまった・・・その理由も、よくわかりました。

Re: mizu mon さま - kanageohis1964 - 2016年01月12日 19:50:00

こんにちは。コメントありがとうございます。

過去記事に目を通していただいて光栄です。今では柏餅の葉としても利用が伸びなくなっているだけに、今後新たにカシワの林が作られることは殆ど望み薄でしょうね。

- りえてつ - 2016年01月14日 07:01:23

おはようございます。

とても分かりやすく整理された内容で、
読みやすいです。
勉強になります。

Re: りえてつ さま - kanageohis1964 - 2016年01月14日 08:55:02

こんにちは。コメントありがとうございます。

何だかんだで一昨年の5月頃から折りに触れて各産物について書いてきたことが大分溜まってきて、残す項目も大分少なくはなってきました。今回はそこに入る前に節目として当座のまとめを書いてみたという感じです。

引き続き残りの産物を取り上げて表を埋めていく予定ですが、なかなか厄介なものが残っているのでまだ時間がかかりそうです。少しずつ進めていきたいと思います。

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