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江戸←→鎌倉間の「遠馬・遠足」補足:「甲子夜話」の「遠足」の位置付け

先日寛政3年の江戸←→鎌倉間の「遠馬・遠足」を取り上げた際に、「鎌倉市史 近世近代紀行地誌編」所収の「甲子夜話(かっしやわ)」(松浦静山著)からの引用を幾つか紹介しました。これについて本筋ではないことをごく手短に補足します。

「鎌倉市史」の「甲子夜話」の引用の冒頭は次の様に始まっています。

○又余録に載せ置し寛政の始め遠足を命ぜられしことを復録す。是等にてもこの頃の時勢を想べし。

(同書215ページより)


「甲子夜話」の一部を持って来ているとは言え、文章がいきなり「又」で始まっている点に少々違和感を覚えました。明らかに前段にあった何かを受けて話を始めているのですが、それが何であるのかが引用された文章だけではわかりません。あるいは前段にこの遠足・遠馬に関係することが何か記されているかも知れないと考えたので、元の「甲子夜話」を確認することにしました。今回確認に使ったのは平凡社東洋文庫に収められている「甲子夜話」正編です。

「鎌倉市史」に採録されていたのは巻三十五の二の章です。つまり、「又」が受けているのをその前の「一」の章ということになりますが、そこにはこうあります。

〔一〕寛政の御政は難有ことこそ多けれ。昔し記し置しを、後の思出にもと今又録す。此越中守とあるは、浴恩老侯御補佐のときなり。

町家之内、忠孝奇特(なる)者と相間候もの密に取調之上、越中守殿依御指図左之通御褒美被下候。

(「甲子夜話2」1977年 中村幸彦・中野三敏校訂 平凡社東洋文庫314 345ページより、強調はブログ主)


そして、全部で47名の名前が、忠孝者の褒美として与えられた銀の枚数と共に書きつけられています。静山はこれを受けて「ありがたきこと」と記しており、彼としてはその褒章の実情を記録したいという意図でこれを取り上げたことになります。そして、それを受けて「又」としている訳ですから、この遠足についても褒章を受けた者を取り上げたかったということになります。

「甲子夜話」に遠足の上位入賞者しか記されていないのは、あるいはそのためかも知れません。下位に沈んで褒美を受け取れなかった人たちには関心を持たなかったので、名前を省略してしまったとも考えられます。但し、同書ではこの遠足については「余録」に載っていたと記しています。この「余録」が具体的にどの様な書物であったかについては今のところはっきりしませんが、「甲子夜話」に遠足の表彰者が5名までしか書き付けられていないのは、「余録」が既にその様な記述になっていたからとも考えられます。


ただ、真意がどこにあれ、この様な形で当時の触書が伝わったことで、この遠馬・遠足の様子を考える上での貴重な記録になったことは確かです。こうした「甲子夜話」の記述の性格を考慮しても、それを補うために別途「宝暦現来集」を併せて収録した「鎌倉市史」の判断は、一層妥当なものだったと思えます。
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