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大住郡の野菜・穀類について:「新編相模国風土記稿」から(その1)

「新編相模国風土記稿」の産物の一覧から、今回は大住郡の産物に取り上げられた野菜・穀類をまとめて取り上げます。

  • 山川編(卷之三):

    ◯西瓜大住郡平塚宿、上下大槻村に產す、

    ◯越瓜和名、志呂宇里◯大住郡小稻葉・平塚・上下大槻四村より出づ、

    ◯甘藷俗にさつまいもと稱す、大住郡八幡・平塚・上下大槻・中原上宿・南原等の村々より產するを佳品とす、

    ◯葱大住郡小稻葉村に產す、

    ◯戮豇和名、佐々計◯大住郡南原村より出づ、

  • 大住郡図説(卷之四十二 大住郡卷之一):

    ◯大麥上下大槻二村に播殖するを、最佳品とす、

    ◯戮豇佐々計◯南原村產、

    ◯葱小稻葉村產、

    ◯甘藷八幡・平塚・上下大槻・中原上宿・南原等の村々の產を佳品とす、

    ◯越瓜志呂宇里◯小稻葉・平塚・上下大槻四村產、

    ◯西瓜平塚宿、上下大槻村產、

(以下、「風土記稿」からの引用は何れも雄山閣版より、適宜改行を挿入)


「風土記稿」大住郡の野菜・穀類の産地として登場する村
上記に登場する町村の位置
(「地理院地図」上で作図したものを
スクリーンキャプチャ)
山川編」と「大住郡図説」の記述では、「大麦」が「大住郡図説」にのみ記述されていて「山川編」にはないという違いはあるものの、それ以外の内容は実質的に同一のものとなっています。

正直なところ、これらの産品に関してはどう取り扱うべきか、「風土記稿」の産物を調べ始めた頃から私の中では頭の痛い課題の1つになっていました。当時何処でも作られていたと思われるこれらの産物が、相模国を代表する産物として「風土記稿」に取り上げられた理由が見つけられずにいるからです。多少地質面で産地が限られてくるものも含まれているとは言え、少なくとも、この地から産するこれらの産物が当時の世に広く知られる存在だったということではない様ですし、それ以外の観点から相模国の代表的な産物として賞賛される様な存在だったことを裏付ける史料も、これといって見当たらないのも事実です。

しかし、調べを進めていくうちに、どうやらこれらの産物についてはある共通の課題がある様に思えてきました。そこで、今回はまず個別にこれらの産物の江戸時代当時の実情がどうであったかを確認した上で、この課題についてまとめて考えてみたいと思います。

その前に、「風土記稿」のこの記述中に数回登場する「平塚」については少々解説が必要かも知れません。勿論これは、東海道の宿場町の1つであった平塚宿のことですが、そこがこれらの農産物の産地の1つに挙げられている点に多少違和感を感じる人もいるのではないかと思います。

「風土記稿」では平塚宿の範囲について

宿の廣袤、新宿を合て東西十九町五間餘、南北二十四町餘東、馬入村、巽、須賀村、南、海、西、淘綾郡高麗寺村、及大磯宿、乾、花水川に限、山下村、及郡内徳延村、北、中原上下宿、南原村、艮、八幡村、

(卷之四十八 大住郡卷之七より)

と書いています。隣接する村の数を見ても、意外に広い地域が平塚宿の範囲内にあり、南は海に面し、ほぼ東西に進む東海道に沿って宿場が伸びていたにも拘らず、むしろ南北の方が長い地域になっていたことがわかります。

江戸時代の平塚宿の領域
江戸時代の平塚宿の領域(概要)
青線は旧東海道
(「地理院地図」上で作図したものを
スクリーンキャプチャし、リサイズ
数値地図25000(土地条件)」を合成)
そこで、この範囲を大筋で「地理院地図」上で示してみたのが右の図です。平塚市博物館サイト内の「平塚・石仏めぐり-旧市内編- (4・旧平塚宿):旧平塚宿」に記されている

旧平塚宿というのは、現在の平塚一丁目・二丁目・三丁目・四丁目・五丁目、中里、桜ヶ丘、上平塚、達上ヶ丘、諏訪町、富士見町、豊原町、唐ヶ原、撫子原、黒部丘、花水台、虹ヶ浜、董平、桃浜町、龍上ヶ丘全域と立野町、追分、大原、見附町、錦町、八重咲町、松風町、袖ヶ浜のそれぞれの一部の範囲です。

という記述と同ページの地図を頼りに概要を描いただけですので、必ずしも正確なものはありませんが、概ねこの地域が平塚宿の領域であったと考えて下さい。平塚宿は公儀の継立を勤めるに当たって1万坪(約3.3ha)分の地子を免除されていましたが、それはこの領域の中から、ということになります。

平塚宿付近の迅速測図
東海道の南北に、松林に挟まれて畑が散在している
(「今昔マップ on the web」より)
また、先ほどの図では「土地条件図」を重ね合わせてみましたが、平塚宿の領域のかなりの範囲を「砂丘」が占めていることが良くわかります。これは後ほど同宿が産出していたとする各産物の性質を考える上では重要なポイントになると思います。こうした砂丘の多くは「御林」として松林にされている地域が多かったものの、全てが林に覆われていた訳ではなく、東西に伸びる砂丘に沿って御林の間に畑があったことが、明治初期の「迅速測図」でも確認出来ます。

江戸時代の平塚宿を描いた浮世絵は、専ら京方の縄手道の向こうに見える高麗山(歌川広重:「東海道五十三次」保永堂版など)か、馬入の渡し(同:狂歌入東海道など)を描くものばかりでしたから、東海道の南や北に展開する御林や畑のイメージがあまりありませんが、実際はその領域の内部に少なからず林や畑を抱えていたことは、念頭に置いておいた方が良いでしょう。

1.大麦


「大麦」については「山川編」に唯一取り上げられませんでしたが、ここで名前の上がった上大槻村・下大槻村(現:秦野市上大槻・下大槻)の記述には含まれています。

  • 上大槻村(卷之四十九 大住郡卷之八):

    當村に播殖する大麥は、他に勝れて佳品なり、

  • 下大槻村(同上):

    當村の大麥も佳品なり、



上大槻・下大槻の位置(「地理院地図」より)
この2村は金目川と支流の水無川などが合流して秦野盆地から流出する「切れ目」の谷間に位置しており、上流側が上大槻、下流側が下大槻という位置関係になっています。

その2村で産出する大麦の質が良かったとしている訳ですが、大麦自体は当時どこの村でも作付けるものでした。江戸時代初期の農書である「農業全書」では次の様な表現で、稲作の終わった後に植えて田植えの前に収穫できる大麦を、稲の次に重点的に作付けるべき穀物と評していました。つまり、大麦は稲について「主食」と位置付けられる穀物であった訳です。

麦ハ秋うへて夏熟す。四時(しいし)しき>の気をうく。旧穀<こぞめのこめ>のつくる時いできて、民の食をたすけつぎ、新穀の出来る時に至る。されば稲に次で、五穀の中にて貴き物なり。此ゆへに、聖人是を重んじ、春秋にも稲と麦との損毛をバ書させ給へり。実に近世静謐にて、人民多くなりぬ、麦作のつとめ疎かならバ、食物乏しかるべきに、都鄙是を作る事専なるゆへ、麦の多きこと甚いにしへに勝れり。されバ今民のやしなひの助となる事、是に続く物なし。実にめでたき穀物なり。

(「日本農書全集 第13巻」農山漁村文化協会 151〜152ページより、ルビ・注は一部を除き省略)


本草図譜巻四十「大麦」
「本草図譜」より大麦
複数の品種が描き分けられている
(「国立国会図書館デジタルコレクション」より)
梅園草木花譜夏之部巻2「大麦」
「梅園草木花譜」より「大麦」(右)
訓は「ふとむぎ」と記されている
(「国立国会図書館デジタルコレクション」より)

そして、この後かなりの紙数を割いて麦の作付に適した地味や播種から収穫までの手順について解説しています。因みに当時は「麦」とだけ書いている場合は基本的に「大麦」のことを指すことが多く、「農業全書」でも「大麦」のことを基本的に「麦」と書いており(但し裸麦についても麦の項で言及しています)、「小麦」については「小麦を種る事。地のこしらへ、其外大麦にかはることなし。(166ページ)」として「大麦」との栽培法の異なる部分を重点的に書き記しており、結果的に「大麦」の数分の1の文量で収まっています。「大和本草」でも大麦については「麦」とだけ記しており、

麥は五穀の中稻につぎて最民食を助く殊に夏の未舊穀の盡る時民の飢を救ふ民用に甚利あり

(「国立国会図書館デジタルコレクション」より、カタカナをひらがなに置き換え)

と、「農業全書」とほぼ同様の指摘をしています。

産品全国相模国
大麦 (石)5,035,709.675138,835.277
小麦 (石)1,645,111.56356,350.942
裸麦 (石)2,205,252.1647,318.797
小麦/大麦比 (%)32.6740.59

※「国立国会図書館近代デジタルライブラリー」より、全国相模国の該当項目を抜粋。

※産品名は現代の表記に置き換え。

※小麦/大麦比は小数点下第3位で四捨五入。

実際、当時の各種文書では大麦が小麦よりも多く栽培されていたことを示すものが多数存在しています。その全貌を俯瞰できるものとしては江戸時代が終わって間もない明治9年(1876年)の「全国農産表」が良いでしょうか。左にその中から全国と相模国の大麦・小麦・裸麦の生産量を書き出してみました。全国では小麦の生産量は大麦はおろか裸麦の生産量にも及んでいなかったことがわかります。相模国では「相州小麦」の名で呼ばれるほどに小麦が名産で、そのことを反映してか小麦の生産量の比率が全国に比して高くなっており、その分特に裸麦の生産が僅かなものになっていますが、それでも小麦の生産量は大麦の生産量の4割程度に留まっています。無論、この比率が江戸時代を通じて不変のものであったという訳ではありませんが、基本的には大麦の生産量が小麦を下回ることはなかったのではないかと考えられます。

これは、大麦は基本的にそのまま炊いて食するのに対して、小麦の方は基本的に製粉などの行程を経て加工する必要があった点が大きい様です。「本草綱目啓蒙」でも「小麦」について「小麥は飯に炊かず只磨して麵となす」と記し、そこに手書きで「能登には飯に炊くなり」と補注が記されているのに対して(「国立国会図書館デジタルコレクション」より)、大麦については「苗小麥より大にして其米は專ら飯に炊き又麫となすべし」(同上)と、その調理法の違いを書いています。なお、「本草綱目啓蒙」では大麦・小麦それぞれについて、各地の呼称の違いを書き上げていますが、それらの地名の中には「相州」に関するものは含まれていません。

その他、江戸時代に記されたもので相州の大麦に良品があることを明記したものは、探した範囲では見つけることは出来ませんでした。例によって明治10年「第1回内国勧業博覧会」の出品目録で相模国域から出品された大麦を確認すると、鎌倉郡の平戸村(現:横浜市戸塚区平戸)と大町村(現:鎌倉市大町)、足柄下郡小竹村(現:小田原市小竹他)とともに、大住郡からは南矢名村(現:秦野市南矢名)の名前はありますが、上大槻・下大槻村の名前はありません。「秦野市史」でも

『風土記稿』の土産の項にのせるたばこ以外の作物名は上・下大槻村に大麦・甘藷・越瓜・西瓜の名がみえるが、これらは村方に残る史料で確認することはできない。

(「秦野市史 通史3 近代」112ページより)

としており、「風土記稿」がどの様な根拠でこの様な記述に及んだのか、確認する術が今のところ存在しないのが実情です。

これ以外の作物については次回以降に見ていきます。



P.S.(2015/11/29 10:00):どうもまたFC2ブログがあまり調子が良くなさそうで、この記事を投稿した際には「自動Ping送信」が機能せず、「にほんブログ村」や「blogram」に最新記事が反映しませんでした。差し当たって「代理Ping送信」を使って記事を反映させましたが、今朝になっても「ブログ村」に最新記事が反映しない方が多いところを見ると、まだ復旧はしていない様です。先日の様な障害の再現につながらないと良いのですが。


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この記事へのコメント

◯越瓜 - 白竜雲 (はく りゅう うん) - 2015年11月30日 00:44:57

こんばんは!
◯越瓜・・・の「越」はベトナムの意味もあるのですが、白瓜がベトナムから
来たと云うことは 無いでしょうね(-o-;)💦

Re: 白竜雲 (はく りゅう うん) さま - kanageohis1964 - 2015年11月30日 07:16:56

こんにちは。コメントありがとうございます。

この場合の「越」は「呉越同舟」の「越」ですね。つまり、春秋時代の中国南部の国名から来ている様です。

- aunt carrot - 2015年11月30日 10:32:41

いつもご訪問ありがとうございます。
障害の件、FC2側なのですね。pingがうまくキャッチできていないということなのでしょうね。私は時々おかしいので0:00に起きていれば手動でping送信しています。スムースに行くようになってほしいです。
前記事の中で「わかめ」「かじめ」の漢字が、こう書くんだと驚きました。
ほんとうに良く調べて記事を書かれています、
尊敬します。

Re: aunt carrot さま - kanageohis1964 - 2015年11月30日 10:50:00

こんにちは。コメントありがとうございます。

FC2ブログのPingはどうやら週が明けて対応された様で、ようやく最新記事の反映がタイムリーに戻ってきた印象です。ただ、相変わらずFC2側から何もアナウンスが無いので委細は良くわかりませんね。Ping自体の送信の問題の他に、RSSの更新がサーバ過負荷などの理由でPing送出時に間に合ってない、という可能性も考えられ、実際「にほんブログ村」側で代理Ping送信を行っても更新記事が反映しないという現象もあった様です(要望掲示板による)。

「風土記稿」の産物の表記は本草学の影響を強く受けている様で、確かに「本草綱目啓蒙」の様な書物との整合性が高いのですが、一部にそれらとは異なる表記も出て来るので、表記の出所が気になるものもありますね。その辺はなるべく掘り下げたいと考えています。

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