「新編相模国風土記稿」に記された「石長生」と「慊堂日暦」(その1)

「新編相模国風土記稿」の産物一覧から「関連記事」としてリンクした記事は、この一覧を出発点として記事を書いたものばかりではなく、別件でまとめた記事をそのままリンクしているものも含まれています。足柄下郡の「石長生」もその1つですが、ケンペルの「江戸参府旅行日記」についてまとめた際のごく短い記述のみで、他の産物について書いた記事に比べると物足りない文量に留まっていました。

今回、松崎慊堂(こうどう)の「慊堂日暦(にちれき)」を点検していて、このケンペルについての記述があるのに気付いたことで、「風土記稿」の「石長生」について改めて取り上げてみる気になりました。今回はどちらかと言うと試論と言うべきもので、更に妥当性を検証しなければならない話になりますが、私のメモとして公開します。


まず、例によって「風土記稿」の記述を確認します。
  • 山川編(卷之三):

    ◯石長生足柄下郡箱根宿の邊に產す、元祿の頃紅毛人江戸に來れる時、當所にて此草をとり、婦人產前後に用て殊に効ある由いへり、是より箱根草と呼べり、

  • 足柄下郡図説(卷之二十二 足柄下郡卷之一):

    ◯石長生、箱根宿の邊に產す、元祿の頃紅毛人江戸に來れる時、當所にて此草をとり、婦人產前後に用ゐて、殊に効ある由いへり、是より箱根草と呼べり、

(以下「風土記稿」からの引用は何れも雄山閣版より)

山川編と足柄下郡図説の記述は、ほんの些細な送り仮名等の違いを除いて全く同一です。一方、箱根宿の項には

產物に山生魚及箱根草等生ず、

(卷之二十七 足柄下郡卷之六より、強調はブログ主)

とごく僅かな記述に留まっており、「石長生」の名もなければ「紅毛人」に関する示唆もありません。

Adiantum monochlamys hakonesida01.jpg
箱根草(ハコネシダ:Adiantum monochlamys、再掲)
("Adiantum monochlamys hakonesida01".
Licensed under CC BY-SA 3.0
via Wikimedia Commons.)
この草は現在は「ハコネシダ」と呼ばれています。ハコネシダについて「神奈川県植物誌 2001」(神奈川県植物誌調査会編 2001年 神奈川県立生命の星・地球博物館刊)では

Adiantum monochlamys D.C.Eaton

常緑性、根茎はごく短くはい、茶褐色披針形の鱗片をもつ。葉身は3回羽状、小羽片は扇形で、辺に鋸歯がある。胞子嚢群は小羽片のくぼみにつく。本州(青森県を除く)、四国、九州; 朝鮮、中国、台湾に分布する。岩場や崖地に生育する。県内では三浦半島、丹沢、箱根、小仏山地に分布する。

(上記書46ページより)

と記しており、本種が箱根に限らず東アジアの比較的温暖な地域に幅広く分布する種であることがわかります。また、神奈川県内に限っても箱根だけで特異的に見られる種ではなく、西部の山岳地帯や三浦半島の丘陵部で見られるとしています。

神奈川県植物誌2001」では江戸時代の由緒について特に触れていませんが、「新牧野日本植物圖鑑」(牧野富太郎原著 大橋広好、邑田仁、岩槻邦男編 2008年 北隆館)では

4472. ハコネソウ(ハコネシダ、イチョウシノブ) 〔いのもとそう科〕

Adiantum monochlamys D.C. Eaton

本州以南の暖地の山中の崖、岩面等に生える常緑性の多年生草本。根茎はかたく短くはい、密に暗紫褐色から褐色でつやのある鱗片がついている。葉は接近して数本生え、葉柄は葉身とほぼ同長、約10〜15cm、光沢のある黒褐色の針金状でかたく、またもろく、基部には根茎と同様な鱗片がつく。葉身は卵状披針形、先端は鈍形、2〜3回羽状複葉となり、洋紙質で淡緑色、ことに芽立ちは赤紫色を帯びて美しい。羽片も葉身と同形であり中軸と羽軸とは共に黒紫色で光沢がある。裂片は倒心臓状三角形で下半部はくさび形で、イチョウの葉を小形にしたような形で扇状に広がる脈があり、基部には短い柄を持つ。上側のふちには細かいきょ歯があり、その中央が少し凹んだところに反り返った褐色の包膜に包まれて下面に胞子嚢群が1裂片に1個つく。〔日本名〕箱根羊歯及び箱根草は神奈川県箱根山で徳川時代中期に来朝したケンフェルが採集し、産前産後の特効薬といった事から当時の本草学界で注目されてこの名ができた。またケンフェルがオランダ使節の随員であった関係から「オランダソウ」の名もできた。イチョウシノブの名は裂片がイチョウに似ているからである。古く文雅の人達はこの葉の勢いのよいものを選び裂片だけをちぎってとり去り残った葉柄と羽軸とをたくさん束ねて小箒にしたのを玉箒といって机上用に愛玩したものである。全草を民間薬に使うことは上述のケンフェルから始まった。

(上記書1118ページより、強調はブログ主)

と、一般に用いられている「ケンペル」の読みとは異なっているものの、ハコネソウの名の由来がケンペルに依っていることを指摘しています。もっとも、牧野富太郎の編纂した植物図鑑にハコネソウの名が登場するのはこの「新牧野」が最初の様で、この指摘が牧野自身による文献調査によったものか、それとも他の近世の本草学などの研究者の指摘に従ったものかはわかりません。

因みに、ケンペルが箱根から持ち帰ったハコネシダの標本(リンク先PDF)は現在も保管されていますが、命名者のDaniel Cady EatonはアメリカYale大学の植物学者で、彼が命名に際して典拠にした標本がこのケンペルのものか、それとも他の標本かは確認出来ませんでした。

「七湯の枝折」産物の図1
「七湯の枝折」産物の図より「筥根草ノ図」(左)
原図は彩色(沢田秀三郎釈註書より:再掲)
今度は江戸時代の各種文献の記述を確認してみましょう。まず「風土記稿」の編纂に際して参照したと思われる「七湯の枝折」(文化8年・1811年)では

筥根草ノ図(石長生(はこねさう)

筥根山中に生すすへて湿瘡るいニ此悼を煎じて蒸しあらヘバ邪毒を去りかわかすとぞ茎ハむらさきニしてひとへに張かねのごとく至て美事也是をすきや箒木に結ハせて用るに甚タ雅なる者也

(「七湯の枝折」沢田秀三郎釈註 1975年 箱根町教育委員会 69ページより)

と、ここでは「石長生」の名が見えますが、「紅毛人」についての記述はありません。これに対して、「東雲草」(文政13年・1830年)では

はこね草

むかし此辺此草の能うを知らす。紅毛人(オランタシン)これを教と、彼国にてはカステーラヘンネシスーと云、腫物切疵に此草を生うにても亦黒焼にても胡麻の油に和く用ゆ誠妙也、一株大抵三四十本ほと茎は黒赤し、細き針かねに似る、そのたけ三四寸より八九寸に至る、岩上に生うす採る事土用中

(「相模国紀行文集:神奈川県郷土資料集成 第6集」神奈川県図書館協会編 1969年 348ページより)

と、こちらは「石長生」の名はないのに対して「紅毛人」を「オランダ人」として紹介しています。因みに、この「カステーラヘンネシスー」については次の様に別の植物の学名が誤って伝わっていたとする指摘があります。

⑦『物品識名補遺』, 水谷豊文, 文政8年(1825)刊。

…みずごけ[コケ]:「へんねれす(➡③) =ぬりとらのお異名」(注4),…

(注4)『園芸大辞典』(誠文堂新光社)の「はこねしだ」項への牧野富太郎補注に,「ケンペルはハコネシダ(ハコネソウ)をホウライシダ Adiantum capillus-veneris と間違えていた。そこで, ハコネシダを「カッペレ草」「ヘンネレス」とも呼ぶ誤りが生じた」旨の記述がある。実際,『嘉卉園随筆』(1750年頃成立) の「箱根艸」項には「箱根艸 ....蛮名カツテイラ, 又ヘンネレス, 或はカツペレソウ」とある。しかし, それがヌリトラノヲの異名に転じた経緯は, まだ明らかではない。

(「日本博物学史覚え書XIV」磯野直秀 2008年 「慶應義塾大学日吉紀要・自然科学 No.44」所収 118&120ページより、…は中略、ひらがな・カタカナの濁点やスペースは適宜置き換え、リンク先はPDF)

「神奈川県郷土資料集成 第6集」では「東雲草」の著者である「雲州亭橘才」について「冊尾に主として俳句を掲載しているから橘才は俳人か。」(316ページ解題)と判じているのですが、こうした知識を併せ持っていたとなると、あるいは本草学などの学問を何らかの形で修めていた人なのかも知れません。とは言え、「カステーラヘンネシスー」と「capillus-veneris」では学名が多少変形してしまっているのは否めませんので、どの程度確乎とした知識を有していたのか、些か疑問を感じる点も残っています。

また、「木賀の山踏」(天保6年・1835年)では宮の下での湯治を終えた帰路の途上、塔ノ沢で

明れは卯花月朔日と也ぬ。…

夫より塔の沢にいたりぬ、此辺箱根草多し黒焼にして毛生薬とす又岩菜もあり。

(「神奈川県郷土資料集成 第6集」422&423ページより、…は中略)

と「箱根草」を「毛生え薬」と書いています。著者の竹節庵千尋は小田原藩士ですが、「七湯の枝折」や「東雲草」とは効能についての認識がかなり異なります。

倭漢三才図会卷98「石長生」
文政7年「秋田屋太右衛門」版の「倭漢三才図会」より「石長生」(左ページ)
(「国立国会図書館デジタルコレクション」より)
では、本草学の書物の記述はどうでしょうか。まず、「和漢三才図会」(正徳2年・1712年成立)では「石長生」の項に次の様に記されています。

石長生

かつへらさう/へねれんさう/シツチヤンスエン

丹草/丹沙草

俗云加豆閉良草/又云閉禰連牟草

本綱石長生石巖葉似而細如龍須而澤勁莖紫色高尺餘不餘草(マヂハラ)四時不

(「国立国会図書館デジタルコレクション」より、表題の順序を適宜入れ替え、送り仮名を上付き文字で、返り点を下付き文字で表現)

「かつへらさう」「へねれんさう」の呼称は上記の「嘉卉園随筆」の「蛮名カツテイラ, 又ヘンネレス, 或はカツペレソウ」に通じるものがあります(次の「加豆閉良草」「閉禰連牟草」はこれを漢字に置き換えただけですね)。しかし、挿絵に描かれた姿、そして「蕨に似ている」「色はヒノキの様」と記す特徴は、現在ハコネシダと呼ばれている植物の特徴とは合いません。特にハコネシダのハート型の葉の形が写されたにしては、あまりにも特徴が違うのが気掛かりです。そして、この記述の中では箱根や「紅毛人」に関しては触れられていません。「和漢三才図会」の巻ノ九十八は「石草」と副題が付けられ、シダ類の様に「石に生える草」が収められているのですが、この章の中にハコネシダに相当すると考えられる草は収録されていませんでした。

「大和本草」(宝永7年・1709年成立)でも「石長生」の項には

石長生(シノフクサ) 莖黑く或紫色細莖なり葉似又似四時不石岩又生山陰高尺許今按本草弘景時珍所説の石長生の形狀よくシノフに合へり

(「国立国会図書館デジタルコレクション」より、種名と漢文の送り仮名を除きカタカナをひらがなに置き換え)

とあり、形状についての記述はほぼ「和漢三才図会」と共通です。そして、こちらには「シノフクサ」という和名のみが記され、「かつへらさう」や「へねれんさう」といった、「紅毛人」由来と思しき記述は一切ありません。時期的には「大和本草」の方が「和漢三才図会」よりもやや早く成立したことになりますが、どちらも中国の本草書を参照しているので、「大和本草」と「和漢三才図会」との間に直接の参照関係があるとは一概に言えないところです。

そして「本草綱目啓蒙」(口述:文化年間頃刊行)では

石長生

ハコ子グサ  オランダサウ武州[ヲランダばなしと云双子本にあり咄本]

クロハギ加州  ヨメノハヽキ江州

ヨメガハヽキ新挍正  ヨメガハシ甲州

イシヽダ駿州  ホウヲウハギ同上

イチヤウシノブ阿州 イチヤウグサ伯州

〔一名〕丹陽草本草原始

幽谷石上に生す春新葉を生する寸紅色にして美し一科に叢生す莖の高さ一二尺[許]黒色にして光りあり漆の如し上に枝义多く分れ义ごとに一葉あり形三角にして鴨脚(イチヨウ)葉の如し大さ三四分深緑色秋に至れば葉背の末に一つの小褐片を生す即其花なり葉冬を經て枯れず[春に至り新葉成長して旧葉枯る]已に落葉する者は枝を連て束て箒とす タマバヽキと名く然れとも甚脆くして折れ易し此草元祿中紅毛人相州箱根に於てとり得て産前後に殊効ありと云るに因てハコ子グサと名く然れとも箱根に限らず諸州山中に多し

(「国立国会図書館デジタルコレクション」より、種名を除きカタカナをひらがなに置き換え、手書きの追記は[]内に記した、強調はブログ主)

本草綱目草稿冊2p02-152(石長生)
「本草綱目草稿」より「石長生」の記述(右ページ中程)
本の喉に近い辺りに「紅毛人」に関する記述が見える
(「国立国会図書館デジタルコレクション」より)

本草図譜巻33「はこねそう」
「本草図譜」(天保〜弘化年間)より「はこねそう」
前ページの解説は基本的に「本草綱目啓蒙」と一緒
一種として「ぬのとらのを」を挙げ
その異名として「カツヘレサウ」などの名を併記する
(「国立国会図書館デジタルコレクション」より)
と、ここでは石長生が「はこねぐさ」や「おらんだそう」等の名で呼ばれていることを、他の多くの異名と共に掲げていますが、上記で出て来た「かつへらさう」「へねれんさう」や「しのふくさ」の名称は取り上げられていません。形態の描写はハコネシダの特徴を良く捉えており、まだシダ類が胞子嚢で増える知識がなかった時代故にその名を用いていないものの、秋に葉の裏に褐色の小さなものが出来ること、それがこの植物の「花」であると記しています。そして、ここでは「紅毛人」が元禄年間に箱根で採取したこの草を婦人の産前産後に用いたと記しています。但し、著者の小野蘭山はこの草が箱根以外の地でも普通に見られるものであることに気付いていた様です。この後に「石長生」の一種として越後の「カラスノアシ」などの種を列記していますが、上記の引用では省略しました。

この「本草綱目啓蒙」の元となった小野蘭山の講義原稿ノートである「本草綱目草稿」の該当箇所を右に掲げました。この箇所も御多分に漏れず判読の困難なメモ書きになっていますが、「紅毛人」に関する記述は中央の本の喉(綴じ部)近くに書き込まれています。この書き出しに「土人曰く」と記されていることからは、蘭山自身はこの話を箱根の地元の人から伝え聞いたことになりそうです。

少なくとも、年代順からはこの「本草綱目啓蒙」で取り上げられた「石長生」に関する記述が、以後の「東雲草」あるいは「本草図譜」などの記述に影響を与えている可能性が高く、「風土記稿」の記述もその点ではこの「本草綱目啓蒙」の系譜に入ると言って良いでしょう。しかし、こうして見て行くと、ハコネシダに関する江戸時代の見解が必ずしも安定していないことが窺えます。今回は特に各種文献からの引用が多くなってしまいましたが、これらと「慊堂日暦」の記述がどう関係するのかについては、長くなりましたので次回に廻したいと思います。



追記(2016/03/28):国立国会図書館からの「近代デジタルライブラリー」終了のアナウンスに従い、同サービスへのリンクを「デジタルコレクション」へのリンクに切り替えました。

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