【動画】多摩川台公園〜古墳と多摩川遊覧と浄水場〜

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以前鷹狩や中原街道について調べていた時に見つけた史料を思い出して、ちょっとロケハンのつもりで撮りに行ったもの。本格的に作るなら春先に桜を合わせた方が良いかなぁ、と思いつつ、折角なのでひとまず作品としてまとめてしまうことにしました。

因みに多摩川台公園はこの位置。

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徳川家定の多摩川遊覧の件ですが、元になった史料は「大田区史」の資料編の中にあったもの。迂闊なことに資料編のどの分冊に収められていたかメモしていなかったので、何処の家のものか失念してしまいました。もっとも史料の名前はわかるので、もう1回図書館に行けばすぐにわかることですが。

ともあれ、史料の名称は「玉川辺亀ノ甲山江右大将様御成記録」と言います。嘉永3年2月27日、翌日に幕府の役人一行が当地に赴くので弁当の手配をするところから記録が始まります。その性質上家定の遊覧の目的は書かれていませんが、「徳川実紀」を見ると同年3月頃には家定の婚礼の祝儀について何度か記載が現れますので、その婚礼の挨拶を道すがら行う目的もあったのではないかと個人的には推察しています。予め中原街道を経て多摩川に至り、亀甲山筋を遊覧したあと碑文谷を経て下目黒の竜泉寺(目黒不動尊)で昼の膳を摂り、広尾・麻布を経て出発地である虎ノ門へと帰還するルートが予め定められ、その間の大名屋敷の名前が逐一挙げられています。但し「実紀」の当日の項には

この日 右大將殿には目黑のほとりへ成らせらる。(愼德院殿御實紀卷十四)

としか書かれていないので、これだけだと何をしに行ったかさっぱり不明なのですが。なお、徳川幕府において「右大将」は専ら将軍の世継ぎに対して使われていました。

これを受けて亀甲山周辺の見通しを良くするために竹木の伐採、道筋や小休処の整備、人足の手配から当日必要になる物品の手配まで、更には当日の行事を無事終えたあと関係者に配られた褒美の金額まで記されています。将来再び同様の遊覧で将軍家が訪問された時に備えるために記録を残したのでしょうか。もっとも、その数年後には時代が大きく変わる事件が起きる訳ですが。

そして、この史料に「御成御場所()絵図」が含まれ、村内の具体的な道筋が記されています。これによれば、下沼部の名主家に設置された「御小休処」を経て多摩川の渡船場に向かい、そこから浅間神社脇より「字亀山」に向けての道を進み、その先の山を上り下りして「御立場」に向かっています。つまり、明らかに亀甲山の上に登っている訳ですが、もしそこが古代の墳丘であるという認識があったら、果たしてこういう道筋を遊覧のために誂えたかどうか。明治維新後に墳丘の麓に浄水場を作るなどの動きを見ていると、どうもその認識はなかったのだろうという気がします。なお、今回は動画の進行を簡潔にするため名前を出せませんでしたが、東急線を挟んで多摩川台公園の向かいにある浅間神社内にも古墳があります。

因みに、最初に下沼部村に訪れた役人一行の肩書きが「御鳥見方」、その後のやり取りでも中心になっているのはこの「御鳥見方」で、「御鷹方」の名前も出て来ます。しかしながら当日は鷹狩は行われなかった様で(鷹狩のシーズンは冬が中心なので、既にオフシーズンと言って良い時期だったこともあるでしょうが)、飽くまでも鷹場を統括する責任者として彼らが受け持ちということになったのでしょう。

現時点では亀甲山古墳は未調査だそうですが、この遊覧の際に墳丘を平らげて見晴台に仕立てる過程で何かしら出ていてもおかしくなさそうで、どうして気付かれなかったのかという辺りも含めて、今後の発掘調査に期待したいところです。
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でも参照されている方が多い様ですので設置を継続します。

この記事へのコメント

- kame-naoki - 2012年10月13日 09:19:01

こんにちわ。

江戸時代には亀甲山古墳の上に道があったとは驚きです。見晴らしが良いことも関係しているのでしょうか。現在はフェンスに囲まれて、墳丘に立ち入れないのは残念です。

- kanageohis1964 - 2012年10月13日 09:46:49

コメントありがとうございます。私も最初にこの史料を見た時には古墳と結び付けることが出来ませんでした。絵図を現地と突き合わせて見ていて初めて古墳の上に道を通したことに気付いた次第です。

墳丘に立ち入れないのは保護上仕方ないのかも知れませんが、やはり一度調査はして欲しいですね。あれだけ林になってしまうと、表土が崩れていて道の痕跡があやふやになってしまっているかも知れませんが。

- イッセー - 2012年10月16日 20:09:31

こんばんは。

いつもありがとうございます。
徳川将軍は鮎漁などを楽しみに、よく多摩川へ遊びに来ていたようですね。
古墳の上に道を作って歩いちゃったってところが、知らないこととはいえ家定っぽいエピソードだと思います。
見晴らしのいい頂上付近ではしゃいだりして・・・。
本当に一度調査して、痕跡でも見つかると面白いですね。

- kanageohis1964 - 2012年10月16日 21:15:00

イッセーさん、ようこそいらっしゃいました。

そうですねぇ、家定満25歳の婚姻後の春の遠出ですから、流石にくつろいではいただろうと思いますが…。頂上でいきなり鳥を追い始めてそれが後に…なんてことじゃなかったらいいんですがw。

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