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【史料集】「新編相模国風土記稿」足柄下郡各村の街道上の位置(その3)

前回で「新編相模国風土記稿」に記録された足柄上郡の各道の地図の紹介は一巡しましたが、足柄下郡の方はまだ取り上げていない街道が残っていますので、今回はそれらを取り上げることにします。残っているのは甲州道と、箱根温泉道、そして観音順礼道の3本です。

今回の3本の道についても、基本的には「迅速測図」や明治29年の地形図から読み取れる道筋を基本に該当する道筋を推定していますので、必ずしも「風土記稿」当時の道筋と一致するとは限りません。特に「箱根温泉道」については、明治に入って早々から各温泉まで馬車などの車両で入れる様に道路改修に着手しましたので、明治29年の地形図が出来た時点で既に江戸時代の道筋とは異なっている箇所が出て来ていると思われます。このことから、あまり等高線の密度が高くないのに極端にヘアピンカーブを連ねて勾配を緩めている区間については、江戸時代にはなかった可能性が高いと判断して道筋を推定した箇所もあります。勿論、これらについては後日改めて検証の余地があると思います。

甲州道の足柄上郡側の地図については以前既に紹介しました。今回取り上げる区間はその南側に繋がることになりますが、小田原城下ではかなり狭い範囲に多数の町が密集しているため、それらが識別しやすい縮尺とするためにこれまでよりも大縮尺の地図としました。その関係で今回も地図を2枚に分けましたが、実際の距離は足柄上郡側の区間の方が遥かに長い点には御注意下さい。

井細田より南側の地域では、江戸時代の町や村の名が引き継がれなかった箇所が多く、特に荻窪・池上・井細田の3村は現在は「扇町」という町名に変わってしまったため、かつての3村の区域が現在の町名からは判断できなくなっています。以下の地図のこれらの町村の位置は飽くまでも目安としてお考え下さい。

この区間については、「風土記稿」上の記述との齟齬については特に課題となる点はなかったと思います。

甲州道:足柄下郡各村の位置(北半分)
甲州道の各村の位置(北半分)(「地理院地図」上で作図したものをスクリーンキャプチャ)

甲州道:足柄下郡各村の位置(南半分)
甲州道の各村の位置(南半分)(「地理院地図」上で作図したものをスクリーンキャプチャ)


箱根温泉道については以前この道の「見取絵図」を紹介しましたが、その見取絵図では「箱根湯治場道」という名称でした。この時には「ルートラボ」上で作成した地図を紹介しましたが、この地図作成時には基本的に国道1号線の道筋をそのままなぞった箇所が多く、必ずしも江戸時代当時まで遡り得る道筋とは言えない区間が含まれています。そこで、今回はもう少し精査を進め、大平台や底倉などの主要な集落の道筋については、以前の記事で紹介した「温泉の原風景:論集【温泉学Ⅲ】」に掲載されていた「箱根湯治場道見取絵図」も参考にして、主要な集落の中を進む道が江戸時代当時の道である可能性が高いと判断しました(もっとも、この縮尺ではそこまで細かい位置の違いを判別するのは困難ですが)。無論、精度はまだ十分とは言えないと感じていますので、引き続き精査は必要と思います。

なお、この図では街道の性格を考え、村名に現れない沿道の温泉場についても地図上にプロットしました。木賀や堂ヶ島は温泉道から多少逸れた場所にありますが、江戸時代の「箱根七湯」を繋ぐ道筋であることが窺えると思います。

箱根温泉道:足柄下郡中の各村の位置
箱根温泉道の各村の位置(「地理院地図」上で作図したものをスクリーンキャプチャ)


明治29年の地形図に見える観音順礼道
「飯泉」から「鴨宮」を経て東へ向かう道に当たる
(「今昔マップ on the web」より)
最後に観音順礼道ですが、これはその名称が示す通り、飯泉観音(飯泉山勝福寺)へ直行する「抜け道」的な性格の強いもので、道幅も5尺(1.5m)〜7尺(2.1m)と平野部の道としては特に細い道筋であったことが各村の記述から窺えます。また、それほど重要度のある道と認識されていなかったからか、沿道の記述が抜けている村が幾つかあることにも気付きます。ただ、この道を経ると国府津から「飯泉の渡し」への近道になりますので、あるいは酒匂川の渡しを「廻り越し」しようと画策する旅人が使った可能性もありそうです。

現在はほぼ全区間にわたって区画整理が行われた影響で、迅速測図や明治29年の地形図で確認出来る道筋を正確に辿ることは困難になっています。特に国府津から東海道線の敷地に至るまでの区間についてはほぼ道筋が失われたと見え、以下の地図では明治29年の地形図を参考にそれに近い線を引いています。とは言え、それより西側では当時もかなり直線的な道筋であった様で、ほぼ全区間が水田の只中を突っ切っていることが地形図に記された土地利用からもわかります。当時の土地利用であれば、沿道からは遠方の箱根や丹沢への眺望がかなり望めたのではないかと思います。無論、現在は全区間が市街化され、沿道に水田の残っている地域は皆無となっています。

この地図の製作過程で、以前作成した「風土記稿」各村の記述の一覧に、鴨宮村の記述が抜けていることに気付いたため、観音順礼道と六本松通大山道に追加しています。

観音順礼道:足柄下郡各村の位置
観音順礼道の各村の位置(「地理院地図」上で作図したものをスクリーンキャプチャ)




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