相模国の香蕈、高座郡の初茸と松露 補足

今回は以前の記事で書き漏らした点を2つほど補足します。

まず、前回、相模国の椎茸を取り上げた際に、各種の菌譜が毒きのこへの懸念を背景に製作されたことを指摘しました。それに絡んで以前の記事を使うつもりだったのをうっかり落としてしまったので、改めてここで触れ直します。

足柄上郡川西村の「男女妙薬 食物くい合いろは歌」を以前紹介しましたが、その中でもきのこに中った際の対処について記した箇所が2つほど見つかります。

  • ト:鳥。きのこ。うをにゑいたる ことあらば/紺屋のあいを のみて妙薬
  • 一きのこにゑたるには 竹がわせんじのむべし 竹がわなくば竹がわのぞうりをせんじて用めべし 妙也

(「山北町史 史料編 近世」1361、1364ページより、ルビは一部省略、歌中の改行は/に置き換え)


もっとも、ここではきのこに「ゑ(い)たる」、つまり「酔う」という言い方なので、その点ではあまり症状の重くない中毒を考えていたのかも知れません。「紺屋のあい」、つまり藍染めに使う藍や竹の皮が効くとしている訳ですが、前者については「和漢三才図会」の「藍」の項に「汁 殺百虊毒及蜂蜘蛛斑蝥砒霜石等」(「国立国会図書館デジタルコレクション」より)とあり、また後者については同じく「和漢三才図会」の「竹筎(ちくじょ)」の項に「俗云竹甘膚(アマハダ)…治嘔啘吐血鼻衂(ハナチ)五痔腸曀傷寒勞復婦人胎動小兒熱燗」(同じく「デジタルコレクション」より)などと書かれています。いろは歌にある効能とは必ずしも合っていませんが、あるいはこうした漢方処方の知識が断片的に民間に伝承し、ものによっては変化が加わったのかも知れません。

何れにせよ、きのこ毒も蛇毒と同様に、江戸時代当時には山中の村で暮らす人々には主要な懸念の1つではあったことが、この「いろは歌」からも窺えると思います。



一方、前回の記事では、菌類が神奈川県のレッドデータブックに取り上げられたのは2006年版が最初であることを記しました。先日高座郡の初茸と松露を取り上げた際には、このレッドデータブックの内容については触れていませんでした。

豊島屋本店の「三品漬」で必要となる初茸と松露のうち、2006年版のレッドデータブックでは松露が次の様に記されています。

ショウロ Rhizopogon rubescens (Tul. & C. Tul.) Tul. & C. Tul. (ショウロ科 Rhizopogonaceae

県カテゴリー:絶滅危惧Ⅱ類

判定理由:生育環境が減少傾向にあるため

生育環境と生育型:春、海岸のクロマツ林床の土壌中に子実体を形成。マツの根に外生菌根性。

生育地の現状:海岸沿いのクロマツ林が減少している。

存続を脅かす要因:管理放棄、自然遷移

県内分布:横浜市、藤沢市茅ヶ崎市

国内分布:各所のクロマツ林

標本:(省略)

特記事項:本種は、かつて県下では湘南海岸などに多産し、産業的にも収穫されて銘菓の材料などに用いられていたという。人手が入り管理されていた海岸沿いのクロマツ林が減少したことにより、本種の発生は著しく減少したものと考えられる。他方、本種は、撹乱地を好むということも知られており、新たに造成された公園などに発生することがあり、国内移入の可能性も否めない。里山のような人間生活と自然とが調和した環境を象徴する種であり、今後、本種の生育環境が再現されることが望まれる。本属は、現在ではハラタケ目イグチ科に置かれるが、ここでは腹菌類として旧来の分類学的所属を適用した。

(「神奈川県レッドデータ生物調査報告書 2006」2006年 神奈川県立生命の星・地球博物館 157〜158ページより)


銘菓の材料などに」という記述が「三品漬」や同じ豊島屋本店の「松露羊羹」を指していることは確かでしょう。前回触れた通り、現状では菌類の神奈川県内の分布に関しての研究の蓄積が乏しく、判定に難儀する中で、こうした食用のきのこについては過去の生産事例なども参考にした様です。松露の場合は単に松林があるだけでは生息環境の十分条件とはならないことを重く見たということになるでしょうか。

一方、同じく「三品漬」で必要となる初茸については「神奈川県レッドデータブック」では取り上げられていません。「日本のレッドデータ検索システム」では、ショウロについては神奈川県を含む9府県が何らかの絶滅カテゴリーに指定しているのに対して、ハツタケについては京都府と愛媛県が「準絶滅危惧種」カテゴリーに指定しているに留まっており、この比較を見る限りでは、ハツタケの生息環境はショウロほどには切迫した状況にはなっていないと判断している府県が多いと言えます。もっとも、現状では菌類をレッドデータ判定の対象としていない都道府県もあるので、今後菌類の地域分布の研究が進んできた時にどの様な判断になるかはまだ流動的とも言えそうです。

また、ハツタケの生息環境をもう少し詳しく調べてみると、ハツタケもショウロほどではないにしても比較的「若い」松林に好んで発生する傾向があり(例えばこちらのページやWikipediaなど)、その点では上記のレッドデータブックの記述にある「人手が入り管理されていた海岸沿いのクロマツ林が減少」という事情は、ハツタケの生息にも影響があるのではないかとも思います。少なくとも藤沢市から茅ヶ崎市にかけての砂丘地帯が宅地化される中ではこうした環境が失われてきたのは確かで、その観点ではより局所的に見た時には分布域に影響なしとは必ずしも言えないのではないかと思われます。

なお、「三品漬」で初茸、松露とともに必要となる防風、すなわちハマボウフウですが、これについては「神奈川県レッドデータブック」には記載されておらず、「神奈川県植物誌 2001」(神奈川県植物誌調査会編 2001年 神奈川県立生命の星・地球博物館刊)に

ハマボウフウ Glehnia littoralis F.Schmidt ex Miq.

ふつうは草丈は30cm以内、茎、葉柄、花柄ともに長軟毛が密生する。葉の縁は軟骨質で淡色、ごく低い不規則な鋸歯となる。萼歯は錐状で明瞭。花弁は無毛。果実は長さ1cm程の倒卵形。すべての隆条は細毛に覆われた厚い稜となる。花期は5〜7月。北海道本州、四国、九州、琉球;朝鮮、中国、台湾、サハリン、オホーツク海沿岸に分布。県内では三浦半島や湘南海岸の砂地に普通。

(同書1086ページより)

と解説されていて、こちらも県全体では今のところ特に心配されている種ではありません。しかし、鵠沼郷土資料展示室運営委員であった渡部 瞭氏によれば、

湘南砂丘地帯の特産物として、辻堂駅の開業当時、ハマボウフウ(学名:Glehnia littoralis)と共にホームで売られたと聞く。ハマボウフウも一時姿を消し、1979(昭和54)年4月17日に伊藤節堂会員が鵠沼海岸のサイクリング道路で再発見したことが『鵠沼』9号に紹介されている。現在、辻堂の愛好者団体「湘南みちくさクラブ」が復活に熱心に取り組み、成果を得ている。

(「鵠沼を巡る千一話/第0014話 鵠沼といえば松」より)

とあり、やはりかつての産地に限れば必ずしも安寧な状況とは言えない様です。



追記(2016/03/28):国立国会図書館からの「近代デジタルライブラリー」終了のアナウンスに従い、同サービスへのリンクを「デジタルコレクション」へのリンクに切り替えました。
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でも参照されている方が多い様ですので設置を継続します。

この記事へのコメント

- annie39 - 2015年09月07日 23:36:14

終点を見ただけで場所を当てるとは・・・
確かに機能性は進化しているんでしょうが
使わ無いことが一番ですね

Re: annie39 さま - kanageohis1964 - 2015年09月08日 11:06:41

こんにちは。コメントありがとうございます。

annie3さんのブログの終点の件ですね。三崎口のあれは以前から延伸問題などで取り上げられていることもあって記憶にありました。あの先はもう県が保護を決めたエリアにかかってしまいますから、実現が難しくなったかなと。
車止めの開発の過程では効果を試験しているでしょうが、現実になってしまうと問題ですからね。

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