「東海道五十三次細見図会」に記された南湖の名物をめぐって

以前、松崎慊堂の「慊堂日暦」に記された梅沢や南湖の立場で出されたものを取り上げたことがありました。今回はその記事の補足です。

東海道五十三次細見図会:藤沢
歌川広重「東海道五十三次細見図会」より藤沢
(「国立国会図書館デジタルコレクション」より)
東海道五十三次細見図会:藤沢より南湖付近拡大
左の図の右上辺りの拡大
「南古立ば」「名物/あんこう/ふぐ」と記されている
その左手には「なんごの浦」の字も見える

「東海道五十三次細見図会」という、歌川広重が弘化年間(1844〜47年)に描いた画集があります。縦位置の図の上半分に各宿から次の宿までの道程を俯瞰的に眺めたものを描き、下半分には街道で見られる旅人の風俗画を描いています。「国立国会図書館デジタルコレクション」ではそのうちの7点が公開されているのですが、そのうちの「藤沢」の図に、「南古立ば」「名物/あんこう/ふぐ」と記されているのが確認出来ます。

更に、その左側には砂浜に「なんごの浦」と書かれ、海上には漁船らしき船が5〜6艘描かれています。南湖の立場で出されているこれらの魚がこの浦から水揚げされてきたものであることを強調するかの様な構図になっています。「慊堂日暦」の記述と考え合わせると、幕末には南湖の立場が鮟鱇を売りにしようとしていたことは確かな様です。

東海道五十三次細見図会:大磯
「東海道五十三次細見図会」より大磯
(「国立国会図書館デジタルコレクション」より)
東海道五十三次細見図会:大磯より梅沢〜前川付近拡大
左の図の上部拡大
右手に「梅ざハ 立ば」と記されている辺りには
名物の記述はなく
左手の「前川」の辺りには
「めいぶつ/うどん/そばきり」と書かれている

もっとも、この「東海道五十三次細見図会」に記された名物には、その取捨選択に奇妙な部分も見えてきます。「大磯」の図では、梅沢の立場については名物について何も記していませんが、その先の「前川(「国立国会図書館デジタルコレクション」の画像では「川」の上の字が虫喰い状態になっているものの、地理的な位置関係や僅かに見えている字の一部から「前」の字と判じて良いと思います)」について「めいぶつ うどん そばきり」としています。しかし、前川の蕎麦や饂飩について殊更に持ち上げている道中記などはあまり目にしないと思いますし、少なくとも梅沢の鮟鱇ほどに知られた存在であったと言えるかは疑問です。

実際はこの「東海道五十三次細見図会」のシリーズは完結しなかった様で、現在知られているのは日本橋から小田原までの10点に留まっているとのことです。「国立国会図書館デジタルコレクション」で公開されているのはそのうちの7点ということになるのですが、日本橋に近い各宿の図に記された名物には大森の「麦わら細工」、蒲田の「和中散」、鶴見橋の「米饅頭」、神奈川宿青木町の「亀の甲せんべい」、境木の「ぼたもち」と、比較的妥当と思われる品の名前が並んでいて、この辺りまではさほど不自然さを感じさせるものはないと思います。強いて言えば、「川崎」の図(「国立国会図書館デジタルコレクション」には収められていないので、「日本銀行貨幣博物館」の図で確認しました)に生麦の名物として「すしや」と記されているのが比較的珍しいのですが、この地は古くからの漁師町ですから、ここで寿司屋が営まれていたとしても納得できるところです。

それに対して、「戸塚」の図には名物に関する記事が見えず、藤沢以降の記述は上で見た様な状況になっている訳です。次の大磯までの距離が短い「平塚」の図には名物の記述が無いのは理解できますが、馬入の渡しを渡った先の「八まん町」のあたりに「これより中山道くまがへ(熊谷?)江出る道有」と、この図に記すにしては奇妙な道案内が見えます。平塚新宿から北へ分岐する道を指していることから、恐らくは平塚道のことを言っているのだろうと思われるものの、それであれば厚木か、精々八王子を行き先として示すべきところでしょう。生憎と「小田原」の図は未見ですが、江戸から離れた地域の俯瞰図上の記述に疑問を感じるものが散見される傾向がある様に見受けられます。


こうした俯瞰図に記す内容については、広重自らが書き記したというよりは、広重に絵を依頼した版元側から指示があったと見るべきでしょう。元よりそれほど大きくない図に比較的広い地域の情報を書き込む訳ですから、どの情報を書き込むか、その取捨選択が重要になってきます。この「東海道五十三次細見図会」を出版したのは「村鉄」という版元です。この版元について詳しいことはわかりませんが、上記の様な状況から考えると、どうも俯瞰図に記す名物などについて版元側が充分に取材を行っておらず、それが記載内容に反映してしまっている様に見えます。穿った見方をすれば、取材が行き届かなくなって企画倒れになったために、画集が中途で途絶してしまったのではないか、という気さえします。

南湖と梅沢の位置
南湖と梅沢の位置(「地理院地図」上で作図したものをスクリーンキャプチャし、リサイズ)

従って、梅沢の鮟鱇について記載がない中で南湖の鮟鱇が記されている点についても、梅沢の鮟鱇が衰退したと見たり、南湖の鮟鱇が梅沢を凌駕するに至ったと判断したりすることは出来ないと見るべきでしょう。前川の蕎麦切り・饂飩についても、その点で繁栄の度合いを推し量るのが、この絵図だけでは難しいと言わざるを得ないと思います。

とは言え、南湖の立場について当時の詳しい事情を伝える史料が乏しい中では、「慊堂日暦」と共に南湖の鮟鱇の存在を伝えてくれることには変わりなく、その点では引き続き貴重な存在であると言えます。勿論、下半分に描かれた旅人の風俗を描いた絵はどれも如何にも広重らしいユーモアに満ちたものばかりで、今ではそちらの方を主に鑑賞され、評価されている錦絵というべきなのでしょうが。

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でも参照されている方が多い様ですので設置を継続します。

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