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【史料集】「新編相模国風土記稿」足柄下郡各村の街道の記述(その1)

前回に続いて、「新編相模国風土記稿」内の各村の街道に関する記述を拾って一覧化する作業を続けています。今回は足柄下郡の各村の記述を拾いました。

東海道の場合、他の街道に比べて記述が厚くなっており、特に宿場や渡場、更には山中の各坂の記述が厚めになっています。そのうち、宿場の継立に関する記述は以前まとめたことがあります。そこで、問屋などに関する記述はそちらに譲り、ここではそれ以外の街道に直接関連する記述のみを拾いました。また、由緒に関する記述や高札場の札書きには興味を惹かれるものも少なくないのですが、分量が多いため大半は割愛せざるを得ませんでした。それでも東海道だけで相当な分量になるので、それ以外の街道の記述は次回に廻すことにしました。

今回東海道分だけになりましたので、ここで名前が登場する各村の大凡の位置をプロットした地図を添えます。出来れば同様の地図を他の街道について準備出来ると良いのですが、道筋をはっきり掴んでいない道も多いので、差し当たっては一部の街道に留まりそうです。

東海道:足柄下郡中の各村の位置
東海道筋の足柄下郡中の各村の位置(概略)
(「地理院地図」上で作図したものをスクリーンキャプチャし、リサイズ)



「風土記稿」の説明
東海道羽根尾村三十七
(十六)
東海道巽方に係る、幅五間、
◯塔臺川 西境に在、幅五間許、土橋を架す、長七間、古は板橋なりしと云、當村・川勾兩村の持、
※羽根尾村の位置関係から考えると、塔台川はむしろ東境になっている区間の方が長いが、恐らくは東海道の掛かっている飛地の位置関係で見られているものと思われる。なお、羽根尾村の飛地と前川村の間に淘綾郡川勾村飛地が挟まっているが、上記では川勾村が淘綾郡の属であることが書き漏らされている。
前川村三十七
(十六)
東海道村南を貫けり、幅五間、
◯小名 △車坂海道中にて、西に下れる一町許の坂あり、按ずるに、太田道灌の平安紀行に、車坂の里と見えしは此處なり、曰、車坂と云里にて、夕立頻に降きそへば、鳴神の聲も頻に車坂轟し降る夕立の空、又韓使來聘の時は、此地の路傍に、休憩の茶屋を建るを例とす、其間口百三十間餘と云う、
◯塔臺川 東に在、幅三四間、當村に手は羽根尾川と呼、羽根尾は上流の村名なり、當村にて海に沃ぐ、◯西川 西に在、幅六尺、村内民家の背後より出、水末直に海に入、土橋一あり、西橋と呼、 ◯澤三 西谷津橋幅七間半、下流は櫻川と唱ふ、土橋を架す、長五間、櫻橋と云う、 東澤幅五間、下流を關ノ下川と唱ふ、以上二流は東海道を横切海に入、…等の名あり、
國府津村三十七
(十六)
東海道南に係る、幅五間、
◯小名 △市場東海道中の西、親木橋詰を云、驛家たりし遺名なるべし、今は市あるに非ず、
◯森戸川 村西を流れ、幅三間半、直に海に入、東海道の通ずる所土橋を架す、古は板橋にて高欄有しといふ、親木橋と唱ふ、長十二間四尺、幅二間半、橋上にて西望するに富嶽まほに見ゆ、因て此邊にては、富士見川とも呼ぶ、◯逆川佐加左可波 酒勾堰の末流なり、幅三間半、親木橋邊にて森戸川に合す、…
小八幡村三十六
(十五)
東海道村の巽方を貫く、幅五間、路の左右に松の並木あり、此地立場なり、上は小田原宿、下は淘綾郡山西村小名梅澤立場まで、各一里、
◯一里塚 東海道中の東にあり、左右相對せり、高二間、鋪六七間、塚上に松樹あり、上は小田原宿入口一里塚、下は淘綾郡山西村小名梅澤の一里塚に續けり、
酒勾村三十六
(十五)
民戸百十八、東海道側に連住す、……東海道村の東西に貫く、幅五間、當村川越の役を勤むるを以て、小田原宿の助鄕は免除せらる、
◯小名 △はんべ東海道の通衢にて、西の方長一町餘の所を云、…
◯酒勾川 西界を流て直に海に入、◯川越場 酒勾川にあり、東海道の係れる所なり、當村及び對岸網一色村山王原村の三村にて、歩行人夫を出し、其役を勤む、人夫は三百十九人を定額とし、數内當村百六十四人、網一色村六十二人、山王原村九十三人、日々二十人東西涯各十人、河涯に出、赤體行人を肩して渡せり、又輦臺越をもなす、人夫四人にて舁り、輦臺壹挺の價は、人夫二人の雇錢に換ふ、輦臺の數、三村にて凡七十五挺を定額とし、又高欄を附たる輦臺三挺あり、こは諸家の通行に備ふる所なり、往來繁劇の時は、定額の人歩を悉出し、尙足ざれば、河涯の村々に課して人歩を出さしむ、網一色村舊家四郎左衛門家藏文書曰、兩村にて不叶と見及たる時は、中島・町田・今井三ヶ村之人足も加、往還衆遅々なき樣に川越可仕と、急度手形取置可有之候 以上、巳九月二十六日、高松與三右衛門殿、小野甚太夫殿、藤井惣右衛門殿、町田六右衛門殿、御勘定所、此配符一色村四郎右衛門所に御置候樣に御渡し可被成候云々、按ずるに、寛永中稻葉丹後守正勝所領の頃なるべし、人歩の定價は、一人にて平水水中深さ一尺八寸を云、三十五文、水增せば水の深さ二尺三四寸を云、四十八文を定とせしに、彼三村水火の兩災に罹り、人民困厄せしをもて、文政元年十月官に願ひ、五年の間增錢を許可ありしより、平水四十六文、增水六十二文を定額とせられし後は、期年に至り又許可ありて今に然り、凡水の深さ三尺三四寸に至れば三合水と云、往來を留む、川明の差も是に倣ふ、山村に川瀨踏を司どる夫二人ありて、水の淺深を試み、往來を通ず、但川留川明の時々宿繼を以て道中奉行に達す、十月五日より明年三月五日に至るの際は、土橋を設け往來を便す、土橋の費用は、領主より與へ、造作の人夫は、近村に課す、… △高札場 川越の掟を示す所なり 高札凡四枚あり、其一曰、… △川會所 高札場の向にあり、間口七間、奥行四間、川越の事を司どるもの名主・組頭・川頭・岡居役・小頭の五等なり、日々爰に出て、其指揮をなせり、對岸網一色村にも、亦川會所あり、
◯菊川 西方を流れ、村南にて海に入、幅四五間、末は十間餘に至る、東海道の通ずる所に土橋を架す、長十二間、横二間半、傳ヶ橋と呼ぶ、此橋邊、【盛衰記】に見えし…
網一色村三十三
(十二)
民戸五十三、東海道往還の兩側に住す、…東海道村南に係る、長六町四十三間、幅五間、古は海濱を通せしと云、當村は酒勾川越の役を勤む、故に諸役免除せらる、舊家四郎右衛門藏、元和中磯部源五郎・上村忠左衛門等の下知狀に、寛永中の文書に、其鄕中河越仕候に付、諸役可爲赦免者也とあり、又寛永四年、御代官八木次郎右衛門重明の下知狀に、あみ一色之村、酒勾川越に付諸役不仕候由、前々之御地頭衆、御代官衆より之任證文、私等も指置申候云々と載す、
◯高札場一 酒勾川越の掟を示す、事は酒勾村に詳なり、
◯川會所 酒勾川越の事を指揮する所にて、山王原村と組合持なり、間口五間、奥行六間、川越の事を進退する事は酒勾村に辨ず、
◯酒勾川 東堺を流る、幅五町二十間、海道中渡場あり、對岸酒勾村、及隣村山王原村と組合て、川越の役を勤む、事は酒勾村に辨ぜり、
◯橋二 東海道中用水堀に架す、千貫橋と唱ふ、長二間、横二間半、欄干あり、古は板橋なりしを延寶七年石橋となす、其費千貫目に及り、故に名とす、一は埋橋なり、長二間、横二間、共に領主より修理せり、
山王原村三十三
(十二)
民戸百一、東海道側に連住す、…村の艮方より坤方へ貫ける一條は東海道なり、長六町十九間、幅五間、古は海濱を通じ、小田原古新宿町へ達せしと云、今此道同所新宿町へ達せり、村民酒勾川越の役を勤むるを以て諸役を免除せらる、網一色村名主四郎左衛門家藏、元和寛永中の文書に、其免除の事見えたり、
◯蘆子川 西を流る、久野川の下流にして、村内に入初て蘆子川と唱ふ、幅二十間、村の巽方にて海に入、…
◯山王橋 東海道中蘆子川に架す、板橋なり、長十八間、幅三間、山王社に近ければ、かく名づく、領主の修理なり、
小田原宿二十四
(三)
郡の南方海岸に傍て平衍の地なり、東海道五十三驛の一、江戸日本橋より行程二十里十町三十八間、小淘綾里と唱ふ、當宿の地形、小田原城の東南を擁せり、城下町都て十九町の内、東海道の大路に値れる所を通町と稱す、其長東西二十町五十六間、道幅五間、其町々は新宿・萬・高梨・宮ノ前・本・中宿・欄干橋・筋違橋・山角の九町なり、
…かく繁榮の地なれど、市廛皆茅屋なりしを、天正十七年、北條美濃守氏規上洛の時、洛中の町作り皆板葺なるを見て、歸國の後、其由氏直に聞えあげしかば、やがて命じて當所大路の比屋に板庇をかく、【北條五代記】曰、…今は市中瓦屋もあれど、多くは板屋なり、其製他に異なり、是を小田原葺と唱ふ、
…宿内本陣四宮ノ前町、欄干橋町各一宇、本町二宇、建坪二百二十九坪半より二百九十七坪半に至る、脇本陣四宮ノ前町、中宿町各一宇、本町二宇、建坪、八十四坪半より百八坪に至る、旅籠屋九十五凡三等、上十六宇、中二十三宇、下五十六宇、且茶肆市廛軒を連ね、繁富の地なり、されど田圃なく農事の稼なければ、行旅の休泊に活計をなし、海濱の漁業をもて生產を資く、故に今は宿高はなく、地子錢を領主に貢ずとなり、元祿の改には、高五百七十一石二斗七合、小田原府内と載す、今も府内谷津村は、別に村高あり、又竹花町に少許の持添地あり、
◯一里塚 江戸口の外 南側にあり、高六尺五寸、幅五間許、塚上榎樹ありしが、中古枯れ、今は松の小樹を植ゆ、古は雙堠なりしに、今隻堠となれり、盖海道の革まりし頃、一堠は海中に入しならん、此より東は小八幡村、西は風祭村の里堠に續けり、
◯新宿町江戸口の内にあり、當町より以下山角町に至るまで次第に西行して東海道の大路に連れり、
◯蹴上ヶ坂 東海道中にあり、僅のなだれなり、
◯高梨町大路より北に折るゝ横町は、甲州道の岐路なり、
◯宮前町◯舊家金左衛門 本陣なり、淸水を氏とす、…慶長中町大名主或は町代官とも稱す、を勤む、夫より今の金左衛門が父の時迄、町年寄名主役を勤めしとなり、
◯本町◯舊家甚四郎 久保田氏なり、…寛永の頃より町年寄役或は名主役を勤む、今は本陣にて宿老を兼ぬ、
※戦国時代以前の由緒に関する記述は基本的に省略したが、江戸時代時点の景観に関するものは史料の引用箇所を外した上で残した。
板橋村二十六
(五)
今も府内の西に續き、東海道側長五町餘、に民戸連住す、…東海道東西に貫けり、幅四間餘、
◯山二 村の西北にあり、御塔山於多布也麻、名義は妙福寺の條に出す、…と唱ふ、 ◯御塔坂 西方東海道にあり、御塔山の麓なり、登三十間、降五十間許、
風祭村二十六
(五)
東海道村中を貫けり、道幅二間、或は三間、當場は立場なり、東方小田原札ノ辻より二十六町、西方湯本茶屋へ一里、
◯一里塚 東海道側に雙堠あり、高各一丈、塚上に榎樹あり、圍各八九尺、東方小田原宿、西方湯本茶屋の里堠に續けり、
入生田村二十六
(五)
東海道東西に通ず、道幅二間より三間半に至る、
◯駒留橋 東海道中湯本村界の淸水に架す、石橋なり、長三尺、幅二間、兩村の持、橋上に賴朝卿馬蹄の跡と云あり、旅人此橋に足痛の立願す、此餘二の小石橋あり、宮澤橋淸水橋と稱す、皆海道中の淸水に架す、
湯本村二十七
(六)
東海道村の中程を貫く、幅二間、…又海道中小名中宿より北へ下り、二町餘にて當村溫泉へ至る道幅六尺、あり、
◯小名 △駒留入生田村境の小流に架せる駒留橋の邊なれば、この名あり、 △山崎 △三馬橋 △下宿 △藪ノ内 △中宿 △早雲寺前 △堂ノ前地藏堂前を云、以上東海道中にあり、
◯土橋 三枚橋と呼ぶ、東海道中早川に架す、長二十二間幅一丈餘、元は板橋なりしと云、領主の修理なり、此所より西折溫泉場への岐路ありて、橋邊茶鋪軒を連ねり、湯本細工及米饅頭を鬻げり、橋を過れば、道次第に崎嶇往來甚艱めり、路の左右峯巒層見疊出、加之早川の流噴迫して水聲琅然、頗る山中の勝地なり、
湯本茶屋二十七
(六)
東海道の往還係れり、幅四間、當所立場にて、下は風祭村立場、上は畑宿立場へ各一里、休憩の茶鋪あれば、村名となれり、古は湯本村の内なり、元祿の改には、湯本村内湯本茶屋と載す、里俗に臺の茶屋と呼は、湯本村より坂を登り、地勢漸く高險なればなり、
◯觀音坂 海道の西方に在、登り二町許、此邊を字古堂と唱ふ、古觀音堂ありし故の名と云、板橋村の傳には、村内地藏堂、昔當所にあり、故に古堂の名ありと云、 ◯葛原坂 是も海道中、須雲川村堺に在、登り一町許、
◯一里塚 海道の西邊左右に並べり、高さ五尺餘、塚上に榎樹あり、圍六尺五寸許、当方は風祭村西方畑宿の一里塚に續けり、
◯ 一盃水 海道にあり、山間涌出の淸水なり久旱と雖ども涸ることなし、往來の旅人嶮岨艱難の路を經、爰に至て一杯の水を掬し渴を凌ぐべし、故に此名あり、
◯土橋 海道中の小流に架す、猿澤橋と名づく、長二間、幅八尺、
◯鎗突石 往還西の方に在、大さ一間餘、石上に曾我五郎鎗にて突しと云痕あり、
須雲川村二十七
(六)
村の中程を東海道貫く、幅四間、
◯女轉シ坂 海道中の西方にあり、登り一町許、昔婦人驛馬に乗り、此にて落馬す、故に此名ありと云、 ◯割石坂 是も海道中にて畑宿の境にあり、登り一町許、路傍に一巨石あり、長四尺、横三尺、厚さ五寸許、相傳ふ曾我五郎時致、富士野に參り向ふ時、此坂にて佩刀の利鈍を試んとて斫割れる石なり、其の半片は溪間に落しとなり、
◯須雲川 女轉シ坂の下にて海道を横ぎり、北方城山の麓を流る幅十間、水上には山生魚生ず、
◯土橋二 一は須雲川に架す、須雲橋と云、長六間、幅二間半、元板橋にて欄干あり、今假に土橋とす、一は村東の溪川に架す、二ノ塔橋と呼、長三間半、幅二間半
畑宿二十七
(六)
此地は東海道中の立場にて湯本茶屋へ一里、箱根宿へ一里八町、民戸連住し宿驛の如し、…東海道東西へ貫けり、幅二間餘、宿の上下入口二所に、海道を挾み石垣を築き、宿内長二町餘の界を定む、高八尺、長二間、幅九尺、正徳元年新築す、
◯小名 …△大平於伊多比羅◯二子山麓なり、危磴數所を攀躋り、此地に至て地勢稍平夷なり、故に此の名あり、爰に醴を鬻げる茅店五あり、土俗甘酒茶屋と云、凡山中所々にて是を鬻げり、
◯割石坂和利伊之佐加 須雲川村の界にあり、登り三町程、 ◯大澤坂 大澤川の邊にあり、登り三町餘、 ◯西海子坂佐伊加知佐加 宿外西の方にあり、以下次第して箱根宿に至、登り二町許、路傍に一巨石あり、沓掛石と云、方九尺、來由詳ならず、此坂山中第一の峗[山虗]にして、壁立するが如く、岩角を攀緣して陟るべし、一歩も謹ざれば、千仭の岩底に陷れり、◯橿木坂加志濃起佐加 登り五町許、峭崖に橿樹あり、故に此の名を得、… ◯猿滑坂佐留須部里佐加 登一町許、殊に危嶮、猿猴と雖どもたやすく登り得ず、よりて名とす、… ◯追込坂布都古美佐加 登二町半餘、 ◯於玉坂於佗磨佐加 登二町半餘、 ◯白水坂志呂美都佐加 登十二間餘、 ◯天ヶ石坂天無加伊志佐加 登七間餘、坂側に一巨石あり、方八尺餘、天ヶ石と云、天蓋石の訛なり、其形天蓋に似たればなり、此所箱根宿界にて、山中海道の最高頂なり、爰より次第に下れり、
※坂に関する由緒を記した部分は割愛。
◯千鳥橋 大澤川に架す、長幅各二間、古は土橋なり、寛政十年石橋となす、欄干あり、領主の修理なり、
◯一里塚 西海子坂の下海道の左右にあり、各高一丈五尺、東は湯本茶屋、西は箱根宿の一里塚に續けり、
◯施行所 割石坂に在、文政七年江戸吳服町の商人加瀨屋友七なるもの、人夫驛馬嶮路跋陟の勞苦を憩しめんが爲に、施行所を此地に建んことを願上しかば、許可せられ、三百四十坪間口十七間、奥行二十間、の地を恩借せらる、よりて爰に施行所を建、間口六間に奥行四間、屋後別に小座敷あり、年每に金五十兩を出し其費に宛つと云、
元箱根 下二十九
(八)
賽ノ河原 湖水の東岸にて、東海道の係れる所なり、此處の敷地は小田原領の内にて、堂塔等は皆金剛王院の指揮に屬す、こは元文四年定らるゝ所なり、
箱根宿二十七
(六)
東海道五十三驛の一なり、正保及元祿の國圖、幷に箱根町と記す、相傳ふ此地宿驛を置れしは、元和以後の事なり、關西の諸侯朝觀往還の時、箱根山の嶮峻にして、且郵驛路遠く、仰を奉り山野を闢き、三島豆州の屬、・小田原兩驛の民を遷され、此地に新驛を置る、是を以て今宿内に三島町・小田原町の二名あり、 此時三嶋御代官八木二郎右衛門重明、小田原御代官中川勘助安孫等より、宿内驛馬の役を勤る輩に、夫食米三全俵を賑給ありしとなり、…民家百九十八、數内、本陣六軒、脇本陣一軒、驛舎三十九軒あり、田圃なく、無高の地なれば、地子は古より免除せらる、…東海道は東西に貫く、道幅四間、
◯小名 △三島町 △小田原町 △蘆川町 △新町 △新谷町志無夜末知◯以上宿内の小名なり、 △吉原久保 △三ッ谷 △賽ノ河原地は當宿に隷し、所在の堂塔及民家の如きは、皆元箱根の指揮に係る、故に彼條に詳載す、
◯權現坂 海道中東の方にて、箱根權現社地の前にあり、一に八町坂と云、畑宿界天ヶ石より西へ降る坂にて、長八町あり、故に名づく、此坂を降り盡て賽ノ河原に出づ、此所新道なり、昔は權現横大門の鳥居を入社地をすぎ、大鳥居を出て今の道に合せしとなり、 ◯向坂 蘆川町の西にあり、爰より次第に西行して挾石坂に至る、坂路頗る峻嶮にて老杉左右に駢列し、晴陰をいはず、常に烟霧多く、咫尺を辨ぜざる時あり、 ◯赤石坂 ◯風越坂加左古志左加 ◯挾石坂波左美伊志左加 此坂を陟り盡して、地勢漸く開く、傍示杭二本あり、一は豆相二州の分界を標し、一は御料と小田原領を分てる傍示なり、
◯一里塚 小名吉原久保の路傍左右にあり、高五尺八寸、幅二丈二尺、上に檀樹生ず、東は畑宿、西は山中新田豆州の屬、の一里塚に續けり、
◯蘆川 蘆川町の西にあり、鞍掛山より出、是も湖中に入、幅二間餘、石橋を架す、蘆川橋と云、…
◯箱根御關所 宿の東方にあり、世々小田原領主の預り警衛する所にして、【寛永譜】曰、…今大久保加賀守忠眞奉り、家士若干を置て守らしむ、此地は西面の要害にして、譏察尤嚴なり、建置の始を詳にせず、或は元和四年、箱根新驛開けし頃の事なるべしといへり、安國殿御家譜には、慶長十五年頃の事となす、
◯時鐘所 小田原町の東屋背にあり、鐘は寛保三年七月新鑄する所なり、小田原領主の置所にて、關門開閉の爲、時を報ずる所なり、

注:

※何れも雄山閣版より。字母を拾えなかったものについては[]内にその字の旁を示した。

※巻数中、括弧内は足柄下郡中の巻数。

※本文中、…は中略。大半は中世以前の由緒についての文献の引用。

※村の配列は、「足柄下郡図説」で掲載された各街道の記述の順に合わせた。

※街道中の坂、橋、一里塚等の施設は、文中にその名が現れる場合は含めた。明記がない場合でも街道筋にあることが判明しているものは可能な限り含めたが、遺漏の可能性なしとしない。





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