相模国の山菜について:「新編相模国風土記稿」から(その3)

前回に続いて、「新編相模国風土記稿」に記された「蕨」「薇」「独活」「薯蕷」について見ていきます。今回は、神奈川県内に伝わる民話から、これらの植物が登場するものを探し出してみました。

現在は相模原市緑区の一部になった相模湖町に伝わる話として、「ワラビの恩」と題された話があります。「神奈川のむかし話」(相模民俗学会編 1977年 日本標準)では、小林梅次氏の再話で子供向けに筋立てをいくらか膨らませた形で紹介されています。

むかし、冬じゅう土の中にとじこもっていたヘビが、穴からはい出して、日だまりでよい気もちになって、ねていた。

すると土の中から、これも冬ごもりからさめたチガヤが、芽を出してきた。

ところがいつもなら、しもどけのやわらかい土から、たやすく芽を出せたのに、どうしたわけか土がかたくて芽が出せない。チガヤは上の上にヘビがいい気もちでねているとは知らないで、

「なんとか早く芽を出さないと、なかまにおくれてしまう。」

と、むりに力を入れて芽を出した。

チガヤの芽は先がとがっているのでヘビのからだに少しずつくいこんでいった。ヘビが目をさまして気がついたときは、チガヤの芽がなん本もからだにつきささり、身動きができない。

力を入れて動こうとすると、ますますチガヤの芽がからだにくいこんできた。ヘビは苦しくて、

「なんとか、だれかが助けてくれないだろうか。このままでは死んでしまう。」

と、涙を流して悲しがっていた。

ちょうどそのとき、チガヤの芽より、ひとあしおくれて芽を出したワラビが、いつもとそとのようすがちがうので、

「おかしいなあ。土の中から頭を出すと、いつもあたたかい日がさすのに、ことしはどうしたのだろう、」

と思ってみると、なん本ものチガヤの芽に、からだをつきさされたヘビが、頭の上で苦しんでいた。

「これはたいへんだ。かわいそうだ。助けてやろう。」

とワラビは思って、どんどん芽をのばしてヘビのからだをもちあげてやることにした。

さいわいワラむの芽は、赤ちゃんのにぎりこぶしのようになっているので、チガヤの芽のようにヘビのからだにくいこむこともなく、だんだん、だんだんともちあげていった。

チガヤの芽のほうはのびかたが、ワラビよりゆっくりしていたので、とうとうヘビのからだはチガヤからすっかりはなれ、おかげでヘビはやっとじゆうなからだになれた。

ヘビはとても喜んで、

「これもワラビさん。おまえのおかげだ。いつか恩がえしをしたい。」

といった。

そこで人間は、マムシにかまれたとき、このワラビの恩を利用して、

「ナム、チリュウダイゴンゲン。いつぞやのワラビの恩をわすれたか。」

ととなえると、マムシの毒が消えるという。

別な話ではヘビがムカデになっていて、ムカデがカヤにつきさされて苦しんでいる。それをワラビが助けてやる。

ムカデは、

「ワラビに助けてもらった恩をわすれまい。」とちかう。

それを村人が利用して、ムカデにかまれたとき、ワラビをとってきて、やわらかくもんでかまれたところにつけると、どんなに痛いときでもそれがとまるといわれている。

(175〜178ページ、ルビは省略)


この元になった話を「神奈川県昔話集」(神奈川県教育委員会監修 神奈川県弘済会 1967〜68年 2分冊)で探すと、その「第一冊」に2種類の話が掲載されています。

一二 わらびの恩(一)

津久井郡相模湖町若柳

むかでが眠っていると、ちがやがその下からのびて来て、むかでのからだをつきさした。さすがのむかでも困っていると、わらびが頭をもたげて抜いてくれた。

むかではわらびのこの恩を思うから、むかでにかまれた時にわらびをもんでつけると、毒を消すという。

一三 わらびの恩(二)

津久井郡相模湖町若柳

蛇の体の下からちがやが生えてつきさした。そのとき、わらびが頭をもたげて蛇を助けた。それで、まむしにかまれたときに、毒を消すまじないに、

南無チリュウ大権現、いつぞやのわらびの恩を忘れたか

と唱えるのだという。

(上記書16〜17ページより)



相模原市緑区若柳の位置(「地理院地図」より)
この2種類の話を採集したのは地元の津久井郡出身の民俗学者である鈴木重光氏で、大正8年(1919年)に発表された「鳥その外の話」(『土俗と伝説』一巻四号所収)に収められているとのことです。但し、採集地はどちらも津久井郡相模湖町若柳(現:相模原市緑区若柳)になっているものの、この「鳥その外の話」に収められた話について、「神奈川県昔話集」では

採集者 鈴木重光。 話者 採集者自身の記憶によるもので、それは、ことごとく母からの聞きおぼえであるという。母は名をタミといい、愛甲郡半原村(愛川町)久保の新井喜左衛門の二女で、天保十三年三月二十一日の生まれである。なお、採集者は明治二十年二月十四日の誕生。

(上記書2ページより)

と解説していることから、あるいはこれらの「わらびの恩」の話も、母タミが半原村にいる頃に聞き覚えて嫁ぎ先に伝えたものなのかも知れません。その点では、これらの話の採集地についてはもう少し幅広く、丹沢山中の話と捉えておく方が適切かと思います。

2種類の話では一方がむかで、もう一方が蛇と恩義を感じる主体が違っており、更に咬まれた時の対処法がおまじないとわらびの粉という点にも違いがあります。しかし、ちがやがむかでや蛇の体を刺してしまい、それをわらびの芽が伸びてきて外してくれた、という中心の筋立ては共通しています。「日本の民話19:神奈川の民話」(安池正雄編 1959年 未来社)に収録された「わらびの恩」では、悪意に満ちた姑が、気立ての良い嫁を奸計にかけて息子の銃で撃たせてしまうものの、起き抜けに鏡を見ようとしたら罰が当たったのか鏡が額に張り付いてしまい、恥ずかしいので再び寝込んでいるうちにむかでになってしまうという話が前半に付いているものの、その後ちがやに体を貫かれて困っているところをわらびに助けられ、その恩義からむかでに噛まれたらわらびを揉んで付けると癒える様になったとする後半の筋立ては共通です(25〜28ページ)。こちらには出典として「相州内郷村話」としか記されていませんが、これも鈴木重光氏が大正13年(1924年)に出版したもの(炉端叢書 郷土研究社)と思われるので、恐らく同じ採集者によるものでしょう。鈴木氏が地元で複数のバリエーションを伝え聞いていたので、更に別のバージョンをこちらで紹介したことになるでしょうか。


類似の民話が他の地域にないか探してみたところ、まむしの方の話が岩手県に伝わっている様で、こちらはかつてテレビ番組「まんが日本昔ばなし」でも取り上げられたことがある様です。その他、「民話・昔話集内容総覧」(2003年 日外アソシエーツ)と「民話・昔話集内容総覧:県別・国別2003-2012」(2012年 日外アソシエーツ)で「わらび(ワラビ)の恩」の掲載された民話集を探すと、神奈川県以外では青森・岩手・宮城・山形・福島・栃木・群馬・茨城・新潟・長野・岡山(奥津町)の民話集に掲載例が見つかります。また、民話・昔話集作品名総覧(2004年 日外アソシエーツ)では「わらびの恩」の他「わらびに助けられ蛇」「蕨に恩ある蛇の先祖」といった同種の内容の話が掲載された民話集が全部で30冊掲げられています。但し、これらは飽くまでも話の表題のみを掲げているため、それぞれがむかでと蛇のどちらを主人公にしているかは不明です。

まむしに咬まれた時に効くという念仏はさておき、気になるのはむかでのバージョンの方で「わらびを揉んでむかでに咬まれたところにつけると毒が消える」としているところです。「和漢三才図会」「大和本草」「本草綱目啓蒙」といった本草学の書物では、その様な効能を記したものは見つかりませんでした。しかし、徳川光圀が水戸藩の藩医穂積甫庵にまとめさせた「救民妙薬」には
救民妙薬:項14~17
穂積甫庵「救民妙薬」
元禄6年(1693年)茨城多左衛門版より
右から2〜3行目が該当箇所
(「国立国会図書館デジタルコレクション」より)

十四 蜈蚣(むかで)咬藥

又 蕨花陰ぼし粉にして、水にてとき付てよし

(「日本衛生文庫. 第5輯」三宅秀、大沢謙二編 大正6-7年 教育新潮研究会 所収、「国立国会図書館デジタルコレクション」より、ルビはブログ主、…は中略)

とあり、民間療法としてこうした処方が伝えられていたことは確かな様です。勿論、現在の観点で薬効を検証した時にどの様な結果が出るかは定かではありませんが、江戸時代にはこうした民間の処方が「救民妙薬」の様な出版物の力もあって根強く普及しており、「わらびの恩」のむかでの方の話もそうした民間療法との絡みで生まれてきた話と見て良いでしょう。

もっとも、こうした民間療法は手近なもので対応が出来なければ意味を成しません。つまり、こうした処方が伝わる地域は言い方を変えればわらびが容易に手に入る地域であり、「わらびの恩」の話が伝わる地域も、その点でわらびの採れる地域であることを裏付けていると言えるでしょう。実際、わらびの名産とされている地域は日本でも東北や三越、北陸など北の地域が多く、上記の民話集の登場事例もこれらの地域が多くなっています。



他のぜんまい、うど、やまのいもが直接タイトルに出たり、主役になるような話は神奈川県の各種の民話集の中には見つからなかったのですが、やまのいも(自然薯)が登場する民話としては次のものがありました。

二 ほととぎすと兄弟(二)

津久井郡藤野町沢井 栃谷

むかし、あるところに、仲のよい兄弟があった。端午の節供が二三日後にせまったので、兄は山へ行って、うまそうな山薬をたくさん堀ってきて、鼠に食われないように、食器戸棚の奥にしまっておいた。

ところが、いよいよ明日はお節供だというので戸棚をあけてみると、山薬は頭としっぽがそこらに散らかっているだけである。兄は、弟が留守中に食ってしまったのだといちずに思いこみ、弟が山仕事から帰るやいなや手ひどくなじった。弟は、見に覚えのないことなので、「知らない」といいはると、兄は「この嘘つき」とどなると同時に出刃庖丁を振りあげ、弟ののどもとにつきたてた。弟はのどからまっかな血を吹いて倒れてしまった。

兄はこれを見て後悔したがまにあわない。それからというもの、兄は、毎日自分の手にかかって死んだ弟のことを歎き悲しんでいたが、とうとう気がふれてしまい、家を出て、行方知れずになってしまった。

青葉の季節になったある日、かつて兄弟が住んでいた家の附近へ、一羽の見なれない鳥が飛んできて、かなしい声で鳴きたてた。その声は、「オトノドキッチョ、オトノドキッチョ」と聞こえるので、村人は、あの兄が鳥になったのだなと察して、はじめて見るこの鳥に、ほととぎすという名をつけた。

(「神奈川県昔話集」3〜4ページより)



沢井・栃谷の位置(「地理院地図」より)
(一)の方もほぼ同じ筋の話ですが、そちらは「わらびの恩」と同じ鈴木氏による採集です。それに対して(二)の方の出典は高畑棟材の『山麓通信』(昭和11年・1936年 昭森社)です。こちらを選んだのは、ここで登場する「山薬」について

*山薬とはジネンジョ(自然薯)のこと。端午の節供に山薬を食べないと、人間がウジムシになるという。(同・二五一頁)

本草綱目啓蒙卷之二十三「薯蕷」
「本草綱目啓蒙」卷之二十三「薯蕷」のページ
(「国立国会図書館デジタルコレクション」画像に
傍線と矢印追記)
と「山薬」について同書に注釈があることが記されているからです。なお、こちらの例を再話した例としては、「神奈川県の民話と伝説 上」(萩坂昇著 1975年 有峰書店)があります(32〜34ページ)。

「国立国会図書館デジタルコレクション」に収められた「本草綱目啓蒙」の「薯蕷」の項には、恐らく小野蘭山の門下生村松標左衛門によると思われる書き込みで複数の別称が記されており、その中に「山薬」が含まれています。更に本文中にも

又山中自生の者をジ子ンジヤウと云ふ一名ヱグイモ和州救荒本草に野山藥と云ふ一名𡈽山藥廣東新語白鳩蒔同上家山藥より根細くして堅く長し至て長き者は六七尺に至る藥用に良とす頌の説南中一種生山中と云者是なり國により家山藥なくして此品を藥食共に用ゆるあり

(「国立国会図書館デジタルコレクション」より、名称以外のカタカナをひらがなに置き換え)

等と記しており、「山薬」という2文字を含んだ呼称が複数見えています。因みに現在の漢方処方では「山薬」はヤマノイモの根を乾燥させて作る生薬を指す様ですが、元はヤマノイモの漢名であり、それが日本で広まる中で薬用としての用途と結び付いて幾つかの派生的な名前を生んだということになる様です。

こうしたやまのいもに対するイメージが背景にあって、体に良いものを食べさせようというところから端午の節句と結び付いたのでしょうが、端午の節句に縁の深い食べ物として現在一般的に思い付くものの中にはやまのいもは入っていない様に思います。ホトトギスの鳴き声の「聞きなし」が弟を想う様に聞こえるとするこの「ホトトギスの兄弟」は全国的にバリエーションがある様で、 上記の「民話・昔話集内容総覧」や「民話・昔話集内容総覧:県別・国別2003-2012」では、神奈川県以外でも本州の大半の地域の民話集に掲載例が見つかりました(地域があまりにも多岐に渡り、煩雑に過ぎるので一覧にするのは断念しました)。また、「民話・昔話集作品名総覧」では「ホトトギス(時鳥)の(と)兄弟」に近い表題の話の掲載例が80冊あまりも見つかります。その多くはやまのいもが話の展開の鍵になっている様です。ただ、それが端午の節句と結び付いた形の話が、沢井・栃谷以外のどこに分布しているかまでは確認出来ませんでした。一応、未来社の「日本の民話」シリーズ(1978〜79年)のうち、神奈川県に近い地域のもので同様の話を当たってみましたが、それらの中に端午の節供と結び付いて語られているものはありませんでした。

一方、神奈川県内の風習で端午の節句にやまのいもを食べるとするものがあるか、県内の民俗についてまとめた資料を当たってみましたが、こちらでもその様な記述を見つけることが殆ど出来ませんでした。「相模原市史 民俗編」で端午の節句に「下溝などでは、この日に長芋を食べると腸が腐らないといった。」(256ページ)と書いているのを見つけたのが現時点ではほぼ唯一です。ただ、まだ十分に関連資料をチェック出来たとは言えないので、今後引き続き探してみたいところです。現時点では、相模国内でもごく限られた地域での端午の節句の風習が、全国的に伝わっている「ホトトギスの兄弟」の話に織り込まれて伝わっている例がある、ということだけ指摘するに留めます。

今回見つけることが出来た民話は2例に留まりましたが、探せば他にもその土地の生産物との結び付きが見えてくるものが他にもあるのかも知れません。まだそれほど多数の民話集を確認した訳ではありませんので、また興味深いものが見つかったら取り上げてみたいと思います。




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