相模国の山菜について:「新編相模国風土記稿」から(その2)

前回に続いて、今回も「新編相模国風土記稿」に記された「蕨」「薇」「独活」「薯蕷」について見ていきます。

神奈川県史」や県内の市町史で確認した範囲では、これらの作物が村明細帳に現れる例は次の通りです。
  • 塚原村(現:南足柄市塚原):寛文十二年九月 塚原村明細帳(村鏡、[南]131ページ)

    一御厨わらびつけ野寺四郎兵衛殿御使番之御中間衆毎年被参候、(シヲ)わらびつけ桶ノ馬三疋宛出シ関本村付送仕候、下りハわらび樽持人足八九人宛田古村村次仕候、

    一御厨ヨリ御勘定所参候山のいも、御厨御代官衆御配苻次第人足出し、田古村ヘ村次仕候、

  • 飯沢村(現:南足柄市飯沢):寛文十二年七月 飯沢村明細帳([南]455ページ)

    一御用之山ノいも、御配苻次第毎年出申候、

  • 苅野一色村(現:南足柄市苅野):貞享三年四月(九日) 苅野一色村明細帳(村指出シ、[南]668ページ)

    一御用之山之いも、御用次第納申候儀も御座候得共、近年ハ納不申候、

  • 皆瀬川村(現:山北町皆瀬川):貞享三年四月 足柄上郡皆瀬川村明細帳(指出帳、[県五]488ページ)

    一うど拾八九年以前美濃守様御代御赦免被遊候、

    一わらび拾八九年以前美濃守様御代御赦免被遊候、

    一山いも三年以前丹後守様御代御赦免被遊候、

  • 菖蒲村(現:秦野市菖蒲):貞享三年四月菖蒲村明細帳([秦]163ページ)

    一薯蕷御用次第出し。

  • 穴部村(現:小田原市穴部):貞享三年四月(八日) 足柄下郡穴部村明細帳(御指出シ帳、[県五]519ページ)

    一御用之山之芋此以前御配苻ニ而納候儀御座候、近年納不申候、

(出典略号は次の通り:[秦]…「秦野市史 第2巻 近世史料1」、[南]…「南足柄市史2 資料編近世(1)」、[県五]…「神奈川県史 資料編5 近世(2)」、塚原村については薯蕷の差し出しについて上記書134ページにも記載があるが省略)


寛文12年・貞享3年村明細帳に山菜・薯蕷の記述がある村々
上記村明細帳を書いた村々の位置
(「地理院地図」上で作図したものを
スクリーンキャプチャ)
共通しているのは、これらの明細帳が何れも小田原藩の稲葉氏統治下の事情を書き記していることです。稲葉氏が取り立てていた正月飾りについて紹介して以来、寛文12年(1672年)や貞享3年(1686年)の明細帳は各種産物の紹介の折に都度取り上げてきました。それらの稲葉氏の取り立てていた品目の中に、「わらび」「うど」「やまのいも」が含まれていた訳ですね。但し、苅野一色村や皆瀬川村の様に明細帳提出時点では赦免されていたり、菖蒲村の様に必ずしも毎年納めていた訳ではない村も含まれています。

この中でも塚原村はわらびについて具体的なことを書いているのが当時の実情を知る上では貴重な記録です。採ったわらびは「わらび漬け」にして、藩からの使者に応じて馬を3頭立てて関本村に継いでいたとしています。恐らくはそこから更に足柄道の継立によって藩主のもとに届けられていたのでしょう。用の済んだ樽は村へ送り返されており、それを取りに行く人足のことまで書いています。薯蕷については掘ったものをそのまま納入したのでしょうが、これも多古村(現:小田原市多古)へと継送りしていたことを記しています。

こうした貢上がこれらの産品に対して何時頃まで行われていたかは記録に現れるものは見当たりませんが、恐らくは正月飾りなどと同じ頃に実質的に廃止されているのではないかと思われ、その後の明細帳類ではこうした記録がなかなか拾えなくなっています。

他方、前回は取り上げませんでしたが、箱根の「七湯の枝折」でも「蕨」「独活」そして「狗脊」が箱根山中で、とりわけ宮城野村や仙石原村などで豊富に採れたことを、産物の部だけではなく木賀の部でも記しています。
  • 巻ノ七 木賀の部:

    ○一体此木賀ハ湯宿の外に商人屋少ししかれとも湯宿また何によらす貯置ゆへ不自由なる事なく別てこの所ハ宮城野仙石ニノ平へ近けれバ春の比ハ狗脊生推葺蕨独活の類多し四季ともに野菜ハみなかの村々より爰にひさく故にもの事たよりよし

  • 巻ノ十 産物之部:

    一狗脊 筥根一山いつくにても生すといへともわけて宮城野の方より多く出ル味美に和らかし

    一蕨  同じく宮城野辺多し

(「七湯の枝折」沢田秀三郎釈註 1975年 箱根町教育委員会 47、71ページより)


恐らくは「風土記稿」の宮城野村の記述も、「七湯の枝折」のこうした記述をも参考にして書かれたものでしょう。「七湯の枝折」では2箇所で「狗脊」と書いており、それが他の山菜類と同列に扱われていることからみても、やはりこれは「ぜんまい」の意で書いているものと思われ、「風土記稿」もこの表記にそのまま従ったのでしょう。

そして、こうした山菜類は箱根に湯治で滞在した紀行文などに時折登場してきます。例えば、「木賀の山踏」(竹節庵千尋著、天保6年・1835年)では

(注:天保六年三月)明る廿二日、朝のうち曇りて日影も見す、昼過る比より折おり日の御影見ぬ。小田原の三笠屋のあるし、そか妻なるものをゐて早蕨(さわらひ)なとつみに往んとて連たち往ぬ。予も妻なるものをゐて小地こく山の近きあたりにてせんまい、わらひなととりぬ。この山の裾通萩はらにて、今は立枯しをおし分つゝ爪先登りに往て

立のほる煙り絶へせぬ小地獄の

山の麓にもゆる早蕨

せんまいも蕨もゝえて紫に

秋はさこそと見ゆる萩はら

やいとにはならぬ(よもぎ)も紫の

ちりけのあたりもゆる若草

(「相模国紀行文集:神奈川県郷土資料集成 第6集神奈川県図書館協会編 1969年 416〜417ページより、強調はブログ主)

と、宿泊客が小地獄(今の小涌谷)にわらびやぜんまいの採集に出かけていることを記しています。「木賀の山踏」ではこの10日前の12日には「娵菜、たんほ、つくつくし」を摘み取りに出掛けています(同書407ページ)。つまり、湯治客のレクリエーションの一環で山菜採りが行われていた訳ですね。また、山菜採りに来ていたのは湯治客だけではなく、麓の小田原の街からも夫婦揃って山菜採りに出掛けて来ている訳ですね。

無論、無償で採り放題をやっていた訳ではなかった様で、天保15年(1844年)の高座郡辻堂村(現:藤沢市辻堂)の名主茂兵衛の「入湯小遣帳」には、同年の木賀温泉の滞在時の出費の記録の中に

四月朔日

一、弐拾八文          小入用

一、七文            わらび/ふき

二日

一、七文            ふき 八わ

一、十八文           うど

一、四文            わらび 壱わ

三日

一、十弐文           じねんじゃう 壱本

七日

一、六文            ふき 三わ

(「藤沢市史 第2巻 資料編―近世編」995〜996ページより、一部改行を/にて置き換え、…は中略)

とあり、採った分に対して個別に対価を払っていた様です。「じねんじゃう(自然薯)」は「薯蕷」のことと見て良いでしょうが、そうすると箱根の「やまのいも」は栽培したものではなく自生しているものを掘り出したのでしょう。

また、松崎慊堂(こうどう)の「慊堂日暦(にちれき)」では、天保5年(1834年)の3月20日〜4月7日に箱根に滞在した記録が見られるのですが、その中で同行の2名がわらび採りに出掛けたことを書いています。

(注:三月)二十二日 晴、温。午陰。玄章と家児とは、出てて塔沢の渓流を()えて前山(明神岳)に登り(わらび)を採る。蕨は未だ多からず。帰って云う、絶頂にて望むところは極めて(ひろ)しと。また云う、小田原城は目中に在り、封内の人は往来することを得るも、外の人は上るを許さずと。

(「慊堂日暦3」山田 琢 訳注 1978年 平凡社東洋文庫337 79ページより、…は中略、傍注はブログ主)


この年はわらびの出が良くなかったのでしょうか。滞在先の宮の下から明神岳はかなり離れていますが、少々遠出をしないと目ぼしいわらびが見つからなかったのかも知れません。だからなのでしょうか、本来は要害の地として地元の人以外の立ち入りが禁じられている筈の場所にまで立ち入らせてわらびを採りに行った、と記している訳です。無論、素性の確かではない一見さんにまでこの様な「リスク」のある案内は恐らくしなかったでしょうが、この時点で既に幾度と無く箱根を訪れている慊堂の付き添いであれば身元に間違いはあるまいと判断して、宿の主人が特別に案内させたのかも知れません。こうした要害地への湯治客の誘導がどの位の頻度で行われたのかはわかりませんが、少なくともその様な指定を受けた場所であっても、箱根で生活する人々にはこうした産物を見出だせる土地として引き続き認識され続けていたことは確かな様です。

こうして見ると、特に箱根の湯治場にとっては、これらの山菜類は湯治に滞在する客向けの「春の風物」として演出できる格好の産物であったことが窺い知れます。その点では「風土記稿」に記されたこれらの産物のうち、特に宮城野村や仙石原村について記された分については、こうした実情を考慮して記録されたと見ることが出来そうです。
本草図譜巻49「蕨」
「本草図譜」より「蕨」
図上の訓は「けつ」だが
前ページに「わらび」の訓が併記されている
(「国立国会図書館デジタルコレクション」より)
本草図譜巻49「薇」
「本草図譜」より「薇」
こちらも図上の訓は「ひ」だが
前ページに「ぜんまい」の訓が併記されている
(「国立国会図書館デジタルコレクション」より)

本草図譜巻50「薯蕷」
「本草図譜」より「薯蕷」
「一種 じねんじゃう」と付記されている
(「国立国会図書館デジタルコレクション」より)
しかし、基本的には相模国内でも山間であればかなり広範囲で採集出来るものばかりであり、「風土記稿」の記述も津久井県や三竹山・久野村の記述が含まれるなど、相模国内の産地の選定の基準にやや不安定なものを感じます。また、表記にも一部不一致がある上に、「青芋」の時には「里芋」の呼称を俗称として本草学での呼称に拘っているのに、同じく本草学が否定する「狗脊」や「独活」の表記についてはそのまま使用するという点でも不統一が見られる状況に陥っています。

以下は個人的な見解なのですが、恐らくは「風土記稿」を編纂した昌平坂学問所の面々が、これらの産物に対してはあまり明るくなかったことが、こうした混乱の要因なのではないかという気がします。「里芋」であれば、江戸市中でも普通に見かけることが出来る産物だったでしょうから、昌平坂学問所でも「実物」のイメージを持ちながら本草学の指摘を読み解くことが出来たでしょう。これに対し、わらびやぜんまい、うどについては江戸で目にできるとすれば既に漬物や干物になった状態であったでしょう。早蕨が山中でどの様に生えているかを知るには、その時期に山に入らなければ適わないことで、江戸詰めの武家が主体の学問所の面々には意外にそうした経験が少なかったのではないか、と思われます。その結果、地誌探索で村々から上がってくる産物の中に「狗脊」や「独活」の様な表記があっても、それを本草学での表記に合わせて統一的に書き換えることが充分に出来ず、多少混乱した表記のまま残ってしまったのではないでしょうか。

他方、津久井県の項を編纂したのは八王子千人同心ですが、彼らの本拠は八王子にという比較的山間に近い街場にあった上、個々の成員は基本的には周辺の各農村に居住していました。つまりその分だけ、昌平坂学問所よりは山間の産物について元から知識があったと考えられ、わらびについての記述も各村の報告を元に無理なく行えたのでしょう。この津久井県の分は他の郡の編纂に先立って行われて昌平坂学問所に納入されていましたので、あるいは学問所の面々も津久井県の記述に影響される形でわらびなどの山間の産物を積極的に記録する結果になったのではないかとも思います。

但し、「神奈川県植物誌 2001」(神奈川県植物誌調査会編 2001年 神奈川県立生命の星・地球博物館刊)の記すところでは、
  • ワラビ Pteridium aquilinum (L.) Kuhn var. latiusculum (Desv.) Underw. ex A.Heller

    県内では沖積地から山地まで分布し、日の当たる場所に生育する。(42ページ)

  • ゼンマイ Osmunda japonica Thunb.

    県内では全域に普通にみられる。(30ページ)

  • ウド Aralia cordata Thunb.; A. nutans Franch. & Sav., Enum. Pl. Jap. 2(2): 376-377 (1878) の基準産地は箱根

    県内では低地から山地までの林縁、樹林内の傾斜地、崩壊地などに普通。(1054ページ)

  • ヤマノイモ Dioscorea japonica Thunb.

    県内ではほぼ全域に分布する。シイ・カシ帯〜ブナ帯までの沖積地〜山地の林縁、路傍、畑縁、あきち、公園の植林帯などに普通に生える。(230ページ)

前回取り上げた「本草綱目啓蒙」や「農業全書」の記すところに反して、意外に江戸に近い丘陵地でも見掛けるものなので、その点ではこうした見解は当たらないかも知れません。また、江戸時代後期には立川や吉祥寺の辺りでうど栽培が行われていたので、昌平坂学問所の面々がこうした野菜に疎かったというのも些か腑に落ちない面もあります。この辺りはもう少し視野を広げて、特に江戸近郊の当時の事例を集めて更に検討する必要がありそうです。


因みに、箱根が江戸時代の紀行などに見える様な「山菜採り」を売りにするということは、現在では殆ど見られなくなっています。「国立国会図書館デジタルコレクション」に収められている明治初期〜中期の箱根の案内本を数点当たってみたものの、「七湯の枝折」を書き写したもの以外はこれらの山菜について記したものを見つけることが出来ませんでした。何時頃から消えたのかはわかりませんが、基本的には箱根に長期にわたって滞在する湯治客向けの「春先のレクリエーション」であったと言えそうですから、滞在期間の短縮や宿泊客の変遷がこうした風物の興亡に影響したのかも知れません。

次回はわらびや薯蕷の関連する民話を取り上げてみる予定です。




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