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↑ブログの内容を分析してカテゴライズするとの触れ込みでしたが…そちらはあまり期待通りになっていないですねぇ。
でも参照されている方が多い様ですので設置を継続します。

保土ヶ谷道

旧東海道編の序でに、横浜市西区が紹介している保土ヶ谷道について。私も2年ほど前に一度歩いていますが、ネット上の数カ所で西区の設置した案内サインについて「何これ?」と触れているのを見掛けたので、ちょっと取り上げてみる気になりました。以下、写真はその際のものです。

西区は区内を通る3本の旧街道、東海道・横浜道と保土ヶ谷道について、かなりしっかりした予算をつけてガイドを作っていますね。シンボルマークも3本の街道の位置関係を上手くデザインに取り入れています。

西区 歴史さんぽみち:横浜市西区ホームページ

案内サインの整備:横浜市西区ホームページ


WEB上でも紹介されていますが路面に埋め込んだプレートや地図などのガイドが充実していて、あまり迷うことなく歩くことが出来ます。
保土ヶ谷道飛び石サイン(大)
保土ヶ谷道飛び石サイン(大)
保土ヶ谷道飛び石サイン(小)
保土ヶ谷道飛び石サイン(小)
西区歴史街道総合案内サイン
西区歴史街道総合案内サイン
保土ヶ谷道解説サイン
保土ヶ谷道解説サイン
保土ヶ谷道はこの3本の街道の中では地味な存在と言って良いでしょう。私もこの西区のガイドが無ければ知らないままでいたと思います。

ルートラボ上に保土ヶ谷道の道筋を反映して高低差を見ると、野毛から藤棚商店街に降りてくるまではアップダウンが2度ほどありますが、その先はほぼ平坦な道筋になっています。

保土ヶ谷道:横浜道との交点から旧東海道との交点まで


例によって「迅速測図」で、保土ヶ谷道の西側の区間はこの辺りです

(「今昔マップ on the web」より)

藤棚商店街に降りた先保土ヶ谷宿に至るまでの区間は、現在よりも南寄りを進んでおり、当時は北側に水田が広がっていたことがわかります。他方、南側は切り立った崖になっていました。

願成寺
願成寺
その平地と台地の結節点の辺りにあるのが願成寺。お寺もその斜面の中に立てられています。

保土ヶ谷道付近の海岸段丘の絶壁(1)
保土ヶ谷道付近の海岸段丘の絶壁
(久保町付近にて)
保土ヶ谷道付近の海岸段丘の絶壁(2)
保土ヶ谷道付近の海岸段丘の絶壁
(旧東海道付近にて)
この崖も海食台地特有のもので、今もこの絶壁の上下に住宅が建っているのを見ることができます。また、この崖下に杉山神社などの寺社が建ち並んでおり、現在の国道1号線はその前を通過しています。右は旧東海道に近い今井川の橋の上から、国道1号線方面を見通しており、その高低差がわかるのではないでしょうか。

この道の役割が大きくなったのは、やはり幕末でしょう。横浜の開港によって旧東海道から関内まで横浜道が開かれたのに伴い、野毛坂から先を共有するこの保土ヶ谷道も保土ヶ谷宿から横浜港への短絡道としての役目を負うことになります。そのため、旧東海道でも神奈川宿の京方出口に関門が設けられたのと同様に、この保土ヶ谷道にも関門が設けられます。その位置は「くらやみ坂」の上でした。

くらやみ坂上
くらやみ坂上
くらやみ坂途中
くらやみ坂途中から脇道に降りる方向
かなりの傾斜地
左の写真がほぼ坂の頂上に当たる地点で、左手のコンクリートの擁壁は市立西中学校の校庭のものです。その高さから一帯が多少整地されていることがわかりますが、迅速測図ではこの坂は切り通しの中を通っていますので、その後周辺を削ったのかも知れません。

ところで、この「くらやみ坂」についてこんな記事が書かれていますが、

「くらやみ坂」の名前の由来は?[はまれぽ.com]

個人的にはこのうち源頼朝に由緒を関連付ける説にはちょっと疑問を感じています。まぁ、この手の話は残念ながら伝承レベルで裏付けに乏しい話が多いのですが、一応信憑性を検討してみましょう。

幕末に横浜道が開かれるよりも前からこの道が存在していたことは確かな様です。

展示『紅葉ケ丘の散歩道~本を通して』:お知らせ(神奈川県立図書館)

安政6年(1859年)の「横濱開港地割ノ圖」という絵図がこのページに掲載されていますが、この図を良く見ると保土ヶ谷道に相当する道筋が引かれており、その頃には既にあったことがわかります(右上に「願成寺」が描かれていて、その前に引かれている赤い線が保土ヶ谷道))。対して横浜道の方は点線で示されており、これから築堤して橋を掛ける旨のことが記されています。

但し、元よりこの道があったとは言え、その位置付けは戸部村や横浜村の農民が保土ヶ谷宿との間の往復に使う間道であったと考えるべきでしょう。これらの村は江戸時代には保土ヶ谷宿の助郷に早くから指定されていますから、宿場との間を往来する農民たちによってかなり盛んに使われたことでしょう。しかし、この保土ヶ谷道を辿って野毛まで来ても、その先は神奈川湊の入江に囲まれた半島状の台地であり、戸部村に用がある人以外はこの道を使う想定がし難いのです。保土ヶ谷宿からは金沢方面に向かう鎌倉街道も通っており、江戸時代にも杉田の梅園や金沢へ周遊する旅人が利用していましたが、その道は保土ヶ谷道とは重なっていません。従って、もし頼朝がくらやみ坂を含む道を通ったとするならば、わざわざ街道を逸れてこの地にやって来たことになってしまいます。ここが、要人がこの地を通過したとする説には辛いところです。

せめて野毛に頼朝が訪れたとする史跡が他に残っていればもう少し説得力が出るのですが、生憎とこの地にはその様な史跡はない様です。野毛が神奈川湊を見下ろす位置に当たることを考えると、あるいはここに砦などを築くことを考えた武人がいても良さそうではありますが、その様な記録もありません。

Google Earthスクリーンキャプチャ:くらやみ坂眺望シミュレーション
くらやみ坂眺望シミュレーション
(GoogleEarthにて)
まぁ、迅速測図を見ると明治初期にはくらやみ坂の周囲は畑地になっており、その点では当時は眺望には恵まれていた可能性が高いので、あるいは保土ヶ谷道を行き交う通行人に風光明媚な地として売り込みたかったのかも知れません。Google Earthを使ってシミュレートした感じでは、帷子川沿いの新田越しに、山裾を進む旧東海道を見晴らすことが出来る位置関係ではあった様ですが、開港早々にこの地に処刑場が出来て、その流れからか明治維新後も監獄署が立ってしまったので、その関係で「くらやみ坂」などとあまり印象の良くない名前に転じてしまったのではないでしょうか。

ともあれ、開港当初に横浜に到達するには、海食台地の上を越えていかなければならなかった頃の道筋を足裏から感じ取るのも面白いと思います。2.5kmほどとそれほど長い道程ではありませんので、横浜道と併せて歩いてみては如何でしょうか。

保土ヶ谷道隣の京浜急行明かり区間
保土ヶ谷道隣の京浜急行明かり区間
また、鉄道のお好きな方は、保土ヶ谷道の傍らにこういう場所もありますので、京浜急行の掘割区間を辿りながら…というのも面白いかも知れません。



追記(2013/11/26):一部注釈とリンクを追記の上、レイアウトを見直しました。
(2015/11/23):「歴史的農業環境閲覧システム」へのリンクを、「今昔マップ on the web」の埋め込み地図で置き換えました。その際、当時の「歴史的農業環境閲覧システム」のメンテナンスに関する記述は削除しました。
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この記事へのコメント

- tmz - 2012年10月01日 23:06:07

はじめまして。
地理は昔から好きで唯一の得意科目でしたので、たまたま拝見してから見させていただいてます。
関東は土地勘がありませんが、歴史と併せてみると色々と面白いですね。
ちなみに私は名古屋市西区、かつて桜木町なんて地名がありまして親近感があります。横浜の桜木町とはえらい違いですが。

- kanageohis1964 - 2012年10月01日 23:22:17

tmzさん、ようこそいらっしゃいました。

地理上から見えてくることと歴史的な経緯の間にあるものを色々と掘り出して…と思って書き進めているのですが、きちんと説明しようとすると意外に整理するのが難しいし、どうしても文章が長くなっていくのが悩ましいところではありますね。今後ともよろしくお付き合い下さい。

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