2種類の蘿蔔について:「新編相模国風土記稿」から(その1)

「新編相模国風土記稿」に記された産物の一覧から、今回取り上げるのは蘿蔔(すずしろ)、つまり大根です。


  • 山川編:(卷之三):

    ◯蘿蔔大住郡波多野庄中に產するを波多野大根と唱え佳品なれど、今は絕て播殖せず、同郡西田原村西田原村香雲寺藏、天文中の文書に、當所萊菔の事見えたり、又三浦郡中に多く播殖す、高圓坊村より出るを殊に上品とす、俗に鼠大根と云ふ、其根の形鼠尾に似たり、【本朝土產略】にも當國の產物とす、

  • 大住郡図説(卷之四十二 大住郡卷之一):

    ◯萊菔 水蘿蔔の類にて、根細長なり、波多野大根と唱へ、波多野庄中に產するを佳品とせり、されど、今は絕て播殖せず、西田原村香雲寺藏、天文中の文書に、當所萊菔の事見えたり、

  • 三浦郡図説(卷之百七 三浦郡卷之一):

    ◯蘿蔔郡中多く播殖す、俗に鼠大根と云、其形蕪菁に似て根の様鼠尾に似たり、高圓坊村より出るを殊に上品とす、【本朝土產略】當國の物產に鼠大根を載す

(以下、「風土記稿」からの引用は何れも雄山閣版より)


梅園草木花譜夏之部巻2「蘿蔔」
「梅園草木花譜夏之部」より「蘿蔔」
「大和本草」をはじめ各種の本草学等の書物での
表記が図の左に列記されている
(「国立国会図書館デジタルコレクション」より)
山川編」の記述と大住郡・三浦郡の「図説」の記述の間の整合性は取れています。「風土記稿」の表記では「大根」「蘿蔔(らふく)」の他に「萊菔(らいふく)」も用いられていますが、意味によって使い分けられているものとは言えなさそうです。大住郡の「波多野大根」と三浦郡の「鼠大根」は相互にかなり特徴の異なる品種の様ですが、「山川編」が1つにまとめて取り上げていることもあり、一緒に取り上げることにしました。

今では栽培されている大根の大半が「青首大根」になりましたが、それでも「守口大根」「聖護院大根」「桜島大根」の様に地名を冠する品種が数多く残っており、その地の特産物となっているものも少なくないと思います。こうした品種の多さについては、江戸時代初期の代表的な農書である「農業全書」でも
山海愛度図会「あつくしたい」
一勇斎国芳「山海愛度図会」
(嘉永5年)より「あつくしたい」
肥後大根の収穫風景が左上に描かれる
各地の名産としての大根を
取り上げた一例
(「国立国会図書館
デジタルコレクション
」より)

○其種子色々多しといへども、尾張、山城、京、大坂にて作る、勝れたるたねを求てうゆべし。根ふとく本末なりあひて長く、皮うすく、水外く甘く、中実〈うつけず〉して脆く、茎付細く葉柔かなるをゑらびて作るべし。根短く末細にして皮厚く、茎付の所ふとく葉もあらく苦きハ、是よからぬたねなり。

○又宮の前大根とて、大坂守口のかうの物にする、細長き牙脆き物あり。又餅大根とて、秋蒔て春に至り根甚ふとく、葉もよくさかへ味からき物あり。三月大根あり。はだ菜あり。又夏大根色々あり。又播州津賀野大根とて、彼地の名物なり。此外蕎麦切に入、甚からきをももとめつくるべし。

(「日本農書全集 第13巻」農山漁村文化協会 215ページより、ルビは省略)

と、近畿に産するものを優れているとしながらも、他に多彩な品種が存在することを記しています。また、「大和本草」でも

◯凡大根に種類多し大大根あり是一時種蒔之力と土地の肥壌によれり又種子も別にあり

(「国立国会図書館デジタルコレクション」より、カタカナはひらがなに置き換え)

と記して複数の品種を紹介し、土壌の質もその多様さの一助となっていることを指摘しています。


三浦市初声町高円坊の位置
三浦半島南部中央の台地に位置している
現在でも畑の広がる地域
今回は先に三浦郡の「鼠大根」の方から見ていきます。「山川編」や「三浦郡図説」では「高圓坊村」(現:三浦市初声町高円坊)の名が挙がっていますが、同村の「風土記稿」の記述にも

此地蘿蔔に應ずるを以多播殖す里人高圓坊大根と呼ぶ

(卷之百十 三浦郡卷之四)

とあり、こちらでは「鼠大根」ではなく「高圓坊大根」の名が記されています。


この大根については、三崎の江戸時代中期の地誌である「三崎誌」(宝暦5年・1755年編)では

鼠大根  鎌倉の産にもあり。此所を最上とす。

(「古書に読む三崎」より)

と「鼠大根」の名の方を記しており、同種が鎌倉でも作られているとしています。他方、江戸時代後期の三浦郡の地誌である「三浦古尋録」(文化9年・1812年、加藤 山寿(さんじゅ)著)では

◯此村ニ生ツ大根ハ本短ク葉大ナリ味ヒ至テ美ナリ是ヲ三浦ノ鼠大根ト云テ名産ナリ近来近鄰村ニテモ作ルカ一名ヲ高円坊大根ト云

(「校訂 三浦古尋録」菊池武・小林弘明・高橋恭一校訂 横須賀市図書館 149ページ 高円坊村の項より、傍注に一部異本の表記の差異について注記あるが、文意に差異を生じるものではないと判断し省略)

と、こちらは「高圓坊大根」の名が記されています。どちらにせよ、この大根が江戸時代の初期から栽培されていたことが窺えます。

「風土記稿」はその形について「其形蕪菁(かぶら)に似て根の様鼠尾に似たり」と書いています。現在も「鼠大根」を栽培している地域が長野県坂城町にありますが、そちらの写真を見ると蕪よりはもう少し長い姿をしています。ただ、三浦郡の「鼠大根」がこれに近かったかどうか、現物を確認出来なかったのでわかりません。

この高円坊村の大根は、時代が下って明治10年(1877年)の「第1回内国勧業博覧会」にも高円坊村から「蘿蔔種」が出品され、更に明治29年(1896年)の「三浦郡及神奈川県地誌」(三浦郡教育会 編 横浜製紙分社)でも

農產物には、穀類、蘿蔔(ダイコン)菜蔬(サイソ)等あり、

(「国立国会図書館デジタルコレクション」より、種名以外のカタカナをひらがなに置き換え)

と記すなど、この大根が明治時代に入っても同地の主要な産品の1つとして認知されていたことがわかります。しかしながら、明治13年(1880年)に三崎に新設された青物市場の2年後の会計報告では、

明治十五年一月ヨリ/十二月マデ合計

一金九百八十八円四拾五銭五厘 売上高

金弐百弐拾三円也

生柿

金百拾七円拾銭

串柿

金弐百九拾壱円九拾五銭

味柑

金五拾弐円三拾銭

黄瓜

金三拾三円弐十五銭三厘

金七拾円五銭七厘

色瓜

金九拾七円三銭五厘

西瓜

金百三円七十六銭

明治十六年六月ヨリ/八月マデ合計

一金五百六拾七円八拾五銭 売上高

金六拾円五銭

黄瓜

金七円三拾銭

白瓜

金四拾円

金百円五拾銭

色瓜

金百弐拾五円

金百拾壱円五十銭

西瓜

金百弐拾三円

南瓜

金五円五拾銭

野菜類

右之通相違無御座候也

(「三崎町史 上巻」79〜80ページ下段より、小字部分の改行は/に置き換え)

まだ市場が立ち上がったばかりで認知度が低く、主に果樹や瓜類が出荷されてきているという特殊性はあるのでしょうが、こうした市場に逸早く大根が出荷されていたのではなかったことがわかります。「神奈川県園芸発達史」(富樫常治著 1944年)の指摘するところによると、当時は近隣の横須賀市の大根の需要も三浦半島内では賄えておらず、房総半島から供給を受けていたとのことです。

こうした実情に対し、明治38年(1905年)に三浦郡農会に赴任した鈴木寿一氏が、東京近郊で当時当たりを取っていた「練馬大根」の栽培を呼び掛けます。これが後に「高円坊大根」と交雑して生じてきた幾つかの系統のうちの優良な一種が、大正14年(1925年)になって「三浦大根」の名を冠して東京に向けて出荷される様になりました。「三崎町史 上巻」では「自然交雑」と記しています(208ページ)ので、この書き方に従えば半ば偶然に出来た品種ということになります。

「目でみる三浦市史」(三浦市史編集委員会 1974年)によれば、大根の船による東京への出荷が始まるのが明治40年(1907年)頃から、更に自動車による東京への出荷が始まるのが大正8年(1919年)頃からとされています(同書130ページ)。やがて「三浦大根」は東京近郊の主要な大根として認知され、昭和45年(1970年)には国の指定野菜となっています。

この「三浦大根」の写真を見ると、長さは一般的な白首大根とほぼ同等ですが、やや下膨れになった姿をしています。坂城町の「鼠大根」の姿に一脈通じるところがあるところから考えると、あるいは「高円坊大根」もその様な姿であったのかも知れません。

「三浦大根」はその後収穫時の労力の多さや潮害などから次第に「青首大根」に切り替えられ、現在ではあまり栽培されなくなっています。とは言え、拘りを持って栽培を続けている一部の農家の方々が、最近では「DASH村」でも紹介されていた様です(残念ながら私は番組を見逃しましたが)。江戸時代初期の地誌に早くも記された大根の子孫は、形を変えつつも現代まで受け継がれていると言えるでしょう。

「波多野大根」については次回取り上げます。




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この記事へのコメント

- つねまる - 2015年05月26日 20:51:11

こんにちは。いつもお世話になっております。
鼠大根、信州のお蕎麦屋さんではねずみさんのキャラクターまで作られ、名物になっているようですね。辛味がたまらないとか。
出身の名古屋は「守口大根」の漬物が名物なのですが、この守口大根が愛知県のものではないと知ったときは驚きました。
小さい頃食べた大根は、青首大根より短くて水分が少な目で、もっと固くて味が濃いものでした。どこかで生き残っているのかしら。

Re: つねまる さま - kanageohis1964 - 2015年05月26日 21:13:01

こんにちは。コメントありがとうございます。

今は大根の辛味を追求する方がメインになっていますが、「農業全書」の書き方だとむしろ汁気の多い甘味のものが好まれていた様にも読めますね。その後ろに蕎麦の薬味として辛味のある品種も良いと書いているところから見ると、当時蕎麦が流行りつつあった傾向を反映しているのかも知れません。

当時も今も、街中でどんな味が求められているかを見極めながら流行りそうな品種を選んできたのは変わらないのでしょうね。そうした中で、三浦大根や練馬大根については昔から受け継いだ品種を何とか維持しようと頑張っている農家の方々がいらっしゃる訳ですが、つねまるさんのお住まいの地域の昔の品種ということですと、どの大根になるでしょうね。

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