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↑ブログの内容を分析してカテゴライズするとの触れ込みでしたが…そちらはあまり期待通りになっていないですねぇ。
でも参照されている方が多い様ですので設置を継続します。

「七湯の枝折」の釣鐘つつじ/ケンペルのつつじ、トゥーンベリのつつじ

関東以西では桜の季節も終わり、つつじが見頃となって、私が巡回している皆さんのブログでもつつじの写真をアップされる方が増えてきました。そこで、このブログでも季節にふさわしくつつじの話題を2題ほど取り上げてみることにしました。


「七湯の枝折」より釣鐘つつじの図
「七湯の枝折」の「釣鐘つゝじ」の図
原図は彩色(沢田秀三郎釈註書より)
以前から何度か取り上げている「七湯の枝折」の産物には、「釣鐘つゝじ」が挙げられています。

枝葉ハ常の躅躑のことく花形つりかねのことく皆下に向てひらく是も又芦湯ニ多し

(「七湯の枝折」沢田秀三郎釈註 1975年 箱根町教育委員会 70ページより)


右の図はモノクロになっていますが、原図は彩色が施され、赤紫色の鮮やかな花の色が再現されています。枝ぶりや葉の形などは通常の躑躅(つつじ)(「七湯の枝折」ではこの2文字が逆に記されている)の様であるのに対し、花はスズランの様に倒卵形をしていて下を向いて咲くと説明している訳です。芦ノ湯の辺りに多いとしていることから、関東では比較的標高の高い地域に分布する植生であることが早くから知られていた様です。

江戸時代の本草学の書物などにこの花について記載がないか探ってみましたが、「大和本草」の「躑躅(ツヽジ)」の項には「羊躑躅」「山躑躅」「蓮華ツヽシ」「アサギツヽシ」といった種の名前は見えるものの、「釣鐘」の名を冠するものは見当たりません。「本草綱目啓蒙」では「羊躑躅」が毒草として項を分けて載せられ、その一項として「山躑躅」が記されていますが、やはり「釣鐘つつじ」の名は見られない様です。「和漢三才図会」でも「羊躑躅」以下に「黐躑躅」「平戸躑躅」「永來部躑躅」「山躑躅(「さつき」と訓を充てる)」の各種が記されているものの、やはり釣鐘型の花を咲かせるとしているものは記載されていません。因みに、以上3種の書物では何れも「毒草類」につつじの仲間が記されています。

一方、江戸時代にはつつじやその仲間であるさつきも盛んに栽培される様になり、多彩な品種が生み出される様になっていました。元禄7年(1694年)の「花壇地錦抄」には、つつじの品種が169種、さつきの品種が162種載せられています。この中では「つりかね」という名のつつじの品種が「少りんさがる」と花が下を向くことを記していて近そうですが、花の色については「うすあをく」としている点が「七湯の枝折」に赤紫色で描かれた「釣鐘つゝじ」とは合いません。文化12年(1812年)の「躑躅皐月名寄集」にもつつじやさつきの品種が多数記されているものの、やはりそれらしき品種は見当たりません。


箱根でも比較的標高の高い地域に分布するためか、「相模国紀行文集」(「神奈川県郷土資料集成 第6集」神奈川県図書館協会編 1969年)に掲載されている紀行文・道中記で、箱根の「釣鐘つつじ」について記しているものは見つかりませんでした。特に「東雲草」は「七湯の枝折」同様に箱根の産物について多々記しているだけに、もし「七湯の枝折」以外に記載されているとすれば「東雲草」が一番可能性が高いかと思ったのですが、やはり当時の湯治客にとっても、滞在中にこの花を目にするのは容易ではなかったのかも知れません。

この様に、「七湯の枝折」以外に「釣鐘つつじ」と思われるものが記録されているものがなかなか見当たらないところを見ると、当時からあまり多く分布する種ではなかったのではないかと考えられます。

箱根の「釣鐘つつじ」は近代以降に研究が進められましたが、その経緯について「神奈川県植物誌 2001」(神奈川県植物誌調査会編 2001年 神奈川県立生命の星・地球博物館刊)では次の様にツリガネツツジ(ウラジロヨウラク)の一変種として「ハコネツリガネツツジ」が記録されたことを記しています。

牧野富太郎(1916 植研1:10)はツリガネツツジM. ciliicalyxの2変種を記載した.1つはvar. biocolorで花冠は白色で先ヘ向って紅紫色をなすツリガネツツジ,もう1つはvar. purpureaで花冠全体が紅紫色をなすムラサキツリガネツツジで,この2型は箱根で見出され,同じ場所に生えていたという.のち1922年に中井猛之進は独立の分類群としてM. lasiophylla Nakaiの学名を与えた。この記載文は「花は数個宛,散形に出て,花梗には長き腺毛並に長毛密生す.蕚は短く,5裂し,裂片は3角形または卵形,縁に腺毛生ず,花冠は濃紫色または淡紫色,卵状鐘状,内面に自毛密生す,裂片は5個…」とあり,花柄に腺毛と長毛,蕚の縁は腺毛があるもので,花冠は濃紫色~淡紫色のものをムラサキツリガネツツジと呼んだ.檜山庫三(1964植研39:124-128)はムラサキツリガネツジの品種として,ハコネツリガネツツジform. bicolor (Makino) Hiyamaの組合わせをつくった.この品種は花柄はまったく腺毛を欠くものであるが,箱根には腺毛のないハコネツリガネツツジが普通で,腺毛が密生するムラサキツリガネツツジは稀である.国立科学博物館には腺毛のあるムラサキツリガネツツジが2点あった(箱根早雲山1100m 1933.5.23 H.Yamamoto TNS19021; 箱根二子山1886.6桜井半三郎 TNS9451).いずれの標本も花柄は長毛に腺毛がまじり,蕚の縁辺および花柄に腺毛がある.花冠は先端が濃紅紫色のタイプである.一方, 神奈川県立生命の星・地球博物館の収蔵標本はすべて腺毛を欠くハコネツリガネツツジであった.

(上記書1104ページより)


なお、「神奈川県植物誌 2001」にもある通り、元より生息地が限定されている上に、現在は盗掘の影響もあって絶滅が危ぶまれています。2006年の神奈川県レッドデータブックの記述は次の様になっています。

ムラサキツリガネツツジ Menziesia multiflora Maxim var. purpurea (Makino) Ohwi(ツツジ科)

県カテゴリー:絶滅危惧ⅠB類(旧判定:絶滅危惧種En-E)国カテゴリー:絶滅危惧ⅠA類

判定理由:箱根では神山、二子山、金時山に、丹沢では塔ヶ岳〜丹沢山〜蛭ヶ岳、桧洞丸、大室山に分布し、箱根には約150個体、丹沢には50数個体、総計250個体未満がある。定量的要件Dより絶滅危惧ⅠB類と判定される。

存続を脅かす要因:産地極限、園芸採取

保護の現状:国立公園、国定公園特別保護地区

(「神奈川県レッドデータ生物調査報告書」高桑正敏・勝山輝男・木場英久編 2006年 神奈川県立生命の星・地球博物館 113ページより、…は中略)





「花壇地錦抄」や「躑躅皐月名寄集」が示す通り、江戸時代にはつつじやさつきの品種が多数開発され、栽培されていました。こうした実情は長崎のオランダ商館に渡ってきた外国人の目にも止まり、早くからヨーロッパに紹介されていました。

エンゲルベルト・ケンペルの「江戸参府旅行日記」にはつつじに関する記述は見られないものの、後に彼が著作した「廻国奇観(Amoenitates Exoticae)」中の「日本植物図譜(Plantarum Japonicarum)」には漢字で「躑躅」と題した図と共にこの植物が紹介されています(リンク先はゲッティンゲン大学図書館のデジタルライブラリー)。

この「日本植物図譜」はその後に日本を訪れたトゥーンベリやシーボルトも事前に閲覧して情報を得ていたことは確かでしょう。彼らが江戸への往参に際して、途上で立ち寄った庭園のつつじについて、その紀行文の中で複数回にわたって書き記しています。安永5年(1776年)のトゥーンベリの「江戸参府随行記」では、小倉で滞在した屋敷の庭にツツジが植えられているのを見ています。

(注:三月九日、)我々は小倉に到着する手前で、若君の名のもとに城からの使者二人の出迎えを受け、その後、町を通って宿屋へ着くまで付き添ってもらった。

我々はここで丁重に遇され、翌日の午後まで留まった。

ここでも他のどこの宿でも、我々はその家の奥の部屋を割り当てられた。そこは最も住み心地がよく、かつ一番立派な場所であり、常にたくさんの樹木、灌木、草本そして鉢植えの花のある大小の庭を望むことができるし、そこへの出口もある。またその端には客人用の小さな風呂場があって、好きな時に使える。いくつかの場所で見られるごく一般的な植物、マツ Pinus sylvestrisツツジ Azalea indica、キク Chrysanthemum indicum などの他に、ここではアオキ Aukuba と呼ばれる木と、またナンテン Nandina という名の木があった。両者ともその家に幸福をもたらすと信じられていた。

(「江戸参府随行記」高橋文訳 1994年 平凡社東洋文庫583 109〜110ページより、…は中略、強調はブログ主)

時期的には花期には早い季節ですから、つつじにはまだ花がなかった筈で、アオキやナンテンについてはその名を通詞経由で訊いていることから、つつじについても何かしらの説明を受けたのかも知れませんが、その当時の学名である「Azalea indica」を併記しているのは、既に彼がその知識を持っていたのかも知れません。

また、江戸からの帰路では蒲原から日坂の間で、往路ではまだ咲いていなかったつつじの花を賞賛しています。

五月二九、三〇、三一日と日坂まで旅を続けた。そこで我々は、藩主の旅に随行している多数の随員のために、まる三日間滞在せざるを得なかった。この旅で一日目だけは約七里進んで府中へ、二日日は島田まで、そして三日日は二里余の日坂より先へは行けなかった。

ツツジはほとんどの家の庭で、最高にきれいな色の花をつけていた。花の色はいく種類もあり形容しがたいほどに美しい。

(上記同書198〜199ページより、…は中略、強調はブログ主)

トゥーンベリはツツジの品種の多様さにも目を引かれています。帰路途上で通詞側の都合で足止めされたことに苛立ちながらも、トゥーンベリは上記の他にハンノキ、ハクチョウゲ、シュロやビワについて触れており、街道周辺の景観を観察するにはむしろ好都合だったのかも知れません。

一方、文政9年(1826年)のシーボルトの「江戸参府紀行」でも、複数箇所でつつじが庭に植えられたりしていることを記しています。

(注:二月十五日、長崎を出発した日)この地方の樹木はコナラ・イヌグス・イトスギ・スギ・カエデ・クロキ・セイヨウヒイラギ・ウコギ・エビツル・コイチゴ・フエイチゴなどの藪・ヒサカキ・ウツギ・ネズミモチ・ハクサンボク・ナツグミ・ヤマグミなどの類が多く、海抜三〇〇から三五〇メートルにおよび、マツ・コケモモ・ドウダン・ヤマツツジなどがその間に混じっている。

(「江戸参府紀行」斎藤 信訳注 1967年 平凡社東洋文庫87 36ページより、強調はブログ主)

(注:三月九日、播磨国龍野付近で)日本人は美しい景色をとくに重視し、彼らの別荘を作るに当たっても、周囲の景色を別荘の庭因とひとつの姿にまとめ、互いに融合して調和のとれた全体とすることに心がける。日本人は、ここにはイトスギを植えあそこにはタケ藪を作り、またはツツジや小さいマツを植えた築山を配し、風景の妨げとなるものを隠そうとし、これに反して絵のような姿の山や寺院あるいはその上に水の流れる岩などが、いちだんと明るい光の中に浮き上がるようにする。

(上記同書145ページより)

五月二二日〔旧四月一六日〕三島から沼津に向かう。…裕福な農民の住居が立ち並ぶすばらしい街道を通って原〔宿場の名〕へ行き、以前に述べた庭園を改めて視察した。サクラソウ・シャクヤク・アヤメ・セキチク・ツツジが花盛りである。夕方疲れて蒲原につく。

(上記同書221〜222ページより、…は中略)


当時のヨーロッパでは、リンネが提唱した新たな動植物の分類法に従って、あらゆる動植物がどの様に分類されるべきかが研究されている最中でした。ケンペルが日本に持ち帰ったつつじの標本は後にリンネによって「インドのつつじ」を意味する「Azalea indica」と学名を与えられ、トゥーンベリも「江戸参府随行記」で見たつつじを同じ「Azalea indica」と考えたことがわかります。しかし、トゥーンベリが持ち帰ったつつじの標本が同じ学名で呼ばれることには疑問があった様で、後に1854年(日本では嘉永7年)に発表された機関誌「Flore des serres et des jardins de l’Europe(ヨーロッパの温室や庭園の花)」(リンク先はフランス国立博物館でデジタル公開されている同機関誌)の中で、フランスの植物学者ジュール・エミール・プランション Jules Émile Planchonがこの2つに対して別々の学名を提唱することになります。そして、ケンペルが持ち帰った標本の方を「ケンペルのつつじ」を意味する「Rhododendron kaempferi(上記書77ページ)」、トゥーンベリが持ち帰った標本には同様に「トゥーンベリのつつじ」を意味する「Rhododendron thunbergii(上記書78ページ)」の名が与えられています。

Rhododendron Kaempferi 01.jpg
Rhododendron kaempferi =ヤマツツジ
("Rhododendron Kaempferi 01" by Σ64
- Own work.
Licensed under CC BY 3.0
via Wikimedia Commons.)

Rhododendron indicum satuki01.jpg
Rhododendron indicum =サツキの自生種
Rhododendron thunbergii」はサツキなのか?
("Rhododendron indicum satuki01"
by keisotyo - 自分で撮影.
Licensed under GFDL via ウィキメディア・コモンズ.)
このうち、「Rhododendron kaempferi」の方はその後も有効な学名として現在まで伝えられています。この種の和名は「ヤマツツジ」と呼ばれており、こちらは現在もケンペルの業績を称える「献名」を持つツツジとして時折紹介されています(例えば箱根町のサイトなど)。

他方、「Rhododendron thunbergii」については、現在の植物分類では明確な所属先が定まっていない様です。スウェーデン語のWikipediaでは「Rhododendron indicum」のシノニム(「異名」などと訳される)の1つとして挙げていますが、ワライ語のWikipediaを自動翻訳したものの様で、このシノニムの一覧が何処に典拠を持っているのかは定かではありません。因みに、「Rhododendron indicum」の和名は「サツキ」です。こうした状況もあって、「トゥーンベリのつつじ」については紹介されることが殆どない様です。プランション自身は「Rhododendron obtusum」(和名キリシマツツジ)に花や葉が似ていると見ていた様ですが、何れにせよ、今後の調査を待つよりなさそうです。

当時はまだ長崎とオランダを往復するオランダ商館船以外には、動植物の標本やスケッチなどの情報をヨーロッパに伝えるチャネルが殆ど存在しませんでした。ですから、現在とは比較にならない程に運輸・通信手段が限られ、その上に政治的な制限も存在する中で、ケンペルやトゥーンベリが何とか持ち帰ってきた限定的な標本を手掛かりに植物の分類が決められていった時代であり、つつじに限らず当時から研究が始められていた動植物の学名の変遷にはこうした事情が反映していると言えそうです。

とは言え、トゥーンベリが持ち帰ったつつじが実際はどの種に属するのか、その採集地も含めて気になるところです。



追記(2017/05/09):箱根町のサイトのリニューアルに伴いリンク切れになっていた箇所を修正しました。
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