相模国の柿補足:第1回内国勧業博覧会褒状について

前回の記事で第1回内国勧業博覧会の褒状のことを書いている際に、柿について書いている時には褒状について触れそびれてしまったことに気付きました。その点を今回簡単に補足します。

神奈川県からの柿の出品は5点あったことは既に紹介しました。これに対する表彰は次の様になりました。

  • 褒狀 柿
    相模國大住郡子易村 大津權十郎

    顆形大ニシテ品位貴シ產出亦少カラズ

  • 仝 仝
    津久井郡澤井村 石井六郎

    此種顆顆形長大ニシテ能ク熟スルモ液多ク味甘美ナリ

  • 仝 柿并摸造
    武藏國橘樹郡諏訪河原村 小黑善兵衛

    生果ノ甘美ナルノミナラス摸造ノ形色亦眞ニ逼ル

  • 仝 仝
    都筑郡石川村 安藤甚五五右衞門

    摸造ノ形色眞ニ逼ル生果モ亦美シ共ニ珍賞スベシ

  • 仝 仝
    相模國高坐郡田端村 鈴木岱篤

    摸造ノ形色眞ニ逼ル生果モ亦美シ共ニ珍賞スベシ

(「国立国会図書館デジタルコレクション」より)


意外なことに、出品した5点が全て褒状を受けています。因みに、前川村の蜜柑の褒状の評価理由には次の様に記されていました。

  • 褒狀 蜜柑
    相模國足柄下郡前川村 石塚八郎衞門

    此種早ク熟シ產出極テ多シ亦一方ノ名產ナリ

同上


この第1回内国勧業博覧会は、明治10年(1877年)の8月21日から11月30日まで開催されました。柿や蜜柑に限らず、およそ農産物の多くはこの開催期間中に産出期が合わなかったりするのは必定で、この博覧会の開催規則にはそのことを考慮して次の様に定められていました。

第十四絛 列品ハ閉會マデ出塲ヲ許サス因テ賣買約定ヲ爲ス者ハ證書ヲ取替ハセ置キ散會ノ期ニ至リ買主ヘ渡スベシ…

第十五絛 花實ノ類ニテ季節アルモノハ規則ノ期限ニ抅ハラス臨機出入スルコトヲ許スベシ

(「国立国会図書館デジタルコレクション」より、合略仮名はカナに展開、…は中略、強調はブログ主)



澤井村(現:相模原市緑区沢井)の位置
甲州街道沿いにあり、東京までは60kmあまり
期間内の出品物の移動が禁止される規則に続いて、季節ものはその限りではないことになっていた訳です。ですから、期間中にもぎたての果実を持ち込んで来ることも、規則上は可能な運用にはなっていた様です。柿はこの会期であれば後期には会場に持ち込むことは出来たと思われ、褒状の講評にその味に関する記述が含まれているのは、恐らくそれを反映しているのでしょう。特に澤井村の講評は現物を試食したと思われる具体的な表現が用いられています。ただ、会期前半には実物がないのは如何ともし難いので、木彫の模造品や焼酎漬けの柿を展示していた訳ですが、講評ではこの模造品の出来栄えの良さも評価対象にされていることが記されています。

他方、蜜柑の方はこの会期では間に合わせるのが少々厳しかったのかも知れません。上記の表彰理由には味に関する記述がないのは、展示された焼酎漬けのサンプルと出品者の説明を元に評価するしかなかったから、という可能性が高いのではないかと思います。

また、当時は鉄道もまだ東京から横浜までしかありませんから、基本的には人馬や船を使って東京まで持ち込むことになりますが、神奈川県辺りであれば1両日もあれば会場に持ち込めるのに対し、遠方の県では期日までに間に合わせるのが更に困難になるという制限もありました。博覧会規則では運搬等に掛かる諸費用が全て自己負担とされており(第十八絛)、これも遠方の出品者には不利な条件でした。そのためか、柿や蜜柑の本場とされる地域の出品や受賞が奮わず、和歌山県からは蜜柑は出品されず、金柑と夏蜜柑の出品に留まっています。表彰についても、柿は他に東京府の中野村(現:東京都中野区中野)、蜜柑は広島県安芸郡蒲刈島(現:広島県呉市蒲刈町)が褒状を受賞するに留まっています。

その点では、この博覧会の表彰結果を見る上では、こうした開催事情についても加味して考えるべきと言えそうです。
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