柿について:「新編相模国風土記稿」から(その1補足)

前回の記事に2点ほど簡単に補足を。

足柄上郡柳川村の検地帳ですが、これは引用に利用した「神奈川県史」の他、「秦野市史2 近世史料 1」にも同じものが掲載され、また「通史2」の中でも解説されています。この検地帳の存在は比較的早い時期から研究者の間で知られて研究されており、当初は検地帳の表書きに後年記された「永正4年」という年代がそのまま採用されて小田原北条氏の手によるものと解されることが多かったた様です。「秦野市史 通史2」ではこの点を踏まえ、その年代の特定について以下の様に解説しています。

さて本帳の年代であるが、「卯年」であること、田畑の等級、地積の規模が記載されていること、一反=三〇〇歩であることから、永正四年という小田原北条氏の時期でなく、太閤検地以後の近世のものであることが、戦後の数多い検地研究の成果に照らして、推測された。そこで「卯年」を小田原藩の検地年代に適用すると、天正十九年(卯年)・慶長十六、七年(亥・子年)・寛永十七、八年(辰・巳年)・万治一〜三年(戌・亥・子)の内、天正十九年に比定できること、さらに名請人の主水の活動期を、熊沢家の過去帳から推測して、天正十九年の検地帳に外ならないことが実証できた(内田「柳川村の検地帳について」『さがみの』第一号所収)。

(同書39ページ)


検地を行う上では、長さや面積の基準が領地内で統一されていなければ公平なものになりません。太閤検地に際してはその基準を周知した上で行ったのですが、その単位が上記の引用の通り小田原北条氏の時代のものと太閤検地で異なっており、柳川村の検地帳は後者に則っていることを指摘している訳です。

ただ、畔の作物が記されていることについては、この解説の中では同時期の検地帳間に表記の不統一があることを指摘するに留まっており、委細については触れられていませんでした。各地で検地を実施した担当者によって、その手順が統一出来ていなかった可能性があるのは理解できるものの、比較的狭い地域の村々相互に齟齬が起きている点をどう理解したら良いかは、引き続き課題として残っている様です。



私自身中世以前の歴史にはそれほど明るくないこともあり、この柳川村の検地帳につながる景観がいつ頃どの様にして生まれてきたのか、知識が殆ど無いのが実情です。そんな中、「現代思想」誌2015年2月臨時増刊号「総特集・網野善彦」所収の「『百姓』のフォークロア 塩・柿・蚕」(畑中章宏著、148〜158ページ)中に、その辺りを考える上で手掛かりになりそうな文章がありましたので、こちらに覚書として引用させていただきます。

…田畠などの四至を示す目標に、しばしば柿木が見られるだけでなく、仁安二(一一六七)年の「厳島神社文書」に安芸国三田郷では、田畠、栗林、桑とともに柿があげられている。また紀伊国阿弖河(あてがわ)上荘の建久四年(一一九三)九月の検注目録にも、田・畠・在家、そして栗林とともに柿五九八本、桑一八九〇本、漆三二本が検注され、同下荘では柿七〇〇本に対して柿七〇連が賦課されている。さらに荘園公領制の形づくられる過程で、橘園(山城・摂津・播磨)、香園(近江)、椿園・梨園・棗園(伊勢)、生栗園(尾張)といった果樹・樹木の園地が、荘園と同質の単位になっていくことがしばしば見られる。なかでも柿御園については、美濃国に天皇家領、近江国に摂関家領、尾張国に伊勢神宮領が確保、設定されている。阿弖河下荘で柿一〇本について一連、徴収された柿は干柿と推測されるが、支配者が柿を公的に掌握しようとした理由の一つは、柿の果実の収取であつたと考えられる。

(同誌153ページより)


ここに掲げられている一連の史料からは、平安時代末期の荘園形成の頃に早くも柿がその構成要素の中にあり、柿の実がその貢税の1つとして重視される実情があったと言えそうです。

無論、平安末期から鎌倉時代初期の史料では柳川村の検地帳とは400年ほども隔たりがあり、また近畿〜西国の荘園の景観が当初から東国の荘園にもあったと考えられるのか、それとも戦国時代末期までに何らかの曲折を経て伝播してきたものかは、更に史料を探し出して間を埋めなければわからない部分ではあると思います。しかし、柳川村に見られたであろう農地の景観が、恐らくはこれら平安末期から鎌倉時代初期の荘園のそれに、何らかの形で根ざしていた可能性は、かなり高そうです。




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でも参照されている方が多い様ですので設置を継続します。

この記事へのコメント

游相日記 - 東屋梢風 - 2015年03月02日 18:07:51

興味深く拝見しています。
柿のお話で、渡辺崋山「游相日記」を思い出しました。
ご存じかと思いますが、天保2年9月に江戸~厚木を旅した記録です。
途中「恩田茶屋」で休憩し、柿と栗を40文で買ったというくだりがあります。
この「恩田茶屋」とは、都筑郡恩田村の掛け茶屋(横浜市青葉区しらとり台)で、地元の豪農・弥左衛門が営んでいたとか。
こうした産物が旅人の疲れを癒やしてもいたのだろうと、想像できました。

Re: 東屋梢風 さま - kanageohis1964 - 2015年03月02日 18:39:46

こんにちは。コメントありがとうございます。

そうですね、こういう紀行文・道中記は当時の食事の内容を伝えてくれる数少ない史料の1つですね。「游相日記」は以前梅干のことを取り上げた時に紹介していますが、お膳の時の様子などを克明に表現してくれていますね。

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