鹿梨について:「新編相模国風土記稿」から

「新編相模国風土記稿」に記された産物一覧から、今回取り上げるのは「鹿梨」です。


畑宿の位置(「地理院地図」より)
  • 山川編(卷之三):

    ◯鹿梨和名、夜末奈之、◯足柄下郡畑宿に產す、

  • 足柄下郡図説(卷之二十二 足柄下郡卷之一):

    ◯鹿梨、夜末奈之◯畑宿の產、

  • 畑宿(卷之二十七 足柄下郡卷之六):

    土地の產物は山生魚・山梨子等なり、

(何れも雄山閣版より、強調はブログ主)


山川編各郡図説、そして畑宿の記述には整合性はありますが、その委細については全く触れられていません。


漢字で「鹿梨」と記されているものの、訓には「夜末奈之」つまり「やまなし」と記されています。「本草綱目啓蒙」には「鹿梨」の項があり、次の様に解説しています。

鹿梨

ヤマナシ和名鈔 アリノミ イヌナシ濃州

ユデナシ雲州[越前] 檖尓雅 蘿同上 赤蘿毛詩疏

〔一名〕兒梨典籍便覽 牛嬭梨藥性纂要 梌木[事]物紺珠 山檎品字

京師にては市中に栽えず八瀬大原邉の民家に多し木高大にして梨樹に異ならず葉も形同して枝に刺あり春未だ葉を生せざる已前に白花を開くこと梨花と同じ實は桃實より小にして冬に至て熟し食ふべし夫より已前は煠せざれば食はれず京師にては中元の佛供とすその木に文理ありて羅の如し格古要論に倭欏草欏の名あり事物紺珠に欏色白理黄紋粗曰倭欏稍堅理直細曰草欏俗呼梌木と云り元の周公謹が增補武林舊事に翠寒堂宋高宗以日本羅木建と云ふ

(「国立国会図書館デジタルコレクション」より、名称以外のカタカナはひらがなに置き換え、返り点類は省略、一部手書きによる後筆は[]にて記す、[事]は字母を拾えなかったが、漢籍を示しており、本文中にも「事」と記されていることからこちらの字で代用した)


一方、「本草綱目啓蒙」では次の「棠梨」にも同じ「ヤマナシ」の訓が見えており、こちらでは次の様に記します。

棠梨

コリンゴ ヤマナシ ヤブリンゴ

カラツポウ豫州

〔一名〕加冬梨閩書南產志 杜梨典籍便覽 楟㴝山西通志

山中に多し高さ一二丈又小木にても花實あり春新葉を生する時花開く白色五瓣林檎花に似て小し多く簇り生す花實を結ぶ形櫻の實に似たり秋に至て紅熟す葉も林檎葉に似て白毛あり又三叉にして牽牛(あさがほ)葉の如くなるもあり五岐にして山査葉の如くなるもあり又七岐なるもあり皆一枝の中に變葉多く雜れり秋深て葉落つ甲州には小木小葉にして黄實を結ぶものあり方言ズミ 一種花淡紅色なるものありカタナシ北國と云一名コナシ飛州亦山中に生す實は大にして山査子の形の如し是を紅棠梨天台山方外志と云一名山海棠同上山梨紅訓䝉字會日光山中には深紅花なる棠梨あり

(「国立国会図書館デジタルコレクション」より、扱いは上記に準ず)

この書き方では、「梨」と言いつつもむしろ林檎に近い様に見えます。「ズミ」の名は「本草綱目啓蒙」では「方言」とされていますが、現在はむしろこちらの名で一般的に呼ばれています。

また「大和本草」でも、その「鹿梨」の項で「アリノミ山梨也…又棠梨あり是亦山梨の類也」(「国立国会図書館デジタルコレクション」より)と記し、「鹿梨」と「棠梨」が共に「山梨」と呼ばれているとしています。

「七湯の枝折」より山梨の図
「七湯の枝折」山梨の図
(沢田秀三郎釈注本より、原図は彩色)
畑宿の「やまなし」が果たして本当に「鹿梨」で良いのか、それとも「棠梨」と判断すべきものかは、現在の畑宿では作られていないのか目にすることがない様なので、今ひとつ判断し難いものがあります。因みに、「七湯の枝折」では

山梨 筥根山の産なり

是を塩ニつけて貯ふニよく酒毒魚毒ヲ解ス或ハ硯ぶたの取合ニつみて面白きもの也

(「七湯の枝折」沢田秀三郎釈註 1975年 箱根町教育委員会 70ページより)

と「山梨」の字が宛てられ、図が添えられているものの、その実の付き方が上向きに描かれており、これは「ヤマナシ」にも「ズミ」にも見られないものです。一方、1箇所から複数の長い柄が伸びて実が生る様は「ズミ」にも「ヤマナシ」にもあります。「ヤマナシ」も「ズミ」も箱根で現在も自生しているため、やはりどちらも可能性があります。

和漢三才図会巻87鹿梨・棠梨
「和漢三才図会」鹿梨・棠梨
この2つの図では「棠梨」の描き方が
「七湯の枝折」に似ているが、
「棠梨」に「ヤマナシ」の訓は記されていない
(「国立国会図書館近代デジタルライブラリー」より)
本草図譜巻六十三「棠梨」
「本草図譜」棠梨
前のページに「鹿梨」があるが、実だけが描かれている
(「国立国会図書館デジタルコレクション」より)

Pyrus pyrifolia 4.JPG
ヤマナシの実と幸水の大きさの比較
("Pyrus pyrifolia 4" by Qwert1234 - Qwert1234's file.
Licensed under CC 表示-継承 3.0
via ウィキメディア・コモンズ.)
Malus sieboldii C.jpg
ズミの実
("Malus sieboldii C" by Wouter Hagens
- 投稿者自身による作品.
Licensed under パブリック・ドメイン
via ウィキメディア・コモンズ.)

「和漢三才図会」や「本草図譜」の描き方では、「棠梨」の描き方が「七湯の枝折」に近く、その限りでは「ズミ」の方が可能性があるかも知れません。ズミやヤマナシの実の写真の観察でも、ズミの方が似ている様に思えます。もっとも、絵図の観察だけで判断するのは非常に危ういのも事実ですから、飽くまでも個人的な見解に過ぎません。

畑宿の「やまなし」がヤマナシとズミのどちらであったのかがはっきりしないため、これが植栽されていたのか、それとも山に自生しているものの実を採集していたのかについても、判断の拠り所が乏しいところです。ただ何れにせよ、畑宿ではこの実を塩漬けにしたものを食していたという訳です。「酒毒魚毒ヲ解ス」という書き方からは、梅干に近い食され方であった様にも見えます。しかし、「東雲草」「箱根七湯志」といった箱根の江戸時代の地誌では「やまなし」に関する記事が見られず、また箱根を通過したり滞在したりした道中記・紀行文でも畑宿の「やまなし」が登場するものを見いだせませんでした。今のところ畑宿の「やまなし」について記録しているのは「七湯の枝折」と「風土記稿」だけですが、「風土記稿」が「七湯の枝折」を参照している可能性があるため、事実上「七湯の枝折」が唯一の典拠ということになりそうです。

明治時代以降の記録にも可能な限りで当たってみましたが、明治20年(1887年)の「箱根温泉誌」(清水市次郎 編 尚古堂)に見られたのが唯一でした。しかも、産品として挙げられているものや絵図が明らかに「七湯の枝折」を見て描き写していることが見て取れることから、果たしてこの本を編纂する際に現物の存在を確認した上で記載したものか、甚だ心許ないものがあります。内野勘兵衛が箱根の物産を可能な限り集めて出品していた「第1回内国勧業博覧会」でも、「やまなし」が出品された記録は見当たりませんでした。

「七湯の枝折」に敢えてこの様に記されているのであれば、箱根に湯治で滞在した人々の目に触れたり口に入ったりした記録がもう少しあっても良さそうなものですが、何故これ程までに記録に乏しいのか、あるいは逆に何故これが「七湯の枝折」に記録されることになったのか、釈然としないのが正直なところです。引き続き何かしらの記録が出て来ないものか、折に触れて探る腹積もりではあるのですが…。



以下、埋草に余談を少々。神奈川には全然関係ない話ですが。

「やまなし」と聞いて、あの宮沢賢治の童話を思い出す人も多いかも知れません。「クラムボンはわらったよ。」という、何とも不思議な感触のあるお話ですね。現在は「青空文庫」でもその全文を読むことが出来ます。

題名にもなった「やまなし」は、その「二、十二月」で「トブン」と音を立てて谷川に落ちてきて、蟹の兄弟をひどく怯えさせます。上記の「本草綱目啓蒙」では「冬に至て熟し食ふべし夫より已前は煠せざれば食はれず」と、熟してからかなり時間が経って冬にならないと食べられる状態にならないとしていますが、その限りでは12月になって熟し切った「やまなし」の実が落ちて来るのは筋が通っている様です。

もっとも、ヤマナシの分布は日本では本州中部以南とされており、東北には分布域を持っていません。宮沢賢治のこの文章は大正12年(1923年)に「岩手毎日新聞」という、発刊地域の限定された新聞で発表されていますから、その読者にとって「やまなし」と聞いて思い浮かべるであろう実はヤマナシのそれではなさそうです。その様なこともあってか、この「やまなし」はズミではないかという見解を持っている方もネット上で見掛けました。確かにズミであれば分布域は日本全国に及んでいますから、その点ではこちらの方が岩手の人にも馴染みがありそうです。また、別の品種の梨を挙げる説もある様です。

ただ、ズミの実はかなり小さい(直径1cm程度)ですから、これが水に落ちた時に「トブン」と音を立てる程になるかな、という気もします。まぁ、サワガニ(とは書いていませんが、カワセミが脅威になりそうな大きさの蟹だとモクズガニでは少し大きいかと思います)の大きさを考えれば、彼らにとってはズミの実でも充分大きいのかも知れませんが、実が落ちて来た時に蟹の子供たちに「かわせみだ」と言わせていることから見ると、やはり賢治はもうちょっと大きな果実を意識したのではないか、と思えます。賢治自身がヤマナシの実を東北以外の何処かで見掛けたか、あるいは図鑑などで目にしたのか、そこはわかりませんが、丁度カワセミの頭の大きさと釣合いそうな、12月頃に熟して落ちそうな果実を探して、目に止まったのがヤマナシだったのかも知れません。
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でも参照されている方が多い様ですので設置を継続します。

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