『「新編相模国風土記稿」山川編の「金銀」「砥石」「燧石」について』の補足など

今回は以前の記事の簡単な補足を。

以前『「新編相模国風土記稿」山川編の「金銀」「砥石」「燧石」について』を書いた際に、twitter上でこんなやり取りをしていました。


この際のツイートが一昨日になってリツイートされたりtogetterでまとめられたりしたのを切っ掛けに、私も改めて以前書いた自分のブログの記事を読み返しました。この記事をまとめた折にはまだ「第1回内国勧業博覧会」の出品目録が「国立国会図書館デジタルコレクション」で公開されているのに気付いていなかったので、引用した文献の内容をソースに当たってみるという作業をしていなかったのですが、今回読み返すに当たってはそれら出品目録もチェックしてみました。

該当する箇所を書き出してみます。
  • 礦石 (一)相摸國足柄上郡谷ケ村 ◯砥石 (二)靑色 
    (平山村 古瀨左十郎
  • 陶土 (一)薄靑色、大住郡戸川村 (二)白色 (三)アヅキ色 ◯砥石 (四)薄靑色 
    (仝村 桐山金藏
  • 砥石 (一)荒砥、武藏國多摩郡五日市村 
    (仝村 平山藤吉
  • 砥石 (一)淡黑色相摸國愛甲郡小野村 
    (仝村 小瀨村三司
  • 砥石 (一)剃刀砥、津久井郡吉野驛 
    (仝驛 吉野十郎
  • 砥石 (一)荒砥小淵村中村榮助 
    (仝村 中村吉間多

(以下出品目録引用は何れも「国立国会図書館デジタルコレクション」より、強調はブログ主)


この出品目録は出品者単位でまとまっているにも拘らず、掲載順序が出品物によって分類されており、同一人物が複数の出品を行った場合に、そのうちの最初の1つに合わせて分類されるという順列になっており、特定の出品物に関して出品者を探そうとすると、他の場所も探しに行かなければならないという、少々厄介な構成になっています。ただ、神奈川県から出品された砥石については、その後の追加分も含めて確認した限りでは、この6点ということになりそうです。

これに対し、以前の記事で引用した文章では「秦野市戸川、厚木市小野、相模原市藤野町、山北町谷ケ、川崎市中原区」と一覧が記されていました。このうち、津久井郡吉野駅と小淵村はどちらも相模原市藤野町(当時、現:相模原市緑区吉野・小渕)に属していますので、最初の4地点については上記の引用中の5町村と照合出来ます。しかし、最後の「川崎市中原区」に該当する村(何れも橘樹郡に属する小杉村、上丸子村など約20ヶ村)からの出品は記載されておらず、代わりに現在東京都あきる野市域に当たる「多摩郡五日市村」の出品が記載されています。

この点について、引用した記事を執筆された生命の星・地球博物館学芸員の田口公則様にメールで確認させて戴いたところ、御自身でもこの一覧を確認されて疑問を持たれたものの、私信でやり取りをした際に中原区の名前がとある文献(失念されたとのこと)に掲載されていたと指摘を受けて、引用した様な表記とした旨のご回答を戴きました。

この出品目録は限られた期間に受け付けた出品物をかなり限られた時間内に出版物とするために、後日に補遺を2度にわたって出版し、更に正誤・出品取り消し等の修正一覧を最終巻にまとめるなど、相当に慌ただしい編集を経て世に出たものです。従って、目録に出品物の遺漏のあった可能性がないとは言えないのですが、その出典が果たしてどの様な性質のものであったのか、砥石が出るのが珍しい土地であるだけに気掛かりです。


五日市の位置(「地理院地図」より)
五日市ということであれば、ここは秋川渓谷の麓に当たる地であり、奥多摩の山地南部に当たります。この地域の地質図(リンク先PDF)ではこの地域の地質は砂岩や凝灰岩の地層から成っている様です。「内国勧業博覧会」の出品目録では五日市村の砥石に「荒砥」と記されていますが、これには目の粗い砂岩や凝灰岩が主に用いられることと考え合わせると、確かに地質の特徴と合いそうです。


これだけでは物足りないので、「内国勧業博覧会」出品目録から別の話題を取り上げてみます。

こちらのページの左上には「銕砂」という表記が見えます。
  • 銕砂 (一)三浦郡金田村(二)秋谷村 
    (金田村 菱沼三郎兵衛
  • 銕砂 (一)鎌倉郡極樂寺接地七里ヶ濱 
    (大鋸町 森小十郎
  • 銕砂 (一)公鄕村字猿(島誤植ヵ) ◯白土 (二)字馬門 
    (仝村 石渡忠八

この一覧で「銕砂」が何のことかお気付きになった方もいらっしゃると思います。砂鉄のことですね。七里ヶ浜の砂浜が砂鉄を多く含んでおり、かつてはこれを研磨剤に使っていたことは以前紹介しました。


横須賀市秋谷の位置

三浦市南下浦町金田の位置

「内国勧業博覧会」ではこの七里ヶ浜の他、三浦半島の金田村(現:三浦市南下浦町金田)、秋谷村(現:横須賀市秋谷)、そして猿島(現:横須賀市猿島)からも出品されています。これらの出品者が具体的に何処で砂鉄を採集したのかは不明ですが、何れも海岸に砂浜が伸びる地であり、七里ヶ浜とも近いこともあって何らかの相関性を考えたくなるところではあります。確かに今でも三浦半島の砂浜では砂鉄が多い箇所が多く、砂浜が黒っぽいのが七里ヶ浜と共通する特徴となっています。

この相模湾や東京湾岸の砂鉄については、1950年代の研究論文がPDF化されて公開されているのを見つけました。その後の研究が存在するのかどうかは不明ですが、これに従えば、比較的近い地域から海岸付近に運ばれ、それが海岸付近の湾流や風の作用で砂浜に堆積したものということになる様です。こうした作用が古くから存在したのであれば、七里ヶ浜がかつて砂鉄の供給地であったのと同様、三浦半島に点在する砂浜も、あるいは中世には同様に砂鉄の供給地として機能していたのかも知れません。
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↑ブログの内容を分析してカテゴライズするとの触れ込みでしたが…そちらはあまり期待通りになっていないですねぇ。
でも参照されている方が多い様ですので設置を継続します。

この記事へのコメント

管理人のみ閲覧できます - - 2015年02月09日 11:17:17

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