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【旧東海道】その4 神奈川湊周辺(その1)

多摩川付近の旧河道と自然堤防分布(再掲)
多摩川付近の旧河道と自然堤防分布
(再掲)
東海道編を先に進めます。前回川崎付近の話をした際に掲げたこの図で見た通り、生麦辺りまで東海道が砂州の上を進んでいることをお伝えしました。

この砂州がそのまま海岸沿いに神奈川宿方面に伸びており、旧東海道は引き続きその上を進みます。このため、旧街道が海岸付近を進む点は高輪付近と似ているものの、所々で周囲よりも一段高い場所を進んでいることを感じることが出来、もう少し起伏感に富んだ道になっています。

子安浜に降りる路地
子安浜に降りる路地
この写真は子安付近で浜に降りる路地で旧東海道を向いて撮ったもので、数m坂を下っていることがわかると思います。

入江川の船溜まり
入江川の船溜まり
子安浜の船溜まり
子安浜の船溜まり
因みに、この一帯も御多分に漏れず埋め立てが進んでしまっていますが、入江川から西側はかつての海岸線が運河として残り、漁船の船溜まりになっており、幾らかかつてを偲ぶことが出来ると思います。GoogleMapsの衛星写真でも、運河に多数繋留される漁船の列がしっかり写っています。

大きな地図で見る
入江川付近の航空写真

同じ場所を「迅速測図」で表示させるとこの辺りになります。かつてはこの辺りも遠浅の浜であったことがわかります。

(「今昔マップ on the web」より、地図の不透明度を100%に切り替えると現在の地形図に切り替わる)


他方、山側は多摩丘陵の一角をなす下末吉台地が迫っており、そこから流れ出す小河川(入江川、滝ノ川など)による小さな平地が間に挟まる地形になっています。神奈川宿も、これらの小河川うち滝ノ川の流れ出す平地の上を海沿いに進んだ後、帷子川の河口から左岸沿いを進む道に変わります。江戸時代の本陣はちょうど、街道が折れ曲がる箇所に向かい合うように存在しており、この辺りが中心地であったことを裏付けています。

その帷子川の河口の一角に古くから設けられた湊が神奈川湊であり、神奈川宿はここを中心に水辺に伸びた宿場であると言えます。この話は次回に譲って今回はもう少し先に行きます。

幸ケ谷公園から切通しを眺める
幸ケ谷公園から切通しを眺める
帷子川の左岸には、ひときわ高聳える台地が迫ってきています。上の写真は幸ケ谷公園の上に上がって本覚寺方面を見たところです。この地図の右手に幸ケ谷公園があり、そこから左手方面を見ていることになります。

大きな地図で見る
かつての権現山付近の航空写真

現在は東海道線や京浜急行、更に第2京浜国道が巨大な掘割の底を進んでいますが、この幸ケ谷公園の辺りはかつては権現山と呼ばれ、本覚寺まで連なる尾根の一部でした。戦国時代には上杉と北条の合戦があった場所ですが、江戸時代末期には神奈川台場を作るために権現山の上が削られて平坦化され、更に明治初期にはここに掘割を設けて鉄道を通しています。その時に出た土砂を海岸の埋め立てに用いている訳ですね。

昨日紹介した「横濱時層地図」で地形図を見比べると、この掘割は明治の終わりには京浜電気鉄道(現在の京浜急行)の線路を通すために拡幅され、更に昭和初期になると現在の第2京浜国道が拡幅されてほぼ現在の広さにまで掘割が広がったことがわかります。確かに写真でも掘割の法面を固定する石垣の肌が古びていることが窺えますね。「迅速測図」ではこの位置に当たります。


(「今昔マップ on the web」より、地図の不透明度を100%に切り替えると現在の地形図に切り替わる)



そして、かつての東海道は写真の左端に写っているマンションの更に左側を抜けていきます。明治初期の掘割が出来たばかりの頃は、旧東海道の道筋に合わせて掘割上の橋(青木橋)が斜めに架けられており、その後も旧東海道の道筋に合わせて橋が架け直されています。道筋が変わったのは国道の整備が本格的になる大正末期以降で、国道の大幅な拡幅とともに青木橋も現在の掘割に直交する形に架け直されています。新たに伸びてきた国道が鋭角な交差点を曲がることになるのを解消するための措置ですが、その頃までは旧来の宿場町としての町並みへの配慮があったと見て良いでしょう。

台町の坂と浮世絵のプレート
台町の坂と浮世絵のプレート
帷子川に迫る左岸の台地は標高が40mを超えており、旧東海道はその崖の下の狭い平地に沿って坂を登っていました。これが「台町」という景勝地として名を知られる様になり、浮世絵の題材となった訳です。かつて海を見晴らす茶屋の跡地では、現在は料亭が営業しており、東海道五十三次の神奈川宿の浮世絵がプレートになって掲げられています。

この台町の崖の迫る地形も、茶屋から見渡せる本牧辺りの台地も、ともに今から約15万年前に形成された海食台が隆起した「海岸段丘」で、その段丘の間から流れ込む大岡川や帷子川が平地を形成して現在の様な地形に至る訳です。その海岸段丘の縁に出来た神奈川湊の話はまた次回。

※今回の写真は何れも2010年9月に私が撮影しました。




【訂正】…「国道1号線」と「第2京浜国道」が混ざって「国道2号線」になってました…。どっちにしようか迷いましたが「2」を活かして後者に。

追記(2015/11/22):「歴史的農業環境閲覧システム」へのリンクを、「今昔マップ on the web」の埋め込みに置き換えました。


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