箱根の「くさめ草」

今回はちょっと軽めに行きます。少々鼻のムズムズする様なお話ですが御容赦を。

「七湯の枝折」産物の図より「くさめくさ」
「七湯の枝折」産物の図より「くさめくさ」
原図は彩色(沢田秀三郎釈註書より)
箱根の「七湯の枝折」の「産物」をまとめた際にもちらりと触れましたが、挙げられているものの中には戯れで書いたとしか思えない様なものも含まれていました。

くさめくさ

是ヲ干してもみ鼻ニ入るゝにくさめ出ること妙也

(「七湯の枝折」沢田秀三郎釈註 1975年 箱根町教育委員会 70ページより)


要するに、これを粉にして嗅ぐとクシャミがいっぱい出るよ、という訳です。流石にこういう戯れのものは「新編相模国風土記稿」にも取り上げられることはありませんでした。「七湯の枝折」が箱根の各温泉郷に置かれて湯治客に見せられていたということから、多分彼らを楽しませる意味もあってこういうものを含めたのだろう、と記した訳ですが。

この「くさめ草」については、同じく当時の箱根について書かれた「東雲草」でも触れられていました。

芦の湯へ道に嚏艸有、一名発勢草、此草工用中採丶丶とし薬研にをろし細末とし、鼻に入るにくさめの出る事のきりなし、秋に至れハ杖を打事しま卯つきに似たる草也、外に委随(イスイ)てふ草あれと夫は別種也、江戸四ツ谷薬店にて少キ陶に入何とやらん名を蒙らしめ、粥物此類ならん、

(「相模国紀行文集:神奈川県郷土資料集成 第6集神奈川県図書館協会編 1969年 340ページより、強調はブログ主)

「嚏艸」とありますが、「嚏」の字がクシャミのことですから、「くさめくさ」を漢字で書けばこうなるということですね。

当時の箱根の地誌的な書物としては代表的なものに共に取り上げられているのであれば、これが何物なのかもうちょっと調べてみようという気になってきました。当時の子どもの遊びにしては少々手が込んでいますし、そんなものをわざわざ「七湯の枝折」や「東雲草」の様な書物に記すとも考え難いので、対象は恐らく大人だったのでしょうが、それにしてもこれは一体何なのか。

箱根についてまとめられた当時の書物としては他に「箱根七湯志」(間宮永好著 文久元年・1861年)があります。ただ、「国立国会図書館デジタルコレクション」に収められた明治21年刊の大八洲学会本には該当する記述がありませんでした。こちらはより学究的な姿勢が強まり、実証的な研究といった風合いの強い文献であるため、こうした風俗面にはあまり強く関心を寄せなかったのかも知れません。

ならば、箱根に湯治で滞在した紀行文などに「くさめ草」が登場するものがないか、ざっと探してみました。流石に旧東海道を先を急ぐ通過客がこの様なものを試そうとは思いも寄らないでしょうから、「くさめ草」が登場するケースがあるとすれば飽くまでも湯治場に長期滞在する人たちということになりそうです。

江戸時代の相模国内の紀行文集を手っ取り早く読むという点では、神奈川県図書館協会郷土資料委員会がまとめた「神奈川県郷土資料集成 第6集・第7集」の2冊にまとめられた「相模国紀行文集成」(第6集1969年、第7集1972年)が手頃です。このうち、第6集には「東雲草」の他に箱根湯治場滞在中の様子を記したものとして「塔沢紀行」「箱根日記」「木賀の山踏」「凾山紀行」の4編が収められています。が、この辺りの紀行文は本来の目的である病気の治療に専念していたものであったり、ある程度遊山的な側面が強いものでも途中和歌を詠んでいたりと、くだけたところの少ないものばかりですので、くさめ草が登場するには少々雰囲気が違う様です。

もう少し戯けたものを扱うという点では、やはり当時の滑稽譚の第一人者であった十返舎一九がこれを取り上げていないかが気になります。「第7集」の方には「十返舎一九編述」とされている「道了権現箱根権現七湯廻紀行文章」(文政5年・1822年)という冊子が収録されています。これも箱根などの案内記に近いものなのですが、「相模国紀行文集成」の解題によればこの本は小田原市立図書館が所蔵するもので、「『国書総目録』には寛政四年刊、禿箒子の著作と出ている」としており、著作者が本当に十返舎一九なのかどうか少々怪しいところがあります。もっとも、「禿箒子」という著作者名もこれまた随分と人を喰っています。

この冊子には箱根の名物がいくつか取り上げられているのですが、その中に「くさめ薬」なるものが登場します。勿論これが「くさめ草」を粉にしたものであることは間違いないところですが、

箱根山名物

…くさめ薬二子山近辺に生する草のよし風邪の時此薬をすこしはなの穴へ入るればくさめ出てかぜ治るといへり畑宿蔦屋にて売いたつてよし

(同書254ページより、…は中略)

何と、こちらはこの草の粉末が風邪薬として売られているというのです。「畑宿の蔦屋」というのは底倉の蔦屋の間違いかと思いますが、一九が書いたのだとしても、「禿箒子」なる人物が書いたのだとしても、果たして真に受けて良いものかどうか怪しくなってきます。なお、この冊子の巻末にはこれから旅に出ようという人への餞として、旅路の心掛けを詠んだ川柳が数本載っているのですが、そのうちの1本が

〽ざれごとがまことになれバ恐しやかりにもざれハたしなむがよし

(同書258ページより)

…まるで先ほどの記述のことを言っている様で、ますます怪しげになってきます。

そもそもこの草は一体何なのか、それらしきものを探してみたところ、「ハコネハナヒリノキ」という草が見つかりました。

御丁寧にも「箱根」の地名を冠していますが、分布域は箱根や丹沢、ツツジ科の植物で「ハナヒリノキ」の変種ということになるそうです。「ハナヒリ」とは「鼻ひり」、つまりこれまたクシャミのことですから要するに現在の和名も「クシャミ草」と言っている訳ですね。他にも変種が幾つかあるということは、あるいはこの草を粉にして嗅いでクシャミをして遊ぶ様な風俗が、箱根以外の地域にもあったということなのでしょうか。実際、「七湯の枝折」にはかなりの種類の写本が残されており、ここでしばしば使用している沢田秀三郎釈註本とは違う写本では、上州草津でも同様の草が存在することが記されています(2004年・箱根町立郷土資料館編本による)。そうであれば、あるいは江戸時代の山中の温泉郷で、長期滞在する湯治客向けの共通の手慰みとして流行っていたのかも知れません。

小野蘭山の「本草綱目啓蒙」では「木藜蘆」の項に「ハナヒリノキ」と記され、次の様に解説されています。

木藜蘆

ハナヒリノキ アクシヨギ加州

東北國に多し江州にもあり小木なり高さ尺に盈ず或は四五尺葉は形長していはなしの葉に似て短く毛なし互生す夏に至り穂を出す長さ四五寸小白花を開く葉を採り末となし鼻中に入れば嚔る故に名く厠中に入るれば蟲を殺す

(「国立国会図書館デジタルコレクション」よりブログ主翻刻、カタカナをひらがなに置き換え)

便所の殺虫剤としての用途もあったことが記されていますが、これだけですとどちらの用途が先にあったのかははっきりわかりません。「跡見群芳譜」の記述では元々こちらの用途が先にあって、それがクシャミを催すことから名付けられたと解釈している様です。植物の和名には何とも人を喰ったようなものが多数あり、それらの多くは近代以降に与えられたものが多いので、これもその類かと思いましたが、ハナヒリノキの場合は江戸時代からある名称ということになりますね。

なお、「新訂牧野新日本植物図鑑」(2000年 北隆館)では、

漢名に木藜蘆を使うことがあるが誤まりである。

(同書544ページ)

と、小野蘭山の記述を否定しています。また、便所の蛆を殺す目的で利用することから「ウジコロシ」の異名を紹介しています。

Leucothoe grayana 1.JPG
ハナヒリノキの花
("Leucothoe grayana 1"
by Qwert1234 - Qwert1234's file.
Licensed under CC 表示-継承 3.0
via ウィキメディア・コモンズ.)
箱根町のサイトや平塚市博物館のサイトでは、この草が「七湯の枝折」などに記されている「くさめ草」であることを明記していませんが、名称や用法の記述から見てハコネハナヒリノキが「くさめ草」でほぼ間違いないでしょう。

因みに、この草には「グラヤノトキシン」という有毒成分が含まれているそうです。かつては殺虫剤としての用途があったという程ですから、多用するのは禁物でしょう。クシャミを誘発する成分がこの有毒成分なのかどうかは定かではありませんが、仮にそうだとしても鼻から嗅ぐ分にはごく微量なのでクシャミで済んでいるということでしょう。その様な訳で、面白そうだから見つけたら試してみては、などと軽々しく勧めるのは気が咎めます。それでも敢えて嗅いでみようという人は、ゆめゆめ多用されること無き様に、と念のために申し添えておきます。

もっとも、花粉症に悩む人が増えた現代にあっては、流石にわざわざ好き好んでクシャミをする様なお遊びを復活したいと望む人も少ないでしょうが…。飽くまでも江戸時代のちょっと滑稽な1つの風俗として、この様な記録が受け継がれていくことになるのではないでしょうか。



追記(2016/):箱根町のサイトへのリンクが切れておりましたので、張り直しました。その際該当するページが増えていましたので、その両方にリンクする形に書き換えました。
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