箱根のセンブリ:「新編相模国風土記稿」から

これまで、「新編相模国風土記稿」の各郡図説にまとめられた産物や山川編にまとめられた産物を個別に取り上げてきました。これらの一覧に掲載された産物の中には、村里部の方に対応する記述が見られないものも存在することは、ここまでの紹介で見てきた通りですが、逆に村里部の方には記述があっても各郡図説や山川編には取り上げられなかったものもあります。そうしたものの中から、今回は足柄下郡底倉村の「センブリ」を取り上げます。

產物には唐藥俗にせんぶりと云、・柴胡・紫根等、山中に生ず、

(卷之三十 足柄下郡卷之九、雄山閣版より、強調はブログ主)


一緒に紹介されている柴胡については以前も取り上げましたが、ここでは足柄下郡の産物には含まれていないものの、山川編の産物中では柴胡の産地の中に底倉村の名前が入っていました。紫根については後日改めて取り上げますが、こちらも状況は同じで山川編には入っています。センブリだけが足柄下郡の図説でも山川編でも取り上げられなかったことになります。


箱根・底倉の位置
底倉はいわゆる「箱根七湯」のうちの1つで、江戸時代の底倉村は底倉温泉の他に宮の下・堂ヶ島の3つの温泉郷を含んだ地域でした。「七湯の枝折」では

○宮の下堂ケしまも共に底倉の一郷にて惣名底倉村なり…

◯又此所ハ南北に狭く東西に長ふして宮の下までハ町つゞきなれバ爰に不自由なる者ハ彼所に求め彼所に難得ものハ爰に来りて調ふ…

(「七湯の枝折」沢田秀三郎釈註 1975年 箱根町教育委員会 37〜38ページより、…は中略)

と、この付近に集中する温泉郷の中心地であった様子が記されています。また、江戸時代には「小地獄」と称されていた底倉村の小名は明治時代に入って「小涌谷」と改称され、現在はここも温泉郷の1つとなりました。

この地でセンブリが採れると「風土記稿」が記す訳ですが、センブリの記述は箱根の案内記である「東雲草」(文政13年・1830年 雲州亭橘才)にも見られます。

芦の湯へ道に嚏艸有、一名発勢草、此草工用中採丶丶とし薬研にをろし細末とし、鼻に入るにくさめの出る事のきりなし、秋に至れハ杖を打事しま卯つきに似たる草也、外に委随(イスイ)てふ草あれと夫は別種也、江戸四ツ谷薬店にて少キ陶に入何とやらん名を蒙らしめ、粥物此類ならん、せんぶり一名呂根茎葉ともにうす紫根黄也、同様制し癪の薬に用

(「相模国紀行文集:神奈川県郷土資料集成 第6集神奈川県図書館協会編 1969年 340ページより、強調はブログ主)


Swertia japonica.JPG
センブリの花
("Swertia japonica"
by Alpsdake
- 投稿者自身による作品.
Licensed under
CC 表示-継承 3.0
via Wikimedia Commons.)
センブリはリンドウ科の多年草で、山野の日当たりの良い、なおかつ湿り気の多い草地に生息します。漢字では「千振」と書くのですが、その字が意味する通り「千回振り出してもなお苦い」という程の強い苦味があります。夏から秋にかけてが花期で、私が巡回した他所様のブログでも幾つかセンブリの花の写真を見掛けました。生憎と私は手持ちのセンブリの写真がないので例によってWikimedia Commonsの写真を拝借している訳ですが。

このセンブリについて、貝原益軒の「大和本草」では次の様に記します。

センフリ たうやくとも云白花さく又淡紫花あり白花の者尤苦し山に生す小草也高さ五六寸に不過葉は龍膽に似て小也葉も花もきはめて苦し虫をころす倭俗是を胡黃連と云非也胡黃連中華より來る別物なり或曰倭方に胡黃連と云はせんふりを可用と云是を用て糊とし表禙をし屏風を張り紙を續けは虫くはす

(「国立国会図書館デジタルコレクション」を参照の上ブログ主翻刻、カタカナを日本語に置き換え。なお「禙」はシステム環境によっては正しく表示されない可能性あり:[示+背]の字)

古くは胡黄連の代わりにこのセンブリが使われ、その後もセンブリを「胡黄連」と称することがあるが、誤りであると指摘しています。同書の「胡黄連」の項でも
和漢三才図会巻92胡黄連・当薬
「和漢三才図会」(正徳2年・1712年 寺島良安)でも
「胡黄連」に続いて「当薬」が掲載され
その違いを解説している
(「国立国会図書館近代デジタルライブラリー」より)

胡黃連 黃連に似て大也黃ならす味苦し蘆頭も黃連に似たり中華より來る此草日本にありや未詳千振(センフリ)とて秋白花を開きて葉細に味甚苦き小草山野にあり又たうやくと云國俗是を好んて用之殺蟲消積これを胡黃連と云非なり或曰倭方に胡黄連とかけるは皆せんふりを用ゆへしと云

(同じく「国立国会図書館デジタルコレクション」よりブログ主翻刻、カタカナを日本語に置き換え)

と、やはりセンブリとは異なることが強調されています。そして、センブリが飽くまでも日本でのみ薬草として用いられていることを強調する様に、センブリの見出しの上には「和品」と追記されています。なお、「たうやく」は「当薬」の字が宛てられ、センブリの別称として用いられています。

小野蘭山の「本草綱目啓蒙」は基本的に明から渡来した「本草綱目」に依拠した項目が並んでいるため、和産のセンブリは項目がありません。しかし、「国立国会図書館デジタルコレクション」に収められた「本草綱目啓蒙」を見ると、「胡黄連」の項の欄外に次の様な書き込みが見られます。

◯たうやく一名せん()り能登は小なるは二三寸大なるは尺余なる小草なり秋に至り浅淡紫色の花あり花弁内は淡白にして(すばな)あり根は生は淡黄にして干しても形色胡黄連とは異なり根茎葉皆苦し故䖝に腹痛するものは用に功あり

(同じく「国立国会図書館デジタルコレクション」よりブログ主翻刻、カタカナを日本語に置き換え)

「解題」によればこの本は「門下村松標左衛門の旧蔵書」とありますので、筆跡は恐らくこの門下生のものでしょう。小野蘭山の講義に際して口頭で伝えられたものをこの人が書き留めたものと思われます。実際、「本草綱目草稿」の対応する箇所を確認すると、確かに「胡黄連」の文字の下に「当薬」「センブリ」の文字が見え、周囲の書き込みにセンブリの用法に関する記述などが散見されます。

この様に、当時の本草学では既にセンブリが胡黄連ではないことが了解されていた様ですが、「七湯の枝折」の産物の一覧では、

◯薬品類

一胡黄連 味苦く小児疳症驚風を治す

(沢田秀三郎釈註本 71ページより、…は中略)

と記されています。「大和本草」などの記述を見てからこちらを参照すれば、この項目が実はセンブリについて記されていることに容易に気付けるのですが、私もその点を見逃していたので産物一覧を作った際にはこの項目に対応する「風土記稿」の記述があることに気付けず、「◯」を記さずに置いてしまいました。先ほどこの箇所は修正してあります。

何れにせよ、民間レベルでは引き続き胡黄連とセンブリがあまり区別されずに用いられていたことが窺えます。ゲンノショウコ、ドクダミと並んで「日本三大和薬」のひとつとして並び称されるセンブリだけに、根強くもてはやされていたのでしょう。今でもセンブリを使った煎じ薬が販売されています。

以前も記した通り、「風土記稿」の編纂に当たって各地の地誌捜索を行う過程で、恐らく昌平坂学問所の一行は「七湯の枝折」を目にしていると思われ、底倉村の産物の記述もその影響を受けているのでしょう。もっとも、昌平坂学問所側は本草学についての知識がありますから、「七湯の枝折」の「胡黄連」が実際はせんぶりであることを見抜き、「風土記稿」に記載する際に書き換えたものと思います。そして、やはり漢方にあるものではなく日本の民間に伝わる処方については、相模国の産物としては取り上げ難いと判断して、足柄下郡図説や山川編の一覧には載せなかったのではないでしょうか。

現在のセンブリは隣の東京都では都区部で絶滅、多摩地区でも絶滅危惧種とされており(2010年版東京都レッドリストより、リンク先PDF)、他に11府県で絶滅を心配される状況になっています。しかし、今のところ神奈川県では2006年のレッドデータブックで「ムラサキセンブリ」が絶滅危惧IA類、「イヌセンブリ」が絶滅危惧IB類に指定されているものの、センブリ自体はレッドデータブックに登録されておらず、箱根でもまだセンブリの姿を見ることは出来る様です。
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でも参照されている方が多い様ですので設置を継続します。

この記事へのコメント

- ミニーママ - 2014年11月09日 18:45:41

こんばんは。

せんぶりの花をこちらのブログではじめてみました。

うちにもせんぶりが常時置いてありますが、乾燥させてあるので見るも無残な姿に

なって保存されています。

使用目的は、煎じて胃薬代わりに飲んでいます。

とんでもなく苦くて、熱いうちでなければ飲むことができません。

苦いですが、効果覿面です。

今日は、あの苦いせんぶりの花を拝見できてよかったです。


またお邪魔させてください。

http://mini0129.blog.fc2.com/



応援♪

Re: ミニーママ さま - kanageohis1964 - 2014年11月09日 19:41:23

こんにちは。コメントありがとうございました。

煎じ薬用に自家栽培されているんですね。「良薬口に苦し」を体現した様な草ですね。
今後ともよろしくお願い致します。

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