足柄下郡の「石」:「新編相模国風土記稿」から(その1)

ここまで、「新編相模国風土記稿」の各郡の産物として記された品目のうち、鉱物に属するものを主に取り上げてきました。鉱物類の中で最後に残ったのが、足柄下郡の各村で産出する石材ですね。
  • 足柄下郡図説(卷之二十二):

    ◯石、根府川石、根府川・米神兩村に產す、◯小松石、岩村小松山に產す、又土肥吉濱村、同門川村にも產せり、◯眞鶴石、眞鶴村の產、鋪石礎石甃石の料にあつ、◯荻野尾石、根府川村荻野尾山より產す、◯磯朴石、同村海岸より產す、◯玄蕃石、江ノ浦村の產、

  • 山川編(卷之三):

    ◯石足柄下郡に出づ、中に就て根府川・米神二村に產するを根府川石と云ふ、岩村、小松田及土肥吉濱、同門川二村に產するを小松石と稱す、眞鶴村の產を眞鶴石と唱ふ、鋪石・礎石・甃石の料にあつ、根府川村荻野尾山より產するを荻野石と名づく、同村海岸に產するを磯朴石と呼び、江ノ浦村の產を玄蕃石と云へり、其餘小田原石と稱し、風祭村より產せしが今廢す、

(以下「風土記稿」の引用は何れも雄山閣版より)


これらに対応する記述を「風土記稿」の各村の項から抜き出すと、次の様になります。
  • 風祭村(卷之二十六 足柄下郡卷之五):

    ◯山 西北にあり、近村にては風祭山と呼ぶ、久野村の諸山及伊張山に連れり、…又山麓寶泉寺邊を石切山と呼り、昔は釆石をなして小田原に出せり、是を小田原石と唱ふ、

  • 米神村(卷之三十一 足柄下郡卷之十):

    ◯米神山 西山の總名なり、星ヶ山・姥山・牛房山等の字あり、又紀伊殿の釆石場あり、村民七右衛門預かれり、

    ○土產 …△根府川石西山より產す、此石は隣村根府川と當村の兩處のみ產し、他村には絕てなき所なり、

  • 根府川村(卷之三十一 足柄下郡卷之十):

    ○土產 △根府川石西山より產す、石理尤緻密にして、且堅牢、年所を經れど剝落するの患なし、故に碑石或は庭中の飛石などに專ら用ゐる、此石他邦に產することなし、當村及隣村米神兩村接界の所より產するのみ、實に當國土產の第一と謂つべし、此石の形、剝殺せし如く見ゆれど、左にあらず、山腹砂石中に大小瘞りて生ぜるを、其まゝ穿出して用材に充つとなり、△荻野尾石西山の内字荻野尾山より產す、是も堅牢にして小松石の類なり、△磯朴石海岸に生ず、俗黑朴と唱へ、假山の石に用ゐる、當村采石の初は、慶長九年の頃より始り、公の御用及諸家の用途を奉り此地の海濱より直に江戸に運送す、海路、浦賀湊迄二十六里、夫より江戸まで十里、凡て三十六里、當今釆石場凡十六所あり、

  • 江ノ浦村(卷之三十一 足柄下郡卷之十):

    ○土產 …△石西山に產す、江ノ浦玄蕃と唱へ、石理堅牢なり、

  • 岩村(卷之三十一 足柄下郡卷之十):

    ○土產 △小松石小松山より產するを以て此名あり、石理至て緻密にして、且堅牢、剝落の患なし、故に碑石に用る是を最とす、故に古より御寳塔にも是を用らると云、又御三家方及松平阿波守の釆石場あり、是は寛永二年よりの事と云、されば村内宕戸農民の半に過、

  • 眞鶴村(卷之三十ニ 足柄下郡卷之十一):

    ◯小名 …△石場

    ○土產 △石海岸に產す、敷石礎石甃石等に、用ゐるものなり、

  • 土肥吉濱村(卷之三十ニ 足柄下郡卷之十一):

    ○土產 △石西北山中に產す、石理尤堅牢なり、小松石の類なり、山中に尾張殿の采石場あり、

  • 土肥門川村(卷之三十ニ 足柄下郡卷之十一):

    ○土產 △石走湯山領に產す、村民農隙に專ら釆石して、都下にも鬻げり、


更に、足柄下郡図説や山川編には記載されていませんが、石橋村の項には

○海 東方にあり、…又磯邊に尾張殿の釆石場あり、寛文の頃より、里正理左衛門世々預れり、

(卷之三十一 足柄下郡卷之十)

と、尾張国専用の採石場があったことが記されています。


根府川・萩野尾橋(ストリートビュー
傍らに「萩野尾橋」と表記された標識が立っている

「箱根火山」図2-1-1より米神〜湯河原付近拡大
箱根火山地質図より米神〜湯河原付近拡大
(「特別展 箱根火山」図2-1-1より)
これらの村々は何れも箱根山の域内に属しています。特に、後に採石場が廃止されたという風祭村を除き、残りの採石場は全て南東面の相模湾沿いに連なっていたことがわかります。例によって「特別展 箱根火山」(神奈川県立生命の星・地球博物館編 2008年)に掲載されている箱根火山の地質図(14ページ)から、これらの採石場のあった地域を拡大したものを引用しました。地名の載っているものはその箇所を矢印と下線で強調してあります。


以前も取り上げた通り、最近の研究では箱根火山は単体の巨大な成層火山が形成された後にカルデラが出来たのではなく、複数の成層火山群が重なり合って形成されたと考えられていますが、そのことを裏付けるかの様に相模岸沿いの外輪山の地質は複雑に入り組んでいるのがわかります。また、岩村〜真鶴半島にかけては、カルデラの形成期に独立して噴出した溶岩群で、成層火山群の形成期よりも後に出来た地形です。この地質図の凡例からこれらの採石場のあった地域に属するものを抜粋すると、
Kmk米神溶岩グループ玄武岩質安山岩質成層火山体
Neb根府川溶岩グループ無斑晶質安山岩〜デイサイト質スコリア丘堆積物・溶岩流・溶岩ドーム・火砕流堆積物
Enu江之浦溶岩グループ安山岩〜デイサイト質溶岩流・溶岩ドーム・火砕丘堆積物
Iwa岩溶岩グループ無斑晶質安山岩〜流紋岩質スコリア丘堆積物・溶岩流・溶岩ドーム
Hkm本小松溶岩グループ安山岩〜デイサイト質溶岩流・スコリア丘堆積物
Sri白磯溶岩グループ安山岩質溶岩流・スコリア丘・火砕流堆積物
Mnz真鶴溶岩グループ安山岩質溶岩ドーム・火砕丘堆積物
Yug湯河原火山体安山岩〜玄武岩成層火山体
Srt白糸川溶岩グループ安山岩質成層火山体

(北から南へ出現順に並べ替え)

基本的には安山岩質が占める比率が多いものの、一部にデイサイト質や流紋岩質の区域があり、形成過程で溶岩となったりスコリアとして降り積もったりするなど多彩であることが窺えます。

「風土記稿」には全部で6種類の石の名称が列記されていますが、これらはこうした複雑な地質に応じて産出する石の質が異なることをある程度反映していると見ることが出来そうです。「風土記稿」で「荻野尾石」が「小松石」の一種であるとしながらも、わざわざその名を冠して呼称されているのは、質の違いを強調したい意図があったのかも知れません。但し、「玄蕃石」は「敷石や蓋石に用いる長方形の板石」(「デジタル大辞泉」)といった一般的な名称として用いられていますので、ここに挙げられている名称が全て各石の材質の違いを表現しているものという訳ではない様です。なお、上記凡例中の「本小松溶岩グループ」の名称は、同地から産出される「本小松石」の名称に由来するものでしょう。小松石自体は小松山から産出することからその名があることが「風土記稿」の記述に見えるものの、「本」の字が付く様になったのは「新小松石」と識別する様になってからのことであり、地質図も石材の方の名称を採った訳ですね。


真鶴・小松石の採石場付近の空中写真
これらのうち、小松石や根府川石については現在も採石場が稼働を続けており、空中写真でもその様子を窺うことが出来ます。墓石などの石碑や飛び石・庭石等の用途が多い様です。委細については平塚市博物館のサイトの以下のページが良くまとまっています。
何れも安山岩質ですが、根府川石の方は板状節理が発達するなど材質に違いがあることがわかります。

また、磯朴石については「黒朴」という別称が記されていますが、これは玄武岩質の黒色の溶岩を指すことが多く、上記地質図で米神溶岩グループが玄武岩質を含んでいる点と合致します。但し、「黒朴」自体は現在も石材店で扱われている様ですが、現在は根府川からの黒朴の産出は行われていない様です。その他、「風土記稿」に記載されている名称で箱根由来の石が使用されたことが確認できるのは小松石と根府川石くらいで、これ以外については明確に所在が確認出来たものは、ざっと調べてみた限りでは見当たりませんでした。現存すればこれらの名称と石質の関連をもう少し仔細に確認することが出来るかと思います。

次回はこれらの石の歴史について触れたいと思います。



追記(2014/08/31):「風土記稿」の引用に抜け漏れがあったので追記しました。また、「本小松溶岩グループ」の名称について記述を補足しました。
(2016/01/19):ストリートビューを貼り直しました。

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でも参照されている方が多い様ですので設置を継続します。

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