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1707 宝永地震報告書(内閣府防災担当)

以前内閣府防災担当のまとめた富士山宝永噴火の報告書を紹介し、その後この報告書を参照しながら小田原宿の宝永噴火の際の避難行動の動機を検討しました。その頃にはまだ宝永地震の報告書は少なくともネット上にはアップされていなかったのですが、先日改めて該当ページを確認したところ、今年3月付でまとめられた宝永地震の報告書が追加されていました。

報告書(1707 宝永地震)


実のところ、私が神奈川県域の地誌を中心に見ている関係で、宝永地震については「箱根山の向こうで起きた大地震」という印象が強いせいか、あまり知識がなかったのが実情なので、この機会に当報告書に目を通してある程度の知識を頭に入れておくことにしました。

今回も宝永噴火の報告書と同様、各章毎にPDFが分割されています。全12ファイルの容量の合計は約26.5Mbyteになります。

全体は以下の5つの章から構成されています。
  • 第1章 宝永地震の地震像
  • 第2章 宝永地震による被害とその後
  • 第3章 各地の津波被害
  • 第4章 地震と土砂災害
  • 第5章 城郭被害図にみる宝永地震

第1章では、宝永地震の発生メカニズムや同地域の他の大地震の発生履歴、更に当時の記録から推定される宝永地震の震度分布、地殻変動などを分析し、この地震の全体像の概略が示されています。古くからの履歴が良く残っている地域にあって、その中でも被害状況が推定できるだけの記録が残っている最大の地震がこの宝永地震ということになる様です。なお、従来からの議論で宝永地震の地殻変動量が大きかったとされる遠州灘や室戸岬については、最近の研究ではそれほどではなかったと見られるなど、一部修正が加えられている部分がある様です。

続く第2章では宝永地震によって発生した被害の概略が示されています。基本的には以降の各章のサマリーに当たる章と言えるでしょう。

全5章中で最も規模が大きいのが第3章で、報告書全体の250ページ中147ページと、6割近くを占める分量になっています。内訳は
  • 第1節 四国の津波被害
  • 第2節 三重県域における宝永地震の被害と記憶伝承
  • 第3節 和歌山県域の津波被害と記憶伝承
  • 第4節 大坂の津波被害
  • 第5節 中国・九州地方の地震津波の被害
となっており、やはり津波被害が特に多かった地域に被害状況をまとめて報告する史料が多く、その分その紹介に文量を割く結果になった様です。ただ、何故か渥美半島から駿河湾岸に掛けての東海道筋の津波被害に関する節がなく、この区域で発生した各宿場の被害状況については前章概略的に触れられる以外は第4章の薩埵峠、第5章の田原城などの拠点で触れられるのみに留まっています。


より大きな地図で
高知県の谷陵記に登場する集落の亡所等被害と場所
(松尾裕治作成)
を表示
四国の津波被害では、土佐藩藩士であった奥宮正明がまとめた「谷陵記」を中心に、現地の津波碑などの史料と擦り合わせて津波被害が俯瞰されています。この書では津波によって壊滅的な被害を出した集落を「亡所」と表現していますが、その被災地をGoogleマップ上でプロットしたものが引用されています。こちらは現在もGoogleマップ上で閲覧可能な状態になっていますが、土佐湾岸をほぼ満遍なく埋め尽くすマーカーの数が被害の大きさを物語っています。この地帯では地震によって地盤が隆起した地域と沈降した地域があり、それが押し寄せてくる津波による被害の大小になって現れた様です。

続く2節を合わせると紀伊半島の沿岸での津波被害の実態が分析されていることになります。こちらも各地の古文書や供養碑などの史料を使い、その後の安政地震で宝永地震の教訓が避難行動に活かされた事例などを紹介しています。

大坂の被災状況はこれらの地域と違い、江戸時代の「水の都」であった都市構造が被災状況に大きく影響したことが記録から見て取れます。つまり、地震による建物の倒壊被害が大きく出たのが、近世に入って新たに造成された軟弱な地盤の地域に集中していること、宝永地震以前の教訓があったのか多くの人が地震後に川船に乗って避難を試み、これが折からの津波によって押し流されてきた大量の廻船に押し潰されたりして転覆し、併せて廻船によって破壊された橋から転落して川に落ちたりした人々が大量に溺死して被害を大きくしたことなどです。なお、大坂の被災者数は宝永地震の全被災者のかなりの比率を占めていることは確かですが、史料相互に被災者数に食い違いがあり、総数を確定し切れないのが実情の様です。

第4章は大規模な崩落のあった地点について(第1節各項のタイトルより)、
  • 静岡県静岡市・大谷崩れ(南アルプス東南端・安倍川源流域)
  • 静岡県静岡市・白鳥山崩れ(富士宮市境・富士川西岸)
  • 山梨県身延町下部・湯之奥崩れ
  • 静岡県静岡市・由比地すべり(旧東海道・薩埵峠付近)
  • 香川県高松市・五剣山の崩れ
  • 高知県室戸市・加奈木崩れ
  • 高知県越知町・舞ヶ鼻崩れ
の各地点の崩落状況が紹介され、以後の大規模地震における土砂災害の発生状況との比較が震度分布と重ねて検討されています。大谷崩れでは、宝永地震によって崩落した土砂がその後の豪雨によって流出して河岸段丘が形成され、その段丘面上に新たに集落が形成されたことなどを紹介しています。但し、薩埵峠付近の宝永地震の際の崩落状況についてはその後も繰り返し崩落を起こしている事が紹介されているのみで、当時の具体的な状況がわかる史料などは残っていない様です。



より大きな地図で 宝永地震城郭被害データベース を表示
ちょっと視点の違うまとめになっているのが第5章です。この章は「宝永地震に関する各藩の城郭被害がまとまって報告されている柳沢吉保の公用日記「楽只堂年録」に基づいて、地震に因る被害報告とその実態、修復手続き、修復後の城郭の変化などを中心に(同書207ページ)」紹介するものになっています。ここでの紹介の対象になっている城は以下の通りですが、ここで紹介し切れなかった分については「宝永地震城郭被害データベース」に収められています。
  • 犬山城
  • 佐伯城
  • 諏訪高島城
  • 高知城
  • 田原城
  • 延岡城
  • 吉田城(豊橋)
  • 岸和田城

この「宝永地震城郭被害データベース」もGoogleマップ上に構築されたもので、上記の各PDFの一覧が掲載されているページにリンクが置かれています。各マーカー内に置かれたリンクはGoogle Docs内のPDFにリンクしており、各城の被害状況の詳細が、絵図や書状などが残っているものについてはそれらを添えて表示されます。

但し、この城郭の被災状況を被災地の広がりと単純に結び付けるのは難しい様です。

なお、以下に検討する城郭被害から宝永地震の被害全般を判断することには多少の考慮が必要である。というのは、城郭の立地は必ずしも堅固な地盤が精査されて築造されたわけではなく、中世来の政治的攻略の見地から求められた立地がそのまま継承されて近世城郭とされる例も少なくないからである。つまり、当然、津波災害などに曝される危険を孕む位置にあった場合も少なくないのである。

さらには、そこに城下が築かれ、人々が集住するものの、戦闘への意識が低下し、近世幕藩体制下での物流体系が築かれていくなかで、城郭の持つ意味も実態から象徴へと変容する。徳川幕藩体制が始まって1世紀を経たこの時期に起きた大災害は、以上の政治的、あるいは経済的社会的の2側面からの問題にどう関わるのかについても考えておかなければならない。

(同書207ページ)


実際、被害の大きくなった城郭は平山城や平城が多く、特に三角州や段丘崖など地盤の条件の悪い地点に立地する城に被害が大きくなった傾向が見て取れ、こうした城では大震災の都度補修を繰り返して存続してきたのが実情の様です。

この報告書では全体的に、東日本大震災後にまとめられた報告書だけに、

東日本大震災の原因となった東北太平洋沖地震は、日本海溝から沈み込む太平洋プレートと東北日本の陸のプレートの間に発生した非常に大規模な地震であったが、宝永地震はその“西日本版”である。マグニチュードはM8.6と推定されている。

(同書5ページより)

など、双方の地震を発生メカニズムの観点で比較する文章が並んでいます。実際、

災害教訓を広く知らせることは、百人一首にも登場する869年貞観地震による仙台平野での有様を、もし地域住民が予めあまねく知っていたならば、東日本大震災を幾ばくかは軽減できたか、と自問せざるを得ない歴史地震学者の使命である。

(同書8ページより)

等の文章に、東日本大震災の記憶の強い最中の報告書作成作業であったことが窺えます。


宝永地震の被災地が他の震災と比較して特に広範囲に及んでいるということもあって、その膨大な全貌を完全に網羅するのはかなり困難な面があるでしょう。参考文献や史料の一覧はかなり豊富に織り込まれていますので、この報告書を手掛かりにまず宝永地震の全体像を掴んだ上で、委細については更に他の文献に目を通していく様な使い方になると思います。今回ざっと全貌をつかむ程度の浅い読み込みしかしていませんが、今後機会があれば改めて紐解いてみたいと考えています。



こうしたネット上に公開されている資料や、出版されている書物などを紹介した記事については、「書類・資料紹介」というカテゴリを設けて独立させることにしました。また、普段ですとローカルな話題を取り上げている記事には都道府県や市町村単位でユーザータグを付けるのですが、今回の宝永地震ではとてもタグを付け切れないので(ユーザータグが10件までしか付与できない制限もあり)、今回の記事にはユーザータグを付与していません。
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