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↑ブログの内容を分析してカテゴライズするとの触れ込みでしたが…そちらはあまり期待通りになっていないですねぇ。
でも参照されている方が多い様ですので設置を継続します。

箱根の礬石・湯の花と硫黄:「新編相模国風土記稿」から(その1)

ここまで2回ほど(前々回前回)「七湯の枝折」について取り上げました。これを参照しようと思い立ったのは、「新編相模国風土記稿」に記された産物のうち、箱根の温泉で産するものを確認したいと考えてのことでした。「風土記稿」では「山川」編でも足柄下郡の図説でも、温泉から出て来るものを3件、産物として取り上げています。
  • 山川編(卷之三):

    物產 …◯礬石足柄下郡元箱根より出づ、 …◯石硫黄足柄下郡元箱根より出づ、 ◯湯ノ花足柄下郡元箱根、蘆野湯より出づ、

  • 足柄下郡図説(卷之二十二 足柄下郡卷之一):

    ◯土產 …◯石硫黄元箱根より出づ、 ◯礬石同上 ◯湯ノ花元箱根蘆野湯より出づ、

(以下、「風土記稿」の引用は何れも雄山閣版より、…は中略、強調はブログ主)


そして、前々回引用した様に、「元箱根」の項では「七湯の枝折」を参照したと思われる記述になっていました。今回はもう少し長く引用します。

○土產 △明礬明礬山に生ず、山下に製店あり、 △硫黄本宮山温泉の邊多く生ず、按ずるに硫黄明礬等、當國より產するは、古き世よりの事なり、和銅六年當國より此二品を献ぜし事所見あり、【續日本紀】元明紀曰、和銅六年五月癸酉、令大倭參河並獻雲母、相模、石硫黄、白礬、黄礬、 △湯ノ花硫黄より生ずる所なり元は湯ノ花澤より產す、今は姥子明礬山の邊多く生ず、


湯の花の産地としては他にも蘆野湯(芦ノ湯)の項で

◯土產 湯花 元箱根より產する物と同品なり、事は其條に詳なり、

と記しています。「七湯の枝折」の記述については前回の一覧と重複しますので、ここでは割愛します。

これらの記述に従うと、硫黄や(はん)石、湯の花の精製は主に箱根山の中でも特に標高の高い場所にある温泉で行われていたことになります。因みに、箱根温泉の絵入案内記である「東雲草」(雲州亭橘才著 文政13年・1830年)では、姥子の温泉について

姥子の温泉は宮城野村より甲州谷村洲走(スハシリ)等への往来、仙石原の御関所を越、冠か嶽の麓、箱ね社役人の持にして、眼病専一也、むかしは定まれる湯宿もなく、今は一軒めうはんを制す、いゑ一軒食物ありと云へと山中なれは不自由かて也、小田原を去る事五リ余ならん

(「相模国紀行文集:神奈川県郷土資料集成第6集神奈川県図書館協会編 1969年 342ページより、強調はブログ主)

と礬石を精製していたことを記しています。また、「七湯の枝折」でも

○姥子の湯

此湯明碁湯にして専ら眠病によしとす…芦の湯達磨湯に是似たり上の山を冠ケ嶽とそ爰よりも明ばん出る…

(沢田秀三郎釈註書 1975年 箱根町教育委員会 71〜72ページより、…は中略)

と、この付近で礬石が「湧き出ている」と書いています。

「箱根火山」図4-8-9
大涌谷(江戸時代には大地獄)の自然硫黄
(「箱根火山―いま証される噴火の歴史」
神奈川県立生命の星・地球博物館図録より)
「箱根火山」図3-11-5+6.jpg
箱根の温泉の泉質分布とそのモデル
(同左)
もっとも、箱根山中であれば何処でも礬石が出たのかと言えばそういう訳でもない様です。箱根温泉の泉質については、神奈川県立温泉地学研究所によって解明されたモデルが良く知られており、図の様に大きく4つのエリアに分けられて理解されています。このうち、礬石が産出していた芦の湯や姥子などが属しているエリアは「第Ⅰ帯」と呼ばれ、噴気地帯を起源とする酸性硫酸塩泉の湧出している地帯に当たります。その名が示す通り、この温泉は強い酸性を示し、硫酸イオンが大変に多いのが特徴です。一般には「明礬(みょうばん)」はアルミニウムやカリウム等の硫酸塩を総称した呼び名ですが、硫酸イオン濃度が高い温泉に硫黄や明礬が多く含まれるというのは納得できる話です。

これらの具体的な精製方法はどの様になっていたのでしょうか。まず硫黄については上の写真の様に噴気の噴出口付近に自然に析出しているのが現在でも目にできる位ですから、溜まったものを収集する方法でも良かったのではとも思えますが、小野蘭山の「本草綱目啓蒙」では、

凡硫黄ハ、温泉アル山ノ土、常ニ焼テ俗ニ地獄卜称スル処ニ、器物ヲ以テ蓋ヒ置バ、焰気器中ニ触テ煤ノ著タル如ク、純黄色ナル者アリ。此ヲ()ユワウト云、取出シ略煮テ土沫ヲ去ヲ、()ユワウト云。

(平凡社東洋文庫531 1991年 149〜150ページより)

と、意図的に噴気中の硫黄を析出させる方法も用いられていた様です。

一方、湯の花の製法について、「七湯の枝折」では

◯湯ノ化ノ製

芦の湯にて多く製す其法芦の湯の湯の流れ捨る下水の両きしに凝りつくを桶に汲とり[扌匁]靭四五尺の水舟に菰を敷其上ニ右の湯を柄[扌夕](註11:=柄杓(ひしやく))もてよきほどにそゝぎかくれハ水ハ下へもれて湯花のみ菰にとゞまるを貝さくしやうのものにてすくひ板ニのせて日にかハかし干しかたむ是ニ干法ありて口伝とそ芦の湯の里民のわさなり

(沢田秀三郎釈註書 1975年 箱根町教育委員会 71ページより、字母を拾えなかった文字については[]内にその旁を示した。註は後記されているものを文中に組み入れ)

と、芦の湯の湯の中に沈殿したものを(こも)で濾しとったものを乾燥させていることを紹介しています。他方、「明礬」については「芦の湯」の明礬山の説明の中で、

○右に図する所ハ芦の湯より東北に当りて明はん山と云山より望み見し図なり明凡山ハ東光庵の下をめくり孫兵へ沢といふ所を過て次第に登る事凡十丁ばかり樹木なく兀山にて所々に雑草茨の類蔓延す山の八分目ほとに大石いくつともなく競ひそりて其下より明はん流れ出る此湯味ふるに酸くしぶく明凡の気至てつよし傍らの白石に花のことく明はん凝り付て一めんに自く黄なり又峯ひとつ隔たてゝ向ひに明はん小屋あり此所ハ筥根権現領にて彼の方より掛し小屋也とも其販やうハ湯の流るゝ下へ竹賓をかき上へ筵やうのものを敷て明凡をこしてとる事也

(上記同書 59ページより、再掲)

と説明していますが、これは湯の花の製法として書かれているものと大差ありません。こうして見ると「七湯の枝折」の作者である文窓や弄花には、湯の花と明礬は必ずしも明確に区別して理解されてはいなかった様にも思えます。

これに対して、「東雲草」の中では大地獄(現在の大涌谷)の説明の中で

大地獄と云ふは此所より二里余隔り姥子の湯場より上る事也、此所へ行んには、たはこくち何にても火早きものを禁シする也、その麓にてめうはんを制す

土をほり水道のことくこしらへけふりのほのほのもれさるやうに、水道をくゝらせ、ふもとに畑をしつらひ、その水道を八方へ行、そのうへに砂を五寸ほと盛立、日かす五日も過る頃、絹針の如く□□それを合図に砂を俵に入来り、灰汁にかきませその汁をたらし□□詰る也、おほむね塩をやくと同し心也、硫黄は□くるみ灰汁にませしほりたらし、煎しつむる湯の花は細きなかれへなかれ来る笊やうのものにてすくひ日にて制す

(「相模国紀行文集:神奈川県郷土資料集成第6集」338ページより)

つまり、礬石の成分を含んでいる土を水で洗って溶かし出し、それを煮出すことによって作ると書いています。「概ね塩を焼くのと同じ」という言い方が状況の理解を助けてはくれるのですが、果たして箱根の山上でここで説明されている様な「明礬畑」を作っていたという理解で果たして本当に良いのか、この点はもう少し確認が必要かも知れません。因みに作者の雲州亭橘才はこれを書くに当って、宮城野村に滞在して箱根一帯をくまなく巡回しているのですが…。

「石硫黄」「礬石」そして「湯ノ花」が当時どの様に用いられていたのかを知るために、小野蘭山の「本草綱目啓蒙」を引いてみることにします。まず、「硫黄」については次の様な記述になっています。箱根が産出地の筆頭に挙げられているのが注目されます。また、薬用としての利用の他に「銃薬」、つまり火薬の原料になることが指摘されています。

石硫黄 …

…数種アリ。大抵三品ニ分ツ。色深黄ナルヲ鷹ノ目ト云、即石硫黄ナリ。其色黄ニシテ微紅ヲ帯ル者ヲ、ウノメト云、即石硫赤ナリ。共ニ光沢透明ノ者ヲ上品トス。寺島氏白色ヲ以テ、タカノメトシ、微黄色ヲ以テウノメトスル者ハ、是ニ非ズ。其青色ヲ帯ル者ヲ、ヒグチト呼。即石硫青ナリ。黄赤二ツノ者、薬ニ入、及銃薬ニ供ス。青色ノ者ハ薬ニ入ルニ堪ズ。只発燭(ツケギ)ノ用ニ充ルノミ。唐山ニテハ、銅炭ヲ焼テ硫黄ヲ取コト、天工開物ニ詳ニス。和産卜異ナリ。続日本紀ニ、元明天皇和銅六年、相模、信濃、陸奥、硫黄ヲ献ズト云。今モ相州箱根、信州浅間ヶ嶽、奥州福島、同会津ノ大塩ノ里ヨリ出。又羽州秋田、豊後玖珠郡、同速水郡ノ硫黄山、肥後ノ阿蘇山、越後ノ妓香山、越中ノ立山、加州ノ白山、野州ノ日光、豆州ノ大島、土州ノ湯ノ山ヶ嶽、日州ノ霧島山、肥前ノ島原、甲州、予州道後(ドウゴ)ノ湯ノ山、薩州硫黄ケ嶽等ヨリ出。唐山ニテ、和産ノ硫黄ヲ舶硫黄卜称ス。万病回春ニ出。又正字通ニ舶硫卜云。物理小識ニ、日本土多硫黄、不竃、必取別島土卜云ハ、笑フベキノ甚シキナリ。〔集解〕活水石液 詳ナラズ。掘子ノ考二従テ、礬石水液卜倣看ベシ。

(平凡社東洋文庫531 1991年 149〜150ページより、…は中略で主に硫黄の他の呼称を列記した部分)


他方、「礬石」については

礬石 …

唐山ニテ明礬卜云ハ、礬石中ノ上品、透明ナル者ヲ云。本邦ニテ総ジテ明礬卜云ハ誤レリ。焼反シタルフ枯礬卜云、明礬ハ漢渡、和産共二薬肆ニアリ。舶来ノ中ニ南京卜呼者アリ、微シ黒ミアリテ濁ル。染家ニ用ユ。スキ明礬卜呼者アリ。潔白ニシテ透明ナリ。此ヲ薬用ニス。今ハ本邦多ク出ス。凡温泉アル地ニ産ス。其地熱シテ焰気未ダ発セズシテ煖ナル処ヲ、俗ニ()イキ地獄卜云。其土ヲ取集メ少シ水ヲソヽギ、薦ヲ以テ此ヲ蓋フトキハ、其土薫蒸シテ倍殖スルヲ候テ、竹器ニ盛、水ヲ注ギ、漉コト数次、其水ヲ以テ木灰汁ヲ和シ、煮コト二三時、桶中ニ傾ケ冷シ定テ礬トナル。再竹籮(イカキ)ニテ漉、再煮テ膏ノ如クニシ、桶中二傾ケ冷シ定テ潔白透明、即明礬ナリ。是一法ナリ。又国ニヨリテ製法異ナリ。唐山ニテハ土中ノ石ヲ掘取、石炭ヲ以テ焼製スルコト天工開物ニ見エタリ。和産卜大ニ異ナリ。続日本紀ニ曰、文武天皇二年、近江国献白礬、元明天皇和鋼六年、相模、飛騨、若狭、讃岐等、白礬ヲ貢スルコトヲ載。今近江ニハ産セズ。長州、豊後、肥前、肥後、能州、甲州、相州箱根、遠州、飛州、其外諸国ニ出。

(上記同書150〜151ページより、…は中略で礬石の他の呼称を列記した部分)

とやはり箱根が産出地のひとつとして記されており、更に

黄礬  キメウバン

舶来アリ。和産ハ、明礬ノ黄色ヲ帯ル者ナリ。豊後、伊州、羽州、相州ヨリ出。染家ニ用ユ。

(上記同書151〜152ページより)

と黄色を帯びたものがやはり相模国から出ることを記しています。この黄礬が相模国内のどの辺りで産出したものかは触れられていませんが、他に該当しそうな場所がないので箱根界隈である点は確かでしょう。「本草綱目啓蒙」では他に「緑礬」の存在についても紹介していますが、こちらの産地には「相州」が含まれていません。

そして、この「本草綱目啓蒙」の明礬の精製方法は、「東雲草」の書いている方法とほぼ同じです。箱根もこれと同じ方法を採用していたとも考えられるのですが、他方で箱根では湯の花の一部をそのまま明礬として出荷していたとも考えられ、その場合は雲州亭橘才が箱根の明礬精製の実情を十分に確認せず一般論として流布している明礬の製法を書いてしまったことになります。


また、これらに対して「湯の花」については「本草綱目啓蒙」には記述はありません。「七湯の枝折」では湯の花の用途について、前回の一覧にあった様に「功能硫黄ニ似て少し異なり湿瘡ニよし」とほぼ薬用として用いることを記しているのに対し、上記「本草綱目啓蒙」の「礬石」では薬用の他に染料に混ぜる用途が紹介されており、また当時から膠と混ぜて「礬水」を作って絵師の顔料の滲みを防止する使用法が知られるなど、比較的多彩な用途に使われる傾向があった様です。これらの用語の用法の差についてはまだ十分に用例を集め切っていませんので、十分な判断は出来ませんが、大筋では用法によって使い分けられていたと考えるのが良さそうです。

因みに、硫黄、礬石共に、和銅6年(713年)に元明天皇に相模国から貢がれたことが「続日本紀」に記されていることが「風土記稿」や「七湯の枝折」で紹介されています。つまりその位に古い時代からこれらの用法が知られていたことがわかるのですが、恐らくその頃は噴気の噴出口付近などに自然に析出したものを掻き集めていたのではないかと思われます。礬石の精製方法は近世になって編み出されたものだからです。

次回はこの近世の礬石の精製事情なども踏まえて、江戸時代の硫黄や明礬の流通についてもう少し掘り下げてみる予定です。




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