青野原の牡丹石

前回は道志川沿いで採取されていたと「新編相模国風土記稿」に記されている「貝石」について考えてみました。津久井県の産物の一覧に貝石と共に取り上げられていたのが、「牡丹石」です。

◯牡丹石 靑野原村に產す本草綱目に井泉石と見へたるは卽是石の類か、

(卷之百十六 津久井縣卷之一、以下「風土記稿」の引用は何れも雄山閣版より)


「風土記稿」の青野原村の項には、残念ながら牡丹石に関する記述は出て来ません。従ってこの石が青根村のどの辺りで産出していたのかも「風土記稿」の記述だけでは不明です。但し、寛政11年(1799年)の青野原村明細書上帳には、

一 当村内、牡丹石申伝名有之候事

(「津久井町史 資料編 近世1」2004年 370ページより)

とあり、「牡丹石」が産出することを報告しています。


まず、「牡丹石」とは何でしょうか。Googleで「牡丹石」を検索すると、御影石を取り扱う石材店のサイトが上位に多数出て来ます。それらのサイトや検索で表示される画像を見ると、黒色の光沢のある石に牡丹の様な文様が浮かび出ているのが特徴で、大変希少性の高い石材の様です。現在では専ら中国などからの輸入に頼っている様ですが、では、青野原村でこの様な黒御影石が産出されたのでしょうか。

一般に「御影石」と言った場合には、花崗岩の石材を指しますが、黒御影石の場合には閃緑岩等を指す場合もあります。何れにしても火成岩のうちで「深成岩」と呼ばれる種類の岩石で、硬い石材を指す点が共通しています。「深成岩」とはマグマが地中などで長い時間をかけて冷え固まって出来る種類の岩石です。

「津久井町史 自然編」によると、

丹沢山地には、グリーンタフが広く分布している。中央部には、グリーンタフを貫らぬいて上昇してきたマグマが固結してできた石英閃緑岩が高い山々を形づくっている。グリーンタフは石英閃緑岩質マグマの貫入時に、高熱と高い圧力を受けたところでは、変成され、変成岩に変わった。すなわち、主として高い熱の作用を受けたところではホルンフェルスが、主として高い圧力を受けたところでは各種の結晶片岩が生じた。現在、後者は海底深部でのプレートの沈み込みによる作用も関与していると考える研究者もいる(松田.1991)。



津久井町史自然編図10
丹沢山地の地質構造
(「津久井町史 自然編」51ページより・再掲)
青野原と石英閃緑岩帯の位置関係
青野原村と石英閃緑岩帯の位置関係
(Googleマップのスクリーンショットに加工)

この「津久井町史 自然編」の説明を受けて、Googleマップを使ってこんな地図を作ってみました。青野原村とその両隣の村域を、現在の町域から表示させた上で、左の地質構造図を参考にして「石英閃緑岩類など」が占めている地域を大筋で楕円形で着色してみました。石英閃緑岩の占めている地域は青野原村からは大分南に離れており、村域を大きく外れていることがわかります。丹沢で黒御影が出るかどうかはわかりませんが(もっとも国定公園内ですから実質的に採石場を作ることは出来ませんが)、この辺で御影石が出るとすれば石英閃緑岩質マグマの貫入した地域ですから、少なくとも青野原村の地質面の特徴からは、かつての青野原村を御影石の産地と考えるのはかなり無理があります。つまり、「風土記稿」の「牡丹石」は御影石ではないということです。

他方、「風土記稿」にはこれが何物であるか「本草綱目」に解を求めたことが記されています。小野蘭山の「本草綱目啓蒙」の「井泉石」の項目には以下の様に記述されています。

井泉石

牡丹いし相州

〔一名〕砱砱石證治準繩 石甘遂同上

相州大山寺の麓津久井村にあり形ち圓く或は(ひつなり)にして黑褐色層層相重なる一方を破れは重葉(やゑの)牡丹の如し自ら破れたるもの多し

(「国立国会図書館デジタルコレクション」影印よりブログ主翻刻、カタカナはひらがなに置換、ルビも同書に従う、肉筆の書き込みについては省略)


「牡丹イシ」の産出地として記されているのは相模国大山周辺、津久井の名も見えており、確かにこの項目に書かれているものに該当しそうです。しかし、形を球形もしくは楕円形とし、多層構造を持っているのが八重の牡丹の花の様であるとするその特徴は、凡そ黒御影石の特徴とは合うものではありません。

小野蘭山のこの記述に合いそうな石ということでは、「タマネギ石」の方がしっくり来そうです。「平塚市博物館」のサイトに「タマネギ石」について詳しいことが説明されています。この中で「ボタン岩等とも称されます。」という記述があり、この石が「風土記稿」の「牡丹石」に相当するということになりそうです。実際、「津久井町史 資料編 近世1」の上掲の村明細帳の注でも、この「牡丹石」を

球形で、薄くはがれるため、露頭などに牡丹の花のような形で現れることから、この名がついた。タマネギ状風化の一種。

(同書376ページ)

と解説しています。


もっとも、「風土記稿」の記述にはまだ疑問点も幾つか残ります。

その1つは、「風土記稿」が「本草綱目に井泉石と見へたるは卽是石の類か、」と断定を避けていることです。少なくとも「牡丹いし」の産出地を「相州」と明記する「本草綱目啓蒙」の記述に適用すること自体には懸念点はなさそうですし、その特徴の記述も十分に納得出来るものです。それでも「か」とこの文を終えているということは、津久井県の項目を担当した八王子千人同心には、この記述をそのまま受け入れることに疑念があったのでしょうか。

「井泉石」をGoogleで検索しても、少なくとも丹沢の牡丹石、またはそれに類するものはヒットしません。中国語のサイトでは漢方の処方がヒットしている様です(内容を判読する能力がないので委細はわかりません)。小野蘭山の「本草綱目啓蒙」は中国の「本草綱目」を元に和名で何に該当するのかを研究した成果が示されているのですが、この「井泉石」が「牡丹石」に該当するという蘭山の判断が果たして妥当なのか疑問も残ります。八王子千人同心もあるいはその点に腑に落ちないものを感じたのかも知れませんが、そうだとしたら彼らが何処に違和感を感じたのかが気になります。少なくとも、彼らが相模国内の産物についてまとめるに際しては、蘭山の本草学のみを頼りにしたのではなく、他の情報源を併せ持っていた可能性が高そうです。

もう1つの疑問点は、この「牡丹石」が津久井県の産物の1つとして挙げられているということです。矢倉沢の蛤石や道志川の貝石については、江戸時代にこれを賞翫の対象としていたという点から説明がつきました。では、青野原の牡丹石もやはり江戸時代に賞翫の対象となっていたのでしょうか。

矢倉沢の蛤石の紹介の際には、江戸時代に編集された貝化石図譜刊本である「閑窓録」を取り上げました。同様の江戸時代の書物がないかを探しているうちに、「雲根志」という木内石亭がまとめた書物があることを知りました。この「雲根志」については「国立国会図書館デジタルコレクション」で全編がインターネット上に公開されています。

Wikipediaの記述はまだあまり厚みがありませんが、この木内石亭については吉川弘文館の「人物叢書」シリーズにまとめられた1巻があります(斉藤忠著、1962年)。その「はしがき」はこの様に始まります。

寛政九年(1787)に刊行された『東海道名所図会(ずえ)』は、他の名所図会と同じく、東海道地域の名高い山川や神社仏閣や旧跡などを紹介しているが、これを通覧するとき、その巻二に、石山寺や琵琶湖(びわこ)建部神社(たけべのじんじゃ)等とあわせて、異彩ある一つの記事のあることに気付くであろう。すなわち、「石亭」と題する項目であって、山田の渡口(とこう)の村中に居る木内小繁(きのうちこはん)という村翁についてくわしく紹介しているのである。

此人、生得(しょうとく)若年より和漢の名石を好んで、年歳諸国より(あつ)めこれを(もてあそ)ぶ事数十年に(およ)べり。

と説き、

海内其名高く、四方好事(こうじ)(ともがら)、貴となく賤となくここに()(まげ)て、数の石を見る事多し。予も巡行の(ついで)に立寄て石を()る人の(かず)に入ぬ。

と延べ、

山田石亭翁は古今の名石家にして、奇石怪石数品(すひん)(おさめ)(すべ)て二千余種あり。

といっている。

(上記書1〜2ページ)


東海道名所図会第2巻より「石亭」
東海道名所図会卷二より「石亭」
(「国立国会図書館近代デジタルライブラリー」より)
その「東海道名所図会」では併せて木内石亭のコレクションの中から幾つかを挿絵にして紹介しているのですが、「はしがき」で著者が記す様に「東海道名所図会」でこの様な個人コレクションが紹介されるのは大変に異例なことで、またその様な名所になる程にここが数多くの人々の訪問を受けていたということの現れでもあります。

「雲根志」は石亭の著作のうちで唯一出版されたものですが、「人物叢書」の紹介によれば、「雲根志」は版を重ねる程の好評を得ていたとのことです。その内容を見ると、単に鉱石類のみを集めているのではなく、勾玉や車石、鏃の様な考古学的な資料に類するものも収集の対象となっていました。また、「奇怪類」と称して様々な伝承とともに伝えられている岩石が入っているなど、石に対する見立ても今の様な鉱物学的な興味からだけではない、多彩な視点から石を見ていたことがわかります。なお、目次を見た限りでは青野原の「牡丹石」に該当する項目は「雲根志」には含まれていない様です(「石牡丹」という項目はありますが、「タマネギ石」の様な特徴を持つものとは違う石を指している様です)。

石亭はこうしたコレクションを自らの足によっても集めており、その訪問先には相模国も入っていました(同書34ページ)。ただ、調べた限りでは石亭が相模国内でどの地を訪れたかはわかりませんでした。仮に津久井県内に来ていたとしても、前回も見た様に青野原村には口留番所がありましたから、石亭がこの石のことを聞き及んで訪れてみたいと望んだとしても、青野原村に入ることは出来なかった筈です。岩石探索ということになれば、足の向く先には自ずと山も多くなり、そこはその地形を利用して関所や番所が数多く設けられる傾向があった土地ですから、この青野原村に限らず石亭が入りたいと望んでも容易に入れない山は多数あっただろうと思います。

一方、石亭のコレクションがここまでの量になると、やはり自力のみで集めるには足りず、日本全国の同好の士との密接なやり取りの中で手に入れたものも多い様です。「人物叢書」では石亭と交友のあった人物が一覧にまとめられており、その中には相模国の「大山、三観万宗」という人物の名が含まれています。また、武蔵国では「平賀源内」の名前も見えています(以上58ページ)。その様な伝手があるのであれば、地元の愛好家に話を付けてもらって青野原村から牡丹石を取り寄せてもらって近江国まで送ってもらったり、八王子などで滞在している最中に宿屋に届けてもらったりしていたのかも知れません。

何れにしても、こうした石類を収集して賞翫する趣味が江戸時代にあったことは間違いなく、青野原の「牡丹石」もそうした愛好家によって求められていったのでしょう。また、前回の道志川の貝石や、その前の矢倉沢の蛤石にしても、この様な「奇石怪石」収集の言わば分派として成り立っていた側面が大きい様で、実際に石亭自身も貝化石を「予集る所、一百余品」(「雲根志」巻三、「人物叢書」44ページ)収集したと記し、その「雲根志」にも貝化石を始めとした化石類が数点リストアップされています。「貝化石」の項には「相模国足柄山」の名も見えており、矢倉沢の蛤石を石亭も見ていたことがわかります。「風土記稿」に産物として挙げられたこれらの石類が、こうした愛好家のネットワークを通じて流通するルートがあったことは確かな様です。



序でなので、「人物叢書 木内石亭」に記されたエピソードから。

なお、彼の旅行中の一つの奇談が伝えられている。彼は、かつて、陸奥の国の金華山の金砂を手に入れようとして、はるばるこの地を訪れた。船に乗った際、あらかじめ舟子は、次のことを乗客に注意した。「金華山の神は、古くから金砂の他に移動することを許していないので、帰るときには、履物(はきもの)の底に()りついている砂をさえ払いとるならわしにしている。そうでなければ、たちどころに風波がおこって、舟をくつがえすおそれがある」と。石亭は金華山につき、神社に詣で、金砂を若干懐中にして帰航についた。果たして、一天にわかにかきくもり、風浪が高くおこった。舟子は、乗客をしらべたところ、石亭が金砂をかくしていたことを知り、罵倒して船をもどし、石亭をして神殿に返還させた。石亭は舟子の隙を見て、再び金砂を懐中にし、社前に(ぬか)ずき、自分が千里を遠しとせずしてきたのは、金砂少量を得たいばかりの目的であり、願わくはこれを許されることを祈った。再び帰航についたが、幸いにも、この航路は安穏であり、その目的を果たすことができたというのである。

これは、『木内石亭全集』(巻一)に、中川泉三氏が述べているところであるが、私は何にもとづいたかを知らない。また、金華山にいったとしても、いつのころかも不明である。とにかく、石亭の旅行にちなんだ一つの伝説として紹介しておきたい。

(同書43〜44ページ)


この逸話は割と有名な様で、Wikipediaの「黄金山神社」の項でもこのエピソードが紹介されています。実は私はこのエピソードが、小学生の頃に読んだ子供向けの本に載っていたのを今でも覚えています(石亭の名前は失念していましたが)。「へっぽこ変人きてれつ奇人」というタイトルのこの本は、その名の通り江戸時代の奇人変人として記録された人物(有名どころでは葛飾北斎や十返舎一九なども入っていました)を子供向けに面白おかしく紹介しており、黒鉄ヒロシ氏の挿絵がなかなか印象的でした。この本の中で、確か江戸時代に書かれた奇人変人にまつわる本を元ネタにしていることを、著者の北川幸比古氏が自ら書いていたと思います。この木内石亭の金華山のエピソードも、その江戸時代の本が元ネタじゃないのかなと思うのですが、流石にこの手の子供向けの本は市町村や都道府県の図書館では蔵書を末永く残すケースがない様で見つけることが出来ず、国会図書館まで行かないと確認は出来なさそうです…。

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