矢倉沢の蛤石

先日「新編相模国風土記稿」に書かれた産物から蛍について紹介しました。今回もその産物の一覧から軽いお題を。

各郡の産物の一覧の冒頭、足柄上郡の産物の一覧は「蛤石」で始められています。

◯蛤石 矢倉澤村内蛤澤より出る、

(卷之十二 足柄上郡卷之一より)

この産物一覧の並びには弱い法則性がある様で、どうやら「大和本草」などの当時の本草学の書物での並びに倣っていると見受けられ(飽くまでも私の印象ですが)、石材など無生物が先に並ぶのはその影響と思われます。足柄上郡の産物ではこの「蛤石」と「白熖焇」(鉄砲用の火薬)が挙げられており、一覧の先頭に来たのはこうした一覧の並べ方によった結果だろうと思いますが、それはさておき。

この「蛤石」が何を指しているのか、矢倉沢村の項では以下の様に詳述されています。以下「風土記稿」の引用は「卷之二十一 足柄上郡卷之十」、例によって何れも雄山閣版からの引用です。
  • 村内柴胡・紫根を產せり、又蛤澤より蛤形の化石出づ、石蛤と唱ふ、按ずるに、豆州にも所々に此化石出る所あり、就中山中の石間に出るもの、最奇品とす、此地に得るものも即此類なり、又彼地には蚶・海扇・螂蜫・[虫咸]等の數種ある由、豆州志稿に詳載せり、
  • ○澤 小名足柄の東邊山間より出づ、蛤澤と唱ふ、今此澤より蛤形の化石出、故に此唱へあり、

(字母を拾えなかった箇所については[]で囲ってその旁を示した、強調はブログ主)

「蛤石」と言った場合、「飛騨の蛤石」の様に球状岩を指す事例もあるのですが、ここでは文字通り「蛤の化石」ですね。「図説」では「蛤石」でしたがこちらでは「石蛤」と順序が入れ替わっています。更に「小名足柄」については、

◯小名 …△足柄又地藏堂とも云是は地藏堂所在の地なるが故なり、

(…は中略)

と、地蔵堂の存在する付近に当たることを伝えています。

矢倉沢地蔵堂および周辺史跡の位置
矢倉沢の範囲と地蔵堂および周辺史跡の位置
(Googleマップ上で作成したものを
スクリーンキャプチャ)

「箱根火山」図2-1-1より抜粋加筆
「箱根火山 今証される噴火の歴史」
図2-1-1「箱根火山の地質図」から
矢倉沢付近を拡大して矢印などを加筆


矢倉沢・地蔵堂(ストリートビュー
蛤沢はこの地蔵堂の付近
この地蔵堂の付近から出土する蛤の化石は、現在は南足柄市の天然記念物に指定されています。この地蔵堂の東側で「中川」と呼ばれる沢と現在「相ノ川」と呼ばれる沢が合流しており、「蛤沢」の名はこの辺りを指している模様です。なお、南足柄市郷土資料館に標本が常設展示されている様です。

矢倉沢村は「矢倉沢往還」などの名に見られる箱根山北部の交通の要衝で、西端の足柄峠へ向かう古道が東西に通る村です。「蛤沢」はこの街道を少し南に逸れた辺りに位置していますが、右の地図に見られる様に村域(現在の「南足柄市矢倉沢」の範囲で代替)はむしろ南北に長く伸びています。その南端には金時山や明神ヶ岳といった箱根外輪山の主要峰が連なります。その様な火山の北に位置する村にハマグリの化石というのは少々妙な感じもします。

しかし、「【旧東海道】その15 箱根・湯坂路と畑宿(その1)」で紹介した「特別展図録 箱根火山 いま証される噴火の歴史」(神奈川県立生命の星・地球博物館編 2008年)に掲載されている箱根火山の地質図(14ページ)で矢倉沢の地質を確認すると、確かに南側には「狩川溶岩グループ」や「金時山溶岩グループ」等と呼ばれる初期の成層火山群が形成された頃の溶岩が覆っているものの、その北側では「足柄層群」と呼ばれる砂岩・礫岩・泥岩などの堆積岩の地層が重なる地域になっており、地蔵堂はその境界近くに位置しています。この地蔵堂付近を流れる内川を上流に辿ると「夕日の滝」が流れ落ちていますが、地質図にはここに「夕日の滝断層」と記され、この辺りが「足柄層群」と「狩川溶岩グループ」の2つの地層の境界であることを示しています。

蛤の化石が産出される地層は第三紀鮮新世の後半に形成された地層ですが、この内川の辺りで外輪山の溶岩地層が大きく北に向けてえぐれていることから見て、恐らくは箱根外輪山が形成された後に沢が形成されて浸食が大きく進んだことで、蛤が堆積していた地層が露出して目に触れる様になったのでしょう。

ところで、そもそも「蛤の化石」がわざわざ相模国足柄上郡の産物の一覧に記されているということは、江戸時代の人が何らかの目的でこれを採取したことを意味しています。当時の人はこれを一体どうしていたのでしょうか。

「本草綱目啓蒙」は本草学者であった小野蘭山の口授を書き留めた書物(文化2年・1805年など)ですが、その中の項目に「石蟹(カニイシ)」があり、

蟹土中に入りて土と共に化して石となるものなり大者一尺許小者一寸許全形なるものあり爪のみなるものあり殻のみなるものあり

(上記リンク先「国立国会図書館デジタルコレクション」影印よりブログ主翻刻、カタカナをひらがなに改め)

と記しており、この頃には既に化石についての比較的正確な知識が存在していたことがわかります。そして、この項の終わりには

其餘諸州石蛤ある處にこれあり

という表記も見え、蟹の化石が蛤の化石とともに見つかることを示唆しています。

「閑窓録」31コマ
「閑窓録」に挿入された挿絵
(「国立国会図書館デジタルコレクション」から)
ユーモラスな絵柄から当時の貝化石趣味の一端が窺える
この「石蛤」について、何と当時既に図録が出版されていたことを知りました。国立国会図書館のサイトに江戸時代の博物学を俯瞰できる書物がまとめて紹介されており、その中に「閑窓録」(耕雲堂灌圃編 文化元年 (1804年))という、「江戸時代唯一の貝化石図譜刊本」が含まれています。ここから国立国会図書館デジタルコレクションに収められた同書の影印にリンクされています。残念ながら掲載されているものの中には「相州産」などと記されたものはありませんでしたが、「熱海」「豆州」の名が2点ほど確認出来、江戸からほど近い地でも貝の化石が収集されていたことがわかります。

傍らに記された注釈から考えると、集めた貝化石の色艶、形、そして硬さなどを賞翫の対象としていた様です。また、この「閑窓録」には間に俳句・短歌・漢詩等の詩歌も挿入されており、集めた貝化石を堪能しながら歌に詠む、といった鑑賞がなされていた様です。「閑窓録」が江戸時代唯一の存在だったことから考えると、或いは同好の士がそれ程多くはなく、この本もさほど売れ行きが芳しくなくて続刊が出せなかったのかも知れないのですが、全国の収集家から自慢のコレクションを江戸に集めて編纂に及んでいることから、同じ趣向を持った人同士での情報交換はむしろ活発に行われていたのかも知れません。まぁ、今でもディープな趣味を持った人同士でのコミュニティは案外結束力が強かったりする訳ですが、当時も同様の傾向があったのかも知れませんね。「閑窓録」という名称からもこうした趣味が必ずしも広がりを持っていた訳ではないことが見え隠れします。

矢倉沢の蛤石も、「風土記稿」に「就中山中の石間に出るもの、最奇品とす、此地に得るものも即此類なり、」と解説されていることから、やはりこうした賞翫の対象品として収集されたものなのでしょう。もっとも、上の地図に示した通り、この蛤沢は江戸から訪れる場合は途中に「矢倉沢関」がありますので、地元民が入山する分には問題なく通れるものの、江戸の町民が直接探しに来ようと目論んだ場合は手形が必要になってきます。その奥地の「夕日の滝」については「風土記稿」でも

◯夕日瀧 西方の山水會同して一條となり、字北入山の邊にて瀑布となり、高二丈六尺許幅四間許 山間を下りて北流す、是内川の上流なり

と紹介されていますので、あるいは蛤石を手に入れがてら夕日の滝を眺め、その途上に関本から大雄山最乗寺に参詣する、といった物見遊山を試みる人がいたのかも知れません。




ところで、上記「風土記稿」の引用文中に「豆州志稿」を引いて伊豆国からも化石が出ることを示している箇所があります。「豆州志稿」は秋山富南によって編纂された伊豆国の地誌で、完成したのは寛政12年(1800年)、「新編武蔵風土記稿」や「新編相模国風土記稿」よりもかなり先んじて成立したことになります。昌平坂学問所がこれらの地誌を編纂する際にも、こうした先行の地誌を研究して記載事項などを検討したのかも知れません。

「新編相模国風土記稿」の「彼地には蚶・海扇・螂蜫・[虫咸]等の數種」が、その「豆州志稿」中の何処に書かれているのか不明なのですが、問題はこの4点が何を指しているかです。前半2つはそれぞれ「赤貝」と「帆立」を意味しており、こちらは「蛤石」に直接繋がるものの、「螂蜫」は個々の漢字の意味からはカマキリやトンボということになるのですがはっきりしません。「虫へんに咸」の方は更に意味が不明で、雄山閣版の該当箇所の印刷でもこの字のバランスが崩れている様に見えることから、恐らく別の活字を組み合わせて無理にこの字に充てたものと思われ、グリフウィキ等を使っても字母が全く出て来ないので、あるいは何かの誤記である可能性もあります。「豆州志稿」でも同じ字を用いているのかが気になるところです。

伊豆半島は今でも豊富に化石が見つかる地ではあり、上記の「閑窓録」にも化石が採録されるなど当時から産地として知られていたのでしょうが、あるいは貝類以外の化石も産出したということになるのでしょうか。この辺りはもう少し調べてみたいところです。

追記(2016/01/17):ストリートビューを貼り直しました。
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この記事へのコメント

- くまドン - 2014年06月29日 10:45:34

こんにちわ。
江戸時代にも化石を収集している人達が少数とはいえ、いたのですね!
江戸時代の安定したいた頃とはいえ、それだけ、平和な時代だったのですね。

半月ほど不在ですので、続きは、戻ってきましたら読ませていただきます。

- kanageohis1964 - 2014年06月29日 12:05:31

こんにちは。コメントありがとうございます。

そうですね。「閑窓録」の序言の冒頭にも「泰平の世」といった言葉が見えますね(本当はきちんと翻訳して読むべきなのですが如何せん漢文を翻訳し切る能力が足りなくて…)。

- くまドン - 2014年07月01日 10:14:20

こんにちわ。返信ありがとうございました。
「閑窓録」の作られた年代を調べた所、文化年間とありましたので、
平和で安定していた時代だったと思って、コメントを書きましたが、
「閑窓録」という書物は初めて聞く書物で、
kanageohis1964さんが、とても深く調べているのに驚いています。
(これから、出かける所で、しばらく不在になります。)

- kanageohis1964 - 2014年07月01日 10:21:42

こんにちは、再びコメントありがとうございます。

以前でしたらこの様な書物の存在にさえ気付くのは難しかったと思います。国会図書館がデジタルコレクションの形でネット上で簡単に見られる環境を構築したのは本当に大きいですね。
逆にそれだけに、今後はこういう影印を直接読める技術を身に付ける必要性が増してきていると思います。

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