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相模川の「鰷」

相変わらず続きが書けずにいるのでしばらく小ネタの間繋ぎが増えそうです。こういうことをやっていると浅知恵を曝け出すことになりかねないので気をつけないと…。

前回「津久井県」のことを取り上げましたが、「新編相模国風土記稿」の「津久井県」の項を見返していて、一瞬おや?と思ってしまったのが、最初の「図説」の最後にまとめられた「産物」中に出て来る次の一節です。

 阿由、相模川及五川より産す、道志川より産するもの一種の佳品にて、其形も亦少しく異にして、上腮頗る長くして曲れり、故に道志川の鼻曲りと呼て、賞美し、歳每に一千七十五を貢獻すと云、按ずるに長衡が西京賦に所謂大口、折鼻などと見えたるは、卽かゝる鰷の形の類を云ふものならんか、

(卷之百十六、雄山閣版より、原文では「阿由」以下小字、強調はブログ主)


「風土記稿」では読み仮名を表すのに漢字を使っているので、ここでも「阿由」がその読みを示していることに気付けば何ということはないのですが、最初の「鰷」という見慣れない字に幻惑されて何の魚かちょっと考えてしまいました。勿論、これは古くから相模川流域の名産とされてきた「鮎」の紹介です。

「風土記稿」中の他の箇所ではどの様に書いているのか、更に「津久井県」の各村の記述を読んでいくと、寸澤嵐村(すわらしむら)の項に漁の様子の図と共に鮎の紹介が記載されていましたが、ここでも「鰷」の字が用いられています。

新編相模国風土記稿道志川簗之図
「新編相模国風土記稿」より「道志川簗之図」

◯道志川 …多し、例年秋の彼岸の頃簗を設て漁獵す前々より子持鰷一千七十五を上納す例なり、道志川の鼻曲と稱して一種の佳品なり、漁獵の仕方の槪を謂はゞ先づ兩岸より丸太木を立て楚木を横たへ、草席にて流水を包み、中央の一報を除して激端となし、其下に竹にて簀を作りたるを設く、されば激端より下り來る鰷みな件の簀の上に留て躍る所を拾ひ取るなり、簗の制委くは圖に示す、…

(卷之百十七、雄山閣版より、強調はブログ主)



現在の寸沢嵐付近(国道412号線上から)
ストリートビュー
道志川と相模川の合流地点付近は
現在は津久井湖の水位上昇によって
上記図の様な景観はなくなっている

もっとも、「風土記稿」全編で「鰷」で統一されている訳ではなく、例えば愛甲郡の「図説」中の「土産」の項では「年魚」という表記になっており(卷之五十四)、妻田村、金田村(以上卷之五十六)、棚澤村、熊坂村、半繩村、八菅村(以上卷之五十七)では同じく「年魚」と表記されているのに対して、三田(さんだ)村(卷之五十六)、角田村(卷之五十八)では「鮎」の字が使われており、更に妻田村の項では「鹽鮎二千、宇留加五升」と補足では「鮎」の字が用いられています(以上卷之五十六)。

大和本草巻13より「鰷」後半
貝原益軒「大和本草」巻13より「鰷」後半部分
国立国会図書館デジタルコレクションより)
赤線の部分に「鮎」が誤りである旨記されている
こうした表記のブレがどうして起こったのかは良くわかりませんが、差し当たって「津久井県」の方の「鰷」という表記は何処から来たのかを探すと、貝原益軒の著作に行き当たる様です。宝永7年(1709年)に刊行された「大和本草」では「鰷」の字が鮎を表すのに用いられており、更に左に示した様に「鮎」の字は本来ナマズを意味しており誤りである、と注記しています。

もっとも、益軒が「鮎」が元々ナマズの意味であると指摘した点については、確かに中国では元々この字をナマズの意で使っていた様ではあるものの、代わりに持ち出してきた「鰷」の字が妥当だったかどうかは疑問が残ります。現在はこの字には「はや」と訓が当てられており、これはアブラハヤやオイカワなどのコイ科の中型の魚を指す言葉です。他方、Google翻訳に「鰷」を入れると「チャブ」と翻訳されますが、これはヨーロッパのコイ科の魚のことだそうで、ネット上で他の中国語関連のページを検索してみたところでもほぼ同じ魚の名前が出てきます。何故中国固有の魚の名前が翻訳例として最初に出て来ないのかはわかりませんが、何れにしても「鰷」がアユのことを意味する事例は、江戸時代の文献以外に見当たらない様です。

ただ、貝原益軒の一連の著作は江戸時代には様々な書物で引用されるなどかなり大きな影響力を持っていましたから、「風土記稿」の「津久井県」の項を担当した執筆者も、あるいはこの益軒の記述に倣って「鰷」という字を用いていたのかも知れません。「風土記稿」を編纂した昌平坂学問所の中で、こうした表記について統一を図ろうという動きがなかったのかといったことと併せ、色々興味深い事例ではあります。



追記(2016/01/16):ストリートビューを貼り直しました。

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この記事へのコメント

- AzTak - 2014年05月17日 12:44:10

鼻曲がりといえば『鮭』のことだと思い込んでいましたが、道志川の鮎もそんな風に呼ばれていたようですね。
そこから先は私には相変わらずちんぷんかんぷんです。(^_^;)

- kanageohis1964 - 2014年05月17日 13:02:14

こんにちは。コメントありがとうございます。

今回は表記に拘ったので鮎そのものについては引用以外全く触れませんでした。その辺は実のところ他の史料などを全然見てないので書けなかったんですがw、上物を江戸まで飛脚で届けた話など興味深い題材が色々とあるので、また折に触れてきちんとまとめてみたいとは思います。

確かに「鼻曲がり」と聞いたら真っ先に鮭の顔が思い浮かびますね。

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