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【図録書評】養蚕書と出版文化〜養蚕文化はどう伝わったのか〜(厚木市郷土資料館)


厚木市郷土資料館(ストリートビュー
ネタ切れ気味なので今回は手持ちの昔の図録の書評で間を繋ぎます(汗)。今回は表題の図録を取り上げます。

これは厚木市郷土資料館が平成16年(2004年)に催した特別展の図録です。生憎とこの特別展には行っていないのですが、数年前に郷土資料館を訪れた際にこの図録を見てなかなか興味深い内容だと感じたので手に入れました。

「例言」によれば、この特別展は

本展は、飯田孝氏が収集された養蚕書及び養蚕関連資料(以下、飯田コレクションと呼ぶ)を借用し展示するとともに、一部、座本徳男氏所蔵資料、郷土資料館の館蔵資料を展示した。

(同図録6ページ)


図録の構成は以下の通りです。基本的には特別展も同様の構成であったと思われます。
  • プロローグ あつぎ お蚕さんの季節
  • [壱]厚木と養蚕
  • [弐]養蚕書と江戸の出版文化
  • [参]新しい養蚕書と海外へ伝わる養蚕書
  • [肆]養蚕書、掛け軸と養蚕信仰の広がり
  • エピローグ 養蚕書と「民俗学」

(同図録5ページより)


このうち、「例言」で紹介されている「飯田コレクション」の紹介は主に第2章で行われています。ここで言う「養蚕書」とは江戸時代の養蚕に関する技術書で、江戸時代に入ってこの様な書物が多数出版されて農村に浸透することで養蚕の技術の伝播に寄与したことが紹介されています。第2章の扉には次の様にサマリーが記されています。

日本初の養蚕書『蚕飼(こがい)養法記』が元禄年間に発行されたのは、白糸輸入制限、国内生糸生産の必要性がもたらしたものだった。『養蚕秘録』や『蚕飼絹篩』といった代表的な養蚕書が刊行された享和から文化年間にかけての時期にはすでに江戸時代の養蚕技術は集大成されていたといえる。こうした知識は出版というメディアを通じ全国へと広まっていった。『養蚕秘録』などを所持する厚木の養蚕家の存在がそのことを証明している。

また、当時の教科書であった往来物や組上げ絵など子供の玩具といった印刷メディアを通して、養蚕に関する知識は養蚕農家という枠を超えて普及していったのである。

(同図録19ページ)


「飯田コレクション」に収蔵されている養蚕書の一覧は図録に含まれていませんが、収蔵者自身の解説によれば近世の養蚕書としては明治以降に改めて出版されたものも含めて約50冊が含まれている様です。また、養蚕書の他に養蚕の様子を描いた絵手本や絵双六等の文化的史料も含まれています。

養蚕書と出版文化表紙
「養蚕書と出版文化」表紙
高山社「初等養蚕教科書」の
デザインの一部を
使用しているとのこと
一方、続く第3章では中国・朝鮮の養蚕技術書や、欧米の養蚕に日本の養蚕書が与えた影響について紹介されています。そして、明治以降の養蚕の興隆に伴って養蚕書の著者が民間の人々の手から学校の教師や官僚へと変遷していくことを指摘しています。

第4章では、養蚕にまつわる信仰の広がりについて、掛軸に描かれた守護神や馬鳴菩薩(めみょうぼさつ)蚕影山(こかげさん)金色姫(こんじきひめ)衣襲(きぬがさ)明神や曲亭陳人(きょくていちんじん)といった仏神毎に概観されています。

特別展の図録という性質上、この本だけで必要な情報を得るには十分とは行かないのは当然ですが、巻末に参考文献のリストが付属していますので、これを手掛かりに更に文献を読み進めることになるでしょう。養蚕に関する文献が古くから流通する流れについて概観する手掛かりとしては面白い存在だと思います。

明治時代以降の養蚕の興隆については史料や史跡も豊富にあり、海外向けの輸出品目の主力にのし上がったこともあって研究も進んでいると思います。先日富岡製糸場が世界遺産登録が確実になったという報道があったこともあり、今後は世間的に注目される機会が増えてくるでしょう。しかし、江戸時代の養蚕の実態については明治時代以降の記述に比べると、どうしても薄くなりがちなのが実情と思います。先日鶴間宿について紹介する際に、渡辺崋山の「游相日記」の記述を引いて、長津田や鶴間が養蚕、八王子が機織に特化していると指摘していることを取り上げましたが、こうした記述を裏付ける意味でも、この様な江戸時代の養蚕技術をもう少し紐解いてみたいと考えています。



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追記(2014/05/07):準々決勝敗退と相成りました。ご声援いただいた方々に感謝致します。今回はトレイル・ログ系の記事が強かった様ですね。引き続き準決勝以降の投票を受付中です。
(2016/01/15):ストリートビューを貼り直しました。
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この記事へのコメント

なるほど - matu8 - 2014年05月06日 20:14:32

江戸時代から県央では養蚕が盛んだったのですね。開国後だとばかり思っていました。

Re: なるほど - kanageohis1964 - 2014年05月06日 20:18:17

こんにちは。コメントありがとうございます。

そうですね、その辺りの実情はあまり一般には知られていないかも知れません。「相模原市史」でも江戸時代の養蚕について1節を割いてまとめていたりしますので、その辺りは追々このブログで紹介できればと思います。

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