【旧東海道】その15 箱根・湯坂路と畑宿(その1)

旧東海道:箱根湯本三枚橋→箱根宿
箱根湯本・三枚橋から箱根宿入口までのルート(概略)
(「地理院地図」に「ルートラボ」で作成したルートを
取り込み加工したものをスクリーンキャプチャ)
旧東海道のシリーズ、今回は箱根八里のうち、「東坂」と呼ばれる小田原寄りの区間を取り上げます。

江戸時代には湯本から主に早川の支流である須雲川沿いの谷間を進み、途中「畑宿」と呼ばれる間の宿を通り、急坂を登って甘酒茶屋・お玉が池の辺りを過ぎた先で芦ノ湖畔へ降りる道筋が本道とされました。


湯坂路
「湯坂路」付近を進むハイキングコース(概略)
(「地理院地図」に「ルートラボ」で作成したルートを
取り込み加工したものをスクリーンキャプチャ)
しかし、中世の紀行文や「吾妻鏡」「曾我物語」などには時折「湯坂」という地名が登場し、江戸時代とは異なる道筋であったことを伝えています。なお、右のルートマップは必ずしも当時の道筋ではないのですが、大筋でこの辺りを通っていたという程度に考えて下さい。

(注:治承四年(1180年)八月)廿四日…また北條殿・同四郎(ぬし)等は、筥根(はこね)湯坂(ゆさか)を經て甲斐國に赴かんと欲す。

(「吾妻鏡」卷第一より、「新版全譯 吾妻鏡 第一巻」貴志正造訳注 2011年 新人物往来社版より引用、ルビは原文通り、注・強調はブログ主)

(注:建久四年(1193年)五月下旬)打つ(馬を進めて行く)程に、十郎は湯坂の手向(たうげ)(峠)にて(あと)(後)の方を返り見ければ、曾我の里の朝まだき(早朝の眺めは)、煙も未だ晴れ()らず。佐河(さかは)(酒匂)・古宇津(こうづ)(国府津)・高礼寺(こうらいじ)(高麗寺)の山の方遥々(はるばる)と見送るに付けても、飽かぬ別の大磯の宿(しゅく)年来(としごろ)馴染(なじ)みし夫婦の事(愛人の虎御前(とらごぜん)との仲)、思ひ出でられ悲しかりければ、

(あれ)見給へ、五郎殿。()の煙の見ゆる里こそ、我ら幼少の時より住み馴れし処なれ。只今この山を打超えなん後は、いづれの(しょう)(世)にてまたも見るべき」

と云て涙を流せば、…

(「真名本 曾我物語」卷第七より、平凡社東洋文庫版 73〜75ページより引用、ルビ、注は冒頭を除き原文通り、…は省略、強調はブログ主)

(注:弘安2年(1279年)10月)二十八日、伊豆の国府(こう)を出でて、箱根()にかかる。…

足柄山は道遠しとて、箱根路にかかるなりけり。

ゆかしさよそなたの雲をそばだててよそになしぬる足柄の山

いとさかしき山をくだる。人の足も、とどまりがたし。湯坂(ゆさか)といふなる。からうじて越え果てたれど、(ふもと)に早川といふ河あり。まことに早し。木の多く流るるを、いかにと問へば、「あまの藻塩木(もしほぎ)を浦へ(いだ)さんとて流すなり。」と言ふ。

東路(あづまぢ)の湯坂を越えて見渡せば塩木(しほき)流るる早川の水

湯坂より浦に出でて、日暮れかかるに、なほ、とまるべき所遠し。…

(「十六夜日記」より、「十六夜日記詳講」武田孝 昭和60年 明治書院より引用、…は中略、強調はブログ主)



元湯坂路のハイキングコース
芦之湯側の入り口(ストリートビュー
現在はこの湯坂路があった尾根筋沿いにハイキングコースが設けられています(関東大震災による崩落のため、湯本側の登り口をはじめ、当時の道筋ではなくなっている箇所があります)ので、ここを歩いてみることも可能です。今は周囲が森になっていますので、「曾我物語」が伝える様な、はるばる平塚付近までを見通す様な眺望を期待するのは無理ですが…。但し、足元のしっかりした靴と、充分な水分の準備、更に時間帯によっては昼食の携行が必要でしょう。少なくとも、畑宿経由の道の場合は途中で水分補給の可能なポイントが幾つかあるのに対して、湯坂路の方は入山すると出口までその様なポイントが存在しないので、その点での備えは必要です。


こう書くと、湯坂路の方が不便という印象を与えてしまいますが、それは飽くまでも現在の両道の整備状況での比較です。中世の湯坂路は尾根筋の道であることから水捌けが良いのに対し、畑宿経由の道はぬかるみやすく、後で詳しく触れますが絶え間ないメンテナンスが必須でした。この様なこともあって、箱根山中の道が、不便そうに見える畑宿経由の道に何故置き換わったのかが時折問題になります。

この道筋の変更が何故行われたのか、良く見掛けるのは次の様な、「江戸の守り」のためといった説明です。

この変更の時期、意図など確証はないが、少なくとも街道の一里塚・並木が整備される慶長(けいちょう)九年(一六〇四)には変更されていたものと思われ、その意図についても、一つには小田原〜三島間の最短ルートを結んだということは考えられる。しかし今一歩推量を加えるならば、箱根関所の設置もかんがみ、江戸防衛の重要地点として箱根山を位置づけていた幕府の防衛戦略的な意図に基づいたルート変更、とも受け取ることができるのではないだろうか。

(「神奈川の東海道(上)—時空(とき)を超えた道への旅」神奈川東海道ルネッサンス推進協議会編 1999年 218ページより)


しかし、私個人としてはこの手の説明は大抵不十分なことが多いと感じています。それは当時の架橋の制限などを説明する際にも言えることではあるのですが、防衛が目的であるにしては何れも施策が中途半端で、言われている様な目的がこれだけで本当に果たせるのか、疑問に思えることが多いからでもあります。そして、つぶさに観察していくと、そこにはやはり別の理由付けで説明した方が良いのではないか、という要因が浮かんでくることが多いので、私としては「江戸の守り」を言われた時にはどうしても斜に構えてしまうのです。

そこで、今回もこの区間の地形的な特徴を押さえるところから始めます。ここでの説明は、主に次の本を参考にします。博物館の2008年の特別展の図録であるため、既に完売しており入手し難いかも知れませんが、箱根の火山についての最新の研究成果が反映されており、従来からの説明がかなり大きく修正されている箇所もありますので、興味ある方は是非一度目を通されることをお勧めします。出来ることならば、こういう図録は増刷を希望したいところです。

特別展図録 箱根火山 いま証される噴火の歴史」 神奈川県立生命の星・地球博物館編 2008年


2008年の特別展は私も見に行きましたが、会期中に卓上の火山噴火実験装置を使って箱根火山が何処まで再現できるかを実演するなど、なかなか意欲的な展示を行っていました。

従来、箱根火山は単体の成層火山が大規模な陥没によってカルデラを形成し、そこに再び起こった噴火によって楯状火山が出来た後に再び陥没によって2度目のカルデラが形成され、そこに中央火口丘が噴出した—といった、いわゆる「三重式火山」であるという説明がなされていました。私も子供の頃にはその様な解説を学習雑誌などで読んだのを覚えています。しかし最近になって、最近の地質調査や地形分析などの成果が反映され、この説明モデルに次の様に大きな改変が加えられました。
  1. 65〜23万年前:玄武岩〜安山岩質の成層火山群の形成と、末期にはデイサイト質の単成火山の形成。複数の成層火山が形成されたところに注目。
  2. 23〜13万年前:プリニー式噴火に伴うカルデラの形成。北西—南東方向の圧縮場での火山活動。カルデラの形状に注目。
  3. 13〜8万年前:前期中央火口丘の形成。前期中央火口丘はカルデラ内すべてを覆ってなかった。
  4. 8〜6万年前:火砕流を伴うプリニー式噴火。カルデラの形状に注目。この時にできたカルデラは強羅カルデラと呼ばれる。
  5. 6万年前〜現在:後期中央火口丘の形成、そして現在の姿に。

(上記特別展図録38ページより)


「箱根火山」図2-13-1
新しい箱根火山成立モデル
(上記特別展図録より)
このモデルに従うと、湯坂路が通過する尾根筋のうち、浅間山や鷹巣山は前期中央火口丘に属しており、湯坂山から浅間山へと続く尾根筋は、北の早川と南の須雲川が深い谷を削り込んだ後に残った尾根筋ということになります。一方、この浅間山や鷹巣山の西側には潜在的なカルデラ構造があり、湯坂路はこのカルデラの稜線に沿う様に南下して芦之湯へと向かいます。こうして見ると、尾根筋ということで1本に見てしまい勝ちな湯坂路も、地形的には浅間山を境に東と西で特徴が分かれることになります。

Hiroshige le Lac d'Hakone.jpg
広重「東海道五十三次」箱根宿(保永堂版)
("Hiroshige le Lac d'Hakone" by 歌川広重
- Ando Hiroshige(UK).
Licensed under パブリック・ドメイン
via ウィキメディア・コモンズ.)
他方、湯本や畑宿辺りでは、浅間山など比較的後から出て来た噴出物に覆われる前の溶岩が覗いています。江戸時代の道は湯本茶屋の辺りから外輪山の内壁を伝い、須雲川村の集落を過ぎた辺りで須雲川を渡ると、川より一段高い位置にあるこの比較的古い世代の溶岩の上を伝って畑宿へ向かい、そこから二子山の南側の麓を廻って芦ノ湖畔へ向かうのです。この二子山は後期中央火口丘に分類される新しい火山で、ドーム型の山体はまだ侵食をそれほど受けていません。歌川広重の保永堂版「東海道五十三次」の箱根の図では、左手に芦ノ湖を見せつつ丸みを帯びた山の麓を大名行列と思しき一行が抜けていく様子を描いています。この中央の特徴のある形状の山を二子山と解く解説が多い様ですが(実景と合わないという批判もある様ですが)、少なくとも侵食を受けていない後期中央火口丘の山体の特徴は確実に押さえられている訳ですね。

「箱根火山」図2-7-2
前期中央火口丘(湯坂路付近)の地質図
(上記特別展図録より)
「箱根火山」図2-8-2
箱根山のカルデラと陥没構造。
浅間山・鷹ノ巣山の位置に注目
(上記特別展図録より)
無論、昔の人が箱根山の成り立ちをつぶさに調べて道筋を決めていた筈はありません。しかし、こうして後追いで地形の特徴を道筋に当て嵌めて見ていくと、どの様な形状の地形を道筋に選んでいたか、意外に目安になることが多いものです。この様な複雑な成立過程を経ているだけに、古代にはこの山を通過する道筋は、なかなか思う様に見つからなかったのかも知れません。

因みに、カルデラ内に形成された芦ノ湖は、最後の後期中央火口丘の形成時期に、火口丘の1つである神山の山体崩壊によって早川の流れが堰き止められて出来たものです。時期としては3万1千年ほど前と見られています。この芦ノ湖をはじめ、仙石原湿原や、何より豊富な湧出量を誇る数々の温泉から、箱根は豊富な地下水を有していることを窺い知ることが出来ます。この点について、この特別展図録ではこの様に解説しています。

…箱根地域には年間3,000mmもの雨が降りますが、箱根火山の山体を(きざ)む谷の多くには恒常的(こうじょうてき)な水流が認められません。このことから、箱根では大量の雨水が山体に浸透(しんとう)し、地下水となって地層の境界や亀裂(きれつ)中を流れていると考えられます。一般に火山地域の地質構造や亀裂の分布は複雑ですが、浅部の地下水はほぼ地形に従って流動しています。箱根に分布する多くの湧水は、このように流動する浅部の地下水が、溶岩流の末端や地形の変換部など、地下水の流れる地層が地表に顔を出すところで湧出したものと考えられます。湧水が多く分布しているのは、中央火口丘の東から北斜面、新規外輪山の南斜面などです。そのほか、こんこんと地下水が湧き出る様子こそ見ることはできませんが、駒ケ岳周辺の芦ノ湖、阿字ヶ池(あじがいけ)精進池(しょうじんいけ)、二子山西麓のお(たま)が池、台ヶ岳北麓の仙石原湿原など、中央火口周辺の湖沼や湿地は、多量の地下水が湧出することで維持されているものと考えられます。特に芦ノ湖の貯水量は、湖面域の年間降水量の約8倍に相当します。水収支計算によれば、この大量の湖水が維持されるために、湖流域を構成する中央火口丘や古期外輪山の斜面から大量の地下水が流入していることが想定されます。…湧水の量について見てみると、湧水により湧出する地下水の総量は年間およそ2,500万トンとなりますが、これは、箱根カルデラへの年間降水量およそ33,000万トンの7.5%にすぎません。それ以外の地下水は、早川や須雲川の平常時の流量を支えているほか、より深層の地下水となったり、地熱によって暖められて、温泉や火山性地震の発生に関わる地下深部の熱水になっているものと考えられます。

(上記書62ページより、…は中略)


「箱根火山」図3-12-1
箱根カルデラ内の湧水分布
(上記特別展図録より)
箱根は日本有数の温泉地でもある訳ですから、これはある意味では当然のことではあるのですが、それにしても降った雨の大半が地下に浸透しているというこの比率は驚きです。もっとも、これだけ複雑な成立過程を経ていると、地下水脈がどの様に流れているのかを推し量るのはなかなか難しそうではあります。仙石原湿原も、一度は乾陸化した所が再び湿原化しているとのことで、その理由は不明とこの図録の別の場所で説明されています。

この豊富な水があるならさぞかし山中でも水には困るまい…と思いたくなるのですが、この湧水の分布と、2つの道筋を重ねてみるところから、次回に続きます。



追記(2015/07/24):2枚の「ルートラボ」の地図を「地理院地図」上で作図したもので置き換えました。また、湯坂路入り口のストリートビューを、2009年時点のもので固定しました。更に、Wikimedia Commonsの画像を利用した箇所はライセンス表記を追加しました。
(2016/01/15):再びストリートビューを貼り直しました。

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でも参照されている方が多い様ですので設置を継続します。

この記事へのコメント

- まーりたん - 2014年04月17日 18:45:21

kanageohis1964さん、こんばんは♪
先日は温かいコメントをありがとうございました(*^^*)

kanageohis1964さんの記事は、自身にはハイレベル過ぎて
拝読するだけで正直やっとなんですが、
参勤交代道路にしても、自然科学の視点から歴史を考察すると、
また違った楽しさがありますね♪ 勉強になります(*^^*)

- kanageohis1964 - 2014年04月17日 18:55:35

こんにちは。コメントありがとうございました。

引用やら解説やらで毎度文字数の多いブログでどうも恐れ入ります。地理面などから街道を読み解いた時に何が見えるか、少しでも紹介できればと思います。

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