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でも参照されている方が多い様ですので設置を継続します。

滝山道(八王子道)の3つの継立場(その3)

明治4年の下鶴間宿
明治4年秋の下鶴間宿
鶴林寺境内より東方を撮影したもの
大和市史 2 通史編・近世」より
前回大和市内の滝山道の道筋について見てきました。今回はもう少し下鶴間宿の周辺の様子を取り上げたいと思います。

前回も触れましたが、下鶴間宿は主に矢倉沢往還沿いに展開していました。この宿を経由した旅日記としては、渡辺崋山の「游相日記」が名高く、良く研究されていると思います。この旅日記では、天保2年(1831年)江戸から矢倉沢往還沿いに厚木へ向かい、その途上の農産物などを視察すると共に、崋山が仕えていた田原藩(現:愛知県田原市)隠居格であった三宅友信の産みの母である「お銀様」を、高座郡小園村(現:綾瀬市小園)に訪ねています。

基本的に矢倉沢往還を進んできているこの旅日記を敢えて取り上げる気になったのは、この下鶴間宿周辺の様子が比較的詳しく綴られているからですが、まずはその中から、下鶴間宿の町並みに関連する記述を引用します。なお、大正時代の影印本が国立国会図書館の「近代デジタルライブラリー」に収録されています。翻刻も複数ありますが、ここでは「渡辺崋山集 第一巻 日記・紀行(上)」(1999年 日本図書センター)を使用しました。

九月廿一日

出て鶴間に至る。兎来伝書して長谷川彦八といふ豪農ノ家に行。門塀巨大、書ヲ伝ふ。其家、賓客屛列、飮膳甚盛也。宿ヲ不乞。角屋伊兵衛俗にまんぢうやといふ家に宿す。

四百三十二銭。

鶴間、武相ノ堺川ヲ高坐(タクラ)川ト云。即相ノ高坐(コウザ)郡なれバなり。

鶴間といふ所二あり。一を上とし、二を下とす。下は赤坂の達路(注:矢倉沢往還を指す)、駅甚蕭々、わづかに廿軒ばかりありぬらん。左り右りより松竹覆ひしげり、いといとよはなれたる所なり。まんぢう屋のあるじ婦夫ハ萩□とかいふ村に婚姻ありて、行ておらねば、湯などの用意もなし。膳もまづかるべしとて、其父なる翁、孫なるむすめばかりなり□□。いざよくバ、御とまりあれや〔と〕いふ。酒を命じ、よし、飯うまし。

(上記同書326ページ、返り点は記載困難につき省略、踊り字は適宜展開、強調はブログ主)

游相日記〜まんぢう屋
「游相日記」よりまんぢう屋の挿絵
(「大和市史 2 通史編・近世」より)
こうした、下鶴間の宿場をどちらかと言えば佗し気に記述した例は、「その1」で引用した「富士・大山道中雑記 附江之嶋鎌倉」(天保9年(1838年)頃)にも見られます。

一鶴間と申所ちとせや何某止宿、是迄休泊のうちニて極()(注:粗末な家のこと)なり

藤沢より此所迄四里、此日止宿迄壱里半之間雨中夜ニ入

(「藤沢市史料集(31)旅人がみた藤沢(1)」より引用、ルビ、注、太字はブログ主)

この一行の場合は直前まで江の島・鎌倉の「観光地」を巡っているので、行楽客で賑わう地の、しかも海の幸を堪能出来る宿と比較したのでは流石に見劣りするのは止むを得ない面もあったと思われます。しかし、「游相日記」の記述と併せて考えると、やはり天保の頃には下鶴間はまだ宿場としてはそれ程の賑わいではなかったと考えるべきなのでしょう。この点は「大和市史 2 通史編・近世」でも触れられています。

下鶴間:今でも黒塀の屋敷が残る
下鶴間には今でも黒塀の屋敷が残る
もっとも、「游相日記」で長谷川家を「豪農」と記したり、「門塀巨大」と比較的大きな家を構えていた様子を記述している点にも留意すべきかも知れません。宿場は交通量次第でも、経済力は他で補っていた、ということになるのでしょうか。こちらは同じ「大和市史」の「通史編・近代・現代」の方で指摘されており、各章の執筆者の着眼点や史料調査の進展などによって記述が分かれている様であり、この点はもう少し踏み込んだ検討が必要なのかも知れません。

なお、「大和市史」の「資料編・近世」には「天保九年三月 幕府巡見使下鶴間村休憩始末書」という文書が掲載されています。将軍家斉から家慶の代替わりに際して実施された幕府の巡見使が下鶴間で休憩した際の物資や代金が一覧として記されたもので、宿場の繁盛加減に関わらず、こうした公儀の際の負担は相応にあったことが窺えます。また、この史料では

御巡見様道弐間半、矢くら沢通三間幅御座候、

と、巡見使の通ってきた道の幅が記録されています。宿場の賑わいが今ひとつだったとされている割には道幅は比較的広く、この点でも旅客はそれほどでなくても物資の往来はそれなりにあったとも考えられそうです。

ところで、華山は後に田原藩の家老に就任すると、農学者を招聘して農産物の振興を図り、天保の飢饉に際しても藩内から餓死者を出さなかったなど、農政に長けた一面がありました。この「游相日記」でもその一面が窺え、特に養蚕に関する記述があちこちに書き散らされています。なお、「游相日記」はどちらかと言うと華山のメモといった風合いが強く、下鶴間宿での養蚕の記述は途中まで記されたところで中断しています。

(注:上記の宿場の記述の途中に挿入される様に記載)蚕法

凡蚕始、掃ヲロシト云、鳥ノ羽ヲモテ雉子ヲ羽ヲ用ユ本ノ紙ニツキタルヲ。

廿二日 晴

鶴間を出づ。此辺も又、桑柘多し。田圃の間に出れば、雨降山蒼翠、手に取るばかり。蜿蜒して一矚の中に連るものハ、箱根、足柄、長尾、丹沢、津久井の山々見ゆる。耕夫懇に某々と教ふ。

桑ノ大葉ナルヲ作右衛門ト云。按ズルニ、漢云柘ナリ。細葉菱多きものを村山トイフ。漢ニ云桑也。養蚕、桑ヲ上トシ、柘ヲ下トス。

(上記同書326及び327ページ、…は中略)


養蚕については、長津田付近でも記述が見られます。

地小阜多、土モ又黒、蚕ヲ専ニス。蚕ノ本ト云フハ、奥州ヨリ到ヲ佳ト為ス。田間桑(シヤ)ヲ植、樹皆五六尺ニシテ梢ヲ断リ、畝ニ蔭ナカラシム。若陰(エツ)アル風ヲサ丶ヘ日ヲサヘギリ田畝ヲシテ痩シムレバ也トゾ。蚕ノ本如図。

卵ノ数幾万ナルヲ不知、重々相附、其色赭黒

鮫皮ノ如シ。上ニ附モノ、或ハ白色アリ。

皆用ヲナスニサマタゲズ。立一尺許、横五六寸許。

其起蚕ノ法、常ニ殊ナル無シ、不記。

凡蚕汐風を厭フ、海上ヨリ来ル風桑柘ニ入レバ蚕ノ害ヲ成ス。可恐。因テ思ニ、沿海地方養蚕ノ宜シキ所ニアラズ。サレドモ、糸ヲ取ルト織トハ別ナルヨシ。蚕ト織トヲ為スハ不利也。故ニ八王子ハ織ヲ専トシ、長蔦(注:長津田のこと)、鶴間ハ養蚕ヲ専トス

(上記同書325ページ、返り点及び図省略、強調はブログ主)


養蚕や機織にも、気候に応じて「地の利」があり、そのために養蚕の地と機織の地が分散していることを指摘している訳ですが、こうした崋山の見立ての通りならば、彼が沿道で見た長津田〜下鶴間の養蚕で生産された繭、あるいは生糸は、八王子へと運ばれて機織に用いられていた可能性が高くなります。それであれば、これらの地域からの「八王子道」は何れもそれらの運搬のために用いられていたということになるでしょう。もちろん、滝山道もそのうちの1本であったということになります。

実際、やや時代が下りますが「迅速測図」で滝山道の周辺の土地利用を見て行くと、「桑及畑」あるいは「畑及桑」と表記された区画が多いことに気付きます(リンク先は下鶴間宿周辺ですが、目黒川の東側には「桑」とだけ記された区画も存在します)。これらの区画で桑が占めていた比率がどの程度なのかは不明ではあるものの、滝山道が江戸時代にこれらの地域で生産された繭や生糸を運ぶために用いられ、継立もそれらの運搬のために活用されていた可能性を考えて良さそうです。


下鶴間付近の明治39年頃の地形図
(「今昔マップ on the web」より)
因みに、もう少し時代が下ってくると、これらの「桑及畑」と記された地域は軒並み桑畑へと一本化されていくのが、地形図上の桑畑記号の多さでわかります。河川の周辺は流石に水田が占める比率が多いものの、それに適さない地域は一部の林を除いて軒並み桑畑になっていました。明治時代に入ると生糸は重要な輸出品目の一つになりましたので、これらの地域でも増産に力が入れられたのでしょう。実際、高座郡一帯は明治から大正時代にかけて、神奈川県下有数の養蚕地帯となっていました。もっとも、その頃になると地元でも製糸工場が多数設けられる様になったことから、輸出港となった横浜への道筋の方が主体となった様です。そうなると、明治時代に入ってそれまでとは養蚕・製糸の物流の経路がこの地方で変わって行った可能性があるわけですが、今回はそこまで確認できませんでした。この点は今後機会があればもう少し検討してみたいところです。

今回は差し当たって藤沢〜下鶴間間の滝山道の検討に留めましたが、下鶴間〜八王子間の道筋などについてもう少し知識が蓄積できたらまた取り上げたいと思います。




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