【江島道】「見取絵図」に沿って(その10:七里ヶ浜―2)

前回に続いて七里ヶ浜ですが、今回はここで撮ったものを元に改めて腰越側から進み直します。

江島道:片瀬東浜のトビ
片瀬東浜のトビ
江島道:ワカメを干す柵とトビ
ワカメを干す柵とトビ
序でに、袂浦の回で紹介できなかった写真を2枚だけ。かつての「袂浦」は、今は「片瀬東浜」等という名で呼ばれることが殆どです。この浜で餌付けされたことが切っ掛けで増えてしまったのが、このトビ。昔から「鳶に油揚げをさらわれる」とは良く言われますが、今ではこの浜の観光客が手にしている食べ物を背後から掻っ攫っていくので、油断がならない存在になってしまっています。

もっとも、彼らも「人間が手にしている」ことが「食べられるもの」を識別するポイントになっている様で、こうして人間が柵に干したワカメも人間が食べているものだとまでは気付いていない様です。まぁ、猛禽類の彼らが魚はともかく海藻類までは食べようとは思わないのでしょうが…。

江島道:小動の漁港で天日干しにされるワカメ
小動の漁港で天日干しにされるワカメ
天日干しのワカメは小動の漁港でも見掛けました。柵が足りないのか、それとも既に乾燥が進んだ分なのか、砂浜の上に蓙を敷き、その上に並べたワカメを木材で押さえてあります。

因みに、この付近で採れる海藻について、「新編相模国風土記稿」中「江島」の「海」の項には

水草には海苔幅海苔米海苔の差あり海雲茂豆久(もずく)鹿尾菜比茲支茂(ひじきも)◯按ずるに天正七年、北條陸奥守氏照が出せし江島留浦の掟書にも他領の獵師みるひしき體の物迄、取手不可入云々と見えたり、等なり、

(卷之百六 鎌倉郡卷之三十八、雄山閣版より、ルビはブログ主)

と記しています。当時と今とで海産物の流通事情などが異なりますので、主力の海産品もそれに合わせて変わってきた、ということになりそうです。「風土記稿」に記されている中で、今も昔と変わらず江の島の名物となっているのは「榮螺子佐々江(さざえ)」ということになるでしょうか。

江島道:腰越付近から江の島方面の眺め
腰越付近から江の島方面の眺め
江島道:稲村ヶ崎付近での江の島方面の眺め
稲村ヶ崎付近での江の島方面の眺め
今は江の島やその周辺も江戸時代とは大分異なる姿になってはいますが、それでも当時を偲べなくなる程ではないでしょう。鎌倉方面から江の島へ向かう旅人は、こんな感じで次第に近付いて来る江の島を眺めながら七里ヶ浜を歩いていたのでしょう。

右の写真は菅笠を被った人がたまたまいい感じに画角に収まりました。

江島道:七里ヶ浜に落ちていたウニ
七里ヶ浜に落ちていたウニ
江島道:七里ヶ浜に落ちていたアワビ
七里ヶ浜に落ちていたアワビ
江島道:七里ヶ浜に流れ着いた流木
七里ヶ浜に流れ着いた流木
また、当時の紀行文・道中記に七里ヶ浜に落ちている貝や石を拾いながら歩く様子が書かれているものがいくつかありました。この日は生憎と「桜貝」にお目にかかることは出来ませんでしたが、それでもウニやアワビなどが浜に打ち上げられているのを見ることが出来ました。ウニは拾いながら歩いている人もいました。

この時目にした流木はかなり大きなものでした。何処から流れ着いたのでしょう。

江島道:七里ヶ浜に埋まる岩塊
七里ヶ浜に埋まる岩塊
江島道:海中に岩塊があるのが見えている
海中にも岩塊があるのが見えている
江島道:七里ヶ浜に落ちている石の断面
七里ヶ浜に落ちている石の断面
江島道:七里ヶ浜の防波堤の下にかつての崖が覗く
七里ヶ浜の防波堤の下にかつての崖が覗く
一見すると砂だけしかない様に見える七里ヶ浜も、いざ歩き始めると意外に岩塊があちこちに埋まっていたり、大きな石が落ちていたりするのに気付きます。今は国道134号線の下は高い壁面になっていますが、その裾にかつての崖が覗いている場所も幾つか見られます。七里ヶ浜では、砂浜の上を行く以外に道を付けるスペースが無かったことが窺えます。

江島道:鎌倉高校前付近、国道134号沿いから七里ヶ浜を見下ろす
鎌倉高校前付近、国道134号沿いから七里ヶ浜を見下ろす
江島道:「この地点の標高は海抜7.8メートルです」
「この地点の標高は
海抜7.8メートルです」
江島道:七里ヶ浜より江ノ電を見上げる
七里ヶ浜より江ノ電を見上げる
江戸時代の七里ヶ浜行きを多少なりとも体感するなら、やはり砂浜に下りて一通り歩いてみるのが良いでしょう。しかし、砂浜には他にこれといった目標物がなく、また国道134号との標高差が意外にあるため、砂浜からでは現在位置を確認しにくいのも確かです。「見取絵図」が七里ヶ浜を横切る川筋を記しているのは、恐らくこれらの川筋が七里ヶ浜を歩く上での数少ない「目標物」になるからだろうと思います。

今は傍らの国道134号線に設けられた階段を上がってみるのが良いでしょう。この道路や江ノ電が意外に高い場所を走っているのが良くわかります。江ノ電のこの区間は海への眺望が1つの「売り」になっていますが、この標高も眺めの良さに一役買っていると言えそうです。

なお、現在の国道134号の元になった道路のうち、この七里ヶ浜に平行する区間は大正9年(1920年)には県道に指定されていますが、明治時代初期の迅速測図でも既に該当する道が見えています。明治維新後のかなり早い時期に新しい道が通されたことは確実ですが、「鎌倉市史」や「藤沢市史」では関連する史料などは掲載されていません。ただ、明治維新後比較的早い時期から、江の島周辺を始め周辺各地で新たな道路の普請や改修が積極的に行われていたことが、次の道中記の記述で窺えます。

(注:駿河から東京へ船に乗っていた一行は船頭の悪巧みで途中江の島で降ろされてしまう)横浜へゆき、船か馬車にてゆけばあしたの内に江戸へ帰られるといふ。宿にて聞けば新道をゆけば七里にて野毛へ出るといふ。駕を三挺一両一分づゝにて雇ひ、安心して鮮魚の馳走で、その夜は寝る。翌四日未明に起き、支度する処へ駕来り、二人乗り、腰越へ出、津村より右の小道へ入り、在道ながら此頃聞けし新道なればあたらしき茶屋商人屋など所々に出来、人にあはず中々よき通りなり。…爰を岡村といふ。夫より一里程来り、是より沼の縁ちを一里程ゆくに埋立最中なり。江戸の開ける時も斯うであつたで有うかと見ぬ昔しを思ひくらべ、勇敷く暫らくして野毛の町つゞきへ入り、…

(「手前味噌」明治3年(1870年) 中村仲蔵、「藤沢市史料集(31)」より、踊り字は適宜置き換え、…は中略、強調はブログ主)

明治3年時点で既にこの状況ですから、当時の記録が残っていない道普請はかなり多いと考えた方が良さそうです。

明治時代初期の道路普請の最大の目的の1つは、やはり人力車などの車両対策でしょう。ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の「江の島行脚」では、人力車がこの区間を走って江の島まで行く様子をこんな風に描写しています。

(注:長谷観音を出て極楽寺坂を過ぎた辺りから)やがて、道はきゅうに右折して、灰色の広びろとした砂浜を見下ろす崖鼻に沿うて、迂曲して行く。海風がここちよい潮の香を送ってきて、思わず肺臓のすみずみまで、いっぱいにそれを吸いこませてくれる。はるか前方には、美しく盛り上がった一団の緑が――樹木におおわれた島が、陸から四分の一マイルほど離れた海上に浮んでいるのが見える。あれが江の島だ。海と美の女神の祀ってある神の島、江の島だ。ここから見ると、早くも、その急斜した斜面、灰色に散らばっている小さな町すじが見える。あすこなら、きょうのうちに、歩いて渡って行ける。ちょうど潮は引いているし、長いひろびろとした干潟が、いま、われわれの近づきつつあるこちらの岸の村から、土手のように長ながと伸びつづいているから。

江の島の、ちょうど対岸にあたる、片瀬という小さな部落で、われわれは人力車を乗り捨てて、そこから徒歩で出かける。村と浜のあいだにある小路は、砂が深くて、俥を引くことができないのだ。われわれよりもひと足先にきている参詣者の人力車も、幾台か、村の狭い往来で待ち合わしていた。もっとも、この日、辨天の社に参詣した西洋人は、わたくしひとりだそうだ。

われわれを乗せて引いてきたふたりの俥夫が、先に立って、そこの小路をつっきって行くと、まもなく、濡れた固い砂浜へだらだらと降りる。

(「全訳 小泉八雲作品集 第五巻」平井呈一訳 1964年 恒文社 125〜126ページより、強調はブログ主)

明治9年の鎌倉郡各村の人力車保有台数

東海道筋

286台

  • 平戸村:1
  • 品濃村:1
  • 前山田村:10
  • 上柏尾村:16
  • 下柏尾村:30
  • 戸塚駅吉田町:31(うち二人乗り6)
  • 戸塚駅矢部町:10(うち二人乗り1)
  • 戸塚駅戸塚宿:67(うち二人乗り1)
  • 原宿村:28
  • 東俣野村:18
  • 山谷新田:12
  • 藤沢駅西富町:14
  • 藤沢駅大鋸町:48

江の島・鎌倉界隈

67台

  • 腰越村:1(二人乗り)
  • 台村:1
  • 大船村:1
  • 山之内村:4
  • 雪之下村:17
  • 小町村:2
  • 極楽寺村:21
  • 長谷村:7
  • 片瀬村:13

それ以外

11台

  • 瀬谷村:2
  • 二ツ橋村:2(うち二人乗り1)
  • 和泉村:1
  • 阿久和村:1
  • 鍛冶ヶ谷村:1
  • 公田村:1
  • 中野村:1
  • 深谷村:2
神奈川県皇国地誌相模国鎌倉郡村誌 神奈川県郷土資料集成 第十二輯」(神奈川県図書館協会郷土資料編集委員会編 1991年)より集計、特に記したもの以外は何れも一人乗り、台数ゼロの村(全58ヶ村)は含めず
ハーン一行が進んでいるのが「迅速測図」に描かれた道筋であることは確実ですが、「砂浜を見下ろ」しながら七里ヶ浜を行くというのは、江戸時代の紀行文・道中記にはなかった描写です。また、「砂が深くて、俥を引くことができない」ために、轍が砂に埋れない高台の崖を切り開いて新たに道を付けたことが、こうした記述からも窺い知ることが出来ると思います。

実際、「皇国地誌」の記述から明治9年(1876年)時点の各村の人力車の保有台数を拾うと、右の表の様になります。東海道筋や江の島・鎌倉への観光客を見込める村々の人力車の保有台数が突出しているのがはっきり窺えます。ハーンが鎌倉を訪れた明治23年時点では東海道線や横須賀線が開通しているため、この数字も更に大きく変動しているものと思いますが、こうした新たな交通手段のために江戸時代までとは違う道が必要になった区間の1つが、この七里ヶ浜ではなかったか、と思います。

七里ヶ浜付近の明治36年の地形図

当時の施工記録が残っていない様なので、新たな道を付けるに当たってどの様な工事がなされたのかは不明ですが、明治時代の地形図でも七里ヶ浜沿いの道路の北側の斜面は等高線が混んでいる場所が多く、急な斜面になっていたことが窺えます。恐らくはこの崖下に盛土を施したり小規模に崖を削ったりして平場を出して道を付けたのでしょう。

また、今は後背の山が大規模に住宅街化して地形がなだらかになっている場所が増えていますが、かつては小さな谷戸が複雑に入り組む地形が海岸付近まで迫っており、これがかつては砂浜を経由する道筋が選ばれていた理由なのだろうと思われます。


江島道:七里ヶ浜の駐車場下は時間によっては通れない
七里ヶ浜の駐車場下は
満潮時には通れない

空中写真でも波が駐車場下まで来ている
七里ヶ浜は基本的には今でも全区間通行は可能なのですが、七里ヶ浜海岸駐車場の辺りでは砂浜が殆ど残っていない箇所があり、満潮の時間帯には完全に冠水してしまうため通行できなくなる箇所があります。この時は干潮だったため、靴に潮が掛かりながらではありましたが何とか通り抜けることが出来ました。砂浜を全区間歩きたい方は干潮時間をチェックしておいた方が良いかも知れません。時間帯が折り合わなければ行合川の先で駐車場に上がって迂回することになります。

江島道:稲村ヶ崎駅入口交差点
稲村ヶ崎駅入口交差点
向かいの道が江島道の続き

稲村ヶ崎駅入口交差点の位置
「見取絵図」に描かれた江島道は、現在の「稲村ヶ崎駅入口交差点」で七里ヶ浜を離れて内陸へと向かいます。現在は音無川を渡った先にある国道134号へ上がる階段のうち、2つ目がこの「稲村ヶ崎駅入口交差点」の前にあります。

もっとも、もう少し先まで砂浜を歩けば稲村ヶ崎公園に辿り着けるので、江島道のルートから外れてそのまま砂浜を進んでしまうのも手かも知れません。

次回はこの稲村ヶ崎公園から先に進みます。




今年の更新は以上です。アクセスいただきまして誠にありがとうございました。良いお年をお迎えください。


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でも参照されている方が多い様ですので設置を継続します。

この記事へのコメント

- SuzyHill - 2013年12月30日 12:18:47

初めまして。
リンクフリーのお言葉にご訪問しやすいようにリンクさせていただきました。
中2の息子は日本史が大好きなのですが、私は大変に疎く話相手にはなれません。
私はビーチコーミングが好きで月に一度三浦半島の海岸を歩くことが何よりの楽しみなのです。貝や石や化石を拾っているうちにその物がどこから来たのかを知りたくて貝図鑑や神奈川県の自然や地学の本を少しずつ読んだりブログ訪問をしておりましたところこちらのブログにたどり着きました。
家族に大病人がいて旅行ができないのですが、鎌倉、三浦半島と調べたこと知ったことをベースに半日、日帰り旅行を楽しんでいこうと思っておりましたところ、大変に参考になるブログを見つけて喜んでおります。
またゆっくりすべてのエントリーを拝見させていただきます。

- kanageohis1964 - 2013年12月30日 12:50:52

こんにちは。コメントありがとうございました。

ビーチコーミングですか。海から打ち上げられるものは確かに色んなことを教えてくれますね。これまで書いたものがお出かけの参考になれば幸いです。またよろしくお願いします。

- たっつん - 2013年12月31日 07:33:39

今年一年お世話になりました。
来年もよろしくお願い申し上げます。

kanageohis1964さんとご家族様のご健康をお祈り申し上げます。
良いお年をお迎えください。

- kanageohis1964 - 2013年12月31日 08:19:47

たっつんさん:

こちらこそ、毎度アクセスいただきましてありがとうございました。来年もよろしくお願いします。

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